JINKI 339 タバコにまつわるエトセトラ

「……むっ。何でしたか?」

「いや、いつになーく……なんつーか心ここに非ずって感じで……。って言うか、珍しいっすね。何か心配ごととか、イラついたこととかあるんすか?」

「何でそう思うんです?」

 カフェで対面に座り込んでいる勝世が、だって、と指差す。

「友次さん、さっきからずーっと……貧乏ゆすりしてるんですもん。何かあったんですか? オレは一応、仕事ではミスしてないはずですけれど……」

 勝世なりの気遣いなのだろうが、まさか部下の前で貧乏ゆすりするほどに深刻だとは思いも寄らない。いや、この状態では面目ないとでも言うべきだろう。

「……すみません。ちょっと……我慢しているもので」

「我慢……? 友次さん、別に男として枯れたってわけじゃないでしょう? 何ならオレ秘蔵のエロ本もありますけれど……」

「ああ、いや。そっち方面ではなく……」

 どうにも言い辛い。勝世は割と深刻に心配そうな面持ちで尋ねる。

「どうしたんすか。のらりくらりの昼行燈がお似合いとは言え、ちょっと気もそぞろって言うか……らしくないっすよ」

「らしくない……ですか。ふぅーむ……しかし、一応はプライベートの話なので……」

 答えを出し渋っているとちょうどコーヒーが運ばれてきたので勝世が対面でブラックコーヒーに口を付けたところで、ふと気づく。

「……あ、もしかしてですけれど、カフェインっすか? 今日は紅茶なのは珍しいですし」

 確かに普段ならば目が覚めるような苦み走ったブラックコーヒーを頼むところなのだが、今日は生憎の紅茶である。それも理由の一つではあるのだが、友次は答えを保留する。

「いえ……コーヒーは好きですし、紅茶も飲めるんですが……。そのですね、勝世君にはないんですか? どうしても我慢ならないことって言うか、こればっかりは人生の潤いって言うか、これがないなんて生きていたってしょうがない、みたいなのって」

「オレっすか? ……ふぅーむ……まぁ、言っちまうと女っ気がねぇとやる気が起こんないっすねぇ。その点で言えば、トーキョーアンヘルの面々はみんな美少女ですし、目の保養って奴です」

「小河原君は? 彼ともよくつるんでいるようですが」

 両兵の話題を出すと、勝世は明らかにげんなりして肩を落とす。

「……あいつなんざ、野郎連中の中でもとんだ腐れ縁っすよ。って、思い出しちまった。あいつ、風呂も一週間に一回入ればまだマシなほうで……。とんだ浮浪者仕草が身に沁みついているみたいなんすよね……。赤緒さんたちのためにも、風呂くらい入れってよく言ってるんですけれど……」

 勝世が両兵の身の回りのことを気遣っているのは少しだけ意外ではあったが、元々南米時代から交友があるのだ。それならば、友人以上の距離感であろう。

「勝世君は赤緒さんたちのことを考えているんですね」

「あったりまえっすよ! ……つーか、両兵の奴が何も考えてなさ過ぎなんです。何だって身の回りであれだけ美少女を揃えておいて、ぴくりともしねぇのかなぁ……」

 心底理解できないとでも言うように首をひねった勝世は、胸ポケットから煙草を取り出そうとして、思わず友次は声が出てしまう。

 その反応を見て、まさか、と勝世は自分と煙草を交互に見やる。

「……これ……オレの煙草っすけれど……」

「ああ、うん。分かってるよ。それはもちろん、分かっているとも……」

 早口で自分自身に自己暗示をかけるように言いやると、勝世も察したらしい。

「……まさか友次さん……禁煙っすか?」

 これでは上司の風上にも置けないな、と思いながらも力なく頷く。

「……色々あってねぇ……。喫煙者も肩身が狭いのなんのって……」

「えっ、でも友次さん、禁煙って言われてもこれまで絶対にやめなかったじゃないっすか。何だってそんな心境に……?」

 友次は一旦紅茶で喉を潤してから、そうですねぇ、と言葉の穂を次ぐ。

「……説明するのには……三日前にまで遡ってまで話をしたほうがよさそうですね……」

 ――柊神社が禁煙なのは分かり切っていたが、友次にしてみればこれも一種のルーティンだ。起き掛けにまずは一本、煙草に火を点けて、甘いメンソールの味を口中で満たす。ぷかぷかと紫煙を発しながら、まだ寝ぼけている脳内にゆっくりとエンジンをかけていく。いわば潤滑油だ。ぼんやりとした視界がハッキリし始めたところで、友次はそろそろ活動を始めようとして、鉢合わせたのはさつきであった。

「あっ……友次さん。おはようございます」

「おはようございます。……あれ? どうされましたかね……? ここは空き部屋のはずでしたが……」

 昨晩はほとんど寝ずの番で書類仕事を整えていたところだ。缶詰め状態で最新のパソコンを使って書類を作る以上、柊神社が最も適しているのだと判断してのことだったが、何かまずかっただろうか。

 さつきは言い辛そうにもじもじしている。

「あ、あの……! 一応、赤緒さんや五郎さんに言われていますので……! その、柊神社は禁煙……」

 さつきの視線の先にあったのは文机の上にある灰皿であった。煙草がぎっしりと押し込まれており、深夜作業のお供として吸っていたのもあるが、考えてみれば空き部屋を自由にしていいとは言え、少し吸い過ぎてしまったかもしれない。

「ああ、すみません……。禁煙とは聞いていましたが、一晩で仕上げなければいけなかったので……」

 言い訳じみた言葉だが、これで納得もしてくれるだろうと思っていると、さつきは唇を尖らせる。

「そ、その……! 煙草って身体に悪いって聞きます! ……だからその……あまりよくないんじゃないかなぁーって……」

 生真面目なさつきらしい感想だが、友次にしてみればいつの間にか身に沁みついていた所作の一つだ。それは手足を動かすのとほとんど同義で、自分の生活においてなくてはならないものである。

「……ですかねぇ……。私はこれまで困ったことはないんですが……さつきさんはお嫌いでいらっしゃいますか?」

「そ、そのですね……。私はあんまり……自分で自分の寿命を縮めるのは……よく分かんないって言うか……」

「パッケージみたいなことを仰いますね。あなたの健康状態を損ねる可能性が、みたいな。……うぅーん、でも私にとっては……そうだ! さつきさんたちもよくお菓子とかを嗜まれるでしょう? あれと同じですよ」

 少しだけズルい論法なのは承知の上だが、これで納得してもらうしかない。そう思って微笑みを返すと、さつきは不承げに応じる。

「そんなもの……なんですかね?」

「……おや。案外、粘り強いと言うか……」

「だって……おにいちゃ……小河原さんのお酒もそうですけれど、やっぱり身体に悪いですよ……! 私、美味しいものを食べて、それで天寿をまっとうするのは健全だと思うんですけれど……煙草やお酒で持ち崩すのは……」

 何だかさつきの決死の物言いを聞いていると、今しがた点けた一本の煙草でさえも罪悪感が湧いてくる。それとなく忍ばせておいたポケット灰皿で揉み消してから、こほんと咳払いする。

「……喫煙はまずいですかね……?」

「どうなんでしょう……? 私はあまりよくないかなぁって思っていますけれど……皆さん、考え方がありますので。あっ、朝ご飯を呼びに来たんでした」

 踵を返したさつきの背中を見送ってから、二本目の煙草に火を点けようとしていたことに気づき、いけないいけないと頭を振る。

「……さつきさんに嫌われたくはないですからねぇ……。しかし、そんなにヘビースモーカーだった気もしないんですが……」

 改めて机の上の灰皿に詰められた煙草の雑多さを見るに、恐らくは無意識によるものもあるのだろう。こうなってしまえば自分で意識して煙草を遠ざけるほかないが、さつき以外が特に気になっていないのならばさほど神経質になることもないのではないか。

 とことんまで自分に甘い考えに辟易しながらも、友次は階下に降りたところで赤緒と鉢合わせする。

「ああ、赤緒さん。おはようございま――」

「うっ……! 友次さん、煙草くさいですよ……!」

 まさか顔を合わせた途端、そんな言葉が飛んでくるとは想定外で、友次は思わず硬直してしまう。それを悟って、赤緒があわあわと言い訳の言葉を並べ始める。

「あっ、違って……! 煙草のにおいがついついしちゃったので、反射的に言っちゃったって言うか……! 言うほど臭くないですから! 大丈夫ですから!」

 フォローしていると言うよりかは、何だか傷口を抉られている感覚であったが、友次は持ち直す。

「だ、大丈夫ですよ……。非喫煙者の方って結構、そういうのに敏感ですから。それに、柊神社で吸うのはマナー違反ですし」

「そ、そうですよね。……よかったぁ。あまりにきついものだから、もしかして今しがたまで吸っていたんじゃないかって思ったくらいですよ」

「そ、そんなにですか……」

「朝ご飯、食べていってくださいね! あっ、洗濯物もちゃんとしないと……!」

 ぱたぱたとスリッパで駆けていく赤緒の背中を見送りつつ、友次は考えを巡らせる。ともすれば、自分ではそこまで深く嵌まっていないつもりでも、これは立派な依存症なのではないか、と。

 しかし、そこは長年の付き合いだ。

 いやいや、と思い直した友次は朝食の席に向かおうとして境内で射撃をしているメルJを発見する。

「おや、ヴァネットさん。今日の調子は如何ですか?」

「むっ……。確か友次とか言う……私に取り入ったっていいことなんてないぞ」

「それは分かっていますって。射撃の腕は上々ですか?」

「ぼちぼちだな。こうして朝方に射撃訓練をするのは私のルーティンのようなものだが、それにしたところで日本の朝と言うのは静まり返っていて少しばかり気後れしてしまう」

「ルーティン……ですよね。そこに疑いを挟む余地って言うのはないと言いますか……」

 後頭部をぽりぽりと掻きながら懐から取り出した煙草に火を点けようとして、メルJが見咎める。

「……あまり煙草を吸うのはよくないと思うがな」

「あれ? ヴァネットさんも苦手でしたっけ? 煙草……」

「私は赤緒たちのように口うるさく言うつもりはないが、柊神社の敷地を借りているんだ。郷に入っては郷に従えとも言うのだろう? 禁煙と言われたのなら、それに従うべきだ」

 案外、メルJも真面目なのだなと思いながら友次は火を点けかけた煙草を揉み消して頭を振る。

「……さっき赤緒さんに言われたんですよ。煙草くさいって……」

「それならばなおさら、見直すべきだろうな。自分では気づいていないつもりでも、周りから見れば異常なこともある。それが身に沁みついたルーティンであったとしても……いや、ならば余計にか。自分では気づけないのだからな」

「自分では気づけない……ですか」

 なかなかに身につまされる思いであった。手元で煙草を弄び、パッケージに戻して懐に仕舞う。

「……まぁ、赤緒やら誰やらがどう言おうともそれでも曲げないのならば好きにするといい。私も好きにさせてもらっている側なんだ。強くは言えんさ」

 そう言いながらメルJは滑らかな動きで拳銃に弾丸を装填し、その性能を確かめている。きっとメルJにとって最も落ち着く所作が、それなのだろう。自分にとっても喫煙はリラックスの一環であり、これをやめろと言われるとなかなかに辛いものがある。

「ふぅーむ……。では、少しだけ我慢しますか」

 とは言っても、半日ほど持てば御の字であろう。それに、半日くらい我慢すれば少しは煙草のにおいも消えるはず。そう思って朝食の席につこうとしたところで、眠気まなこを擦りながら階下に降りてきた南と出くわす。

「あら、友次さん。ふわぁ~……。眠っ……」

「お疲れ様です、南さん。……徹夜ですか?」

「そうなんですよ……。昼までに仕上げなくっちゃいけない資料が山積みで……。メカニックのみんなに手伝ってもらいながら、やっとって感じでして」

 欠伸をかみ殺した南に続いて、部屋から顔を出したのはシールと月子であった。

「なぁ、南……。徹夜明けで申し訳ねぇが、ここんところの予算、ちょっと桁間違ってねぇか?」

「南さん、これ……誤字多いですよ。もうちょっと見直さないと再提出どころじゃないって言うか……」

「うぅ……。待ってって! 考えようとすると頭痛い……! あっれー? 何で?」

「何でも何も……酒を少し飲んだほうが作業も進むだろって言って……夜中から酒盛りしたろうが」

「お陰様で……私たちもほとんど二日酔い……。うっ……ちょっとぎぼちわるい……」

 口元を押さえる月子に、南はそんなこともあったか、とあっけらかんと応じる。

「……えー……私のせい? でも、お酒くさくなんてないですよね? 友次さん?」

「え、ええ……まぁ……」

 実際には南を含む三人とも、かなり酒くさかったが指摘するのはまずい気がして視線を泳がせる。

「友次のオッサン。南を甘やかすとよくないぜ? ま、酒豪とはいかなくとも、オレらものんべえだからなぁ。飲んだほうが書類仕事も進むってもん……ってのは、確かだろうが」

「けれどシールちゃん。あんなに度数の高いウイスキーを開けなくったってよかったんじゃない?」

「何だよぉ! 月子だって日本酒が美味くっておつまみが進むーって言っていただろうが!」

「あー、はいはい。メカニックのあんたらはお酒が回っていてとんだ醜態だったわよ。夜中に踊り出すんだもの。……で、友次さん。お酒くさくなんてないですよね?」

「え……ええ、まぁ」

 話を聞けば聞くほど、どうにも困ってしまうのが個人的な心境であったが、ここで南たちの酒癖を指摘するほど、自分だってできた人間と言うわけではない。

 ある意味ではこれも依存症の一部か、と思い直したところで赤緒が洗濯籠を抱えて脇を抜けようとしてくる。

「南さん、おはようございます! 今日も……って! すごいお酒くさいですよ! 何なんですか!」

 赤緒はその場しのぎの嘘がつけるようなタイプではない。目の前で鼻をつまんだので、友次の努力は水の泡となってしまっていた。

「えーっ、そう? 言ってもそこまでじゃない?」

「いーえっ! 朝からお酒くさいなんてだらしがないですよっ! ちゃんとしてくれないと!」

「……うーん、そうかなぁ? シールさんと月子さんもそう思う?」

「いやいや、赤緒が真面目過ぎるんだって。酒くらい飲めないとやっていけないぜ?」

「そうそう。ちょっとお酒が飲めたほうが何かとお得かもよ?」

 三人ともめいめいに酒飲みの持論を展開するので、赤緒は洗濯籠を置いて朝一番から早速の説教だ。

「いいえっ! 皆さん、お酒にだらしがなさ過ぎますよ! 第一、お酒だの何だのに依存していると駄目人間になっちゃいますっ!」

「うへぇ……始まったよ……。これ、長いんだよなぁ……」

「あ、赤緒さん? とりあえず朝ご飯が欲しいかなぁー……。ほら、お説教は後で聞くから……」

「駄目ですっ! お酒飲みには朝ご飯はあげられませんっ! それに、徹夜で仕事していたんですよね? だったら、お酒なんて要らないんじゃないですか?」

「えー、それは意見の相違じゃない? 私たち、お酒飲んだほうがほら、ペラが回るって言うか、そのほうが書類仕事も間違いが少ないって言うか……ねぇ?」

 同意を得ようとする南であったが、赤緒がその手から書類を引っ手繰り、むむむっと眉根を寄せる。

「……私みたいな女子高生が見た限りでも、いくつか変なところがありますけれど? 予算も一桁間違ってますし」

「そ、それは初稿だから……ね? 二人とも! 初稿をどうこう言われたって仕方がないって言うか……」

「そ、そうだぞ! 赤緒……! これはたたき台でこっから直すんだからよ……」

「南さんとシールちゃんの言う通りだよ、まだ最初の段階――」

「お昼には出すんですよね? それなのに、最初の段階……?」

 三人分の言い訳を完全に封殺する赤緒の迫力に、南たちは言い返すほどの気力も残っていないのか、ははーっと平伏する。

「ご、ごめんなさい……! お酒が回ったほうがいいこともあるって……そのつもりでやったんだけれど……!」

「わ、悪気はないんだぜ? 本当によ……。酒が入ったほうがいいことがあるってのはマジな話だし……」

「そ、そうだよ! ちょっとくらいは……ねぇ?」

 謝りながらもなお反省の色がない三人へと赤緒が雷を落とす。

「駄目ですっ! お酒はしばらく禁止っ! 立花さんにも言っておかないと……!」

「ああっ、待ってってば! 私たち、一日やそこいらなら我慢するし……禁止だけは……!」

「そ、そうだぜ! 禁止ってのは横暴だよなぁ! 月子!」

「せめて……ちょっとの間我慢するだけにしてもらえないかな……? ほら、たまの楽しみなんだし……」

 平謝りしつつも譲らない三人に対し、赤緒は怒り心頭の様子でむすっとして応じる。

「……そうやって、誤魔化し誤魔化しで……駄目ですよ、今回ばっかりは! そもそもお酒なんかに頼るなんて、ちゃんとした大人として見られませんっ!」

「で、でもよ? 大人なんだから、少しくらいは……ねぇ? 友次さん」

「わ、私ですか……」

 思わぬ方向性から矢が飛んできた思いで友次が後ずさると、シールと月子がめいめいに意見を発する。

「そうだぜ! 酒ばっか糾弾されるのは割に合わねぇ!」

「シールちゃんの言う通り! お酒が全部悪いみたいに言われると……ねぇ?」

「それは……そうかもですが……」

 赤緒も鬼ではないのか、その意見に耳を傾け始めている。これはまずい、と友次は要らぬ禍根を生みかねないとその場を立ち去ろうとしたのを三人が押し留める。

「どこに行くんです! まだ話の途中!」

「そうだ、そうだ! 酒ばっかり禁止なんて納得いかねぇ!」

「せめてもう少し……そう、天秤にかけるに相応しいことがないと。例えば……身体に悪いことは全面的に柊神社では禁止にするとか」

 とんだとばっちりだと友次はその意見に恐怖する。

「……確かに。お酒ばっかり悪いって言う風にすると、ちょっとかもしれませんね。そう言えば、友次さん、朝から煙草くさかったですけれど……」

「あ、あのですね……! 煙草はその……お酒とは違うじゃないですか。迷惑をかける率が少ないって言うか……」

「それは偏見よ! お酒と煙草、どっちが悪いかなんて議論をここでしようって言うんです?」

「そうだぜ、友次のオッサン! 煙草だって一応禁煙なんだろ!」

「柊神社で禁止されるのは、お酒だけじゃないと思うなぁ……!」

 三人分の縋りつく言葉を聞き、友次は赤緒の最終判断に震える。柊神社で絶対なのは、赤緒と五郎の二人の意見であるのは疑いようもない。

「じゃあ、こうしましょう。お三方のお酒が我慢できている間、三者三様に我慢する、と言うのは」

「……その三者って言うのは、私たちと友次さんと……?」

「もちろん、私です。私も我慢しましょう。そうすれば、異論はないですね?」

「……あ、赤緒が我慢……? 何をだよ。釣り合わないもんを我慢したっておんなじだぜ?」

「……三時のおやつを我慢します。それでどうです?」

 通常ならば釣り合いが取れないような安い交渉条件ではあるが、三人には秘策があったのだろう。元より、赤緒が三時のおやつをそうそう我慢できるタイプとは思えないという勝算があったためか、ふふんと鼻を鳴らしてその意見を呑む。

「分かった! じゃあ、今日から私たちのお酒と! 友次さんの煙草、それに赤緒さんのおやつは禁止! これでどう?」

 自信満々に言い放つ南は、赤緒がおやつを我慢できるはずがないと高を括っている。それを赤緒も分かっているだけに、ぐぬぬと意固地になって応じていた。

「わ、分かりましたっ! ……言っておきますけれど、この条件だと皆さん、一生お酒なんて飲めませんからっ!」

「言ったな? よぉーし、南に月子、せいぜい、赤緒のおやつ癖がどれだけ我慢できるかどうか賭けようぜ。……こうなっちまえば、容易いもんだぜ」

「じゃあ、私は半日」

「私は一日……かな。赤緒さん、あれでおやつだけは我慢できないから」

 三人が賭け事を始めるので、赤緒は瞬く間にぷんぷんと怒ってふんと鼻を鳴らす。

「な、何ですかぁ……。絶対に、三人ともこの先お酒なんて飲めませんよっ!」

「へっ、脅したって無駄だぜ、赤緒! こうして互いに縛り合ってるんだ。誰かの我慢がどこで爆発するか分かったもんじゃねぇよな!」

「あのー……私は完全に巻き添えなんですが……」

 おずおずと挙手しながら言うと、南は何でもないように応じる。

「まぁまぁ、いいじゃないですか。……それに、友次さんだってちょっとは禁煙したほうがいいですよ。結構……くんくん。においますよ?」

 南に言われてしまえば、友次もそれなりにショックを受ける。さつきに指摘され、赤緒にも出会い頭で言われ、ここでも話題に出されてしまう辺り、よっぽどなのに違いない。

「……そうですかねぇ……においますかね……」

 しゅんと項垂れている間にも、どうやら話は進んでいるようであった。

「絶対に飲まないでくださいよ! もう一生、お酒なんて飲めないんですからねっ!」

「赤緒さんこそ……一生おやつが食べられないわよ! それでもいいのよね!」

 売り言葉に買い言葉とはこのことで、どんどんボルテージが上がっていくのを感じながら、友次はぽつんと呟く。

「……何だか私だけ……不平等な約束を結ばされているような……」

 そうは言ってもどうせ赤緒と南たちのことだ。一日と持たずにその条約は破棄されるだろうと思っていた友次であったが、昼過ぎになっても赤緒は棚の上のおやつに手を付けず、南たちは血走った眼で書類仕事を整えている。

「……ねぇー、南にシールにツッキーもさぁ。この仕事終わったらグイっと行こうよ。そうじゃないと……」

「駄目よ! エルニィ……。私たちは不平等な条約を結ばされたんだから……! てこでもあっちから反故にしない限りは動かないわ……!」

「赤緒の奴……どうせ酒を一日も我慢できねぇとか思ってんだろ? ……見せてやるぜ、メカニックの本気をよ……!」

「こっちの書類! 決定稿、出たよ!」

 南たちから約束を破るとは思えない。

 となると、今度は赤緒か、と友次が窺っていると、何度か棚の上に視線が行くもののそれでもぐっと堪えているのが見て取れた。

「……お茶も……おやつが食べたくなるから……我慢……っ!」

 飲み物も水だけと言う徹底ぶりだ。

 これは長丁場になりそうだぞ、と思った矢先、友次は懐からパッケージを取り出しかけており、いけないいけないと頭を振る。

「……思ったより身に沁みついているってことなんですかね……。しかし……煙草が吸えないとここまで落ち着きがないとは……」

 我ながら情けないと思いつつ、しかし煙草に代わるものがあるのならば求めてしまうのが人情で、赤緒が見ていないうちにそれとなく棚の上を漁る。

「……シガレットチョコと、ガム……ですか。ないよりかはマシ……ですね」

 どうにも口寂しいのでまずはシガレットチョコをくわえる。すると少しばかりは気持ちも安定してきて、書類仕事にも身が入る。

「こっちの書類は……某国の人機関連の決定事項でしたか。えーっと、こっちはこっちで……予算会議の……」

 そこまで口にしてから、灰皿に突っ込んでいたシケモクに手を伸ばそうとしていて、ハッと我に返る。

「……何でここまで我慢できないんですか……!」

 灰皿から漂うシケモクの香りも今は毒だ。ひとまず灰皿を捨て、換気を施して部屋の中から煙草のにおいを消し去ろうとする。

「さて。……集中集中……!」

 ぱんぱんと頬を張り、気合いを入れ直す。しかし、どうにも頭の中がもやもやしていて集中が続かない。加えてそのもやもやにいつの間にかにおいまで感じてしまうのだから始末が負えない。

「……こういう時には……シガレットチョコを……」

 ポリポリとシガレットチョコを頬張りながら資料作成にパソコンを動員するも、どうしても何か物足りなさを感じてしまう。

 気が付けばシガレットチョコを食い尽くしており、仕方ないとガムへと切り替える。

「……普段どれだけのペースで吸っているんだって話ですよね、まったく……」

 ミント味のガムは清涼感を伴わせて鼻筋に通っていくが、いつもの呼吸が乱されているようにやたらと深呼吸してしまう。

「……いけないいけない……集中……!」

 集中し直そうと部屋の中を歩き回る。

 ぐるぐると部屋の中を何周かしてからまたパソコンのキーを打ち、またどうしても気にかかって何周か歩いて、パソコンの作業に戻る。

「……どう考えても仕事が進んでいるとは思えませんね……」

 ペンを鼻と唇の間に挟みながら、うーんとああでもないこうでもないと頭を悩ませる。禁煙のことを意識の隅に追いやろうとするが、考えれば考えるほど表面化して来るので、これでは逆効果だと友次は部屋を出ていた。

「おや、友次さん。お出かけですか?」

 境内で掃き掃除をしていた五郎に声を掛けられたので、友次はにこやかに応じようとして不意に固まってしまう。

「……五郎さん、それ……」

「ああ、これですか。困ったものです。近くにあるとどうしても無意識で触ってしまうので、と、お菓子の包装にお酒の瓶に……。赤緒さんも南さんもあまり長続きはしないとは思うのですが」

 五郎が提げている袋の中には日本酒の酒瓶にお菓子と様々なものがある。まさか、この抗争に一枚噛んでいるとは言い出し切れないでいると、友次はそうだと思い立つ。

「……五郎さん。私のも預かってもらえますか?」

「友次さんの……と言いますと、お煙草ですか?」

「ええ。……どうにも、大人としてよろしくありませんので、禁煙を始めようと思いまして」

「……それってもしかして、赤緒さんたちに巻き込まれて? うーん、無茶をするものではないとは思いますが……」

「いえいえ! ……元々柊神社は禁煙! そもそもやめるべきだったんですよ……!」

「では預かっておきますが……そうなるとどこへ?」

 確かに、普段ならば一服のために散歩に出かけるのが常であったが、今は大した用事もない。

「……少し気分転換がてら運動をば」

「構いませんが……何日かかるか分からない以上、無理はするべきじゃないと思いますよ? 友次さんにとってのお煙草は大事な仕事のお供でしょうし」

 五郎の温情はありがたいが、友次はしゅんと項垂れる。

「いえ……煙草くさいって言われちゃったんですよね。赤緒さんとさつきさんに。こうなってしまえば……私も禁煙を本気で考えなければ……!」

「ではお散歩にいってらっしゃい」

 爽やかに手を上げて散歩コースに入るが、早速コンビニの前で自動販売機の誘惑の手が伸びてくる。

「……むっ。いけませんいけません……」

 しかし、こうして街をぶらつけばそこいらかしこにある喫煙の誘いは多岐に渡るものだ。サラリーマン風の男性が吹かしている煙草の煙や、ポスターなどの広告類。映画の予告で海外の俳優がくわえている上質そうな葉巻――。

「……いけないいけない。本気でやめるのなら……これくらいは断ち切らなければ……!」

 首を振って友次はその誘惑を振り払うが、それでも脳裏に浮かぶのは一服の際に肺の中を満たす満足感と清涼感だ。

 いつの間にか指先がくるくると煙草をいじる形になっていたので、咄嗟に手元を押さえるが、それでも今度は自然と唇を尖らせて口笛を吹く。

 どうしても何か口元で転がしていないと落ち着かないので、友次は飴を買い付けてそれらを味わうが、煙草を吸っている時のような気分の良さは一向に来ず、逆に虚しさが募るのみ。

「……いえ、ここは……! 心を鬼にして、禁煙に努めなければ……!」

「――……となって、三日ってわけっすか。案外、しぶといって言うか、南の姉さんたちや赤緒さんたちも強情っつーか……」

 話を聞き終えた勝世へと友次は憔悴しきって肩を落とす。

「……まさかここまで冷戦が続くなんて想定外でして……。そろそろ危ないなぁと思うのは、夢とかで出てくるんですよね。煙草を吸っている自分が。ハッとして目を覚ますと、ないわけですよ、煙草なんて……」

 思わず頭を抱えてしまう。ここまで自分が煙草一つに依存し切っているなんて思いも寄らない。

「……けれど、友次さん。別に赤緒さんたちの目を誤魔化すくらいわけないんじゃないですか? あんた諜報員でしょ」

「……それなんですが……禁煙し始めてからと言うもの、何と言うか、脳裏に浮かぶものがあるというか。……探そうとして手の中を滑り落ちていくような感覚なのですが……」

 自分でもハッキリしない何かがあるような気がして、赤緒たちの目を盗んで喫煙者に戻るのは気が引けるのだ。ともすれば自分の煙草への依存のルーツがあるのかもしれない。

「……なるほど。じゃあここでは煙草は吸いませんけれど、でも外に出ると誘惑だらけでしょ。それに、です。煙草の美味さを教えたのは友次さんなんですから、あんたがやめるって心に決めたんなら応援はしますよ」

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