JINKI 339 タバコにまつわるエトセトラ

「そう言ってもらえると助かるんですが……どうしてなんでしょう。煙草をやめると思うと……胸の奥がきゅっと痛むのは……」

「心臓病っすか? 気ぃつけたほうがいいっすよ。煙草はあなたの健康を害する可能性があるっつー」

「パッケージみたいなことを言わないでくださいよ……。ただでさえ忘れようとしているんですから……っと」

 会計に移ろうとして、不意に視界がぐにゃりと歪む。

 一体何が、とその感覚を手繰り寄せるその前に、友次は倒れ伏していた。

「えっ……ちょっと友次さん! 友次さんってば! ……ヤベェ、禁断症状か……? とにかく、病院……? いや、どうなんだ?」

 勝世の声が脳内で残響していく中で、友次は遥か彼方の自分でも忘れていた遠い過去へと落ちていた。

「――君、煙草は吸う?」

 問いかけられて、自分は思わず恐縮する。

「いえ……。私はまだ、二十歳になって間もなくって」

「じゃあ、煙草の味を最初に教えるのは私になるのかな。……っと、嫌いなら言ってくれ」

 対面で煙草に火を点けるその姿を、自分はよく知っている。

「……小河原現太さん。あなたの監視役を、私は命じられたんですよ? それこそ、軍の息がかかったウリマンアンヘルから。ある意味では難敵だ。だって言うのに……警戒しないんですね」

 そうだ、自分はウリマンアンヘルから派遣された諜報員見習い。カナイマアンヘルでの役割は熟練の操主である小河原現太の監視とその行動制限。しかし、現太は何でもないように告げていた。

「君の仕事はそれなのだから、誇りを持つといい。私は君に求めるものは少ないつもりだ」

 現太は甘いにおいのするメンソールの紫煙を漂わせながらこちらへと真正面から視線を合わせる。

 比して自分は目も合わせられないでいた。

 諜報員と言えば聞こえはいいが、畢竟、スパイのようなものだ。

 当然、その仕事に誇りを持てなどどだい無理な話。

「……私はどうすればよいのでしょうか。小河原現太さん、あなたは人機操主として稀有な才能が有ります。《モリビト一号》を降し、そして今もまたテーブルマウンテンから襲来する古代人機を迎撃している。……正直言えば、私なんかでは及びもつかない御仁で……」

「そうかしこまることはないさ。もっと気楽に行こうよ。そうだ、これ初心者向けだから吸ってみるかい?」

 差し出された煙草のパッケージに自分は似合わないものを感じていた。今までほとんど嗜好品は買ってこなかった上に、煙草なんて人体に害するものであるという先入観が強い。

 少しだけ戸惑っていると、現太は微笑む。

「なに、君がその煙草に……少しだけ寄り添いたい時に吸えばいい。煙草は一瞬だけでも、私たちの生活をよくしてくれる」

「よくして……? ですが健康には害ですよ」

「……私が思うに、人間なんて健康にいいものだけを摂取して生きていくなんてできやしないさ。毒も食らう、当然だろう。私はそういう時に、選択肢があるといいなと思ってるんだ」

「……選択肢……ですか」

 現太はふぅ、と煙を吐き出しながら卓上に置かれた書類を見返す。

「……君は諜報員になって何年かな? 年かさを見るにまだ浅いだろう。そんなでも、ウリマンは君を私のお付きにしたいようだからね。警戒されているのだろう」

 そこまで分かっていながら、現太はうろたえもしない。自分にしてみれば、そのスタンスと胆力に感服するしかない。

「……あの、じゃあ小河原現太さん。あなたはもう……他のアンヘルや軍部がどう動いても、それでもやってのけなければならない仕事を、たとえ邪魔が入っても、やりきるつもりなのですか……?」

「無論だとも。私にしかできないことがある。……カナイマアンヘルは人を守る巨神――《モリビト2号》の扱い手だ。そこから降りることなんて……私には死ねと言っているようなものだよ」

 事前に収集した情報内では、現太は《モリビト一号》とほぼ相討ちの形で決着を果たしたとされている。その際、最愛の存在を失ったとも。

「……つらくは、ないのですか? だって、色んな人が死んでいったのでしょう?」

「そうだね。忘れられない人たちが死んでいった。けれど、だからと言って抵抗を休めていいはずがない。私は……カナイマアンヘルの守り人として、最後まで戦い抜くつもりだよ」

 それに、と現太はここに来て嬉しそうに語る。

「息子がね。上操主をやると言ってくれているんだ。まだまだ若輩者だが、努力すれば私以上の操主に成るだろう。それを楽しみにしている……と言うと、親バカだと思われるかな?」

 現太から受け取った煙草のパッケージの底を叩き、くわえて火を点ける。

 すると、すぐに咳き込んでしまい独特な香りが口中に充満して思わず舌を出す。

「……こんなものを吸うなんて……」

「君もまだ若い。いずれは分かる時も来るさ」

 そんな日が来るのだろうか、と疑問視しながら自分はようやく一端の挨拶をする。

「……私は……諜報員であり、言ってしまえば名無しです。呼びやすい名前で呼んでいただければ……」

「そうか。では、友次……なんてどうかな。君はこれまで、色んな戦地を飛び回り、色んな人々の想いを受け止めてきたのだろう。“朋友”の意志を“次ぐ”……そんな在り方が理想のような気がするんだ」

「想いを……次ぐ……」

 考えもしなかった。自分がやってきたのはただの任務で、つまらない責務で、なおかつそこに矜持もない、意味なんて存在しないものだと思い込んでいたからだ。

「人の名前にはそれなりの意味が付随する。私は君を、一人の人間として……いいや、一人の友として、受け入れたい。それがたとえ、私の内偵と言う任務であろうともね」

 自分は――その名前を受け入れていいのだろうか。

 何が起こるか分からない。古代人機への防衛は生き死にと表裏一体だ。

 だが、そこに意味が生ずるというのならば――この内偵任務にも少しは張り合いができてくる。

 二本目の煙草に火を点けようとして、不意に現太がジッポを差し出す。

「覚えておくといい。火をくれる人間は、とても貴重なのだとね」

 その言葉を――今もよく覚えていた。記憶の奥底にあったはずだったのに、どうして忘れていたのだろう。

 煙草の火の温度を感じた瞬間、夢の皮膜は解けていた。

「――ごめんなさいっ!」

 柊神社の布団から起きるなり、赤緒に謝られて友次は戸惑う。

「私たちからも……誰かが破ると思っていただけに……友次さんのことを苦しめちゃったみたいで……!」

 南たち三人も平謝りして来るので友次はやんわりとそれを否定する。

「いえ、私自身……禁煙はしようと思っていたので……ただ、思ったよりも苦戦しましたけれど」

「私と南さんたちの勝手な戦いに巻き込んじゃって……。でも、正直、友次さんから煙草のにおいがなくなると、それはそれで寂しいって言うか……」

「そうねぇ。友次さん、ヘビースモーカーやめちゃうと、なんて言うのかしら。存在感がないって言うか」

 とんだ言い草であったが友次は微笑んでそれらを受け流す。

「……まぁ、よかったですよ。三日間程度とは言え、禁煙生活って言うのも。ご飯も美味しいですからね」

「あの……これ」

 赤緒が差し出したのは五郎に預かってもらっていたパッケージであった。それを受け取ると、慣れた所作で煙草を取り出そうとして――はたと立ち止まる。

「……いやいや、ここで吸えば結局元の木阿弥って言うか……よくないですよ」

「いえ、その……確かに柊神社は禁煙ですけれど、でも特例くらいはあってもいいかなって言う……。もちろん、気を付けてはもらいたいんですけれど……」

「要は、私たちももう我慢の限界。友次さん、景気づけにぱぁーっと吸っちゃって。私たちも今日は酒盛りだし」

 どうやら彼女らの理由付けに自分は利用されているらしい。とんだ役回りもあるものだと思いつつ、友次はジッポで煙草に火を点ける。

 肺の中を満たしていく充足感。鼻に抜けていく甘さと苦さ、舌先がピリリとして、紫煙を漂わせるとそれだけで思い出が蘇ってくる。

 ――それはかつて、意志を継ぐのだと決めた友との誓いのやり取り。

 ゆえに、自分の名前は「友次」であるのだと。

 ふぅー、と深呼吸してから友次は瞼を閉じる。

 あの日――煙草の味を教えてもらったその時から、今に至るまで忘れたことのない、最大の称号。誰かの意思を継ぐのならば、そこにあるのは相手の人生だけではない。自分の人生でさえも乗っかった、二重三重に重い楔。

「……美味いもんですね。久しぶりの煙草って」

 その答えが誰かに理解されるものではなくとも、友次は最後まで味わう。思わず頬が緩むのもご愛嬌だ。

「……本当に、美味しそうに吸うんですねぇ……。煙草ってそんなにいいものなんですか?」

 赤緒の問いかけに友次はそうか、そんなにこの一服が心底、充足に繋がっているのだと感じて頷く。

「ええ。赤緒さんも……とは言いませんが、いずれ離れがたく愛おしい何かが趣味として生まれると……いいですねぇ」

 誰かの当たり前が誰かの祝福になるその時のためを――ただ想いながらぷかぷかと吹かす。

 その煙に包まれることが、きっと自分にとっての幸福なのだとそう実感しながら、今日も明日も自分は「友次」――その唯一無二の称号を誇るのだ。

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