JINKI 329 黒の女と方舟の担い手

「……ねぇ、クロマ。あたしって……弱くなっちゃったのかな」

「何故、おれに意見を求める? 貴様はキョムの八将陣、悪の葬列を総べる黒の女そのものなのだろう?」

「……まぁ、そう言えばそうなんだけれどさ。クロマなら……元のあたしのことも知ってるのかなって、ちょっと思っただけ」

「……おれの知っている八将陣、シバと今の貴様は断絶されている。あの娘の前では言わないがな。要らぬ軋轢を生みかねん。おれよりもよっぽど……キョムから追われる理由があるだろうに」

 シバはユズの残したマッチの火を点ける。いくつか木材も買い付けておいたらしく、マッチの火をくべると、ゆったりと煙が上がり、やがて静かに着火していた。

「……あったかい」

「答えを保留にしていいのか? 貴様の生きる理由は、言ってしまえば己の存在価値の探求であろう。もう一人の自分と、対峙するでもなく、こうしてロストライフの命の潰えた大地を行くのは、それは自身を罰するためか?」

「……クロマには分かんないわよ。生み出された時点で、ただのカウンターの意味しか持たないなんて。考えないようにしていたんだけれどねぇ。ユズちゃんと長く居過ぎたかな。あたし個人の……望みか」

 クロマの赤い瞳が静かに細められる。ともすれば、こうして己と向き合う機会はそうそうなかった。ユズと一緒に居れば、ささやかな抵抗として自分の意味を刻めたのだから。だが、それも長くは続かないのかもしれない。

 連れ去られたただの村娘相手に、自身を危険に晒す意味はない。

 そうなのだと、思い切れれば幾分かよかったと言うのに、どうしてなのだか気が急く。ここでじっとしていることそのものが、許せないかのように。

「……どうした? 何だかうずうずしているようだが」

「……あたしね。酷い人間だと思ってたの。柊赤緒と、シバ……そんな両極のために用意された、ただの駒ならさ。世界なんて壊しちゃえばいいって。今を息づく全ての命も、意味なんてない。どうせ消し去られるんなら、潔いほうがまだマシだって。……そう断言できれば、まだ設計された“八将陣シバ”だったんだろうけれどね」

 シバはクロマから手渡されたベーコンを荒々しく齧る。こうして生きる――生きていくことの意味と、その価値。どれほど醜くとも、生き永らえる。

「……なるほど。覚悟は決まったようだな」

「……クロマ。ユズちゃんのにおい、覚えているわよね?」

「安心しろ、黒の女。おれもあの娘が居ないと、張り合いがないと言うものだ。本も買って、読み聞かせてもらわなければならないからな」

「お互いにユズちゃんが必要ってわけ……いいわね。分かりやすくってね」

 クロマとシバは拳を突き合わせる。

 たとえ、世界にとっては何でもない、ただの意地であろうとも、この気持ちだけは変えられない。ともすれば万能の設計者、セシルにとっては自分の存在価値を賭けるほどの価値がない事象なのだと断じられようとも。

 この衝動だけは止められなかった。

 ――パチ、と火の粉が跳ねる音が残響してユズは瞼を開く。

「……シバさ……」

「おっ、起きた?」

 対面で座り込んでいたのはシバではない。金髪の女性の面持ちにユズはこれまで起こった出来事をすぐさま思い返し、身構えようとして後ろ手に縛られていることに気づく。

「……あなたたちは……」

「いやぁ、私らはあそこでトラブル起こすつもりはなかったんだけれどね? どうにもなぁ……巡り会わせが悪かったって言うか」

「……あなた、誰なんです? 人機を使って……」

「ああ、じゃあ順番に紹介するわ。私はルッカ。ルッカ=ハーデン。階級は一応は准尉。まぁ、もう意味なんてないけれどねぇ」

 ルッカと名乗った金髪の女性は片手にナイフを所持している。もしもの時に抵抗できるよう、ユズは太もものホルスターに隠しておいたアルファーを意識していた。どうやら取り上げられなかったところを見るに、自分は完全に非戦闘員だと思われている様子だ。

「……軍人さん、なんですか……」

「ああ、警戒しないで……って言っても無駄かぁ。割と最悪な第一印象だろうし。もう一人は古屋谷陽子。一応は日本人……だっけ? ねぇー、陽子! 陽子って日本人だっけー!」

「そんなの、今聞くことじゃないでしょう。……って、隊長。この子、起きてますよ」

「分かってるってば。ちょっとお話ししたいなぁって思っただけなんだから。そういやぁ、子供たちは元気でやってる?」

「……子供たち?」

 ユズが視線を振り向けると、陽子と呼ばれた黒髪の女性は子供たちへと平等に食糧を分け与えていた。

「押さないでね。人数分あるから」

 先刻のシバとの戦闘時には見せなかった穏やかな表情で食糧を分配する陽子に呆気に取られていると、ルッカは見透かしたように声にする。

「意外? まぁ、陽子はスイッチ入ると怖いからなぁ。誤解するのも分かるわ」

 その模様を微笑ましげに眺めていたルッカへと、ユズは切り込む。

「……その、この辺の村を襲っていた巨大な怪鳥の噂って……」

「ああ、そんな風に噂になってるんだ? うん、多分私らだろうねぇ」

 その怪鳥そのもの――翼を持つ空戦人機は膝をついて火の照り返しを受けている。可変機構を持つ人機のデータベースは《モリビト1号》に搭載されていた限りではほとんどないと思っていたが、特徴的な刺々しい頭部形状と背負った六枚の翼は想定した以上の戦力に映る。

「……この人機は……軍の機体ですか?」

「まぁねー。米国が威信をかけて造ってた新型人機。空戦人機のモデルケースであるシュナイガーの試作可変モデル。《セラフィトウジャ》、ってのがこの子の名前かなぁ」

「《セラフィトウジャ》……」

 加えて米国、と言うのは聞き逃せない情報であった。まさか、この二人は米国の息がかかった諜報員だとでも言うのだろうか。自分の視線が自ずと警戒心に染まっていたものだったせいか、ルッカが取り成すように返す。

「ああ、誤解しないでね? 私らは米国のエージェントだとか、そういうんじゃないの。私たちは“アーク”……って組織。まぁたった二人だから組織って言えるかどうかも微妙なんだけど」

「……“アーク”……?」

「まぁ、“方舟”だとかそういう意味の言葉だねぇ。私らの目的は別にキョムと戦うためだとか、アンヘルみたいにわざわざ徹底抗戦するだとか、大それたもんじゃないの。ただ……一種の抑止力になりたいって言うかね?」

「隊長。子供たち、ちゃんと寝かしつけ終えました」

 陽子がこちらへと歩み寄ってくる。

「おっ、さすが陽子! 私の自慢のアークの部下! よくできてるねぇ!」

「唯一の、の間違いでしょう。……この子は……」

「まぁ、話し合おうと思ってねぇ。私らの目的を喋ろうか。私らはねぇ、アンヘルにもキョムにも与しない、そういう戦い方を模索しようと思ってるんだ」

「……隊長。それ、言って……」

「大丈夫だって! この子は……敵じゃないだろうしねぇ」

 陽子が少しだけ不満げに腰を下ろし、行商から買ったであろう保存食の缶を開く。

「……それって、レジスタンスだとか、そういう……」

「ああ、違って。……難しいなぁ。私らの目的を語るのって。まぁ、いいやぁ。理解してもらおうとか思っていないんだけれど、私たちの目的ってのはね。“戦いそのものの根絶”、なの」

 どうにもスケールが大きくて理解し切れないでいると、陽子が助け船を出す。

「……現状、世界はキョムに対抗するための組織と、そうでない側で別れているけれど、私たちはどっちでもない道を選んでいるんです。キョム相手にレジスタンス活動するなんて、いずれ頭打ちが来る。けれど、戦いは選びたくはない人たちは、じゃあ死ぬしかないってのは、あまりにも選択肢がなさ過ぎる」

「だから、私らは第三の選択肢として、“戦い”への抵抗を試みてるってワケ。そりゃー、非武装なんて理想論でしかないから、さすがに武力は持つけれど、積極的に戦いには関与しない。むしろ、そういうことに巻き込まれる人たちへの……救済、かなぁ?」

「……もう。何で隊長が自信なさげなんですか。私たちは近隣の村を襲って、子供たちを連れ去って来たのはそういう理屈でもあるんです。はい、缶詰のですけれど」

 差し出されたのはハチミツたっぷりのパイナップルの缶詰であったが、ユズはあえて口を付けず、顔を背ける。

「……それじゃあ……どうしろって言うんですか。子供たちを攫って……みんなを不安にさせているだけじゃないですか!」

 自ずと糾弾の声音になっていた。それで“戦いそのものの根絶”など、笑わせる冗談だ。ルッカは後頭部を掻き、困り果てたように返す。

「けれどさぁ……そうなると、子供たちってのは有用な戦闘力じゃない? 君も見たでしょ? あの行商人の集う村も、子供が居れば、それは戦力として数えられる。けれど、老人だけなら、ロストライフを待つだけになるでしょ?」

 まさか、この二人はキョムへの抵抗の気概を奪うために、村々を襲っていると言うのか。それは――理屈と理念が逆転している。

「……それじゃ……大人は死んでもいいって言うんですか……!」

「うん。そうじゃない? 子供たちを不幸な目に遭わせる親なんて、必要かなぁ……?」

 まさか即答されるとは思っておらず、ユズは絶句する。ルッカはカリカリに焼いたベーコンを頬張り、それから心底不思議そうに首を傾げる。

「……なんて……」

「いや、だってさぁ。子供らにとってみれば、大人の命令って絶対じゃない? それは“選択肢を奪う行為”だと思うんだよね。私らアークは、そういう理不尽への抵抗者なわけだからさ。たとえ子供たちが親と一緒に居たいって思っても、いずれキョムとの戦線に出されるか、あるいは心中させられるかなら、私らはそうじゃない道を模索したいワケ。そりゃー、悲しいでしょうよ。親と離れ離れはね? でも、私らの戦いが正しいかどうかは歴史が証明する。今の証人は居なくても、いずれは分かる時が来ると思うんだよねぇ」

 ルッカは迷うわけでもない。

 心底、自身の決断以外の道などないかのように口にする。その在り方に、ユズはかつての故郷の村の末路を見た気分であった。

 あの場所では大人の命令が絶対――だから、女を献上しろとキョムが勧告すれば、きっと大人たちは従っていた。子供を差し出せと言われれば、それも同様に。

 その理不尽さと戦うと言うのか。アンヘルにもキョムにも属さず、自らの信念のままに。しかし、それはいばら道だ。どう考えても長続きするはずがない。そう冷静に事の次第を分析する頭は持ち合わせているのに、不意に屹立するのは自分の選んだ道筋であった。

 ――では、自分は? シバと共に、この暗黒の地平を行く自分は何なのだ、と。

 ただの村娘、少しだけ人機の扱いができるだけの人間に過ぎない。シバはもっと自由だ。黒の女は常識にも、固定観念にも縛られない。彼女はこの地上で唯一と言ってもいい、孤高の存在。

 それに寄り添えるだけの覚悟も、ましてや価値も持ち合わせているのだろうか。

「……違う」

「……うん?」

「……違う……はずなんです。私は、違うと言いたい……! これまで……戦い抜く色んな人たちを見て来ました。けれど、それは……違うはずなんです……」

 最後のほうは尻すぼみになってしまう。ルッカたちアークの道筋が間違っていると、断言はできない。全ては歴史が決めることだ。

 だが、それでも。自分で選んで、そして進むと決めた道くらいは否定しないで欲しい。

「……隊長」

「うん、風向きが変わったね。……来るか」

 ルッカがそう口にした瞬間、聞き慣れた血塊炉の推進音が耳朶を打つ。

 夜の暗闇に紛れて、漆黒のモリビトが降り立つ。

「……《モリビト1号》……」

 陽子が《セラフィトウジャ》に戻ろうとしたのを、ルッカが手で制する。

「陽子、待った」

「……ですが、隊長……」

「まぁ、いいじゃない。そこのー! 八将陣、シバの“そっくりさん”? 私らは子供たちを抱えているから、ここでの戦闘は旨味がないんだよねぇ。どう? 人質交換じゃないけれど、穏やかに行こうじゃないの」

『……ユズちゃんを攫っておいてよく言う……!』

 怒気を宿らせたシバの声に、ユズは必死に応じる。

「シバさん! ……私はその……何にもされていませんから、えっと……!」

「まぁまぁ、そう怒んない! ……っと、ユズちゃんだっけ?」

 歩み寄ってきたルッカが後ろ手の拘束をナイフで断ち切り、自分の背中に手をやる。

「……まぁ、どういう結末になるのかは分かんないけれどさ。後悔のない選択肢を選びなよ。私らのほうが間違っているんなら、いつでも。拳で分からせに来ればいいから!」

 トン、と背中を押される。

 まるでこれまでの問答に生じたわだかまりなど、一切の頓着がないように。

 ルッカはにこやかに手を振る。

「またね! いずれは会うかもしれないし!」

 そうして何でもない別れの一つのように、快活に告げられてしまえば自分は何も聞かなかったことにして進むしかない。

《モリビト1号》のマニピュレーターに保護され、ユズはその場を立ち去る。

 この別離に何か意味があるのだろうか。それとも、何でもない、旅の道中の邂逅であったのか。

「ユズちゃん! 大丈夫だった……?」

 シバが不安げな面持ちでコックピットから出てくる。ユズは差し出された手を取っていた。

「……はい、私は何も……。あの、シバさん……?」

「うん? どったの? やっぱり、何か……」

「いえ、その……。何で私の居場所が……」

「ああ、クロマがね? においで分かるって誘導してくれてさ。さすがに操主にはできないけれど、レーダー探知を手伝ってもらっちゃった」

「勘違いをするな。おれにとっては、飯を作ってくれる奴が居ないと困るだけだ」

 レーダー探知網をその短い前足で操作するクロマをコックピット内で見つけ、ユズは立ち去った場所へと一度だけ振り返る。

「……“アーク”……。それも一つの在り方……なんですかね」

「……まぁ、今はユズちゃんを取り戻せてよかったぁー……! 冷や冷やしたんだからね! あたしはこれでもさ!」

「冷や冷やって……シバさん、私なんて居なくても旅は続けられるじゃ――」

「何言ってんの! ……そりゃー、あたしだけでも旅はできるけれどさ。……なぁーんか足りないまま、ぼんやりと旅を続けるのは御免だってば!」

「……何か足りない……ですか」

 それが何なのかは、今のシバは答えてくれないのだろう。いや、いずれ目の前で答えてくれるのかもしれない。

 今は、少しだけ紅潮した表情のシバを見るのが物珍しく、茫然としながらユズは下操主席のクロマの背中を撫でる。

「……クロマもありがとう」

「なに、構わん。一番心配していたのは、黒の女のほうだからな」

「……まぁ、いいから! 下操主に入って! ほら、離脱するよ!」

 何だか照れ隠しのような論調であったが、ユズは追及しない。

 ともすれば、鉄壁のように感じられた黒の女の心に、たとえどれほど、幾星霜の時間がかかろうとも、触れられる機会があるのだと信じて。

「……ですね。行きます」

 噴射剤を噴かせて《モリビト1号》が東の空へと向かう。山稜を照り輝かせる黎明を受けた地平線を見据える。このぼやけた視界の先に何が掴めるのかは分からなくとも、シバとの旅路がまだ続くことだけは、きっとハッキリしているのだ。

 明日が見えなくとも、自分はきっと黒の女と一緒に居て、嫌な気分になったことは一度もない――ただそれだけを心の糧にして、前へと進む。

 待っているのが暗礁の未来であろうとも、後悔しない道だけを選んで。

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