JINKI 335 アンヘルとにゃんこ その2

「……赤緒さん……と小河原両兵……?」

「金枝ちゃん! 探したんだよ!」

「まったく、空き地の土管の中に収まってるなんて誰が思うよ。……何だ、お前まだ泣いてるのか?」

 両兵に指摘されて金枝は目元を乱暴に拭う。

「な……泣いていません! 誰が泣くもんですか……!」

「……そうかよ。気のせいだったと思うことにするぜ」

「あの……赤緒さん。この子……その、諦めます。金枝は……命を預かるような、そんなことを考えちゃ、いけないんですよね……?」

 少しでも物分かりがいいように振る舞おうと。これ以上赤緒を困らせるのだけは駄目だ、と判断した自分へと赤緒が抱き寄せる。

「……馬鹿っ! ばかばかばかっ! 金枝ちゃんの馬鹿ぁ……っ!」

「……赤緒さん? 何で泣いてるんですか……?」

 自分がワガママを通そうとして泣くのならばまだ分かる。だと言うのに、正しいはずの赤緒が泣く理由が分からない。

「そんなの……! そんなの決まってるじゃない! ……金枝ちゃんが大事だからだよ……!」

「金枝が……?」

「こんなに夜遅くなるまで……! 本当にどこに居るのか分かんなかったんだからね……!」

 空を仰ぐともう夕陽は遠くに沈んでおり、夜と言ってもいい澄んだ空気が流れ込んで来ていた。

「……でも、赤緒さんが心配するのも変じゃないですか。金枝は……悪いことをしたんですから……」

「本当に……っ! 金枝ちゃんは悪い子……だけれど、心配しないわけがないじゃない……っ!」

 涙目の赤緒が自分の肩を揺さぶる。言っている意味が分からない。自分が悪いだけなら、謝ればいいだけなのに、謝って終わる話ではないのは何となく分かる。

「……なぁ、三宮。トーキョーアンヘルは民主主義なんだと。オレは小学校中退だからよく分からんが、民主制ってのは大事らしい」

「……はぁ……? 小河原両兵はとことん学がないんですね……?」

「……てめぇも似たようなもんだろうが。まぁそれはともかく、だ。民主主義ってのはよ、全員の意見を聞いてからでも遅くはねぇんだ」

 子猫がみゅぅと小さく震えて鳴く。それを赤緒が上着を脱いで覆い被せていた。

「……凍えてる。金枝ちゃん、柊神社まで戻ろう」

「……けれど、この子が一緒だと……」

「私は……私は金枝ちゃんの意見、尊重したいの。確かにこれまでは柊神社はペット禁止だったかもだけれど、そんな凝り固まったルールを変えるのもまた、民主主義って言うか……」

「要するに本決定は戻ってから決めても遅くはねぇって話だよ。……あーあ! それにしたって腹ぁ減ったなぁ! 柊! 今日のメシは何だよ!」

「もうっ! 小河原さんは本当にデリカシーがないんですから! 行こっ、金枝ちゃん!」

 そう言いながら赤緒は自分の手を引く。そのぬくもりに、いいのか、と問い返す小さな己が居た。

「……あの……赤緒さん、いいんですか? だって……金枝はその……柊神社のルールを乱す存在って言うか……」

「なぁーに今さら言ってンだ。お前が日本人的な和をもってうんぬんかんぬんってタイプじゃねぇのはとっくの昔に知ってるっての」

 耳をほじくりながら粗暴に言い捨てた両兵に赤緒は抗議する。

「小河原さんっ、その言い方は乱暴ですよ! ……金枝ちゃん。私はね……確かに色々……守らないといけないことがあるのを教えないととも思うけれど、でも全然! 私だって教えられる側なんだと思う。だって、まだ女子高生だし!」

 眩しい微笑みを返した赤緒に、金枝はぼんやりと返答する。

「……まだ女子高生……ですか?」

「そう。間違うことも、選択肢が見えないこともあるんだと思う。けれど、それに逃げたくないの。間違えることを恐れて……誰かを傷つけることに臆病になりたくないんだ」

 赤緒は誰もが傷つかない道を示してくれているのだと思っていた。

 だが、それは自分の思い違いであったのかもしれない。

 赤緒も自分も、まだ十六歳の年かさになるかならないかと言ったところ。

 それなのに――世間を知った風になるのもまた違うのだろう。

「……小河原両兵。あなたの差し金ですか」

「何のこったか。これを決めたのは間違いなく柊だぜ?」

 それならば安心できる――いや、納得できるとでも言うべきか。

「……金枝ちゃん?」

 金枝は立ち止まる。抱えた子猫の体温、それに胸に湧いた感情の一滴。

「……赤緒さん……その……ごめんなさい……。金枝は……ワガママばっかりで……」

 潤んだ視界の中で赤緒が頬に手をやる。きっとこっぴどく怒られるのだ、と思っていた金枝は目を瞑るが、その頬に流れ落ちかけた雫を赤緒は優しく拭う。

「……ううん。私のほうこそ。金枝ちゃんは対等な友達なんだって、ちゃんと……ちゃんと分かりたいの。私……さ。別に気負うことはないんだけれど、友達ってまだ分かっていなかった。こうして……ぶつかることも含めて……友情なのかも」

「……赤緒さん……」

 赤緒には記憶がないのだと言う。普段はマキや泉と対等に接しているようで、そこにどこかで気負いがあるのは窺えた。

 それでも、自分とは真正面から、対等でありたいと願ってくれた。それはお互いにとって一歩前進なのだろう。

 心に檻を作っていた少女と、京都という街の牢獄に囚われていた自分と。

 どう取り繕ったって、そこにあるのは孤独であると言うだけ。

 赤緒は上着を自分と子猫に被せて、その上から手を重ねる。

「……帰ろう、金枝ちゃんっ。私たちの……家に」

「早くしろよな。メシが冷めちまうぜ」

 恐らく両兵はわざとぶっきらぼうを装っているのだろう。その不器用な在り方に、何だか金枝は少しだけ嫉妬もしてしまうのだ。

「……小河原両兵。言っておきますが、赤緒さんは金枝の友達ですよ?」

「それが何だよ?」

「……友達に付き纏う悪い虫は、払うのが常です。しっしっ」

 赤緒の肩を引き寄せて手で払う真似をすると、耳まで真っ赤になった赤緒に比して両兵はケッと毒づく。

「勝手にしろよ。あとそれと。……子猫ってのは流動食……つーか、子猫のためのミルクだとかがいいみたいだぜ?」

 両兵の片手には買い物袋があり、その中には粉ミルクがたくさん詰められていた。

 ここから先の答えは――言うも野暮であろう。

 ――みゃぁ、と泣く声が聞こえて金枝は身を起こす。

「……あ。アンジェラのごはんあげないと……」

 金枝は自分の支度はそこそこにアンジェラこと、黒い子猫の朝食の支度を整えていた。70℃あたりまで温めたミルクを手の甲で適温まで冷まし、ごはんの皿に注いでからちろちろと飲むその背中をトントンと叩いてあげる。

「よぉーしよし……今日もいい子ですねー……」

 そうは言いながらも金枝は欠伸をかみ殺す。

 トーキョーアンヘルの民主主義――と言う名のワガママを通した結果、次郎に次いで柊神社預かりとなったのだが、その面倒は基本的に金枝が見ることになったのはこれでも僥倖なのだろう。

 これまでのように自分が一番下の立場ではなく、アンジェラのごはん代、それにかかる諸々の費用はトーキョーアンヘルから支給される自分の給与から天引きされるようになったが、それでも金枝にとっては一番良い結果であったと思えている。

「あっ、アンちゃん、起きていたんだ? 三宮さん、触っても……?」

 さつきがひょっこりと顔を出して来たので、金枝は半分寝ぼけ面でうんうんと頷く。

「どうぞ~……」

「じゃあ……。あっ、その……勝手にアンちゃんって呼んだら……三宮さん、怒っちゃいますかね……?」

「うぅ~ん……? 別にいいですよ。アンジェラは賢いですからにゃー……」

 みゃぁ、とアンジェラが返答する。

「アンジェラ」とフルネームで呼ぶのは自分くらいなもので、他のメンバーは「アンちゃん」だの、「アン」だの各々の勝手な名称で呼ぶが当のアンジェラは気にしていないようなので金枝も気にかからない。

「は~い……よく食べられましたねぇ……」

 ふわぁ、と思わず欠伸が出てしまう。アンジェラを飼うと決めてからというもの、自分が居る朝方の時間帯は率先して面倒を見るようにしている。

「あの……私たち全員で決めたことなんですし、三宮さんがそこまで気を張る必要は……」

「いえ……この子も多分……それを望んでいるんだと思います。それに……安心もしてるんです」

「安心……ですか?」

「……居場所があるって……こんなにもいいもんなんだなぁ、って。にゃー? アンジェラ」

 アンジェラがみゃぅと鳴いて丸まったのでその小さな身体を抱えて朝食の席に出たところで、赤緒と鉢合わせする。

「……おはよう、金枝ちゃん。アンちゃんも」

「……おはようございます。あの、アンジェラのごはんはちゃんとあげましたので……」

 何故なのだかちょっとだけ言い訳めいた物言いになってしまう。別に赤緒だっていつまでもペット禁止というわけでもないのだ。

 今さら気まずさを感じたってしょうがないのに。

「……はいっ! 金枝ちゃんの……トーキョーアンヘルで唯一無二の役割ですからね!」

「唯一無二の……」

 そうか、と金枝は不意に合点する。

 自分にしかできない、自分だからこそできる――そんな役割に憧れていたのかもしれない。京都支部では替えの利く駒であった、ここでもそうなのだろうと言う諦観がなかったわけでもない。

 けれど――この腕の中にある小さな命は、自分へと戦い以外の役割をくれる。それだけでも尊いはずなのだ。

「赤緒ー! 見て見てー! ミドリガメ拾ってきたんだけれど……!」

 エルニィは早朝から何をしているのか、ルイと共に泥だらけで柊神社の居間に上がろうとしたので赤緒が注意を飛ばす。

「あーっ! 朝ご飯の場ですよ! まずは泥を落として……それと! 柊神社ではペットは禁止ですっ!」

「えーっ! アンはいいんじゃん」

「横暴よ。私もミドリガメが飼いたいわ」

 エルニィとルイのブーイング相手に、赤緒は頑として譲らない。

「駄目ですっ! ……アンちゃんはだって、金枝ちゃんにとっての特別なんですから。それをそう簡単に覆せませんっ!」

「ちぇっ、ケチー」

 諦めて撤退していくエルニィとルイの背中を眺めていた金枝へと、赤緒がぽんぽんと座布団を叩く。

「金枝ちゃん? 早くご飯食べないと遅れちゃうよ? どうかした?」

「あ、いえ……。その……いいんですかね? アンジェラだけ許してもらっているみたいで……」

「いいのっ! だって……金枝ちゃんもアンちゃんも、私にとっての特別枠っ! なら、少しのワガママくらいは通さないとね」

 どうやら赤緒には自分の胸中など見透かすまでもなく理解されているようで、金枝はアンジェラの背中を撫でてから、朝食の席につく。

「アンジェラ、ちょっとだけ待っててね」

 アンジェラはこちらの言葉を完全に理解しているようにみゃぁと鳴く。

 アンヘルと、一匹のにゃんこ。どこか不釣り合いな組み合わせの物語は、これから先の未来とゆう名の答えに向けて動き出そうとしていた。

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