思ったよりも整地されている上下左右、逆さまのコロニーは人の原罪を封じ込めたかのような威容を放つ。それらを眺めていると、不意に声をかけられる。
「一人で出て行っていいって、許可は出たのかしらね」
振り返ると赤髪の女性が腕を組んで佇んでいる。
「……えっと……確か八将陣の……」
「八城ジュリ。八城でもジュリでもどっちでもいいわ。……あなた、足が不自由だったんじゃないの? いいの? ダテン=スーの補助を受けないで」
顕は少しだけ迷ってから、その胸中を語る。
「……迷惑かけてるんじゃないかって、ちょっとだけ嫌なんです。ダテンさんがそう思っていようといなくとも……おれは結局、足手纏いだ……」
操主としての実力があるかどうかだけではない。八将陣――この世界を黒く染め上げる羅刹の葬列に加えられながら、未だにどっちつかずの己に嫌気が差す。世界を憎み切るほどの怨嗟もなければ、世の中を知った風になったような諦観もない。
ぽっかりと穴が開いたように、未だにそれを埋める手立ては見えない。明日がまるで描けないのだ。それは人間として不適合なのだと感じる。普通なら、人間は明日の糧を求めるはずだ。誰かに依存し、あるいは共に歩みながら、現状の打開策を模索する――当たり前でありながら、だからこそ見失いかねないそんな断片を大事にするのだろう。
「……足手纏い、ねぇ。ちょっとだけ昔話してあげましょうか。車椅子は押してあげるわ。道すがら話しましょう」
断る気にもなれなかったのは、顕自身迷いがあるからかもしれない。ここで誰かを簡単に拒絶してしまえれば、まだマシな人格であっただろうに。生来の優しさ、否、優柔不断さが前に出ている。
「……すみません。余計な手を煩わせるつもりは……」
「いいのよ。私が喋りたくって喋るんだから。……私には息子が居たの。そんな彼は、戦時下で育ったわ。紛争地って言うのはどこも同じでね。惨たらしく死ぬか、貧困にあえいで、その結果、静かに息を引き取るか……。息子は前者だった。自ら狂信者に酔いしれ、全身に爆弾を括りつけて……笑って死んでいったの」
どうしてジュリはそんな身の上話をしてくれるのだろう。
「……何で、おれなんかに……」
「何ででしょうね。……似ていたのかもね。前に進むことで自らの心に封をしようとしているあなたと、息子がね」
まさか心の中を読まれているのか、と顔を振り向けようとするとジュリの指が顕の頬を突く。
「……なーんてね。結局のところ、自己満足なのよ。世界を壊す側のほうがまだ思ったよりも振り回されずに済むし、どうせなら積み上げてきたものは自分の意思で壊したいじゃない?」
上機嫌なジュリに対し、顕は何も言えなくなってしまう。ジュリの息子は、恐らくは立派に死んでいったのだろう。比して自分はどうだ。誰かの言葉に依存して死に行くことも真っ当にできなければ、自分の意思で立ち上がることも出来やしない。
永劫に自らの足で大地に立つことすら不可能な己に、ただただ恥じ入るばかり。こんなザマならば、あの南米戦線で足だけではなく魂ごと人機に明け渡したほうがマシだった。喰われたほうがまだ楽だったかもしれない。
「……その、ジュリさん。おれは……ともすれば望むものなんて何一つないのかもしれません。キョムに来てからも……よく分からないんです。確かに、キリビトで戦えるようにはなりました。遠隔で人機を操縦することも……慣れてきた、とは思います。ですけれど……おれは結局、何者にもなり切れていない。戦いも、殺し合いも、何一つ……。目を逸らさないことだけを自らに課してきました。でも……それももう……!」
拳で膝を殴りつける。思い通りに動かない足が憎々しい。自分の身体なのにどうしたらいいのか分からない。そもそも、自分は八将陣の席を埋めるのに足りているのだろうか。たまたま施設で一番人機操縦が得意だっただけだ。もっと適切な人材が居るのではないか、とそこまで考えたところでジュリはうぅーんと呻る。
「そこまで難しく考えることかしらねぇ。私たちはキョムなんだから、もっとシンプルでいいと思うけれど? それに……私はこれでも教師だから言えることだけれど、目を逸らすことを悪いとは思わないわよ。もっと色んなことから逃げて、逃げて逃げて……逃げ場がなくなるまで逃げ回って……そこが何なら一番しっくりくる場所かもしれないし」
ジュリが教師を隠れ蓑にしているのは意外であったが、思えば今までの言葉振りから鑑みても他者の相談を聞くことには長けているのかもしれない。
「……けれど、おれは堂々巡りで……」
「それもしょうがないんじゃないの? 少なくとも最適解を最短距離で出すような人間よりかは、慎重で真剣なんだって思うけれどねぇ。氷野顕くん。あんたはちょっとばかりマジメが過ぎるわね。まぁ、身の周りの世話をするダテン=スーがその調子なんだから、仕方ないと言えばそうなんだろうけれど。けど、覚えておくといいわ。似た者同士、傷の舐め合いは時に最悪の帰結を辿ることになる。これは年上なりの警句ね」
ふと気づけば、シャンデリアから地球を望める場所まで赴いていた。
直下に広がる青い生命の星。どこまでも茫漠と広がる地平と、少しだけ輪郭のぼやけた惑星の雲間。世界は今日も滞りなく回っており、人々の営みは止まることはない。
「……おれにできるんでしょうか。自分なりにできる……精一杯って言うのが……」
「心配することないってば。誰だって最初から、理想の自分なんて分かるわけないんだし、第一、それで言えば私だって……ま、沈黙は金かな」
ジュリは自分の中にあるわだかまりを多少なりとも緩和させてくれたようであった。こうして誰かと共に歩むこと、それそのもの意義を見出させてくれている。それは、当たり前のようで特別なのだ。
その時、ジュリの通信機器が鳴り響く。
『八将陣ジュリに、氷野顕、そこに居るな?』
「あら、セシルの坊ちゃん。私と顕くんの逢瀬に嫉妬かしら?」
『どこへなりとも行こうともシャンデリアの管轄は僕が受け持っている。氷野顕、逃げ出すかと思っていれば随分とほだされたようじゃないか。言っておくが、ジュリは冷酷非道で悪辣な操主だぞ?』
「ちょっと! イメージ下げるのやめてよね! ……で、あんたがわざわざ呼びつけるってことは、大した用事なんでしょう。手短に頼むわ」
『そうだな。氷野顕。少しだけ準備が整った。ダテン=スーは……今は《モリビト礫号》の整備に手いっぱいか。ちょうどいい、ジュリ、氷野顕を連れて来い。彼には来てもらう意義がある』
「……セシルの坊ちゃん。あんたの言うこと、信用なるのかしら? 顕くんにとって残酷な判断を下させるつもりじゃ……」
『嘘をつくメリットはないからね。それなりの決断をしてもらうことになるが……なに、時間的猶予はある。提案だよ、今日のところはね』
「……顕くん。嫌なら嫌って言ったほうがいいわ。セシルの坊ちゃんの企みなんてロクなものじゃないんだから。それに、あなただって八将陣。不都合な要求は跳ね除ける権利がある」
「……権利……ですか」
そのようなもの、南米戦線やあの施設には存在しなかった。血続であること、そして戦えるというだけの十分条件だけで、自分は戦場に駆り出された。
その結果がこれだ。二度と地を踏み締めることは叶わず、誰かを守ることはあたわず、そして何度も何度も脳内で呼び戻す。
あの日、失った称号を。
あの日、潰えた希望を。
今も差し込む月明かり。月光に照らし出された揺籃の施設で、永久に足踏みをし続ける。きっと、偶然の確率なのだ。
勝世が来なければ、どれだけの月日を無駄にしたのか分からない。
ダテン=スーが来なければ、自分の価値なんてものを見出せたのかは分からない。
けれど――もう迷ってばかりなのは、手にできないものばかりなのは、真っ平御免であった。
「……ジュリさん。おれをドクターの下へ」
「顕くん……? けれど、あなたにとって有益かどうかは……」
「有益かどうかはおれが決めます。自分のことなんですから、自分で……!」
車椅子のタイヤを骨が浮くほどに握り締める。憐れみも、ましてや同情も必要ない。自分は、もう――。
それを理解したのか、ジュリが一拍置いて頷く。
「……分かったわ。セシルの坊ちゃん、今行く」
『パッケージに傷をつけないでくれよ。彼には用があるのだからね』
それっきり、通話が一方的に切られる。
「……私は別に、誰かの理解者のつもりでもなければ、驕ったつもりでもないんだけれどね。あなたたちの行く末に、少しばかりの光が差すものだと、多少は期待していたのかもね」
きっと、裏切られるよりも裏切ったほうがいい。ジュリはそう言うのだろう。だが、自分は散々、裏切りもその反対も、経験してきた。ならば、もう誰かの歩みを止める側ではいけない。
「……現着しました」
「予定よりも一分早い。いい傾向だよ」
セシルは無数のモニターから緑色の光を浴び、有機的な循環パイプの発する鼓動のような音を背にこちらへと向き直る。
キョムを束ねる研究者としてのセシル――否、超越者――ドクターオーバーの名を冠する者の顔を待ち構えられたように最初から直視したのは初めてであった。
「……おれに用があったんでしょう。一体何なんです?」
「予想は、できているんじゃないかな。僕は君やダテン=スーに、様々な試練を強いてきた。巨大人機、《キリビト・ゼノ》を遠隔操縦できる戦闘経験、アルファーによる思惟の乗せ方、そして戦場の空気を思い出してもらえたと思う」
「セシルの坊ちゃん。答えなさい。あんたは何を企んでいるの……?」
「企んでいるとは、疑われたものだ。八将陣、ジュリ」
ジュリが噛みつこうとして、それを顕は手で制する。
「おれに用があるはずだ。ジュリさんには……正直、申し訳ないけれど関係がない」
「……顕くん……?」
「その物言いから察するに、用件は理解していそうだね。君にはそろそろ、実戦投入を経験してもらいたい」
「……これまでだって、キリビトでの戦闘介入はあったはずよ」
「それじゃ物足りないんだ。分かるだろう? 他の八将陣の心象もよくはない。カリスやハマドは確かに、クズではあるがクズなりの一貫性はある。彼らは気に入らないんだ。アルファーによる遠隔操縦、それで戦場を知った気になっているのを。君やダテン=スーを、腰が引けた操主未満だと、罵る気持ちが分からないでもない」
「……よく言うわ。ヒトの領分を超えた人でなしが、気持ちが分かる、なんて」
吐き捨てたその言葉に対して、セシルは少年の面持ちのまませせら笑う。
「確かに。ジュリ、君の言い分はいつでも僕に気づきを与えてくれる。“人間”と対等に話す時にはもっと気を付けるよう、努めるよ」
まるでこの場に居合わせた自分たちは、最早その領域を超えているかのような、そんな言い分であった。否、それは事実そうなのだろう。
生命が生じるはずの導きの青い星を俯瞰し、月明かりを浴びながらにして、ヒトであることを捨てている。常世の者たちでは、既にない。
幽世の世界にて、境界を踏む我らは間違いなく――将たる証を各々に秘めた鬼神の八人――八将陣。
「……おれに、八将陣に成れというのでしょう」
「何を……。もう顕くんはとっくに八将陣として、制圧任務を何度も繰り広げて……」
「八将陣、ジュリ。分かっていて、言葉を弄しているのか。それとも、真に無知蒙昧のまま、そんな言葉繰りで済むと思っているのか? 彼は、エアコンの効いたコックピットで、ミサイルのボタンを押すだけの存在では、あってはならない。それはカリスやハマド、シバやダテン=スーにヤオ……そして何よりも、君への侮辱となる。僕たちはキョムなんだ。この世界において、黒の男の意志を継ぎ、その思惑の通りに世界を回す、いわば壊す側。だと言うのに、いつまで平穏な日常に線引く。まさか、穏やかなユメだけを見ながら、生きていけるとでも?」
「……それは……」
思わず口ごもるジュリに、セシルはなおも言いやる。
「それとも、だ。君は守れるとでも言うのかい? 氷野顕という男を、世界の悪意から。最初に結論を言っておく。それは不可能なんだ。銃を握り、引き金を引き、そして銃弾が相手の骨と肉を撃ち抜く感覚を知っているのなら、もう戻れはしない。戦場の恍惚に一回でも酔ったことがないとは言わせないよ。君は明確に“こちら側”だ、氷野顕」
闇への誘因。あるいは、忘れていただけの事実を反芻させられただけか。
施設での日々は、戦場から遠ざかるのには充分であった。ともすれば、自分は今まで血濡れの前線など知らない、無垢な存在なのだと錯覚するのには。
しかし、一歩でも踏み込めばもう戻れないのは最も雄弁に理解しているはずなのに。
足が利かないというだけで、戦場から失格の烙印を押されたのだと思い込んでいたのは、本心では自分自身。
「……おれがこの場に呼ばれた意味は、分かっているつもりです」
「……顕くん……」
「今さら初心を気取れるわけでもないだろうに。単刀直入に、言わせてもらう。君専用のものが完成した」
従順な駒であるゾールによって運び出されたコンテナが開かれる。
冷気に包み込まれていたのは――白銀の鎧であった。ちょうど膝までの丈があり、鋼鉄が光を浴び、水蒸気の粒が付着している。
まるで今しがた、命を吹き込まれたかのようなその眩さに、顕は思わず息を呑む。
「……それは……」
「ガンダルヴァの沓……と呼んでいる。インド神話においての神の名であり、蜃気楼のことをそう呼称することもある」
「ガンダルヴァの沓……」
「待ちなさい、セシルの坊ちゃん。それはどう見ても……義足よね?」
ジュリの差し挟んだ声に顕は少しだけ昂揚していた己の精神を醒まされた気分であった。どうしてなのだろう。白銀の輝きを誇る鎧から視線を外せない。
「今さら言葉を弄するまでもない。氷野顕、八将陣に成る、ということの意味は、これに集約される。君はいつまでも、安全地帯から遠隔操縦するだけで、我々闇の葬列に肩を並べさせるつもりか? 悪に悪の矜持がある。僕らが前に進み、そして君自身が前進するためには、痛みを伴うことも必要だろう」
「……それはおれに……もう一度だけ、前に進む足をくれるという事ですか」
その言葉の赴く先の帰結にジュリが思わずと言った様子で声を荒らげる。
「……セシルの坊ちゃん……! あんた、顕くんにまだ……繋がっている足を……!」
「繋がっている、とは言ってもその存在証明は既に奪われているのだろう? 人機に喰われ、か。君ら人機操主にしてみれば、誉れのようなものであろうが、僕にはそれを現象として解明する必要がある。いわゆる“取り込まれる”とされるものだが、僕はこの現象を、その大それた名称通りなのだと、そう仮定してみた」
「……それはどういう……」
「氷野顕が最後に乗っていたのは、記録上は《ホワイト=ロンド》であったか。ならば、人機は文字通り、君の足を喰ったのだよ。人機操主が力を己のもののように錯覚する、これは最初期を辿れば黒将にもあったとされている。血続として最も優れたあれだけの操主でさえ、その危険性はあったんだ。全ての人機操縦を行う者には多かれ少なかれ、その兆候があると想定される」
「……何を言いたいの……」
セシルはこちらを向いたまま、指先でキータイピングをしながらモニターにいくつかのデータを呼び起こす。
「最強の人機、《モリビト一号》。それと雌雄を決した、別次元の存在が居た。三年前のテーブルダスト、ポイントゼロでの映像記録だ」
モリビトタイプである空戦人機が巨大なリバウンドプレッシャーを生じさせ、テーブルダストへとその最大出力を注ぎ込む。全てがその一撃で決したかのように思われたが、重力を逆巻かせ、青い風圧の加護を受けた人機が浮遊する。
空の青さと同じ色調を宿し、これまでの既存人機とはかけ離れたフォルムの機体が、一瞬にして《モリビト一号》と呼ばれる機体を追い込んでいく。
圧倒的な戦力差であった。
雑兵であった自分たちにはとても信じられないような光景の中で、《モリビト一号》が自ら血塊炉を抜き取り、黒く染め上がったその恩讐の身を震わせて顕現する。
『できたぞ……! 《モリビト一号エクステンド》だ!』
黒い瘴気を棚引かせる《モリビト一号エクステンド》はまさに悪鬼のようにもう一機を追い込もうとするが、それらは全て、無数の自律兵装と純然たる命の輝きを宿した攻撃で封殺されていく。
『リバウンドプレッシャー――滅!』