JINKI 340-5 ガンダルヴァの沓

 位相空間を歪ませるほどの高出力のリバウンドプレッシャーを前に、青い人機はうろたえるでもない。それどころか、応戦しかないとでも言うように自律兵装で三角形の力場を形成して、そして操主の声が相乗する。

『相手の想いをすべて受け、正しき心で返す! ――真・リバウンドフォール!』

 黒の機体が裏返ったリバウンドプレッシャーのエネルギーに包み込まれ、その外殻を消滅させていく。それは同時に、無数の黒い波動が世界に解き放たれた瞬間でもあった。

 映像記録が終わってからセシルが声にする。

「これが、三年前。テーブルダスト、ポイントゼロにて観測された、最大規模の戦闘映像となる。それと共に黒将が敗れ去った瞬間でもあるがね」

「……黒将……? 《モリビト一号》に乗っていたのが、キョムを束ねる……?」

「……そう。あの黒の子は、もう居ない。けれど、私たちはあの子の意志を継いで……世界を破壊することを選んだ。それが今日までの結果。キョムとしての……八将陣としての責務」

「……じゃあ、キョムのトップって言うのは……」

「何だ、まだ知らなかったのか。ダテン=スーが言っていなかったのか。それとも、周知の事実なのだと? 君の察し通り、黒将はもう死んでいる。世界を破壊するのだと、本能だけが意味を持つのだとしてキョムを率いた黒の男は、死してなお影響を与えている」

「……そんな……」

 顕は虚脱する。

 では南米戦線で、自分たちは何のために戦わせられていたのだ。何のために――大義だとか正義だとかに殉じてきた同胞たちの死は一体何だったというのだ。

 あの戦場で死ななくっていい者たちが居た。あの戦いで、もっと長生きするべき仲間たちが居た。

 自分なんかよりもよっぽど未来を描いて。もっと自由になるべき子供たちの死は、大人たちの欺瞞に塗り潰されてしまったのだ。

「……顕くん……」

「悲しいな、氷野顕。君はあの日から、南米戦線で自らの肉体の一部を差し出してまで戦ったのに、その戦いには意味がなかった。大義も、ましてや正義など。勝ち負けなんてなかったんだ。キョムは頭を失いながらもこの三年間、ロストライフ現象を起こし続けた。君らがあれだけ泥水をすすり、地べたを這いつくばってまで戦った結果は、一切無駄であった」

「ちょっと! セシルの坊ちゃん! そんな言い方……!」

「では他にどう言えばいい? 彼は無駄な戦いを繰り広げてきたんだ。黒将はもう居ない、死んだのだと公式発表すれば、なるほど死なないでいい命もあっただろう。だが、米国上層部はロストライフ現象の大部分をキョムと黒将によるものだと告知する必要性があった。意味は分かるだろう?」

 肩を竦めたセシルに、顕は絞り出すようにして声を発する。

「……人機産業の……ため……」

「その通り。人機と言う巨大産業を動かすのには、戦争が必要だった。キョムとの対立、その上で、ロストライフ化と言う名の超常現象。……だがその実、争い合っているのはほんの一部でしかない。我々は確かに、黒将復活を誓ってロストライフ現象を起こし続けてきたが……ここまで死ぬなんて想定外だよ」

 死ななくていい人間を作ったのは世界のほうだ。

 ここまで生き恥を晒し続ける自分のような戦いの機構を作ったのは、守るべき純潔の世界の側であった。

 その醜悪さ、そしていびつさに顕は身を折り曲げて嗚咽しようとする。

「……顕くん……? 何で……笑っているの……?」

 ハッとして、顕は面を上げる。

 泣きじゃくるつもりであったのに、口角が上がっていた。その理由をセシルは何でもないように告げる。

「君の精神は悪性なんだ。偽ったって仕方あるまい。奪われる側じゃなく、奪う側になりたくないか? 氷野顕。八将陣の空席を、栄光で埋めるために」

 どうしてなのだろう。

 涙は枯れていた。

 代わりに湧いてくる邪悪な感情の誘惑に、逆らえない。

 死ぬ必要性のなかった同胞たち。それを無駄死にだとは言えない。きっと彼らは、別の形で生きていくはずだったのだろう――違う。

 違わないさ、兵士の価値は戦場の呵責のみ。ならば死に行くことでこそ、幸福の道標を辿れたのだから、死は安息であった――それも違う。

「……ああ、何でおれは……こうも」

 度し難く、生き意地が汚い。

 これが――あの戦いで生き残った「氷野顕」と言う名のがらんどう。ただの――虚無だ。

「……ジュリさん。席を外して欲しい」

「けれど……顕くん……?」

「お願いします。これは……おれが決めなければいけない」

 懇願にジュリはゆっくりと踵を返す。

「……言っておくけれど、あなたは立派にこれまで戦ってきたのよ。それを恥じ入ることはないわ。誰かが否定するようなこともね」

 ジュリにはやはり見透かされているのだろう。

 その足音が遠ざかって完全に消え去ってから、顕は尋ねる。

「……ドクター。真の八将陣に……闇の眷属となるために。他の手立てはないのですか?」

「無論、存在する。カリスやハマドに唾を吐かれようとも、君は稀有なる実力を持つ血続なのには間違いない。これまでのように、アルファーを通じての遠隔操縦で貢献することはできる。所詮、他人が言っているだけだ。気に留める必要性はない。君の戦い方は、君だけが選べる」

「でも……この選択肢も間違いなく、おれにはあるということですよね。もう一度だけ……この足で、大地を踏み締めることも……」

 鋼鉄の義足はモニターの有機的な緑色の発光を照り受けている。手を伸ばせば、それは手に入る。

 しかし、それは訣別と同義であった。

 これまでのように、甘えた世界で生きていくことは許されない。それどころか、知ってしまったのだ。

 あの燃え盛るばかりの戦場で、命を燃やし尽くした子供たち。彼らの笑顔、泣き顔、そして死にたくないと乞いた、最期の表情。今際の際に浮かんだ、血の入り混じった決死の声――。

 どれもこれも、無駄だと判ずるのには自分は知り過ぎている。

 戦場の声も、あのプレッシャー兵装独特のオゾン臭も。血と硝煙の入り混じった、吐き気を催す据えたにおいも。

 甲高い声が、どこかで響く。

 そうだ、こうして迷っている間にも、ヒトは死ぬ。

 死の運命を止められないのならば、この悲劇の連鎖を止められないのならば、少しだけ視点を変えてやればいい。

 奪う側と、奪われる側。

 表裏一体のこの摂理を説くまでもない。自分は、よく知っている。

「氷野顕。僕は君を尊重しよう。選択肢が無限にあるとは言わない。それに、未来に希望があるとも展望があるとも言わない。ただし、君の手は選べるんだ。今一度、どちらの側に立つのかを」

 ならば、それを問うまでもなく。ましてや足掻くわけでもなく。

 顕の胸中は凪いでいた。こんなにも静かな夜を、自分は知らないはず。

 否、一回だけ知っている。

 戦場へと赴く前の昂揚感と脈動。それを相反するように、耳の奥がつんと澄まされ、涼やかな風が鼻孔をくすぐる。

 死地に行く前の、一拍の静寂。

 空気を振動させるのは蝉の声と、誰かの囁き声のような、夜そのものが纏った微細な音叉。

「……おれは……」

 手を伸ばす。鋼鉄の足――ガンダルヴァの沓。自分の、新たなる手足。希望そのもののように、まばゆく瞬いて。

 そしてその奥で、超越者の少年は、魅せられた自分を澄んだ瞳で見返して天使のように微笑む。

「――簒奪者の世界にようこそ。八将陣、氷野顕」

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