JINKI 336 魂の故郷を求めて

 巻き上げられた泥とプレッシャー兵装の汚染、そしてこの大地を染め上げる命の一欠けらでさえも簒奪する、生ぬるい汚泥の雨。

 陽子は天に向けて慟哭し、銃弾を無茶苦茶に撃っていた。

 こんな世界に誰がした、こんな世界でなければ彼らは穏やかに生きていられたであろうに。

 奥歯を軋らせ、涙を噛み締めて、陽子は何度も何度も。尽きぬ恩讐の塊のように銃弾を撃ち続けるが、やがて弾も尽きた。

 もう、生きていくような気概もない。

 ホルスターに留めていた最後の一発を、弾倉に込める。

 自害用の銃弾であった。

 顎下に銃口を据え、瞼を閉じる。

 堕ちる世界を見たくなかったかもしれない。あるいはこの凄惨な戦場の結果から、最期くらいは無縁で居たかったのだろう。

 しかし、網膜の裏で明滅するのは昨夜のやり取りで。そして――彼らは立派に死んで行った。戦いを全うし、そして命を散らしたのだ。

 ――では、自分は?

 トリガーにかけていた指を彷徨わせる。それだけの価値もない、自分自身の命の行方は、何処へ。

『あれ? 生きてる人居るじゃないの』

 不意に澱んだ空の向こうからそんな声が投げかけられる。

 黒い雨から陽子を守るように、鋼鉄の巨神がマニピュレーターでひさしを作る。

『あんた、大丈夫? 酷い顔だよ?』

 こんな場末に真っ当な人間が居るわけがない。これはキョムの罠か、あるいは――ここまで戦い抜いてきた自分へのささやかな贖いか。

「……まるたけ、えびすに……おし、おいけ……」

『生きてる……よね? うん、あんた幸運だわ』

 人機のコックピットが開く。六翼のトウジャタイプから出てきたのは、眩いばかりの金髪の女性であった。

「あねさん、ろっかく……たこにしき……」

「私はルッカ! ルッカ=ハーデン准尉! あんたの名前は?」

「……わたし、は……」

 ――不意に眠りの皮膜が解け、陽子はいつの間にかかけられていた毛布を撫でる。

「おっ、起きた? 最近、疲れが溜まっていたのかもねぇ」

 ルッカが子供たちに毛布を掛けている。普段は彼ら彼女らの世話は自分に預けっ放しなのに、こういう時に頼りになるのがアークの隊長だ。

「……夢を、見ていました。隊長とはじめて……会った時のことを」

「今と変わらず、いい女だったでしょ?」

 にひひ、と自信満々に微笑んでみせるルッカに、陽子は嘆息混じりに応じる。

「……本当に、隊長は変わりませんね」

「でしょー? ま、最初からあんたとは物が違うって言うかさ」

「……これ。くれたのも隊長でしたよね? 銃なんて握ってるんじゃないって」

 陽子の手の中にはかつてルッカより預かったけん玉がある。今でこそ器用に扱うことができるようになったが、思い出を消化するのにもこのけん玉は役立ってくれていた。

 静かに歌い出す。

 未だに知らぬ、極東の地のわらべうたを。

「まるたけえびすに、だっけ? ……あんたが辛いのなら、それも捨てちゃっていいのだろうけれど」

「いえ、捨てませんよ。……これだけは、捨てません。私だけの……思い出ですから」

「そっか」

 毛布を掛け直そうとして、陽子は脳内で閃く感覚を前に立ち上がる。

「……昼間の《バーゴイル》……!」

「おっ、陽子の第六感? いーなー。私もそれほしいー」

「……無駄口、叩いている場合でもないですよ。……来ます」

「じゃあ、対応策は決まってるよね?」

 陽子は頷き、その手に握っていたけん玉をホルスターに留め、その代わりに二挺拳銃を取り出す。

「行きます……!」

「……オーライ。じゃあ行くとしましょうか!」

 昇降機で《セラフィトウジャ》に乗り込むなり、陽子は上操主席に備え付けられていたオプションパーツへと二挺拳銃を取り付ける。

 その瞬間、全神経が《セラフィトウジャ》に接続されたのを感覚する。通常、血続が用いるアルファーの戦闘法とも違う、自分たちが編み出した――アークの儀礼だ。

 繋がった神経を通して《バーゴイル》の姿が大写しになる。《セラフィトウジャ》そのものになった陽子は吼え立て、下操主席のルッカと呼吸を合わせていた。

「いっけー――ッ!」

 超加速戦術であるファントムに浸った機体が掻き消える。実際には十キロ以上離れていたであろう《バーゴイル》へと《セラフィトウジャ》は一瞬で肉薄し、その肩口で体当たりを仕掛ける。

「陽子! 超高度人機駆動戦術――行くよ!」

「はい……ッ! これ以上……奪われて、堪るもんかぁ――ッ!」

 二挺拳銃のアルファーを通して《セラフィトウジャ》の脈動が伝わる。六翼を広げ、《セラフィトウジャ》が手刀で《バーゴイル》の片腕を落とす。その勢いのまま浴びせ蹴りで血塊炉を叩き据え、浮かび上がった《バーゴイル》へとルッカとの呼吸が一致する。

 血潮も鼓動も、全てを一体化させてルッカと陽子が吼えていた。

《セラフィトウジャ》の貫手が《バーゴイル》の血塊炉を砕く。装甲を穿ち、そのまま捨て置くかのように背を向けていた。

 命の塊である血塊炉が《セラフィトウジャ》の手の中で脈打つ。

 自分は、かつて黒将を滅ぼしたようなそんな操主のように、優しさで戦うことはできない。しかし、恨みでもましてや憎しみでもない。

 これは――誓いだ。

「覚えておきなさい。私たちは“アーク”。力でもって、力を制する。方舟の導き手よ」

 ルッカが宣言すると同時に《バーゴイル》から抜き取った血塊炉を握り潰す。完全に命の息吹が途絶えた《バーゴイル》を見下ろし、陽子は呟いていた。

「そう、いつか……この空の彼方を見た、そんな操主と同じように……。力だけではない、生き方を選べれば……」

 ――黒く染まったロストライフの土壌はどこまでも代わり映えのない。ルッカが下操主席で欠伸をしたのを、陽子は諫める。

「……隊長。警戒機動中ですよ」

「だってぇー……昨日もロクに寝れなかったし。陽子はいいよねー、タフで」

「弱音を吐かないでください。まったく。……格納コンテナ、今日は下ろせるといいですね」

 いずれ、少年少女らも理想郷に降り立つ日を願っているはずだ。ならばその日まで、自分たちは方舟を漕ぎ続けよう。

 そのための“アーク”――荒れ狂う厄災の波を乗り越え、明日に繋げるために。

「……ま、私らは結局、自己満足だけれどねぇ。本当ならアンヘルと協力したほうがいいのは自明の理だし。あの子……八将陣シバと旅をしていた子とも、また会うのかもね」

 その時には、自分たちの生き方を説くことも少しはできるのだろうか。そんな安穏とした日々が訪れるとも思えないが、陽子は血続トレースシステムに袖を通して、ふっと呟く。

「……けれど、そんな日々が訪れるとすれば……」

 それはきっと、遥かなる旅路の先を行く、安息の大地を踏める約束の日であろう。

「その日まで……泣かない。泣くもんか……」

 いずれ来たる希望の明日のために、“アーク”の擁する《セラフィトウジャ》は、翼を広げて今日も行く。

 黙示録の日々を超えて、幾百の夜の先へと。求める心のふるさとは――未だ遥かに遠く。

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