【4】「恐怖は漆黒の影と共に」
現地での接触は厳禁だと、そう言われていたことを揺蕩う意識の中で思い返す。
カプセルが開き、その意識を「引き継いだ」のを認証してから意識を取り戻していた。
「……前任者も急いだものだ」
JINKI オリハルコン・レイカル 人狼機ウィンヴルガ
女子力と言うのは案外不思議なもので、毎年あれやこれやと奮闘しても意外と蓄積ではなく乗算タイプのものなのだ。
少なくとも毎年チョコレートを作っているのに、どうにも上手くなった気がしないのは、やはり簡単に計測できるような代物ではないのだと小夜は思い知る。
「……何だか、今年は……って頑張るんだけれどさ」
「何よ、小夜。いつになく弱気じゃないの」
いつものように削里の店でたむろしていると、レイカルらが声にする。
「今日はバレンタイン! チョコレートを貰うぞー!」
どうしてなのだか奮起するレイカルにカリクムがツッコむ。
「いや、あんたが作るんじゃないの? 愛しの創主様って奴に対してさ」
「ふっふっふー! 馬鹿だなー、カリクムは! これを見ろ!」
レイカルが差し出したのはチョコレート菓子のチラシであった。
そこには「今年は甘い予感を貰う側になってみては?」という提案と共にキャッチコピーが踊っている。
「……まぁ、レイカルの言うことも分からないでもないのよねー。友チョコも一般化して来たし、昔ながらの女子が男子にチョコをあげるだけじゃないってのもさ」
「小夜は現場で貰ったんだっけ?」
「……うん、女性スタッフからもあったし、男性スタッフからもね。キャストでは、やっぱり戦隊モノをやっている以上、女子から男子に渡す流れはあったんだけれど……」
それもなんだか社交辞令じみていて、昔のように胸を高鳴らせて秘めた想いを綴るなどなかなかない。
そもそも、そういったドキドキとは無縁なのが案外自分であり、思い返せば男子より女子から貰ったチョコレートのほうが多いクチだ。
「……ねぇ、ナナ子。私ってお高く留まっているように映る?」
「別にそんなことないんじゃない? そりゃー、うちの大学のミスコンで優勝したんだし、そう思う子も居るでしょうけれど、私からしてみれば小夜はずっと小夜よ。他の何でもないんじゃないの?」
そう言ってくれる気安さがありがたい反面、自分を正確に分析できていないのでは? という疑念にも駆られるのだ。
気だるいままに、小夜はレイカルたちへと視線を送る。
「いいだろー! 今年は私もチョコレートを貰い放題というわけだ!」
「……お前さー、もうちょっと後先考えてみろよ。今日はバレンタインなんだぞ? そういうのを大っぴらにするって言うのは……これから貰うであろう分も……」
カリクムがそっと一瞥を振り向けたのはウリカルであった。
今日も今日とて勉学に励んでいるが、勉強机に隠したチョコレートを小夜は見逃さない。
「……うん? 別にいいじゃないか。私は絶対! お前よりも貰ってみせるんだからな!」
「……そうかよ。って言うか、チョコレートを貰うのっていいのか? レイカルの創主も色々とうるさいんじゃないの?」
「……確かに創主様には毎晩歯磨きをちゃんとするように、と強く言われてはいるが……私は今日のためにちゃんと朝晩二回も歯磨きを欠かさなかったんだ! すごいだろう!」
「……でもさ、虫歯って歯磨きしててもなるって言うよなー、小夜」
「そうね。食生活だけじゃなくって色んな要因があるみたいだけれど」
こちらの言葉にレイカルが愕然とする。
「な……っ! だ、だが……! 私は虫歯なんかには屈しない! チョコレートを貰う一年で一番の時期なんだ!」
「……レイカルってどっちかって言うと男の子みたいな価値観だもんねぇ。そりゃー、貰う側って言う発想にもなるか。ウリカル、心配しなくってもレイカルは受け取ってくれるわよ」
「さ、小夜様……! しーっ!」
「あっ、ごめんなさい。……じゃあ、後でね」
「とは言え、バレンタインと言う行事自体は、日本に根付いたのもそうそう昔ではありません。神戸にて1935年頃より発祥したとされております。言ってもまだ百年経っておるかいないかというところですが、日本人は殊勝でなおかつ柔軟ですからね。お菓子会社が作ったキャッチコピーと言うのももうほとんど馴染んだようなものでしょう」
「俺はどっちかって言うとそんなに馴染み深くはないかな。やっぱり年代的なものがあるんだろうか……貰う側にしてもあげる側にしてもあまり……」
「王手です、真次郎殿」
「……待った」
「よいですが、バレンタインといえども手は抜きませんぞ。待ったは五分までです。さて、何であったでしょうか」
ヒヒイロは何でもないように身を翻す。
盤面を睨んで頭を悩ませる削里の奥でテレビが「今日はバレンタインデー!」と宣伝を打っているのが何とも皮肉だ。
「……ヒヒイロ。あんた結構昔から居るんでしょ? バレンタインがなかった頃ってどんな風だったのかしら?」
「昔と言っても百年も生きてはおりませんよ。そうですね……光雲殿はバレンタインと言うモノに対して結構寛容であったと記憶しております」
「光雲……ってあれよね? 削里さんと伽の師匠……。でも、そんなに大モテだったの? その人」
「俺の記憶している限りでは師匠がモテていたなんてことは一回もないと思うんだが、あれで楽観的な人だったからな。チョコレートを貰うだけで気があると思う性質だったんだろうさ」
別段、削里は過去を回顧するわけでもなく、反撃の新手を見出すついでのような口調であった。
その話しぶりを聞く限りでは、伽との間に確執があったとは到底思えないが、彼らだけの領域でもあるのだろう。
「……ですが、そうですね。想い人のためにチョコレートを贈り、そして恋を囁き合う。良い文化です。私は好きですよ、バレンタインと言うものも」
「……ちょっとだけ意外ね。ヒヒイロはこういうの、お菓子会社の陰謀だとか言い出すもんだと思っていたから……」
「私とて斜に構えてばかりではありませんよ。レイカルたちも良い具合に奮起しておるのです。ならば、一年で最も乙女の力が試される日、悪しざまに言うものでもないでしょう。私も乙女ですからね」
「……ヒヒイロも乙女、か」
何だか納得したような納得できないような言い分であったが、小夜は自分の今年の戦力を数える。
「……作木君に渡すためのチョコレート……なんだけれど、高級過ぎると引いちゃうかもだから手作りにしたんだけれど……これも引かれちゃうかしら?」
「作木君は貰えるものなら何でもいいっていいそうだけれどね。あ、いい意味でね?」
ナナ子のフォローも何となしに分かる。
作木は貰えるものの選り好みはしない代わりに、逆に何でも受け入れてしまうところはある。
それがありがたい時もあれば、少し悩ましい時もあるのだ。
「……よりにもよってハート形……。ま、食べやすいように一口サイズをたくさん作ったんだけれど」
「ハートって時には重いこともある、か。でも、小夜が作ったんだもの。作木君が拒絶するわけないじゃないの」
「……それが分かるから困るんだってば。無欲ってのは時に強欲よりも困るのよ」
「まぁね。作木君のことだし、ありがとうございますってちゃんと言ってくれるのも分かるし、お礼もあるんだろうけれど、それを何となく強要するような感じって言うの? 本当、苦学生って感じだし」
「作木君にお返しを期待するのも違うのは分かってるってば。……でも、作木君、本当のところは何が欲しいのかしら?」
ナナ子は指折り数えながら男子が欲しがりそうなものを列挙する。
「うーん……作木君ってインドア派だからね。こういう時に何が欲しいって思うのかは……ねぇ、レイカル。作木君の欲しいものって何かあった? たとえばネクタイピンが欲しいとか、ゲーム機が欲しいとか、新しいスーツが欲しいだとか……」
「創主様の欲しいもの? それはもちろん! 強さに決まっているだろう!」
「それはレイカルの欲しいものだろー? 創主が欲しいものくらい把握しておけよなー」
「何だとぅ! ならカリクム! お前は割佐美雷が欲しいものくらいは分かってるんだろうな!」
「……わ、私は……そりゃもちろん……!」
カリクムと視線を合わせる。
不格好なウインクをするカリクムに怪訝そうな眼差しを送る。
「……何よ。言っておくけれど、この間駄目にしちゃったクッションは買わないからね。爪を研いだり噛み付いたりするもんだから」
「私は猫か何かかよ! ……あれはソファに対して模擬戦を行っていただけで……」
「で? 私が欲しいものは分かるわけ?」
「……えっと……ほら、あれだよ、あれ……」
その時、テレビから音声が漏れ聞こえる。
『見てください! この大きなカニ!』
「あっ、カニ……カニだ! カニ!」
「カニなわけないでしょうに……。って言うか、あんたも全然考えてないじゃないの。レイカルのこと言えないわよ、それじゃあ」
「でもさ、小夜。いい加減、作木君にあげるものをそろそろ決めないと。今日はもうバレンタイン当日なのよ? チョコレートだけってのも味気ないでしょう?」
「それはそうなんだけれど……何をあげたって恩着せがましくなっちゃうのよねー……。作木君が本当に欲しいものは……うーん、レイカル? 何か分かる?」
「そう言えば、最近創主様は、何だかよく分かんないのをよく見てるな。動画? って言うのか? あれ」
「……作木君が動画? って言うと、何なのかしら……?」
「分かんないけれど、絵が動いてるんだよなー。そんで喋ってる……。創主様は夜遅くまでそれを見ながらカップ麺を食べたりして……」
「まさか……! 作木君、ここ最近よく流行っている“ガチ恋”とかになっちゃったんじゃ……?」
机を叩いて立ち上がったナナ子の言葉に小夜は問い返す。
「え、何……? ガチ恋……?」
「知らないの? 小夜。動画配信サービスとかで生計を立てている配信者とか、最近じゃテレビに引っ張りだこじゃないの」
「配信者……? まぁ、小耳に挟んだことくらいはあるけれど、それと作木君に何の関係が……」
「多分、作木君のことだから、小夜以外の女の子に相手にされないもんだから、画面の中の配信者のほうに“ガチ恋”しちゃったのよ! ここ数年その辺の動きも活発になってるし……!」
「な……っ! ま、まさかぁー。作木君に限ってそんなこと……ねぇ?」
しかし、よくよく考えてみれば美少女フィギュアを作るような人間ならば、配信者にハマってもおかしくはない。
「いいえ! 分かんないわよ……最近じゃ、バ美肉って言うの……画面の中の配信者は女性のガワを被っているのもあるし、案外、そっち方面にお金を費やしているのかも……」
「お、お金って……。動画見るだけなら、お金払う必要なんて……」
そこまで言ったところでちっちっとナナ子が指を振る。
「甘いわね、小夜。ロールケーキより甘いわ。いい? スパチャって言って、配信者にお金を払う文化は既に定着しているのよ。作木君がそういう風に流れていたってなにも不思議はないわよ」
「作木君が……配信者に貢いでいるって言うの?」
「その可能性は高いわね、レイカルの言い分だと。……でも、そうなると生活はどうなるのかしら。元々苦学生で携帯も未だにガラケーの作木君が……」
ハッとする。
もし――作木の興味が現実から二次元の配信者に移ったとすれば、自分はお払い箱どころではない。
下手に構ってばかりの自分などもう眼中にない可能性だってあるのだ。
「そ、そんなの駄目っ! 作木君を先に好きになったのは私なんだから……っ!」
「それも古い価値観ね。BSSって奴」
「……な、何よ……BSS……?」
「“僕が先に好きだったのに”って奴よ。……って言うか、小夜。案外流行りには疎いのよね。テレビに出てるのに?」
「お、大きなお世話よ……! って言うか、何? そういう概念まであるの?」
「ここ最近のサブカルチャーの流れは日進月歩よ? 流行りには付いて行かなくっちゃ。それに、配信者もBSSも別に新しいかって言えばそうでもないし」
「じ、じゃあ、どうすれば……? 作木君は配信者にお金を貢いで、なおかつ私はBSSだって……?」
「そうなっているかもしれないわね。……小夜! ここはいっちょ、思いっ切りよく行かないと駄目かもしれないわ! 作木君が夢中の配信者に負けないように、乙女としての力を発揮するのよ!」
「ぐ、具体的にどうすればいいのよ……」
「そりゃー、もちろん! 作木君の欲しいものを一発で当てることね。それにしても、配信者にうつつを抜かしている上に、美少女フィギュアの造形師ってなると……」
二人して頭を悩ませる。
何だかその要素だけ抜き出すと、作木の欲しいものはまるで分からなくなってしまう。
「なー、小夜ー。別にレイカルの創主の欲しいものなんて用意しておいたチョコレートだけでいいだろー?」
「何言ってるのよ、カリクム。ここで一発前に出ないと、私、見知らぬ配信者に負けるのよ?」
「……知らないんなら別にいいだろー? 知っている相手ならあれだけれど」
「とは言え、分析……よね? これまでの傾向、そして作木君の趣味嗜好……うーん……」
「何だか考えれば考えるほど、作木君って思ったよりかは普通じゃないわよね……」
「フィギュアのための資金……ってお金は駄目よね。そもそも絶対受け取らないでしょうし……」
「そのお金も配信者のスパチャに消えるかもだしねー」
スパチャ――つまりは身も蓋もない言い方をすればお金だ。
その時、小夜は脳裏に閃いたものを感じ取る。
「スパチャ……そうよ! そう言えばこの手は……まだ使っていなかったわ! ナナ子、カリクムにレイカルも! 行くわよ!」
「ちょ、ちょっと待てって! 小夜、どこ行くんだよー!」
「どこも何も、決まってるでしょう。まだバレンタイン当日とは言え、プレゼントコーナーは開いているわよね? 買い足しに行くのよ」
その目的は、もちろん――。
「――うぅ……寒っ」
マフラーを巻いて作木は帰路についていた。
ここ最近、二月とは思えないほどの寒空が続いており、そのあおりを受けて自室での作業も厳しくなっている。
なので、細かい作業は図書館を使ったり、あるいは公共の場所の暖房にあやかったりしているのだ。
しかし、美少女フィギュアの作業と言う特性上、あまり人様には大っぴらにできない作業も存在する。
それらは部屋で行うことにしているのだが、暖房を厳しく制限されている上に、冬は電気代もかさむ。
「ただでさえ寒いもんなぁ……。それなのに冷え込みが厳しいってなると……やっぱり、あれを買うしか……」
ぼやきながら玄関先まで向かうと、案の定と言うべきか鍵が開いている。
「作木君! お邪魔しているわよ」
冷蔵庫に食料を入れたところのナナ子に小夜がソファの上でどこかもじもじとしている。
「……お、遅かったわね……作木君……」
何だか今日は挙動不審だ。
「あ、どうも……。ちょっと作業で遅くなっちゃいまして……」
「そ、そう……。作木君、最近テレビ買い換えたのね……」
「あ、はい。同期から使わなくなったテレビを貰いまして。今のテレビはすごいですよね、これで動画とか見れちゃうんですから」
「そ、そうねー……動画配信とかー……」
「小夜、あまりにも不自然だってば。もっとちゃんとしなさいよ」
台所からのナナ子の声に意を決したようにして小夜は自分に向き直る。
「そ、その……! 作木君、これ……!」
渡されたのはラッピングが施されたチョコレートで、あ、と今さら作木は思い至る。
「そういえば今日ってバレンタインデーでしたっけ……?」
「あれ? 忘れてたの……?」
「いや、何だか最近、忙しくって……」
「……それもこれも、配信者に……?」
「……はい?」
何だか聞き慣れない言葉が出たかと思うと小夜は悔しそうにする。
「……や、やっぱり作木君は……その、画面の中の配信者のほうがいいのかしら……。私みたいな押しかけ女房みたいなのは、お呼びじゃないって言うか……」
「いや、あの……何の話で……」
「とぼけないで! ……作木君が最近、動画配信にお熱だって、レイカルから聞いたんだから……」
「ああ、はい。テレビで動画が見れるようになったんで、参考用に」
「……参考用……それでスパチャしてるってわけ……」
何だか今日の小夜は聞き慣れない言葉をよく使うな、と思っているとナナ子がテレビの電源を点ける。
「履歴見ちゃえばいいのよ、履歴。そうすれば作木君が熱を上げている配信者も分かるでしょ?」
「あっ、ナナ子! 私だってそれは我慢して来たのに……!」
テレビに映し出されたのは直近の視聴動画であり、そこに映っていたのは――。
「……うん? 作木君、これを見ていたの?」
「あ、はい。僕の尊敬する造形師の方が、最近バ美肉したって言うものですから」
「けれどこれ……フィギュアの造り方講座よね?」
「はい、せっかくテレビで見れるようになったので、見ながら作業もできていいなって……」
「じゃあ、スパチャとかはしてないの……?」
「してませんよ。そういう配信者じゃないですし。それにこの人の言うことは結構偉大で……参考にさせてもらってるんですよ」
姿こそバーチャルの器だが、ちゃんと実績の伴った造形師であるのはよく知っている。
すると、小夜もナナ子も肩を落としていた。
「……そうよね。作木君が何の理由もなく配信者にのめり込むわけないし、さらに言っちゃ言えばスパチャなんて……」
「たまにコメントはしていますけれどね。“参考になります”って」
「チャンネル登録者数も百人行くか行かないか程度だし、これは杞憂だったかもねー、小夜」
嘆息をついた小夜はしかし、まだもぞもぞして落ち着かない。
「えっと……動画見てるの隠してるの、まずかったですか?」
「べ、別にいいのよ……作木君がどんな動画を見ていようが……BSSじゃないんなら」
「BSS……? えっと、衛星放送ですか……?」
「何でもないっ! はい、これ! 今年はチョコレートとこれをあげるから」
差し出された箱に入っていたのは――見間違えようもなく。
「……財布、ですか?」
「作木君、万年金欠でしょう? けれど、財布に蛇の皮を入れておくと金運が良くなるって聞いたから……蛇柄のお財布。ちょうど巳年だからね。それに……スパチャとかする前に冷静になってくれるかもしれないし……」
いつになく歯切れの悪い小夜が何を考えていたのかは分からないが、財布は確かに助かる。
「……あ、ありがとうございます。そうですね……金欠で愛想尽かされたらそこまでですし……」
「愛想尽かしたりなんてしないってば。……作木君がどんな人でもね。今日はバレンタインでしょう? なら、距離が縮まるのはあっても遠ざかることなんてないわよ」
微笑んだ小夜に何だか不意に乙女の部分を見せられたような気がして、作木は照れてしまう。
「……ですかね。僕ってでも、細かいことには気が付かないですし、それはきっと小夜さんにも……」
「もう! 辛気臭いことは言いっこなし! 私もちょっと思い違いをしていたみたいだし、お互い様よ。ね? ナナ子」
「そうね! さぁ、ナナ子キッチンの開幕よ! 今日は冷え込みの激しいこの季節ならでは! チゲ鍋で元気回復!」
早速、料理の腕を揮うナナ子に作木は小夜から貰った財布を顧みる。
「……ですね。誰かに心配させてばっかりじゃきっと、駄目だから。僕も何か、返せるようにしないと」
「別にいいのよ、そんなのは。……作木君が隣に居てくれるだけで、私は……って、それも言いっこなしか」
乙女の季節は、あっという間に過ぎ去っていく。
愛を囁き合うか、それとも焦がれるだけか。
一年に一度のチャンス、その時に何を想うかはきっと、誰にも縛れやしないのだから。
「――真次郎ー、この間の日本竹内会のレポート。ようやく纏まったみたいだから共有しておくわねー」
夜更けに訪れたヒミコへと削里は片手を上げて詰め将棋本から視線を逸らさずに応じる。
「ああ、助かってるよ」
「……何よ。ちょっとはこっち見なさいってば」
本を引っ手繰られると、どこかいつもより瀟洒なヒミコの姿が目に入る。
「……どうしたんだ、ヒミコ。今日は随分とめかし込んでいるじゃないか」
「あんたねぇ……言い方。今日はバレンタインデーでしょ? 一年に一度の乙女の戦場! 気合を入れ直さないとね」
「そりゃあ、大層なことだ。……返してくれないか、詰め将棋の途中なんだ」
「はい」
「……本じゃないが? これは……?」
ラッピングされた箱を開けるとチョコレートが収められている。
「たまにはね。あんたもヒヒイロも俗世間から離れ過ぎよ。たまには人里に下りて来なさい」
「その言い草じゃ、俺は動物か何かのようだな」
「実際、隠居するのにはまだ早いでしょ。……で」
「……で?」
「……何とか言いなさいよ」
頬を紅潮させたヒミコに削里は、そうか、とこぼす。
「……こういう時に、困るものなんだな。作木君も罪な男だな。……えっと、似合ってる。それとチョコレートをありがとう」
「三倍返し。期待してるからね。じゃ」
ここまでさっぱりしてるのもヒミコと自分の関係らしいか、と微笑んでいると、削里はあることに気づく。
「……詰め将棋の本……持って行ったのか。まぁ、それもまた、あいつらしい照れ隠し、かな」