「意味分かんねぇこと言うからだろうが。オレが何でさつきとデート? なんかしなきゃならねぇんだよ」
「それは、その……話すとあれなんですけれど」
「いいから話せって。ワケ分かんねぇだろうが」
「じゃあ……。さつきちゃん、最近特に柊神社のことを頑張ってくれていて……」
「赤緒さん、お買い物お願いできますか?」
五郎の言葉に赤緒はアルファーへと念じていた意識をそちらに向ける。
「あっ、すいません。まだでしたね。じゃあ……」
「あ、赤緒さん。私、やっておきました。五郎さん、これでいいんですよね?」
「さつきさん、助かります。赤緒さんは、アルファーの修行、頑張ってくださいね」
どこか拍子抜けした赤緒はそのまま肩を落とす。するとエルニィが居間から声を張っていた。
「赤緒ー。洗濯物って畳んでおいてくれた?」
「あーっ、すいません……。忘れていました。今から……」
「あ、赤緒さん。私、畳んでおきましたので」
さつきの言葉にエルニィが、おーっと感嘆する。
「さつきは偉いなぁ。きっといいお嫁さんになるよ」
「そんな……お嫁さんだなんて……」
赤緒は愕然とする。いつの間にか、さつきのほうが柊神社に慣れ親しんでいる。だがさすがに巫女としての仕事までは任せられないだろう。赤緒は五郎へと言いやっていた。
「地鎮祭、ありますよね? そろそろ準備を……」
「あ、五郎さん、地鎮祭の衣装、用意しておきました。それと道具も」
「さつきさん、ありがとうございます。では、赤緒さん、行きましょうか」
「……はい」
すっかり意気消沈した赤緒が五郎へと続く。五郎は道すがら、微笑んで口にしていた。
「……さつきさんはとても働き者ですね。私も助かります」
「そう……ですか。そうですよね……。私なんかより、よっぽどできた子ですもん……」
「赤緒さん、ひょっとして嫉妬していますか? 大丈夫ですよ。赤緒さんにしかできないことはたくさんあるじゃないですか」
「でもでもっ……! さつきちゃんだって頑張り屋さんですから、その……。強くは言えないと言うか……」
自分の都合でさつきから変に気を遣わせるのも忍びない。どうするべきか、と悩む赤緒に五郎が助け舟を出す。
「なら、プレゼントでもしてあげればどうですか? さつきさんは何でも無償で頑張りがちですし、何か絶対に喜ぶものをあげるというのも」
「絶対に喜ぶもの……ですか。さつきちゃんって、何が嬉しいんだろう……?」
首をひねった赤緒はそういえば、とさつきの言動を思い返していた。
「小河原さんのこと、お兄ちゃんって呼んでいましたよね、確か」
「きっと本当のお兄さんに近いものを感じているんでしょうね。小河原さんは優しい方ですし、それに心強いですから」
そうだ、と赤緒はポンと手を叩く。
「だったら、小河原さんに一肌脱いでもらいましょうよ! さつきちゃんは多分、普段は甘えられないんだと思うんです。だったら、お兄ちゃんみたいな存在である小河原さんに、めいっぱい! 甘えられればきっと!」
「いいかもしれませんね。小河原さんもあれで何だかんだ面倒見のいい殿方ですし、一日くらい、小河原さんが本当のお兄さんのように、さつきさんに甘えさせてもらえれば変に気を張らないで済むかもしれません」
「じゃあ、私、小河原さんに頼み込んできますね! さつきちゃん、喜ぶだろうなー」
るんるんと肩を弾ませて赤緒は両兵の待つ橋の下へと向かう。その背中へと五郎からの声がかかった。
「赤緒さん、地鎮祭がありますよ! それが終わってからにしてください」
あ、と赤緒は後頭部を掻く。
「すいません、私ってば……」
「赤緒さんにしかできないことなんですから。しっかりしてくださいね」
嘆息混じりの忠言に赤緒は愛想笑いを返すのみであった。
「……で、何でこうなったんだ……」
赤緒に頼み込まれ、両兵はさつきを見下ろす。その眼光が鋭かったからか、さつきが肩を震わせた。
「あの……迷惑なら私……」
「いや、迷惑だとは思ってねぇよ。それに、まぁ、こういうのも悪くねぇんじゃねぇの? オレは妹分がいたことは……ああ、そういえば」
青葉のことを思い返す。日本に滞在していた頃、妹のような存在であったのは青葉であった。当時はおかっぱ頭のせいで男だと思っていたものだが、それでも守るべきだと付き添っていたのは確かである。
「……妹ってのはどういう存在なんだろうな。兄貴からしてみれば」
南米で今もキョムとの戦いの渦中にいるであろう川本のことを脳裏に浮かべる。歳の近い悪友として、つるんだ身であれば自然と顔が綻んでいたのだろう。
さつきが指摘していた。
「おにい……小河原さん……、時折とっても優しい顔するんですね。私、そういう表情の小河原さん、何だか羨ましいです」
「羨ましい? お前だってダチの一人や二人はいるだろ?」
さつきは頭を振っていた。
「私、物心ついた時から旅館に引き取られていましたから。だから、友達とも合わなくって。自然と……孤立しちゃって……」
そうか、と両兵はさつきのこれまでを思い知る。彼女はずっと兄である川本のことを想い、遠く離れた運命を何度も恨めしいと思ったのかもしれない。それでも、兄を求め、アンヘルに所属し、人機に乗る道を選んだ。
その決断は、恐らく……。
「強ぇよ、お前は」
不意に発した言葉にさつきが目を丸くする。
「強ぇって言ったんだ。泣き虫なのはそうかもしれないがよ。前にも言ったよな。弱虫じゃないって。弱ぇ奴はここまで抗わねぇ。人機に乗って一端にやってるんだ、それを強ぇって言わないでなんて言うんだよ」
「おにい……小河原さん……」
「あと、だ! これは柊たちがお膳立てしたんだからよ。気ぃ遣う必要性は、ないんじゃねぇのか?」
その言葉にさつきは微笑んで頷いていた。
「うんっ! お兄ちゃん!」
そのまま両兵の腕に飛び込んでくる。これが兄にしか見せない顔というものなのか、と両兵は再び感じていた。
きっとさつきは普段、無理をしているのだろう。在り方が強くても、元々の性格はきっと、誰よりも仲間思いでそして心優しいに違いない。
そんな彼女に戦いの道を強いている。それも自分の中では少しだけ許せない。
だが、既に人機の操縦系統は血続専用。自分はせいぜい、下操主について彼女らの戦いをサポートするしかない。それが時折、歯がゆいこともある。
もっと傍で戦いを見ていられたら、と考えるのは恐らく、傲慢だろう。しかし、今の自分に出来ることはこの程度。ならば全うしてみせようではないか。
「さつき。どこに行きたい? 今日はお前の好きなところに行ってやンよ」
「ホント? じゃあ、あそこがいい!」
指差したのはいつかのバーガーショップであった。思わぬ要望に両兵は困惑する。
「おいおい、もっといい場所があるだろうが。それにいい飯だって食わせられるくらいは……」
「ううん。さつき、あそこがいい! だってお兄ちゃんとの思い出の場所だもん!」
そういえばキョムに襲われた時に入ったきりであったか。自分の趣味ではないのだが、ここはさつきの考えを優先しよう。
「……しょーがねぇな。何が食いたい?」
「ハンバーガー! お兄ちゃんと同じのがいい!」
まったく、と両兵は笑みを浮かべる。
こういうのは慣れないものだがそれでもきっと、自分にとってはいい方向なのだろう。
普段は戦うしかない、苛烈なる道を行く自分には。
『……赤緒さん、聞こえてる?』
無線機越しの南の声に赤緒はマスクをずらしてサングラスから両兵とさつきの背中を垣間見ていた。
「はい、こちら大丈夫です。どうぞ」
『両ってば、デートなんてガラにもないことをしたら何が起こるか分からないからねー。一応、こうして見張りについているわけなんだけれど……』
「でも、結構うまくやってくれていると思います。私たちの心配は杞憂だったのかも」
『……そうならいいんだけれど。赤緒さん、あの二人、客観的にどう見える?』
「どうって……。兄妹のつもりですけれど……」
『あんなに似ていない兄妹もいないわよ。だとすると……カップル?』
浮ついた言葉に赤緒の顔がボンと赤くなる。
「なっ……なっ……」
『困惑しないでよ。元々は赤緒さんの提案でしょ?』
「でもですよ。カップルだとすれば……」
仔細に両兵とさつきの姿を見つめる。見れば見るほど、妙な取り合わせには違いない。
『……うぅーん、犯罪臭がするわねぇ』
「……今のところはさつきちゃんも肩の力を抜いてくれています。この調子で、小河原さんがうまくエスコートしてくださればいいんですけれど」
『まぁ、元々は普段、あれだけ気を張っているんだから、っていうご褒美の意味もあったんだけれど。両がいたらキョムも手を出さないだろうし』
赤緒は少しばかり迂闊であったかもしれない、と考え直す。さつきはそうでなくとも今まで狙われてきたのだ。それなのに、ほとんど単独行動を許したようなものである。
「……私、考えなしだったかもしれませんね。少し落ち着いたとは言っても、八将陣との戦いの最中ではあるのに」
『いいと思うわよ? メルJもこっちに落ち着いたんだし、色々清算するのには、ね。ただまぁ……両はあれでやっぱり馬鹿だから。さつきちゃんを傷つけちゃわないかだけが心配よね』
「小河原さんは……きっと大丈夫だとは思います。さつきちゃんも多分、いい思い出になるんじゃないかって」
『まぁ、あまり楽観視はできないけれどね。もしもの時は両を引っ張り上げて、さつきちゃんを救出しないと』
「救出って……」
はは、と乾いた笑いを返す。だが、思ったよりも両兵はさつきに対して紳士的のようであった。
それにはやはり南米で別れたという、さつきの兄も影響しているのだろうか。
「……南さん。そういえば全然聞いていませんでしたけれど、さつきちゃんのお兄さんって、どういう方だったんですか?」
『うん? まぁ、一言で言っちゃうと優しい子だったわね。メカニックの無茶振りにもよく対応していたし、それに結構、アンヘルメンバーでは頼りになるほうだった感じかなぁ。両も彼には心を開いていたみたいだし。……そういえばヒンシって呼んでいたわね』
ふふっ、と思わずと言った様子で南が通話越しに微笑んだのが伝わる。きっと、アンヘルの日々も何物にも替えがたいものであったのだろう。
それだけに、南米が今は紛争状態というのが信じ難かった。
「それでも……さつきちゃんに、会えないんですね……」
現実は厳しく横たわる。どうしたって今のさつきを、兄である川本は会いに来ることができない。これほど強くなったさつきに、よくやったの一言だって送れないのだ。
その事実が何よりも辛かった。きっとさつきが普段、誰の心配もかけないように振る舞っているのはそれも影響しているのだろう。
――誰も頼れない。弱いところは見せられない。それがどれほどの孤独なのか。
浅はかだったのは自分のほうかもしれない。さつきにこんな過酷な運命を再認識させるなんて。
「……私、このデートが終わったら、さつきちゃんに謝ろうと思います」
『赤緒さんのせいじゃないわよ。それに……さつきちゃん、いい顔しているわ。あれがきっと、お兄さんの前でしか見せられない顔なのよね』
一秒でも長く、この安息が続けばいい。自分はそう願うしかなかった。
「お兄ちゃん、ケチャップついてるよ」
指摘されて両兵は口元を拭う。すると、さつきの口元にもケチャップが跳ねていた。
「お互い様だろ」
自分のナプキンで同じように拭いてやると、さつきが急に赤面する。
「その……お兄ちゃん。みんな見てるんだから……恥ずかしいよ」
「あン? ……まぁいいんじゃねぇの? 今はお前の兄貴なんだからよ」
ハンバーガーを頬張る。こうして穏やかな時間が流れるのはいつぶりだろう? 日本に渡り、八将陣を叩きのめすことだけを考えてから、ずっと気を張っていた。誰も頼れない、誰かに弱みを見せてはいけない、と。
だから、勝ちにこだわっていた。
自分は八将陣を倒し、刀使いを追い込むまで安息なんて得られないのだと。勝利以外の道は必要ないのだと。
だからか、今、こうしてさつきと共に「何でもない日々」を過ごしていることが少しだけ遊離している。
日本にいるのは八将陣を駆逐するため。決して馴れ合うためではないはずであった。
しかし、今はどうだ。さつきだけではない、赤緒やメルJ、エルニィたちと出会い、そして彼女らと共にいる。
それがいつの間にか、安息に近いものに成り果てていた。手離したくないのだと。そんな願い、きっと一番に踏み潰されてしまうというのに。
――お前は俺の側のはずだろう? 小河原両兵。
脳内に残響するのは黒い男の言葉である。こんな時でも、あの男の声音がこびりついて離れない。
これは呪いのようなものだ、と両兵は感じていた。生きている限り、決して外れはしない呪縛そのもの。
「……お兄ちゃん? 怖い顔してるよ……大丈夫?」
ハッと現実に意識を戻す。今は、この平穏を大事にするべきなのに、やはり自分には性に合わないのかもしれない。
「……兄妹の真似事したって、結局オレは、あの時から時間が進んじゃいねぇんだ。南米のあの時から、オレの時間は、止まったままなんだろうな」
青葉と別れてから――いや、もっと前からか。
自分の時間は決して前には進まない。誰かを頼りにしたって仕方ないのだとどこかで思い込んでいる。
八将陣を倒し、この世界からロストライフ現象をなくす。言うは容易いが、それは結局、世界の在り方そのものを変える大きな代物。
だからなのか、こんな冷たい心に切り詰めた自分に……さつきが手を握ってくれるなんて思いも寄らなかった。
さつきは強張った自分の手を優しく解きほぐすように握り締める。
「お兄ちゃんは……いつだって頑張り屋さんだったよね。さつきが旅館にいた時からそう。いつだってお兄ちゃんの背中を見ていた。だから、さつき、今日まで頑張れたの。危ない時にいつも助けてくれるのはお兄ちゃんだって……さつき、信じてるから」
ああ、と両兵は感じ取る。勝手にさつきのことを、弱いと規定していたのは自分のほうではないか。
彼女はもう何よりも強く眩いものを手にしているのだ。アンヘルの仲間たち、そして、彼女の力――《ナナツーライト》。
両兵は不意に呟いていた。
「オレは……一人じゃねぇんだな」
赤緒から持ちかけられた時は馬鹿馬鹿しいと思っていた。だが、さつきと向き合って分かった。
彼女もまた自分の鏡。決して目を逸らしてはならない、自分という歪みを直視するための……。
「……さつき。行きてぇところがあったらどこへでも付き合ってやる。どこに行きたい?」
「じゃあ……あそこがいいな。お兄ちゃんのいっつもいる、あの場所が……」
「……で、何で柊神社に二人して帰ってくるの? デートだったんじゃないの?」
エルニィに問い詰められ、さつきは頬を掻いていた。
「やっぱりその……ここがいいなって思ったんです。お兄ちゃんと……ここにいられるのが、一番だって」
両兵の顔を窺うと、彼もどこかで得心していたのか優しく頷いてくれた。
「……だな。ま、結局のところ、デートなんてガラじゃねぇってこった」
「それが、一日女の子を連れ回して、言える義理ってわけ?」
「げっ! 黄坂! 何なんだよ、別にいいだろうが!」
「よくない! さつきちゃん、ここは任せなさい! お姉さんが天誅を下してあげる!」
南が両兵を追いかけ回す。それを眺めていると、赤緒が心配そうにこちらへと歩み寄ってきた。
「……赤緒さん?」
「その……さつきちゃん、ごめんなさい! 私、多分さつきちゃんに……嫉妬していたんだと思う。だから、その……余計なことを小河原さんに頼んじゃって……、私……」
さつきは赤緒の謝罪に、ううんと首を横に振っていた。
「赤緒さんの心遣い、私はとっても助かりました。だってお兄ちゃんと一緒にいられたんだもん。多分、こんなこと、私だけじゃ絶対に無理だった」
「さつきちゃん……」
「でも、赤緒さんがお願いを聞いてくれるなら、一つだけ……いいですか?」
赤緒がきょとんと目を丸くする。さつきはふふっと微笑んでいた。
「これから先……ちょっと寂しくなった時に……。赤緒さん……じゃなくて、赤緒お姉ちゃんって、たまに……呼んでいいですか?」
自分にとってはきっと、ささやかなわがまま。そんな願いを赤緒は笑顔で聞いてくれた。
「うんっ! へへへ、私もお姉ちゃんかぁ……」
互いに微笑みを交し合う。
さつきは夕映え空に誓っていた。柔らかな風が頬を撫でる。
――お兄ちゃん。私はこの場所で、もう一人のお兄ちゃんと、それにお姉ちゃんと一緒に戦います。アンヘルの……一員として。
その願いは、きっと星のように、一際輝くはずであったから。