JINKI 342 愛しい五センチの背中に

 そう言って赤緒をけしかけるエルニィを認めて石段を上ってきたところの両兵は眉根を寄せる。

「……なーにやってンだ、てめぇら。いじめは感心しねぇぞ」

「両兵! ……いじめてなんてしてないって」

 心底不服そうなエルニィに両兵は赤緒へと視線を振り向ける。

「……あれ、何やってンだ? 屋根ん上にわざわざ上がって……新しい芸か?」

「芸とかじゃないですってば! ……うぅ……立花さん! やっぱりこれ、怖いですってば!」

「やれやれ……普段はもっと高いところの目線だって言うのになぁ。赤緒のビビり性も困ったもんだよ。じゃあ次! ルイ、飛んでみて!」

 目を凝らせば屋根の上に居るのは赤緒だけではない。その後ろにルイ、さつきにメルJ、そして金枝が続いている。

「早くしてよね。後ろがつかえているのよ」

「と、とは言いましても……」

 赤緒が装備しているのは簡素なグライダーであった。Rスーツの各部と可動域が連携しており、ちょうど全身を押し包む程度の大きさである。

 屋根の上でよろよろと後退した赤緒と入れ替わるように前に出たルイはメガホンを持つエルニィの号令を待っている。

「ハイ! 飛んで!」

「こんなの。何でもないじゃない」

 ばっとまるでムササビのように飛んでみせたルイは穏やかな風を受けて滑空し、数メートルほど飛翔してから不時着する。

「……おい、黄坂のガキ。何をやっとるんだ、これは」

「分かんない? 脱出訓練よ」

「脱出訓練だぁ? ……屋根から飛び降りるのが、か?」

 胡乱そうに両兵が上下に視線を振ると、今度はさつきの番でやはりと言うべきかその足並みがびくついている。

「ハイ! 次はさつき! 飛んで!」

「た、立花さん……。私その……飛ぶことなんてほとんどないと思うんですけれど……。《ナナツーライト》は地上戦メインですし……」

「言い訳しない! みんなで訓練する意味をちゃんと説明したでしょ!」

「で、ですけれど……」

「分かる。……意外と怖いんだよね、ほんの数メートルなのに……」

 屋根の上でへこたれた様子の赤緒にさつきは愛想笑いを浮かべると、今しがた着地したルイが囃し立てる。

「傷を舐め合ってないで早くなさい、ビビり二人組。……赤緒もさつきも、本当てんで駄目よね。そんなんじゃ、どれだけ勉強ができたって仕方ないわよ」

 ルイはと言うと先んじて着地した人間への報酬なのか、クーラーボックスいっぱいに入っている棒アイスを頬張っている。

「……なぁ、立花。これは何なんだ? 飛び降りの訓練ってのも変じゃねぇの?」

「何言ってんのさ。これはれっきとした操主訓練だよ。……って言うか、両兵はしてこなかったの? もしもの時の脱出訓練」

「いや、こんな珍妙な脱出訓練をした覚えはねぇが……」

「ええい、下がれ! ……立花、私が先に降りる。問題ないな?」

「しょーがない。降りれる人から降りるのが手早いしね。じゃあ、メルJ。いちにーのー――!」

 エルニィが全部言い切る前にふんと鼻を鳴らしてメルJは中空に身を躍らせる。軽やかに舞い上がるなり全身を広げてグライダーで風を受け、自由自在に空を舞うのもさすがは空戦人機の使い手なだけはあり、先ほどのルイよりも滑空距離が長かった。

 それどころかくるくると身をひねりながら華麗に舞い降りる。

「これが空戦人機の搭乗経験の差だ」

「……カッコつけちゃってまぁ。どうせあんたの飛距離なんて測っちゃいないわよ」

 ルイの嫌味を何でもないようにメルJは軽くいなしてクーラーボックスの棒アイスを手に取る。

「言ってろ。ただただ飛ぶのだけでは芸がない。どうせなら空中での姿勢制御、そしてより安全な着地こそが美しいのだからな。ムササビのように風を受ける想定ならば、どこでどう受ければより遠くまで飛べるのかを脳内できっちりシミュレートする。それこそが人機から脱出する際には必要な才覚だ」

 自信満々に言ってのけるメルJにルイはふんと鼻を鳴らす。

「……とんだ自信だこと。空戦人機のアドバンテージは可能な限り、継続戦闘時間を引き延ばすことじゃないわ。一秒でも早く仕掛け、そして奇襲の後に鮮やかに撤退する。あんただけの特権じゃないわよ」

「何だ、黄坂ルイ。分かっているじゃないか。この調子なら《エスクードトウジャ》の下操主も任せられると言うものだ」

 どうやらお互いに伝わり合う部分はあった様子で、軒先で座り込むルイの挑戦的な眼差しを受けてメルJは口元に余裕の笑みを浮かべる。

「……エスクードの性能はちゃんと引き出してあげる。せいぜい、あんたは上操主を頑張ることね」

「それはお互い様、だろう?」

 どこかで通じ合うルイとメルJとは対照的に、赤緒とさつきは降り損なっている。

「ほら! 二人とも無事じゃん。大丈夫だって。頭から落っこちたってRスーツの耐衝撃性能は折り紙つきなんだからさ!」

「あ、頭から……。恐ろしいことを言いますね、立花さんは……」

「わ、私も力が抜けちゃって……。前の二人がいい見本になっちゃったから、自信が……」

 赤緒とさつきはRスーツ姿でわーんと泣いて抱き合っている。その模様にエルニィも下から野次を飛ばすだけではどうにもなりそうにないと感じたのか、クーラーボックスを引き寄せて言及していた。

「ほら! 降りたらつめたーいアイスがお待ちかね! ……第一、暑いから少しは訓練のご褒美が欲しいって言い出したのは赤緒でしょー!」

「そ、それとこれとは……」

 完全に飛び損ねている赤緒は力も入らない様子で屋根の上で立ち上がるのも厳しそうだ。両兵はアイスを頬張るエルニィへと耳打ちする。

「……なぁ。あんましこういうのはよくねぇんじゃねぇの? 訓練とか言いながら柊とさつきをいじめ抜いたって……」

「いじめてるなんてとんだ言い草だなぁ。……今の二人を見てなかったの?」

「見てたけれどよ……。何の訓練になるンだ? 人機から飛び降りる訓練かよ」

 先んじて訓練を達成したルイとメルJは落ち着き払って赤緒たちを観戦している。

「赤緒! それにさつきも! 大丈夫だ! 飛んだだけでは掠り傷一つせん! それに、飛ばなければいつまでもアイスがないぞ!」

「と、とは言いましてもぉ……」

 むぅ、とメルJが激励の言葉の効果のなさに戸惑っているのを両兵はちょいちょいと手招く。

「何だ? 小河原」

「いや……そこまで意固地になってするってこたぁ、意味があることなのは分かるんだがよ。結局のところ、目的ってのがよく分からん。一体何なんだ?」

「立花の言ったように操主訓練だが……確かにこの状況だけ見せられても戸惑うか」

「じゃあ今度は三宮ー! 三宮、飛んでー!」

 金枝の番であったが、どうやら赤緒とさつきの二人が怖がっているのが伝播したのか、彼女は明らかに固い様子だ。

「よ、よぉーし……。いきますよぉー……」

「か、金枝ちゃん……。飛べるの……?」

 完全にびくついている赤緒の言葉に影響された様子で、金枝の肩が硬直する。

「……そんなに高い距離では……。いえ、高いですね。あのぉー、立花さん。これ、高いです」

 屋根の下を覗き込んだ金枝のビビり切った声音にエルニィは頑としてメガホン越しの大声を放つ。

「そんなわけないでしょー! 普段使ってる人機の全高、何メートルだと思ってるのさ! これくらいは飛んでもらわないと困るってば!」

「いえ……ですけれど……。うぅ……金枝も怖いです……」

 完全に竦み上がった様子の金枝が赤緒とさつきに抱き付く。こうなってしまえば我慢比べなのだろう。エルニィは腰に手をやって三人の様子を嘆く。

「……もうっ! とんだ災難なのはこっちのほう! Rスーツが頑丈なのは知ってるでしょ! それに今回開発したグライダーはちゃんと手足を広げれば滑空は理論上、九十パーセント以上可能なんだから!」

「で、でも……百パーじゃないんじゃ……」

「百パー安全なんて言い出したら、新幹線も飛行機も動かないってば! ……これだからなぁ……」

 後頭部を苛立たしげに掻くエルニィには潜める形で、メルJが事の次第を説明し始める。

「……言いだしっぺに関係しているのは、赤緒も同じだったはずなんだがな……」

「――あっ、今日は《モリビト2号》もこっちなんだ……」

 格納庫から立脚した《モリビト2号》を認めて赤緒はぼそっと呟く。思えば自衛隊駐屯地でメンテナンスを受けることが多いため、柊神社の格納庫で世話になることも考えてみれば少なくなってきた。空戦性能を試験するのには柊神社の境内だけでは物足りないのもある。加えて久しぶりに愛機を目にできる距離でもあった。

しかし、赤緒は洗濯物を干している最中であり、《モリビト2号》の巨体によってちょうど影ができたので、このままでは乾かないと早速格納庫へと注文をしにぱたぱたと駆ける。

「立花さーん! 影できちゃってますよぉ……って、どうしたんです? それ……」

「あれ、赤緒じゃん。どったの?」

「いや、どうしたってモリビトの影で洗濯物が……それ、何です?」

「ああ、これ? カッコいいでしょー!」

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