思わぬ告白にその場にいる全員が困惑した。
「嘘でしょ? 病気? 作木君が?」
信じられないと言った様子の小夜にカリクムが落ち着き払って声にする。
「どうせ、勘違いだろ? 大体、どういう病気なんだ?」
レイカルは瞳を潤ませる。
「分からない……。聞いたこともない病気なんだ。だからどうしたらいいのか、私にも分からなくって……。助けてくれ、ヒヒイロ! 創主様の病気を治してくれ!」
「まぁ、待つんじゃ。そもそもその病気とやらがどういうものなのか分からん。落ち着いて言ってみよ」
レイカルは満身から叫んでいた。
「五月病って言う病気みたいなんだ! なぁ、ヒヒイロ! 五月病って何なんだ? 聞いたこともない!」
その言葉に全員が硬直した。カリクムが聞き返す。
「五月病って……それはお前……。なぁ、小夜」
「うん……。五月病はねぇ……」
「何で諦めムードなんだ? まさか! 死に至る病なのか?」
絶望的に血の気を引かせたレイカルにヒヒイロが嘆息をついていた。
「レイカル。よく聞け。五月病と言うのはじゃな……」
「突然だったんだからね!」
小夜の叱責が飛び、作木は、ははっと笑い返していた。
「すいません……。レイカルが飛び出しちゃったのを止める元気もなくって……」
はぁ、とため息が漏れる。この季節特有のものだと説明したところで、レイカルには伝わらないだろう。
レイカルが何度も問い返す。
「創主様! 本当に……身体は問題ないんですか?」
「あ、うん……。まぁ、ちょっとボーっとして、意識とかがはっきりしなくって……ずっと眠たいみたいな状態なんだけれど……」
「大病じゃないですか! どうすればー!」
てんてこ舞いのレイカルへとカリクムが冷静に言いやる。
「いや……だから五月病だろ? それ。結局のところ、病気じゃないんだって」
「じゃあ、何で創主様は元気がないんだ! これは立派な病気だろ?」
レイカルの疑念にラクレスが妖艶に微笑んでいた。
「本当、レイカルってばお馬鹿さぁん……。何にも知らないのねぇ……」
「な、何だ、ラクレス! お前は創主様が心配じゃないのか!」
「それは心配よぉ? でも、五月病は仕方ありませんわ、作木様。ゆっくり療養なさってくださいまし」
「理解してくれて助かるよ」
ラクレスと顔を見合わせたせいであろう、レイカルが怒り心頭になって地団駄を踏んだ。
「何なんだー! お前ら、みんな分かった風な口を利いてー! 創主様が死んじゃったらどうするんだ!」
「だから、死なないんだってば……。小夜、人間として説明してやってくれ」
その言葉に小夜は憮然と腰に手を当てて説明を始めた。
「はいはい……。あんたらオリハルコンの常識って何でこう、虫食いみたいな状態なのかしらね……。五月病って言うのは、ゴールデンウィークの長いお休みのせいで、頭がボーっとしちゃうって言う、いわゆる休みボケよ」
「休み……ボケ?」
小首を傾げたレイカルに小夜は続ける。
「……まぁ、作木君の普段の生活態度を見ていればよぉーく分かるわ。どうせ家に籠ってフィギュア作っていたんでしょ?」
「そ、それの何が悪いんだ! 創主様の立派な仕事じゃないか!」
「ところが、よ。人間って言うのは不思議なものでね。長期のお休みをただぼんやりと過ごしちゃうと、何だか頭がボーっとしたり、この暖かさでただでさえ眠たいのに眠くなったりしちゃうの。これを俗に五月病って呼ぶのよ」
ひょい、と顔を出したナナ子が補足する。その説明を受けても、結局レイカルは一ミリも理解している風ではない。
「まぁ、結局! 作木君は外に出なさ過ぎなのよ! だから五月病にかかっちゃったってこと!」
ずびし、と指差した小夜に作木は困惑の笑みを浮かべる。
「まさかこんな大ごとになるなんて思わなくって……。レイカルには病気だとかそういうことは言わないほうがいいでしたかね……」
頬を掻いた作木に小夜は呆れ返っていた。
「お陰様でレイカルは慌ててヒヒイロのところに飛び込んできて、で、当のヒヒイロはそれを聞いて返す言葉もなくって私に任せたってわけ。……もう、いい加減に外に出ましょうよ。行楽日和なんだし」
「そうなんですけれど……まだ大学も本格的に始まっていませんし、講義に行くのもちょっと……」
小夜は頭を抱えてため息をつく。
「……それが五月病なんだからね。いい加減に休み気分は抜かないと」
「……で、結局どういう病気なんだ?」
ここまで説明しても全く理解していないレイカルを他所に作木は渋っていた。
「……でも、行楽って言ったって、どこに出かけるんです?」
「そりゃ、河原でピクニックでも……」
そこまで口にして小夜はハッと何か思い浮かんだのか、ナナ子へと耳打ちする。
「……ナナ子。これってもしかしてチャンスかも」
「ははーん。小夜ってば肉食系ねぇ。作木君を部屋から連れ出して、そのままあわよくば二人っきりって魂胆か」
「どう思う?」
「いいんじゃないの? でも当の作木君が乗ってくれるかは微妙だけれど」
作木はすっかり休み中の生活が板についたようで、半分布団に包まり、半分だけ身体を出している。
これではダメ人間まっしぐらだ。
「作木君! 外に出ましょう! 書を捨て町に出よ! って言うじゃない!」
「いや、ですけれど……。面倒じゃないですか」
「メンドくさがっていたらいつまでも治らないってば! いいからっ! 外に出るわよ!」
布団を引っぺがそうとするも、作木も譲るつもりはないらしい。その攻防にレイカルが割って入り、小夜へと声を飛ばした。
「おい! 割佐美雷! 創主様をいじめるな!」
「だから、役名で呼ぶなっての! ……いじめているどころか、治すための努力をしているのよ?」
「でも、創主様がかわいそうじゃないか」
「……あのね、レイカル。五月病は放っておくと、いつまでも休み癖を引きずっちゃうのよ? そうなったら夜のダウンオリハルコンとの戦いに支障が出るわ」
そうでなくとも、作木には体力がない。長期休暇は完全に負の連鎖になっていることだろう。
その連鎖を断ち切るのには、一度外に出て、外界の空気を吸い、体力を身につけることであったが、作木は少しばかり強情であった。
「……やる気が出たら、自分で這い出しますんで」
「それ、いつ出るか分からないんでしょ? ……何だって長期休暇なんて」
「あ、小夜。もしかして自分は休めなかったのを悔やんでる?」
ナナ子の言葉に小夜は後頭部を掻いた。
「ずーっと、撮影だったんだからね! 五月は暖かいから、無理な撮影も強行されちゃって……!」
「トリガーVのVシネ版も決まったんでしょ? よかったじゃない。仕事には困らなくって」
「そりゃ、対外的にはいいけれど……。でもっ、作木君のことのほうが、今は心配! 五月病を治さなくっちゃ!」
「でもさー、五月病ってどうやって治るの?」
ナナ子の質問に小夜は当惑する。
「……考えたこともなかったわね。確かに学校が始まれば憂鬱だったけれど、でも問題なく行けてきたし……」
「小夜はアクティブだから五月病とは無縁かもね。ちょっと調べてみよっか」
ナナ子が携帯で「五月病、治し方」で検索する。
「……そんなの乗っているわけが……」
「ところがどっこい、結構ヒットしたサイトがあるわよ?」
携帯の画面を窺うと五月病は他の病気の元になりかねない、という記事さえも散見された。
「……意外、ね。何だか思っていたよりも深刻そうなのは」
ページを見るにつれ、小夜の中でも五月病が深刻な病のトリガーになりかねないことが認識されていったが、それでも決定的に治す方法と言えば、やはり「ストレスを溜めない」に辿り着く。
「運動をしたり、外に出たり……とにかく誰かと症状を共有することが大事みたいね……。作木君、とりあえず、外に出ましょう」
そこまで諭すとさすがの作木でも不承ながらに布団から這い出していた。
「……まぁ、いいんですけれど。でも、すぐに治るかと言うと……」
「私がついているから! いざとなれば回復するまで付き添ってあげる!」
「いや……そこまで迷惑はかけられませんよ……。でも、何だかなぁ……」
屋外では公園で遊ぶ子供たちや、既に桜が散って緑の葉をつけている木々が眩しい。
このまま梅雨を迎えて、そして炎天下の陽射しが眩しい夏になるのだろう。
「……そういえば、レイカルはあんまり夏の経験はないんだっけ?」
「暑いんですよね? でも、あまり実感はないような……」
「これから先、季節は移り変わるからね。日本には四季があるんだから。あんたらも、いずれは分かるでしょ」
夏が終われば、秋が訪れ、涼やかな風が吹き抜ける。そして、身を寄せ合える冬がやってくるのだ。
季節は移ろい、そして少し見ない間にも時は進んでいく。
作木は、あっ、と声を上げていた。
視界に入ったのはいつかの少年創主である。
「えっと……毛利君、だったっけ」
「あっ、レイカルのお兄さん!」
駆け寄ってきた毛利翔は快活な笑みを浮かべていた。
「……何か、楽しいことでもあった?」
目線を合わせて尋ねると、彼は笑顔で首肯する。
「ええ! だって長い休みが終わってようやく友達と会えるんですからっ!」
そうか、と作木は実感する。当たり前のように感じている絆も、一瞬一瞬を大事に思うかどうかで変わる。
彼はまだ小学生だ。移り変わる季節と、友情は等価であろう。
季節が巡ればまた新しい出会いが待っている。そんなささやかなことを、自分は忘れてしまっていた。
大人になると言うのは、そういう点では少し悲しいな、と胸を感傷が掠める。
「……そっか。じゃあ、頑張っておいで」
「はいっ! レイカルも、またね」
「おおっ! ムクと一緒に元気でな!」
作木は少年が離れた後、頬を両手で叩いた。突然の行動にレイカルと小夜は驚愕する。
「つ、作木君?」
「……すいません、小夜さん。少し甘えていました。僕が怠けていたんじゃ、彼のような創主に顔向けできない。そうだろ? レイカル」
レイカルが指に触れ、その瞳を潤ませる。
「創主様……五月病は……」
「ありがとう。二人のお陰で治ったよ」
その言葉にレイカルがぱあっと顔を明るくさせた。
「よかったぁー……。創主様が病気になんてなって欲しくないですから!」
小夜は嘆息をついて作木の肩をつつく。
「……別に、ちょっとくらいは甘えてもいいと思うわよ? 五月病でも何でも、戦い続けるよりかは……」
「いえ、レイカルに心配はかけられませんし、それに五月病でへばっていたんじゃ、ダウンオリハルコンの事件に対応だってできない。すいません、小夜さん。ヒヒイロにもよろしく言っておいてください。僕はもう大丈夫だって」
頼もしく言いやった作木に、小夜は微笑む。
「……本当、そういうところが作木君の……」
そこまで口にして小夜はカリクムを伴わせていた。
「さぁ! 私たちは私たちで頑張りましょうか! カリクム」
「うおっ……。何だ、やる気を出して……。ま、病気に振り回されるよりかはいいだろうけれどさ」
そうよ、と小夜は声を張る。
「五月病なんて、吹っ飛ばしちゃえばいいの!」
その言葉には自然と力強さが宿っていた。
「……真次郎殿。先ほどから駒が止まっておりますぞ」
将棋を打つ削里は、はぁ、とため息をつく。
「いや、暖かいから、ちょっとぼんやりと……」
「五月病ですか。しかし、容赦は致しません」
パチン、と駒が打たれ、削里はううんと呻る。
「参りました。……しかし、五月病になるのは人間だけか。オリハルコンにそういうのってないのかい?」
「あるでしょうが、普段の鍛錬でそういった気の緩みは掻き消せるもの。常に気を強く持つことです」
「……熱血系だなぁ。でもま、嫌いじゃない」
そう結んで削里は窓の外を見やる。夕刻の空がどこまでも広がっていた。
「いつか、オリハルコンも人間も、そういうしがらみも含めて、愛せるようになればいいね」
「五月病も風物詩ですからね。ただ闇雲に否定するだけが、ヒトの生き方を左右するものでもないでしょう」
確かに、と削里は微笑んで将棋盤に駒を並べた。
「もう一局、どうだい?」
「いくらでも請け負いましょう」
袖を捲り上げたヒヒイロに、削里は頷く。
「人とオリハルコンの絆は千差万別、か」
その絆の形を、愛せれば――。