そう言って得意げに一回転してみせたエルニィが纏っているのはRスーツであったが、袖口のボタンを押すと二の腕から皮膜が伸び両足へと接続される。
全容はちょうどムササビのようで、少し生物的な意匠はこれまで機械的であったRスーツのデザインとは一線を画している。
「……カッコいいって言うか……ムササビみたい……」
「当たらずとも遠からずだね。グライダーの形態と飛膜と呼ばれる樹上生活者特有の生態を模倣したんだ。まだ試作型だけれど、いずれは全てのRスーツに標準装備されるかな」
飛膜を展開したRスーツでエルニィは自由自在に動き回る。その動きはさながら野生動物で、エルニィの面持ちと野性児感もあってより小動物めいている。
「……でも、何でグライダーみたいなものを?」
「何って……そりゃー赤緒。これで飛ぶからに決まってるじゃん」
分かり切ったことをとでも言うようなエルニィの論調に赤緒は首を傾げる。
「……飛ぶ? えっと、立花さん」
赤緒は真剣な面持ちでエルニィの肩を引っ掴む。エルニィも真剣な話なのだと思ったのか、少しだけうろたえ気味に頷く。
「う、うん? どったの?」
「……いいですか? 人間は飛べません」
その返答に虚を突かれたようになっていたエルニィは、まさかと怪訝顔になる。
「……赤緒、ボクが意味ない発明したと思ってる? せっかくの資源をこんなことに使って……お馬鹿さんだと?」
「違うんですか?」
途端、エルニィがこちらに向けてチョップして来るので赤緒は避け切れずに脳天を叩かれてしまう。
「もう! こっちは真剣に作ったのに……そんな風に言われるなんて心外だよ!」
「痛ったた……。でも、人間はムササビみたいには成れないんじゃ……」
「……赤緒も強情って言うか、頭堅いって言うか……。いい? これは人機から飛び降りる時とかに使うの!」
「……でも普段は昇降機で……」
「その昇降機が壊れたら? どうするのさ」
不意に突きつけられた命題に赤緒は自分なりに真面目に頭を使おうとするが、やはりと言うべきかそれでもムササビ型グライダーを使う想定にはならない。
「……えっと、人機の手のひらに乗せてもらって……」
「マニピュレーターが壊れちゃえば?」
「……ゆっくりと降りれば……」
はぁー、ととことん嘆かわしいとでも言うようにエルニィがため息をついて頭を振るので何だか馬鹿にされている気分で赤緒は言いやる。
「な、何ですか……。私が馬鹿みたいに……」
「いやいや、こればっかりは……。赤緒は危機意識が足りないなぁ。人機のあらゆる場所には……もちろん、非常事態のためのガイドとでも言うべきものはたくさん付いてるよ? ためしに《モリビト2号》を参照してみよっか」
格納庫の外に出てシールと月子が立ち上げている《モリビト2号》を二人して仰ぎ見る。
「オーライ! オーライです、先輩方! ……あっ、これは赤緒さんに立花博士……」
今しがたまで大声を出していたのを恥じ入るように秋が帽子を目深に被って会釈する。
「ほら、見てみなよ。一応、コックピットから緊急時のための梯子があるでしょ?」
「あっ……本当だ、いつの間に……」
「……いつの間にも何も、赤緒ってば本当にハードウェアに興味ないんだなぁ。元から付いてるけれど、赤緒は血続だから意識してないのか」
何だか酷く馬鹿にされている気分だったが、今はその話しぶりの先を聞く必要性がありそうだ。
「……で、でも使わないんじゃ……」
「赤緒はね、血続だからアルファーで遠隔操縦、それにもしものことがあっても何とかなるって思っている節はあるけれど、じゃあマニュアル操縦だとどう?」
「マニュアル操縦……?」
「今、シールとツッキーが操縦しているけれど、どこから降りると思う?」
「ど、どこって……さすがに馬鹿にし過ぎじゃ……。コックピットからでしょう?」
「はい、基本は正解。じゃあ、もしもの話。腕を斬り落とされて、さらに昇降機も起動しないとなれば? どうやって非血続の二人は降りるでしょうか? ……ここまでヒント与えたんだからマジメに答えてよね」
何だか教鞭を振るわれている気分で赤緒は少しだけ迷ったが、やがて、あっと気付く。
「……そっか。アルファーの加護や人機の操縦系統が壊れちゃうと……脱出する術がないんだ」
「……ようやく気付いてくれたか。そう。言っちゃうと、現状のトーキョーアンヘルは人機がきっちりと稼働する前提で動き過ぎているきらいがあるからね。もしものことを想定しないと話にならない。マニピュレーターがなく、昇降機も壊れればでは人機操主はどこから脱出すればいいのか、だよ」
「……あれ? でもこういうのって……私、この間テレビで観た映画とかだと……コックピットが吹っ飛んで、パラシュートで……とかじゃ?」
「赤緒にしては一応の知識はあるんじゃん。……けれど、あれって本当のギリギリの判断なんだよね。それに、可能な限りコックピットを吹き飛ばしての脱出は最後に持っていきたい。意図は……さすがに分かるよね?」
問いかける眼差しのエルニィに対し、全く理解していない赤緒がきょとんとしていると彼女は頭を抱えて陰鬱なため息をつく。
「……やめたやめた。赤緒に期待し過ぎた」
「な、何ですか……その言い草……。えっと……」
「もう答えを言っちゃうよ。……人機のコックピットは基本的には頭なんだ。そして頭部コックピットには、替えの利かない集積回路や電算部品が詰まってる。つまりは、二度も三度も代用はできないってこと。そうそう簡単に緊急事態に頭を吹っ飛ばす、なんてことはメカニックとしては最終判断なわけ。いくら人命優先とは言ってもね」
そこまで言われれば赤緒にもようやく意図が見えてくる。
「じゃあ……可能な限り頭部コックピットを無事に保ちたいってことですか? そのための……ムササビグライダー?」
「今さら分かったの? ……人機のコックピットを傷つけずに、加えて空戦人機としての性能を損ねずに脱出すること! そのためには各々が自力で脱出する術を持ってないといけない。このムササビの生態を参考にした飛膜は、人工アルファーだから普段使ってるアルファーと同じ。出し入れも自由自在! これを実戦投入できれば、空戦人機からのもしもの時の脱出性能は格段に上がる」
つまるところエルニィは全ての策が潰えた後の話をしているのだ。昇降機も、マニピュレーターも全壊した場合、操主は身一つで飛ばなくてはいけない場合がある、と。
「……けれど、それって本当に飛べるんですか?」
「……むっ。赤緒ってば本当に失礼だよね。ボクやメカニックがちゃんと空力計算したのに。この見た目だけれど、ちゃんと揚力を得られるよ。それにRスーツに仕込んでおけば、敵からじゃ分からないでしょ。より生存率が高い作戦を取れる可能性だってあるんだ」
「……はぁ。当てになるんだかならないんだか……」
『まぁそう疑ってやんなよ。オレだって計算にはきちんと協力したんだ。現状、戦闘機から脱出した場合、そこが上空だった時のこととか考えてみな?』
《モリビト2号》を動かしながらシールが問いかける。赤緒にはそれもピンと来ない。
「……上空?」
『分かんねぇかな。例えば、人機で高速戦闘中……仮定するにファントムを連発しないと勝てない相手だとするだろ? そんな奴との高速戦闘、それこそマッハだとかの世界だよ。そんな中で、操主が身一つで飛び出したら、どんくらいの負荷がかかるのかって言う』
シールの掲げた命題は赤緒にとってはまるで想定できない。頭を悩ませて考えているところをエルニィが助け船を出す。
「……まぁ単純比較はできないけれど、戦闘機からの脱出の際、パイロットには14G程度の負荷がかかると計算される。これ、さっき赤緒が言ったように何の対策もなく直上に吹っ飛ばした場合……頸椎がポキッと逝っちゃうね」
エルニィがまるで世間話の延長のように口にするものだから、赤緒は首を傾げる。
「……えっと、ポキッとですか?」
「そう。ゴキッ、かもしれないけれど。まず間違いなく、その時点で死んじゃう」
今さらになってその恐ろしさに背筋がぞぞっと凍る。ひぇっ、と短い悲鳴が出てしまうほどだ。
「……そ、そんなに恐ろしいことに……」
「なっちゃうんだよ、恐ろしいことに。……って言うか、赤緒その自覚ないの? 空中ファントムだとか、普通に使うけれどあれも危ないんだよねー。空中ファントムはどんな人機でもできる応用技能だけれど、それは同時に危険性と隣り合わせなんだ。人機の構造循環パイプはとても微細な動きを実現しているけれど、血続トレースシステムによって補正している部分もある。無理がたたれば、それこそコックピットの中で押し潰されかねないよ」
エルニィの説明通りならば、無理に空中ファントムを併用するのは危険性しかないのではないかと思わせられていた。赤緒はおずおずと挙手する。
「えっとぉ……じゃあ、ファントムを使いながら脱出したら……」
「ポキッとじゃ済まないかもね。プチッ、かも。……なに青い顔してんのさ」
「いやだって……そんなの聞いたら……」
とてもではないがこれまでの人機操縦が無理の上に無理を塗り重ねるようなものであることが窺い知れてしまう。しかし、エルニィはあくまでも明るい様子でこちらの肩をぽんぽんと叩く。
「なに? ビビっちゃった? 安心しなって。Rスーツは耐Gスーツの役割も果たしてるんだから。ファントムの連続使用にも耐えられるし、空中ファントムを何度も使ったところで操主にはすり傷一つできやしないよ」
「そ、それなら……」
ホッと胸を撫で下ろしたところで《モリビト2号》を誘導する秋が振り返って言いやる。
「……あの、赤緒さん。水を差すようですが、そのためのムササビグライダーなのだと、立花博士は仰っているんじゃないですか……?」
「えっ……それってどういう……」
こちらが本当に戸惑いを浮かべたものだからエルニィは不機嫌になって腕を組んで憮然とする。
「……本当に一個解決すると一個戻るんだからなぁ、赤緒は。いい? 今話した通り、最新鋭の戦闘機でも脱出時にかかる荷重は約14G。Rスーツで減殺したとしても、そうだなぁ、打ち所当たり所が悪ければ簡単にポキッと逝っちゃう。だからこそ、このムササビ機能が必要になってくるの!」
赤緒にとってはRスーツに付随される機能にしてみれば、少し過剰とも呼べる代物に思えていた。そもそも人間は空を飛べるようにはできていない。だと言うのに、この発明で何が解決すると言うのだろうか。
「……でも、こんなの……。今の立花さんのお話じゃ、やる暇なんてないんじゃ……」
「だから自動可変機能を付けてるんでしょ。もしもの時の生存率を上げるためだよ。……確かに、人機にも脱出装置としての爆雷は備え付けてある。当たり前だよね、人機は機動兵器なんだから。当然、キョムとの応戦も視野に入っている。さっき言ったファントムの連続使用中に、不意に後ろから撃たれるかもしれない。そうなった時、どれだけ操主が考える前に無事に脱出できるかどうか……。音速を簡単に越えちゃえる兵器だからこそ、安全性は担保されなければならない」
「赤緒、《モリビト2号》にもちゃんとそれは組み込んであるんだよ。エルニィが言ってんのは、その先だな」
昇降機で降りてきたシールの説明に、赤緒は本日何回目か分からない疑問符を差し挟む。
「……えっと……その先って言うと」
「撃墜。……ううん、もっと悪い想定かな。まだ普通に撃墜される分にならいいんだけれど、エルニィの言うように脱出機能がちゃんと働かない場合もあるの。そうなった時の、操主自力での脱出性能は知っておかないといけないって言う……いわゆる安全への心掛けみたいな部分なの」
月子も下操主席から降りてきて汗を拭う。赤緒は偶然にも洗濯籠を持って来たままであったので、二人へとタオルを差し出していた。
「……操主自力での……」
「いつでもオレらがサポートできるんなら理想だけれどよ。今までだって人機と操主の単独で海外に出ることはあったろ? メカニックの整備も万全じゃない時もある。そうなった時に、キリビトだとかと遭遇して、撃墜の憂き目にでも遭ってみろ。操主にはある程度の生存率を信じなくっちゃいけねぇ」
うんうんとエルニィはシールの言葉を聞いて頷いている。
「そういうこと。……赤緒は危機意識なさ過ぎ! 一回キョムに捕まって大変だったくせに」
「あ、あれは……あの時は……」
ごにょごにょと誤魔化してしまう。思えばあの時に救出に来てくれたエルニィたちは自分の生存を信じていてくれたのだ。まだRスーツも今ほど万全ではなかった頃の話である。その想定に立つのならば、生存率を一ミリでも引き上げる工夫はメカニックにしてみれば当然なのだろう。
「……ま、そーいうことだから、赤緒もこれ着て! ちゃんと訓練したほうがいいね。そうだ! みんな呼んで来よう。どうせだし、訓練で平均値も取りたいからね」
エルニィが格納庫に取って返すなり、全員分のRスーツを抱えて持って来る。赤緒はその数にぎょっとしていた。
「……立花さん、それ……」
「夜なべしてちゃんと仕上げたんだから、性能くらいは見ないと。はい、赤緒の」
「あっ、これはどうもご丁寧に……じゃなくって! ……あの、ムササビグライダー機能、全部に付けたんですか?」
「……そりゃーそうだよ。一個だけじゃ訓練にならないし。ボクは何度か格納庫の屋根から降りて性能を確かめたからいいとして、そうだなぁ……。赤緒ってば高いところ平気だっけ?」
格納庫の上――と言われて赤緒は思わずその視線の先へと目線をやる。格納庫の屋根と言えば、十五メートル以上はある。
「……む……むむむ無理です……。私、そうじゃなくっても高いところは……あんまり……」
「まぁいきなり格納庫の上から飛び降りろってのは無理な話か。じゃあ、柊神社の屋根の上からにしよう。ちょっとだけ低いでしょ?」
エルニィが自信満々に言いやるものだから赤緒はそもそも、とRスーツを抱えたまま呼び止める。
「……このムササビ機能、ちゃんと飛べるんですか?」
「……心外だなぁ。ボクらメカニックの技能を信じられない?」
「それは……えっとぉー……」
ついつい口ごもったせいでエルニィがむっとする。しまったと思った直後には、つーんと澄ましてエルニィが視線を逸らす。
「……いいもーん。赤緒だけじゃないんだからね。おーい! 柊神社に居るみんなー!」
トーキョーアンヘル全員を巻き込みかねない訓練の開始に赤緒は青ざめてげんなりする。
「……おい、どうしたんだ。立花の奴、急に……」
「それが……」
境内で射撃訓練の最中であったメルJがこちらへと駆け寄ってくる。赤緒はここまでこじれた話の原因を最初から説明するのだった。
「――……話を聞いた限りじゃ、柊の奴、単にビビりってだけな話のようにも思えるがな」
両兵は降下訓練を終えたメルJからの総括に、うぅんと頭を悩ませる。
「柊神社の屋根の上ならさほど高さもない。私もお前もよく登っている程度の高さだから、赤緒の奴も納得すると思ったのだが……」
メルJが語尾を濁したのは未だに飛び降りられない赤緒と、そしてそれを揶揄するエルニィを視界に入れたからだろう。
「赤緒ー! とっとと降りてきなよー! ……もう! さつきと三宮はちゃんと説得できたのになぁ」
さつきと金枝はエルニィの懇切丁寧な説明の甲斐もあってか、降下訓練を終えておりクーラーボックスに入っている棒アイスを頬張っている。
「どうでもいいけれど、赤緒。アイスなくなるわよ?」
「そ、それは困りますけれどー……。やっぱり無理ですってばー!」
ルイの挑発にも簡単に乗らないところを見るに、本当にRスーツの機能が信用ならないのか、あるいは単に高所恐怖症か。しかし、高所が苦手なだけならば最初に屋根に上がった時点で足腰が竦み上がっているはずだ。
「……どうにも簡単とも思えねぇな。柊の奴、もしもン時にはきちんと腹据えてやるくらいはできるはずだってのに……」
「私の一意見でいいのならば……。小河原、赤緒は怖い以上に、どこかでメカニックの仕事を信用し切っていないようにも映る」
メルJがソーダ味のアイスを食べながら意見を述べる。
「……おかしいンじゃねぇの? 普段は怯えなんてしねぇ奴がここまでってのは……」
「だからこそ、なのではないだろうか。私も最初……それこそシュナイガーを手に入れた当初は、空戦人機の性能に当惑したものだ。どこからどこまでやれるのか、どこからどこまで信を置けるのかは、結局のところやってみないと判断などつかん。赤緒は……迷っているようにも見える」
空戦人機のエキスパートであるメルJの意見は貴重だ。両兵は問い返す。
「……マッハだとか、どれだけ荷重がかかるのだとか聞かされたことが逆効果ってことか?」
「……それもあるかもしれん。普段何でもないようにやってのけていることが、いざ危ないのだと思い知れば逆に怖くなる、とすればだが」
「ビビっちまう、か……」
思えば赤緒は最初から血続トレースシステムに頼っている分、人機のはらむ危険性に関しては無頓着であった可能性が高い。エルニィが丁寧に説明したことで、普段ならば恐れるまでもない危険性に気づいたと見るべきか。
「赤緒は甘えているのよ。血続トレースシステムってそういう弊害があるのがいけないわ」
そうこぼすのはルイで、確かに彼女にしてみればマニュアル操縦に慣れている分、何でも操主の第六感で動かせてしまうオートマチックに懐疑的なのも頷ける。
「えっと、ルイさん……。でも私みたいな素人でも動かせるのが、血続トレースシステムのいいところで……」
さつきのフォローにルイはそのエメラルドグリーンの瞳でじとっと睨む。
「……何よ。さつきのくせに生意気よ」
「ええー……。そこは納得してくださいよ……」
しょんぼりするさつきへと金枝がチョコレートアイスをしゃくりと食べながら呟く。
「……そんなに難しいことですかねぇ……? 血続トレースシステムって、金枝にしてみれば当たり前でしたし。それに、操主へのフィードバックって言うデメリットがあるのも事実ですし、どっちもどっちなのでは?」
「……それは最初から飛べた人間が言える意見でしょ。何だってコネ宮は飛ぶまでに三十分もかかったくせに言えるのかしら」
「な――っ! それは言いっこなしじゃ……」
金枝にしてみれば恥の上塗りなのだろう。耳まで真っ赤になった金枝を、ルイは冷ややかに眺める。
「……どっちにしたって、赤緒が飛ばないと話にならないわよ。そろそろ往生際が悪いわよ、赤緒ー」
「そうだそうだー! ルイの言う通り! ……屋根なんて十メートルもないんだからさ。もう日が暮れちゃうでしょー!」
メガホンで囃し立てるエルニィに、赤緒はもう一時間近く粘っている。そこまで意固地になる理由があるのか、と両兵は軒先から立ち上がっていた。
「……行くのか?」
「ん、まぁな。……ちょっとしたアドバイスしてくらぁ」
「……両兵? 赤緒を甘やかさないでよ。飛べばいいだけなんだからね!」
腕を組んで憮然とするエルニィも少しだけ強情になっている節はある。だが、まずは赤緒の説得だ、と両兵は屋根へとよじ登る。
「……ま、やれるだけやってみるとすっか」
「お、小河原さん? ……私、飛びませんからね!」
「……おい、柊。あんま立花を困らせんなよ。……原因、話してみろ」
「知りませんっ! ヴァネットさんにでも聞いたんでしょう?」
どうにもここまで赤緒が弱気になるのも珍しい――いや、これは逆に強気になっているのかと両兵はその姿を目にして感じる。
「……飛ぶ飛ばないって話とはまた別の……そうだな。雑談しに来たんだよ。オレが地球の反対側、カナイマに居たってのは知ってンな?」
「……それがどういう理屈になるんですか……」
「聞けって。……まぁ、オレも昔は……人機ってもんにビビったことも一度や二度じゃねぇよ。時々、マジに怖くなって……モリビトを見るのも嫌になったことだってある」
両兵が視線を送ると、赤緒はつーんと澄ましながらもその話題の先が気にかかるのか尋ねていた。
「……それで?」
「ああ、それでな。オヤジに聞いてみたことがあるんだよ。“何で怖くねぇンだ”って。すると、何て返って来たと思う?」
「……小河原さんの……お父さんなら、それこそ“怖がることなんてない”じゃないですか?」
どうやら随分と粗暴な姿を想起しているらしい。どこかやけっぱちにも映るその有り様に、両兵は遠くへと視線を投げる。
「……“怖がるのが自然な反応だ”ってな。言ってくれたんだよ」
「……怖がるのが……?」
「考えても見ろ。人機ってのはどんだけ言いつくろったって実戦兵器だ。そン時は古代人機からの防衛メインだとは言え、いつ死んだって文句は言えんのが操主って立場なんだからよ。そりゃー、ビビるわなって言ってくれたのが……今でも救いっちゃ救いになってる」
現太の背中を思い描く。決して大柄とは言えなかったが、それでも何度もその背中に助けられてきた。上操主席から望めるのはいつだって下操主の背中なのだから。嫌でも網膜の裏に焼き付いたその在り方、最後の最後まで人機と共に戦い続けたのは、伊達や酔狂ではないはずだ。
きっといくつもの覚悟を乗り越えて、そしてどれだけの昏い恐怖心も飼い慣らしてきた。もちろん、全ての手綱を握れるわけではない。
「……怖くは……恐ろしくは成らなかった……んですかね。小河原さんのお父さんは……」
「分からん。もう聞くような時間も余裕もなくなっちまった」
「あっ……私……」
申し訳なさそうな声音を滲ませた赤緒に、両兵は屋根瓦を叩いて言いやる。
「けれどよ、怖くなっちまっても、時にはどうしようもねぇってブルっちまったとしても、それでも前を進み続けた背中を……オレは二人分、知っちまってるからな。そいつらのことを考えると、弱音なんざ吐けねぇよ」
「……もう一人って……青葉さん……?」
あえて両兵は頷かず、言葉の穂を継ぐ。
「ビビるなとは言わねぇ。怖がるなとも言わねぇ。それが当たり前の神経だからな。……ただ、信を置く相手の理由はきちんと持っとけ。オレだっていっつも下操主に居られるわけじゃねぇ。ともすれば、てめぇ一人で戦わないといけないことだってこれから先には出てくる。お前は、そン時には誰を信じられる? 《モリビト2号》を動かすのに、今までだって一人分の力だったとは言わせねぇぞ」
「……あっ、下操主……」
気付いたようであった。ならば、自分の説教なんて聞かせるものでもない。
「……降りて来いよ。強情になってたっていいことなんざ滅多なもんじゃねぇし。それに、もう……お前の見る背中はオレ一人分じゃねぇはずだぜ?」
両兵は軽いステップで跳躍し、境内に着地するなりエルニィの肩をポンと叩く。
「両兵? ……赤緒の説得は……」
「はぁ? 説得なんざ知るかよ」
「ちょっ! 説得しに行ってくれたんじゃないの?」
「あのなぁ……。お前も気付けよ。上操主が見る景色ってのは、大概決まってるもんだろうが」
「……もうっ! そういうところなんだもんなぁ……。しょーがない! 赤緒ッ!」
エルニィはこれまでのように責め立てるのではなく、赤緒へと背中を向ける。
「……いっつも見てるのは、誰の背中」
きっと二人にとってはそれだけで了承が取れたはずであった。両兵が見守る。それはトーキョーアンヘルの面々も同じで、どこか固唾を呑んでいた。
「小河原、赤緒は……」
「黙って見とけ。下操主と上操主にしか分からねぇこともあらぁな」
そう言って釘を刺すと、メルJは頬を緩ませる。
「……まったく、そういうところが……いや、何でもない」
赤緒がエルニィの背をじっと見つめたかと思うと、直後には屋根瓦を蹴っていた。そう――何も難しいことじゃない。
手足を広げた途端、赤緒のRスーツに飛膜が形成され、風を得て揚力に浮かび上がる。それをコントロールし、エルニィの背中に飛びかかる。彼女はその重さをきちんと理解しているように、赤緒を背負っていた。
「……つっかまえた」
「……立花さん。……はい、捕まっちゃいました」
「赤緒、重いってばぁー! また太ったんじゃない?」
「……もうっ! そういうことを言う人は晩御飯抜きですっ!」
「ごめんって! ……ちょっとだけおんぶしたまま走ってもいい?」
「……恥ずかしいですよぉ」
しかし、断らなかったのを見るに赤緒はきちんと理解しているらしい。エルニィが笑いながら境内を駆け抜けていく。普段なら赤緒がエルニィを見下ろす背丈だが、今回ばかりはその五センチの高さが愛おしいようであった。
そう、ほんの五センチ。
たったそれだけの歩み寄りに過ぎない。
赤緒をおんぶして、エルニィが笑い声を上げる。
「……赤緒ってば、ホントあまえたがりだなぁ。もういいでしょ?」
「いえ、でも……もうちょっとだけ」
「……しょーがない! だって赤緒は上操主! ボクは《空神モリビト2号》の――下操主兼メカニックだもんね!」
理由なんてそれだけのシンプルなものでいいとでも言うように、赤緒を負ぶってエルニィが上機嫌になる。
「……やはり、小河原。お前には学ぶところがあるようだな」
「よせやい、ンな上等なもんねぇよ。……連中が勝手に見出すのさ。自分たちが人機に乗る理由ってもんをな」
今回の場合は、ちょうど上操主下操主の心がけがぴったりと嵌まっただけ。彼女らにしか結局のところ、理由はない。自分たちの乗る理由と、赤緒とエルニィの間にしかない、人機に乗り続ける理由は違うはずなのだから。
「――立花さーん……。この間のRスーツ、自衛隊のほうでも実戦投入するって言うんで……あれ? 何をなさってるんです?」
Rスーツの発注書が届けられたので格納庫に向かうと、エルニィはRスーツを着込んで猫背になっている。
「あっ、赤緒ー! 見て見て! これ、新兵器!」
ふんすっ、と鼻息荒く紹介してきたエルニィがRスーツを着込んで猫背状態のまま、背中に力を入れる。
「新兵器……?」
「背中触ってみて!」
赤緒がこわごわと背中をさすると、スーツの表面が堅牢な装甲のように強張っている。
「えっと、これは……?」
「小動物の構造を解析して作ってみたんだー! こうすれば一トンハンマーで叩いたって壊れないよ!」
自信満々に言い放つその足元では柊神社で飼われている次郎がぴょこんと両手を上げる。エルニィが小さな手へとこつんと拳を突き合わせたのを目にして、赤緒は呆れ返っていた。
「……もう。Rスーツに変な機能を持たせるのはあれっきりにしてくださいよぉ……」
「せっかく作ったんだし……そうだ! 今度は背中から飛び降りてみよっか! 絶対に大丈夫だからさ! データも取りたいし、早速着てみて!」
どうやらとんでもない方向にエルニィの知的好奇心はねじ曲がっているらしい。赤緒は自分用のRスーツがすでに仕立て上げられているのを目にして、大慌てで発注書片手に逃げ出す。
「ご、ごめんなさい……っ!」
駆け出した赤緒へとエルニィが笑顔で追い縋っていく。
「あっ、逃げた! ほらほらー! ボクら上操主と下操主の間柄でしょー? 頼みごとは聞いてよー!」
「も、もう……! 立花さんの発明に振り回されるのは、こりごりですってばぁー!」