「何よ。二人して、仰々しい」
間に挟まれていた形のルイの抗弁にさつきが助け船を出す。
「る、ルイさん……! 赤緒さんとヴァネットさんにはその……お話があるんじゃ……」
「だとして、食事中、そわそわとされたんじゃ迷惑よ。他所でやりなさい」
不躾ではあるものの、間違っているわけではないのが痛い部分だ。気にかかっているのなら、直接言い合えばいいではないかと言うのは頷けてしまう。だが、赤緒にとって任務は任務、柊神社の日常は日常で分けて考えたい。
「そ、その……後片付けしないと……っ」
「……逃げたわね」
ルイの追及の言葉が飛んでくるので、文字通り逃げるように台所まで赴いてから嘆息を漏らす。
「……あっ、赤緒さん。お気になさらずに。ルイさん、視線のど真ん中だからイジワルしただけでしょうし」
さつきのフォローはありがたかったが、赤緒にしてみればどうにもくすぐったいと言うか、メルJの視線に当惑してしまう気持ちもあるのだ。
「……あのね、さつきちゃん。私……ヴァネットさんに何かしたかな?」
きょとんとするさつきはそれとなく居間へと振り返ってから、頬を掻く。
「それはヴァネットさんに聞かないと……どうにも。けれど、二日前の単独作戦以降ですよね?」
「やっぱり? ……怒ってる、とか?」
「怒られるようなことをした覚えはあるんですか?」
「まさか。私も疑問なんだけれど……」
少なくともメルJの機嫌が悪いのだけは間違いないようで、今も夕飯の席でバラエティ番組にやいのやいの言っているルイとエルニィをむすっとした面持ちで見据えている。
「……やっぱり、何かあったんじゃ……? ヴァネットさん、普段はテレビ観ないですし」
「考え過ぎじゃない……かな? うーん、自意識過剰だとか言われちゃうとそこまでなんだけれど」
「ご馳走様です。アンジェラのごはんもあげたので……」
金枝が台所に自分の器と子猫のアンジェラの器を持って来たので、これ幸いとでも言うように赤緒は金枝を引っ張り込む。
「金枝ちゃん! ちょっと……!」
ひょいひょいと手招くと、金枝は胸元に抱えたアンジェラに視線を降ろす。
「……赤緒さんも触ります? ごはん食べた後のアンジェラはぬくぬくですよ?」
「あっ、それはまた……。じゃなくって! ……金枝ちゃん、二日前の単独行動作戦の時、ヴァネットさんと一緒だったよね?」
「はい。まぁ、その間川本さんにアンジェラを任せなければいけなかったので、金枝にしてみれば気が気ではなかったのですが……。アンジェラの毛並みもきちんとしていたので、お世話ありがとうございます」
「あ、これはご丁寧に……。あ、そうではなくってですね。三宮さん、ヴァネットさんと何かありました?」
さつきの問いかけに金枝は首を傾げるばかりである。
「ふぅーむ……金枝にとっては難しい問いと言いますか。単独作戦時のレポートは既に立花さんに提出済みですので、それを疑うのは変じゃないですか?」
それもその通り。単独作戦実行時の子細なレポートが今朝方、エルニィに提出されたばかりである。メルJと金枝、双方のレポートを纏め上げたエルニィはと言うと、バラエティ番組を見てゲラゲラと笑っている。
「いやー……ホント、日本のお笑いって平和だよねー」
「いいの? 自称天才、脳が馬鹿になるんじゃないの?」
「いーの。これくらい柔軟な脳みそが欲しいもんだよ」
その模様を眺めつつ、赤緒はやはりと言うべきか居間から離れようとしないメルJに着目する。
「……やっぱり変。ヴァネットさん、バラエティなんて一番嫌いだし……」
「ですね……となると、立花さんに聞くのが手っ取り早いでしょうか?」
提出されたレポートの内容次第ではあるのだが、それをいちいちエルニィに聞き留めるのも、何か妙な気持ちが勝る。元々、人機に関しての運用は個々人に委ねられている部分もあり、それを逐一聞き出すとなればいい心証は得られないだろう。
「どうしよっか……。ヴァネットさんが変って言って、立花さんをこっちに手招くのって……それも変だろうし」
「そもそも、あれって変なんですか? 金枝にとっては、いつも通りにしか……」
金枝はまだトーキョーアンヘルに来て日が浅い。そのため、メルJの違和感には鈍感なのかもしれない。
「……あのね、金枝ちゃん。ヴァネットさんは、いつも通りクールに見えるかもだけれど……私たちはもう、結構色々知っちゃってるから……」
「ですね。変な時は分かっちゃうんです」
自分とさつきの証言を得ても金枝には確証がないらしく、はぁと生返事だ。
「じゃあもう、直に聞いちゃえばいいんじゃないですか? 金枝が聞いてきましょうか?」
踏み出そうとした金枝を赤緒は慌てて制する。
「駄目だってば! ……私たちじゃ及びもつかない悩みなのかもしれないし……。それに、あまり人機のことを根掘り葉掘り聞くのは……マナー違反って言うか」
そうでなくともメルJには彼女にしか分からぬ領域がある。あまり踏み込み過ぎれば、それだけで手痛いしっぺ返しを食らいかねない。
「三宮さん! ヴァネットさんは、その辺、結構繊細で……」
さつきの物言いに金枝はむっとする。
「繊細って……それを言うなら金枝もですよ。何だってあの人を特別扱いするんです?」
金枝の直接的な物言いも別段、間違いではない。メルJばかりを遠巻きに眺めるのもトーキョーアンヘルではいい兆候とは言えない。それに、元々一蓮托生のつもりで仲間になってくれたのに、自分たちがこうして気を遣うのも妙な話ではないか。
「……分かった。私が聞いてくる」
「……けれど、赤緒さん。微妙な距離感なのも分かってるんですよね? 大丈夫ですか?」
夕飯の席でメルJの視線が突き刺さっていたのを感じていたのは自分ばかりではないのだろう。さつきもこう言った機微に聡いタイプだ。だからこそ、心配の言葉も出て来る。
「……多分、大丈夫……だと思う」
我ながら何とも言えない弱気な物腰である。それでも、メルJに聞かなければ始まらないはずだ。赤緒はよしっ、と気合を入れる。
「けれど、あの人、そんなに変だったですかね? 任務は滞りなかったはずなのですが」
その一言で赤緒の決意の足が止まる。思えば、外堀から埋めたほうがいいのかもしれない。金枝とメルJのツーマンセルによる単独作戦は、思えばまだ初めてであったはず。その成果を聞かずして、むざむざと向かって返り討ちに遭うのは勘弁願いたい。
「……金枝ちゃん。単独作戦で……何かあったの?」
金枝はアンジェラを降ろし、水を器に注いでやってからその背中をトントンと優しく叩く。
「……金枝はまだ、皆さんとの交流はあまりなので、役に立つかどうかは分かりませんが……」
ぽつぽつと、金枝が二日前の作戦のことを語り始めるのを赤緒は台所で聞いていた。
――どうにも、補給物資のない作戦行動と言うのは慣れないと金枝は《モリビト燦号》を稼働させながら感じる。行軍するのは黒く染まった地平で、前回の絶海の凍土に比べればマシなように思えるが、その実はロストライフ現象で命を啄まれた大地であった。
「……現在時刻……日本時間で夜十時過ぎ。ログに刻んでおかないと、後々立花さんに追及されるのは嫌ですからね」
ふわぁ、と思わず欠伸が漏れると、人機操縦中での粗相に通信先から声が迸る。
『……三宮、欠伸とは感心せんな』
「……とは言いましても、金枝は規則正しい生活を心掛けているんです。あなたのように……夜中に飛び出したりはしないんですよ、メルJ・ヴァネットさん」
『規則正しい生活、か。学生と言うのはやはり面倒なものだ』
その言葉尻にもついつい噛み付きたくなってしまう。金枝にしてみてもメルJとのたった二人での作戦行動は想定外で、文句を言いたくもなってしまう。
「……何で、今回に限って赤緒さんも、小河原両兵も居ないんだか……」
『立花より聞いていただろう。お前の《モリビト燦号》と《バーゴイルミラージュ》のデータが少ないんだ。もしもの時のデータを取るため、と言い渡されている』
「……国内での訓練でいいじゃないですか。何だって海外まで……」
『それも説明済みだ。ロストライフの地での、行軍作戦の経験値が浅いのだと。《モリビト燦号》もお前も、まだまだ未熟と言うわけだ』
何だか窘められているようで金枝にとっては不服だ。メルJの実力は聞き及んでいるし、作戦行動において如何に空戦人機の使い手が優秀なのかは問い質すまでもない。ただ、それを浮き彫りにされると自分の至らなさまでハッキリとするようで気に食わないのは事実である。
「……金枝は一人でもできますよ。できちゃうんです!」
えっへんと胸を反らすも、反応してくれる両兵や赤緒も居ないので物寂しいばかり。通信の向こうのメルJは冷静で淡泊だ。
『……言ってろ。《バーゴイルミラージュ》の新型武装の試験をしたいとも言っていたからな。《モリビト燦号》とのチームワークもある』
「《モリビト燦号》にこんなものを持たせるなんて……」
《モリビト燦号》の肩口に備えられているのは巨大なレドームであった。空戦人機である《バーゴイルミラージュ》の補助機能を期待されているとのことであったが、自分が付随物のようで気に食わない。
『レーダーを迅速に発動させるためのものだ。……何だ、何を怒っている』
「怒ってません! 金枝は完璧なレディーなんですよ! 怒るわけないじゃないですか!」
『その物言いが怒っていると……待て』
「何です!」
『……つい今しがた、そのレドームに反応あり、だ。《モリビト燦号》は接地したまま、その場で待機しておけ。こういうのを日本では噂をすれば影、とでも言うのだったか』
「機影なんて見えませんけれど……」
有視界戦闘では接近する敵影は存在しない。だが、特殊戦闘用のレドームと空戦人機である《バーゴイルミラージュ》は《モリビト燦号》よりも遥かに高精度での熱源関知がある。ここは大人しく従うほかなさそうだ、と金枝は憮然と腕を組んで佇む。
すると、直後に詰めた声音のメルJの声が返っていた。
『……速力計算……。驚いたな。立花の奴が予め、必要であろうと判断していた計測器でもギリギリか。――来るぞ』
だから何が、と言い返そうとしていた金枝は不意に空域を突っ切ってくる機影がレーダー網に映し出されて目を丸くする。
「……これは……! 速度……こんな速力の人機なんて……!」
『構えろ! ソニックブームが来る!』
メルJの声に反射的に両腕に格納していたリバウンドシールドを翳せたのは我ながら僥倖であろう。咄嗟の防御陣形を取った《モリビト燦号》と金枝を揺さぶったのは、三機編隊の戦闘機であった。鋭角的なシルエットを誇るその機影に金枝は計測器のエラーを疑う。
「……戦闘機……? けれど、それにしては質量が……!」
『これは戦闘機じゃない。……空戦人機だ!』
メルJの声が弾けると共に金枝は今しがたまで防御の姿勢を堅牢にしていたお陰で大地をさらっていく土煙に耐え忍ぶ。文字通りの音速力場。Rスーツを着込んでいても生身ならば吹き飛ばされていただろう。
「……空戦人機? あんな人機の照合データなんて……!」
『ないから困っているんだ。……私が先回りする。三宮、お前は可変機の隙を狙ってハンドガンで照準しろ!』
「待ってください、可変機? これだけの速度を実現しながら……変形するって言うんですか?」
『その可能性が極めて高い……。可変すれば、ファントムにもつれ込む場合がある。その場合、装甲に脆弱性がある《バーゴイルミラージュ》の追従性では負けかねないからな』
当惑した金枝へとメルJの戦闘用に極めた声が返る。金枝は、この時まで正直なところで言えばメルJを侮っていた部分がないとは言えない。前回は両兵が居たから何とかなっただけで、普段の戦闘においてはメルJの状況判断は過敏だ、とも。
しかし、こうして背中を預け合うに当たって、その操主経験値の頼り甲斐が違ってくる。両兵や赤緒、他のトーキョーアンヘルメンバーとは次元が異なると言ってもいい。
対人機戦に研ぎ澄ませた判断力と、そして柔軟な行動力。時には大胆と呼べるほどの空戦人機の適応性能も含め、後ろを任せるのにここまで十全とは。
『……三宮、返事は?』
「……分かりましたよ。金枝だって撃墜されたくはないですからね」
とは言っても《モリビト燦号》は重量級の武装を装備できるようにはできていない。せいぜい携行するのはハンドガン程度で、それもかなり軽量化が施されている。
機体の姿勢を沈めさせ、金枝は中空を自由自在に突き抜けていく標的を狙おうとして、不意打ち気味の熱源警告に戸惑う。
「反応……? 直下!」
『地竜陣!』
劈いた声と共に大地が捲れ上がり、白亜の人機が視界に入ると同時に激震される。《モリビト燦号》が防御を念頭に入れた姿勢を取っていなければ、真っ二つになっていても可笑しくはなかった。
悲鳴を上げながら《モリビト燦号》がバランサーを崩したのを感知して緊急動作システムが稼働したのをアラートが伝える。赤く明滅するコックピットの中で金枝が身じろぎするが、佇んだ鬼の威容を誇る人機を相手に息を呑む。
「こ、こんなの……」
『……モリビトタイプか。見たことのない型式だが……なるほど』
厳めしい男性の音声が接続され、金枝が身を震わせていると唐突にメルJの声が耳朶を打つ。
『三宮! そいつは……! その声は忘れもしない……!』
『ほう。同行しているのは、なるほどな。シュナイガーの操主か』
「な、何でこの人のことを知って……」
『隊長! そいつから離れてください! 識別信号がありません! 未知の人機の可能性があります!』
蒼いカラーリングを誇る戦闘機の形状の人機がメルJの《バーゴイルミラージュ》の背後を取るなり、その機体シルエットをばらけさせる。
副翼が収納され、鋭角的な姿かたちはどこか無骨な姿に可変していた。
「可変人機……! まだ、実用化なんて金枝たちでもしていないのに……!」
メルJの見立ては正しかったと言うわけだ。それと同時に、重武装が《バーゴイルミラージュ》を照準したので金枝は思わず声を上げかける。
『貰ったわ! 《バーゴイル》の改造機……!』
『そうか。……一度、資料で見たぞ。《マサムネ》とか言う実験機の現地改修型か』
『いちいち言葉にするなんて、迂闊よ!』
今に機銃掃射がメルJの機体を嬲るかに思われたが、その火力が届く前にまるでコマ送りのように《バーゴイルミラージュ》が掻き消える。
「……ファントム……」
『それも空中機動中の……? 何て、素早い……』
思わず呟いた金枝の言葉の先を諳んじるかのように、継がれた相手操主の声が詰まる。
何故ならば――メルJの《バーゴイルミラージュ》はこれまでの訓練時でも観測されなかったほどの速力で、《マサムネ》の改造機の背後に回り込んでいたからだ。
『他の二機は囮、いや、違うな。同性能をただ闇雲に費やすのは戦力とは言わん。大方、ロストライフの地平で性能試験でも行っていたか』
メルJの機体が銃口を突きつけたところで、白亜の鬼の人機から声が繋がれる。
『そこまで。……部下を殺されるのは古巣のようにはいかんのでな』
『……貴様。何故、こんなところに居る? 《O・ジャオーガ》の八将陣だな? その声も……禊でも行ったつもりか?』
『禊で済めばまだいい。部下の《マサムネ蒼炎》から離れてもらおう』
《O・ジャオーガ》と呼称された人機が中空のメルJへと突きつけたのはオートタービンの筒先である。どう見ても近接武装にしか映らないのに、圧倒的優位を誇るメルJが威圧されたのが通信越しでも伝わる。
『……互いに、か。どうにももどかしいな』
『それは同じ意見だ』
メルJが照準を外す。それと同時に《O・ジャオーガ》から殺意が凪いでいく。どうしてなのかは金枝には明言化できなかったが、人機を操る歴の差とでも言うべきものが今、この瞬間の両者には流れたようであった。
それはさしずめ達人同士の居合いを想起させる。
「あ、あの……メルJ・ヴァネットさん」
『何だ、三宮。もう動いていいぞ。こいつは……我々を害する気はないようだ』
「いえ、その……。腰が抜けちゃって……。血続トレースシステムごとすっ転んでしまったものですから……」
姿勢を立て直そうとすれば自ずと隙が生まれる。こうして眼前に佇まれたままでは、《モリビト燦号》を立ち上がらせることさえもできない。
それを悟ってか《O・ジャオーガ》が後退する。
『……これでいいか?』
『助かる。……しかし、再戦の空気でもないな』
『互いに、だろう。似合いの末路と言えばその通りだがな』
《バーゴイルミラージュ》が《モリビト燦号》の機体を持ち上げる。
『……まったく、何をやっているんだ。京都支部できちんと訓練くらいは受けて来たのだろう』
「そ、それはそうなんですが……。いざ目の当たりにすると……えっと、メルJ・ヴァネットさん」
後半の言葉を秘匿通信に設定するが、ロストライフ化した地平では傍受されても不思議はない。それでも金枝は問わなければいけなかった。
『……何だ。暗号性の低い秘匿通信なんかにして……』
「いえその……。知り合い、なんですか……? だって相手は八将陣って……」
口にしてから、ハッと金枝は失言であったのではないかと察する。とは言え、口から出てしまった疑問を取り下げられるほど器用に生まれついたつもりもない。思わず口を噤む。
メルJからの怒りの声や、あるいは神経を逆なでしたかもしれないと言った空気はしかし、霧散していた。
『……以前までの私ならば、命はなかったぞ。三宮』
その一言で許されたのを感じて、金枝は詰めた呼気を弛緩させる。
「す、すいません……。あの……怒って……?」
『別に怒ってなどいない。ただ……そうだな。三宮、ここから先の介入行動を、レコードから外せ』
「えっ……。でも立花さんからレコードは切るなとお達しで……」
『いいから。私からの……ちょっとしたお願いだ』
その言葉に続けてメルJの姿が煤けた風の中に晒される。まさか、人機に囲まれた状態で彼女がその警戒を解くとは思いも寄らず、金枝は慌ててしまう。
「ちょっ……ヴァネットさん……? 駄目ですよ、こんな場所で生身なんて……!」
『迂闊であろうとも構わん。……礼儀、の一つだと感じたのでな』
礼儀、と金枝が口中に繰り返したその時には眼前の《O・ジャオーガ》のコックピットから操主が出てくる。仰天した金枝は思わずハンドガンの照準を振り向ける。
「八将陣が……生身で……!」
『隊長! 迂闊ですよ!』
『構うものか。……こういうことなのだろう? シュナイガーの操主よ』
一体、どのような了承が二人の間で降り立ったのかは分からない。分からないが、お互いにあたふたしているのは周りの人間のほうであるのだけは分かる。
『三宮、レコードを切れ』
その言葉に承服しなければこの場は進まないと悟って、金枝はここまでの事態を明確に記録し続けていた人機のレコード機能をオフにしていた。
「あの……本当にいいんですか、これ……。命令違反とかじゃ……」
不安に塗れたその声にメルJがこんこんとコックピットハッチを叩き、それから接触回線で言いやる。
『いや、感謝する。……こうして互いに見えるのは初めてか、《O・ジャオーガ》の八将陣』
『もう八将陣でもない。私は自らの弱さゆえに敗北し、そして己の弱さを飼い馴らすために、こうしてロストライフの地平を赴いている。私にとってはただの傲慢な贖罪だが、理解してもらえたようで嬉しい』
『嬉しい、か。……三宮、お前も降りて来い』
「えっ……一体何を……?」
『立花の設計したRスーツならば、この程度のロストライフ汚染も平気なはずだ』
「いや、そういう問題ではなく……! だって、敵は目の前に――」
『もう敵と呼べる間柄ではないと、そう言っているんだ』
金枝は混乱に目を白黒させる。頭の中がパンクするかと思ったほどだ。それでも、メルJほどの実力者がこうして判断しているのだから、きっと意味のない行為とは思えないと金枝はようやくコックピットハッチを開く。
「うっ……寒っ……」
ロストライフ化した大地を吹き荒ぶ冷たい風はRスーツの体温保持機能を簡単に貫通する。それでも姿勢を崩さずにアルファーを手元に隠す。精一杯の抵抗のつもりであったが、《モリビト燦号》の肩口に降りたメルJは武装すらしていないようであった。
「……あの、アルファーくらい……」
「いい。少しだけ……話をする。三宮、お前は《マサムネ》の改造機に乗っていた操主と会って来い」
「会って来いって……命令しないでもらえます? 金枝はこれでも一流の操主なんですよ!」
せいぜい、威厳だけは留めておきたいと願った金枝の発言に、メルJはフッと口元を緩める。
「……ああ、分かっているさ。だが、お前も知る必要があるだろう。私たちが何と戦っているのかを、な」
トン、とメルJが黒く汚れた地面に降り立つ。それと同時に《O・ジャオーガ》の操主も昇降機で降りていた。見れば見るほどに、“武人”と言う呼び方が似合いそうないかつい操主の見た目にうろたえていると、不意に通信回線が接続される。
『あー、あー! そこのモリビトタイプの操主の人、よね?』
いつの間にか蒼い《マサムネ》が三機とも可変して周りを取り囲んでいる。やはり、こうして生身を晒すのは軽率であったのではないかとアルファーに意思を通そうとして、その声音に戸惑いが勝る。
「……女の、人……?」
『アイリス。……あれでいいのか? お前の隊長なのだろう』
『いいのよ。……相変わらず美人には弱いんだからねー、隊長は』
人機のコックピットが開き、こちらへと手を振るのは黒髪ショートカットの女性であり、どこかメルJと連れ立った《O・ジャオーガ》の操主を恨めしく眺めている。
金枝にしてみれば、まさか《マサムネ》の人機操主が女性であり、なおかつ何の準備もせずにコックピットを開いたことが驚愕である。
「あ、あなたたちは……!」
「ああ、驚かないで。……って言っても、驚くか。私たちも、トーキョーアンヘルの人たちと会うのは初めてだものね。よっと……」
マニピュレーターを伝い、《モリビト燦号》の肩口に歩みかけた女性操主に金枝が警戒心マックスの視線を注ぎ続けていると、相手は両手を開いて非武装であることを告げる。
「これでも駄目?」
「……だ、駄目です……! 金枝のモリビトなんですから……!」
「そっか。じゃあ、ここで。カナエさん、って言うのが、名前?」
「何でそれを……って。ああっ!」
自らの迂闊さに思わず口を噤んだ金枝に、女性は面白がるように破顔一笑する。
「そう警戒しないで……って言うのも無理な話か。カナエさん、コーヒーは飲める?」
出し抜けに放たれた問いかけに、金枝が呆気に取られていると、相手はコックピットからコーヒーメーカーを取り出す。
「なんて……?」
「いや、だからコーヒー。豆からだから、苦手なら言ってね? ミルクは要る?」
何だか赤緒やさつきのようにこちらのことを慮る女性操主の声音に毒気を抜かれた気分でいるともう一機の《マサムネ》から声がかかる。
『……アイリス。悪い癖だ。相手との距離感を間違えている』
「えっ? そうかなぁ、ハザマちゃん。少なくとも隊長が撃墜しなかったってことは、考えがあるんだと思ったんだけれどなぁ……」
頬杖を突いて不貞腐れる相手に、金枝は掠れた声で問いかける。
「あなたの名前は……アイリス……?」
「そっ、正解。……ちゃんと言葉は通じるわよ。心配しなくってもね」
そう言って微笑んだアイリスと言うらしい女性操主は、コーヒーメーカーの抽出を始める。この枯れ果てたロストライフの大地の上で静かに稼働する小さな機械一つの音階だけが耳に届く。それ以外は吹き荒ぶ煤けた風の音叉だけだ。
「……こっち来ない? 美味しいコーヒーを振る舞うから」
「……その。金枝は! ……金枝は知らない人にはついていくなと、厳しく言われていますので……!」
赤緒からの受け売りであったが、この時アイリスがぷっと吹き出したことでとんだ失態だと耳まで真っ赤になる。
「ちょっと……! こんな場末でそんなこと言う? ……まぁ、けれど、それが日本なんだ? ……いいなぁー、一回くらい私たちも日本に行けたらねぇ? ハザマちゃん」
『グリムの眷属蜂起の際に水際まで行っただろう。あれが私たちの限界だ』
「可愛くないなぁ……。あっ、抽出できたよ? こっち来ない?」
漂ってくるコーヒーの芳しい香りに思わずぐらつきそうになって、金枝は目を瞑ってぶんぶんと頭を振る。
「いえ……っ! いえ……! この程度でなびいちゃ駄目ですので……!」
「そーかなぁ? そんなに警戒される……? あっ、そっか。これ、一応は新型人機だし? 怖がらせちゃってるのかもね。これ、《マサムネ蒼炎》って言うのが機体名なの」
『教えていいのか、それ……』
「いいのよ! 知られたって別に機体名称だけじゃどうしようもないだろうし。あ、でもトーキョーアンヘルさんには確か天才が居るんだっけ?」
うーんと腕を組んで困惑する間にも抽出されたコーヒーを注ぎ、アイリスがずずっとそれを啜る。
そう言えば数時間単位でまともな食事を摂っていない、と思ったその直後には腹の虫が鳴いている。
アイリスが呆気に取られたようにしていたが、やがてまぁまぁと笑顔になってコーヒーカップを差し出す。
「こんな地球の端っこで喧嘩なんてムードでもないんだし、遠慮しないで」
金枝はお腹を押さえながら、ふとメルJと八将陣の操主が赴いた方向へと視線を振る。ちょうど《O・ジャオーガ》に遮られており、二人の会話は盗み聞きもできない。
「……その、金枝は負けていませんから。ただ……何も飲まないのも、その……道理にもとると言いますか……」
「そんな言い訳しなくってもいいのになぁ。……じゃあ、こうしましょう。モリビトの手を伸ばしてみて」
アイリスに提案され、金枝はアルファーで遠隔操縦して《モリビト燦号》のマニピュレーターを伸ばすと、相手もマニピュレーターを伸ばしちょうど指先を絡ませる。
「ほら! この距離ならお互いの人機から離れない!」
指先まで歩んできたアイリスに金枝はどこまでも詭弁だと感じながらも、やはり空腹と喉の渇きには抗えないと自身も腕を伝う。
運ばれた金属製のカップを手に取ると想定外に熱かったので、取り落としかける。
「あっ……熱っ……」
「気を付けてね。カナエさんは、猫舌?」
「……ちょっとだけ……」