JINKI 340-11 運命の荒波を行く

 今しがたまでの自分の戦いも、全てが計算内であるかのように。

「……ドクター。顕くんは……初陣なんですよ……!」

「おや、ダテン=スー、それは意見の相違だな。これまでだってアルファーの遠隔とは言え、戦ってきただろうに。それとも、別の理由か? 氷野顕、君の戦歴は窺い知っている。まさか、久しぶりの戦場で、相見えたくもない相手と遭遇したか?」

 車椅子を押すダテン=スーが食って掛かろうとしたのを、顕は片手で制する。

「……いい。いいんです、おれも……冷徹に成り切れては、いないのかもしれない」

「顕くんは……! 顕くんはだって、立派じゃないですか……! 新型機を乗りこなしたんですよ……!」

「それも、別に褒められたことでもない。八将陣ならば当たり前のこと……そうでしょう? ドクター」

 顕は両足に力を込める。

 まだ接合部が馴染んでいないせいか、立ち上がるたびに酷い痛みが全身を貫く。それに奥歯を噛み締めて耐え忍びながら、顕はようやく立脚する。

「……顕くん……」

「ほう。まだ術後の痛みは相当のはずだが、思ったよりも素養はあるか」

 試すような眼差しで振り返ったセシルへと、顕はよろめきながらも対峙する。額に脂汗が滲み、呼吸も荒い。指摘されてしまえばそこまでだが、それでも今の自分ができる最大の強がりであった。

「……おれに今さら、人らしい痛みなんてない。おれは八将陣、氷野顕なのだから」

「ふむ。自ら世界に弓を引く八将陣を名乗るんだ。それに相応しい人間には成ってもらう。もちろん、催眠や暗示は使わない。黒将の技術体系はあるのだがね。それを使って無理やり君を戦場に遣わせるなんて、それこそ侮辱だろう。君は君自身の意志と力で、戦場に降り立て。そして、かつての朋友と殺し合うんだ。白銀の亡者の華――《ゼラニウム》の操主として」

 最も残酷な手段をセシルは理解しているに違いない。自らの意思で、これまでの日々を壊し戦えと言っているのだ。それは戦場で身を焼かれるよりももっと、兵士にとっては残酷な帰結であろう。

「……顕くん……無理は……!」

「無理なんてしてませんよ、ダテンさん。おれは……もう決めたんですから。八将陣ならば、誰かに寄り掛かって戦うなんて、らしくはないでしょう。ドクター、おれに戦えるだけの力をください。まだ……まだ、足りない……」

 ぎゅっと握り締めた拳がまだ震えている。

 サイラスの前で――無二の親友の前で何もかもを振り払えた「氷野顕」は、それあれかしと願われた通りに動けただろうか。彼ならば自分の強がりなど看破してしまえそうだが、甘えは捨て己の心を鋼鉄にしなければならない。誰にも撃ち抜けない、真の鋼に変えて。

「……よかろう。その覚悟、しかと見届けさせてもらうよ。僕らの仲間としてね。改めて、ようこそ八将陣へ」

 セシルはわざとらしく恭しい動作で頭を垂れる。

 顕はここから始まるのだと、震えが収まらないのを感じていた。

 世界の敵として、そして何よりもサイラスの敵として、自分はここに存在価値を刻むことになるだろう。

 それならば、震えはただの武者震いとして理解し、感情の振れ幅はより少なく、より冷徹に努めよ。

 最早、自分はかつての南米戦線を踏んでいた時よりもなお色濃い、戦場の嵐の中で逆風に吹かれているのだと知れ。

 吹き荒ぶ風に、業火の証を。

 死に行く人々の骸に、刃を突き立て。

 銀の沓と、白光の剣を持って、この星の命たちに永劫の苦しみを与える者として。

「……顕くん……そこまで思い切ることは……」

「いいえ、ダテンさん。むしろ、ちょうどいい。ドクター、おれは、前に進みますよ。進まなければいけない」

 停滞の月明かりを浴びて、無垢を演じることは不可能になっていた。

 それでも――思い出すのは車椅子を押してくれていたサイラスの声のトーンと、あの静謐の月光の下なのだから、自分でもまだ振り切れていないなと自嘲する。

 その心中を見透かしたように、超越者の少年はフッと微笑む。

「その意気やよし。……心配しなくても、以前までの君なんて思い出にすらならないさ。苛烈なる戦場が、血沸き肉躍る本物の殺戮が、君を待っているんだ」

 もう戻れない、と顕は施術痕と胸を苛む苦しみの痛みに耐える顔を見せないように下方に映る青の惑星を見下ろす。

 命が還る星を見据える眼差しに浮かんだのは、最後の温情であった。その瞳の感情を切って、セシルへと面を上げる。

 地獄の悪鬼たちの居並ぶ戦場を予知するかのように、セシルの背後のモニターの群れには人機による破壊の爪痕が刻まれている。

 その葬列の一員になるのだと、顕は短く告げていた。

「おれは――戦う」

 ――死ぬまで戦うのだと、そう信じ込めればどれだけよかっただろうか。

 病室のベッドの上で意識を取り戻したサイラスは数名の医者と看護師の診断を受けてから、ようやく生存が確認できたのだと傍らでむすっとして説明するイヴの声を聞いていた。

「死んだんじゃないかって。それこそ大騒ぎだったのよ?」

「……それはこっちの台詞だ。グレンデル隊も壊滅なのだと思っていた」

「おあいにく様。案外、命冥加はあるってことなのかしらねー。私を含めて、グレンデル隊の面々は全員、三日前には病院を退院しているわ。タフなのよ、これでもね。……よっと、ほいっと……」

 イヴは見舞いの品のリンゴの皮を剥いている。視線を振り向けながら、どこか危なっかしいナイフ捌きにサイラスは嘆息をつく。

「……不器用なんだな。リンゴの皮むき一つできないのか」

「うるさいわねぇ、新人クンは……! まぁ、生意気なところも健在で何よりよ」

「……全員、と言ったな。直撃を受けたあんたやランディもか? ……タフと言うよりも地獄から門前払いを食らったクチだろうに」

「ランディは《ストライカーエギル》の多重装甲によって、思ったよりかは軽傷よ。私もあの新型機に振り回されたけれど、蒼い火炎放射を受けなかった分、まだマシだと思うべきなのかしらね……」

 イヴもあの戦場での惨状は目に焼き付けたはずだ。

《ホワイト=ロンド》連隊の兵士たちは皆、塵一つ残らなかったのだと聞く。まさしくその戦場に生きて参戦したことでさえも掻き消す、浄罪の焔。

「……兵士たちはあの世に行けたんだろうか。オレたちみたいに門前払いを食らわなければいいが」

「それ、私たちが相当悪辣みたいじゃないの。……ま、事実ではあるんだけれどね。はい、あーん」

 いびつな形のリンゴを切り分けたイヴに対して、サイラスは唇をへの字に曲げていると、彼女は嘆息交じりにそのリンゴを自分で頬張る。

「……可愛くないわねぇ……。一応、報告。グレンデル隊は一週間以内に再集結。次のミッションを待って……まぁ依然として待機、と言う形ね。手に入れた資産を食い潰すよりも、有効利用できないかって言うのが上の考えみたい」

「……オレの《ヴェロニカ》に、あの聖遺物を組み込んでいたなんて、聞いていなかった」

 せめてもの抗弁のつもりで発したが、イヴ自身も寝耳に水だったようで、不格好なウサギの形状を模したリンゴをしゃくりと食べていく。

「本当にね。私も知らなかったんだから、あの中で作戦中の状態を把握していたのは隊長だけなんでしょう。そのダグラス隊長から、直々にお達し。“傷が癒えたらいつものトレーニングルームで”、とのこと」

「……感傷に浸っている時間もないってことか」

「とことんまで人の心なんて持たない鋼鉄の軍人、スカーフェイスってところなんでしょう。まぁ、そういう隊長だから私たちもついていくんだけれど」

 イヴは切り分けたリンゴを皿に円形に並べてから、ナイフを置く。

「……あの白い人機、どう思う」

「どうって……レコードされていた情報はあなたの《ヴェロニカ》くらいなもので、他の機体の情報源は当てにならないわよ。そうね、正直な感想で言うのならば……キョムの誇る、人間を抹殺するためだけのキリングマシーン。あれの戦闘能力を鑑みるに、これまでのような作戦展開では不十分でしょうね」

「……だろうな。オレは……撃てた。いや、撃ったのに……」

 シーツの上で悔恨に拳を握り締める。

 顕の足は、既に鋼鉄の義足に作り替えられていた。それを自らの意思で選択したのか、と問い返そうとしたところで無意味であることを悟る。

 自分だって、グレンデル隊で生きていくことを選んだのだ。他人の選択肢だけに口を差し挟むのは、卑怯なのだろう。

 だが、思い返すのは施設での日々であった。

 車椅子を押し、二人して月明かりを浴びる。間違った青春の送り方をしてしまったのは分かり切っているのに、あの停滞の毎日が、自分たちにとっては何よりも安らかな報酬であった。

 戦場で銃を握って、人機を駆って戦い抜いてきたあの硝煙の日々ではない。

 自分にとっての思い出は、戦地ではなくそこから遠く離れた揺籃のゆりかごの中にあったのだ。

 だが、赤子がいつまでも赤子でないように、ゆりかごは壊された。

 他でもない、自分たちの未来によって。

 未来を望んでいたのに、そんなはずがないと物分かりが悪い風を装うのは、それこそ愚かなのだろう。

 ヒトは、ずっと足踏みなんてしていられないなんて、分かり切っているくせに。

「……そろそろ行くわ。新人クン、あと二日は安静みたいだから、その間の休暇を楽しみなさいな。……とは言っても、私が差し入れできるのは果実とこれくらいなものだけれどね」

 差し出されたのは文庫本であった。受け取ると、イヴは手を振って病室を後にする。

 開いたところで、挟まれていたのは手紙であった。恐らくは意図的に仕組んでいたのだろう、筆跡はダグラスのものであった。

「“サイラス・クライヴへ。先刻の戦場での的確な判断を感謝する。次の作戦を待て。その間に、身体を休めておくといい。お前は一時期、かなり危うかった。魂の世界を信じるのならば、一度そちら側へと旅立ってしまったかのような……いや、今は言うまい。戦士としての帰還を待つ。ウィラード・ダグラス”……何だよ。あの人も、結局は心配性ってことか」

 それでも余計な言葉で自分と顕の仲を詮索してこないことは少しだけありがたかった。真正面の言葉以外では、隊員の中でも勘繰られたくないのは分かっていたからだろう。あの戦場で、ダグラスだけは追い込まれながらも自分たちのやり取りを理解してくれたはずだ。

 病室の窓の白いカーテンを、清浄な風がなびかせる。

 汚染された戦場とは隔絶された、白く透き通ったような風を肺の中に取り込んでから、サイラスは受け取った文庫本のタイトルを見やる。

「……メルヴィルの『白鯨』か」

 かつては難解だとさじを投げたことのある本のページを捲りながら、サイラスは思い返す。

 あの、寄せては返す精神世界の大海原を。その果てしない海を行く、白いクジラの姿。波打ち際でただ見ていることしかできない自分は、大海に漕ぎ出すのにはまだ足りていないのだろう。

「……もっと強さが要る。それも……あの海で見たクジラの手綱を握るほどの……強さが……!」

 ふと、イヴが並べて行った雑多な形状で切り分けられたリンゴを見やる。強くありたければ、迷いなく喰らうことだ。

 サイラスはリンゴを手で握り、それを頬張る。唇の端から果汁が滴り、白いシーツを汚していた。

 生きることは、汚すこと――それは身体も、魂も。いつまでも無垢で居られるはずがない。

 ゆりかごの期間は、思っていたよりもとっくの昔に過ぎていたのだ。

 ならば、運命の荒波を行く鋼鉄の羅針盤だけを頼りにして進むしかない。いつか、白いクジラに追いつけるのだろうか。それとも、海になんて出なかったほうがよかったと悔いるのだろうか。

 いずれにしても、世界の速度は一方的に、宿命の時計の針は動き出しているのだけは、確かなことであった。

 ――帰国するなり、待っていたと声がかかり、南はエルニィと共に昼下がりの柊神社の軒先で筐体をいじる。湿っぽさが目立ち始めた梅雨前の風が吹き込み、エルニィに問い返す。

「……ねぇ、エルニィ。私たちにできることって、何かあったのかしら。勝世君はね、グレンデル隊に入隊したって言う子に、心当たりがあるって言うんで帰国するなり友次さんと一緒に、また諜報活動だってさ」

「そりゃー、南。ボクは南にしかできないことを期待しているんだから。……頼むから、何もできないなんて弱音は吐かないでよ」

 見透かされているな、と思いつつ南は資料を作成しながらふとキーをタイピングする手を休める。

「……私たちだって赤緒さんたちに戦わせているようなものよ。ズルいのは……別に手段を選んでいられない連中と変わらないってこと」

「けれど、南は寄り添ってくれているじゃん。それが連中との違いだよ。当事者として、南は前に居てくれるでしょ?」

 その信頼に応えなければな、と南はそこで不意打ち気味に手を叩いて立ち上がる。

「……よし! 今日は私がコーヒーを淹れてあげる!」

「えっ! ついに飲めるの? ヘブンズ直伝、南のスペシャルコーヒーが!」

 目を輝かせるエルニィへと南は腕捲りをしてふふんと鼻を鳴らす。

「まっかせなさい! みんな留守だし、せっかくだから奮発しちゃう! 疲れなんて一発で吹っ飛ぶ私特製コーヒーをご賞味あれってね!」

 明るく努めて南は台所に向かう。黒々としたコールタールのような重ささえも感じさせるコーヒーの液体に、たっぷりの砂糖を溶け切らないうちから混ぜるのがコツだ。

 お湯を温めながら、南はプラントで目にした対象を思い出す。

 聖骸布に巻かれた聖なる遺物。エクステンドの力の結晶を。

「……やめやめ。難しいこと考えたって、私のガラじゃないし。けれどでも……いつかは答えに辿り着ければいいわよね。それが分かりやすいものではなくっても……」

 生きている限り、素晴らしい答えが待っているはずだと、少しばかりの楽観視も込みで毎日を過ごすのも悪くないはずだ。

 少なくとも自分の人生は、終わりのない旅路の傍らに答えを求め続ける、一方通行の行方なのだから。

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