「しかし、我々には必要なのですよ」
重々しい声音の重役に南も慎重に答えていた。
「ですが……やはりメリットデメリットの面で、こうした形での情報開示は望ましくないかと」
「しかし、あなた方は身勝手にアンヘルをこの東京で結成し、そして都心防衛という大任を帯びているとはいえ、独断だ。そのことも分かっていて、ですか」
「分かっていても、です。これは私の一存では……」
濁した南に重役たちはめいめいに言葉にする。
「やはり……短慮だったのでは? ここ数日間のトーキョーアンヘルの防衛成績、そしてその戦歴を鑑みての……民間公表は」
「このままでは都心に住む数万人の都民に対して申し訳が立ちません。彼らはいつ、頭上に爆弾が落ちてくるとも知れないのです。そんな彼らのイメージを、少しでも改善させるための案なのですが……」
南は提示された資料に目を通す。何度読んでも、やはり無理難題という面が勝っていた。
「……これは我々アンヘルの心証をよくするため、という方策なのは分かります。もちろん、かなりの譲歩をいただいているのも。しかし……専門家が存在しないのです」
「ですから、持ち帰っていただいてから、改めて考えていただければ……」
どうしても粘る重役連に、南は思い切って言い返していた。
「そんなに……必要ですか? ――教育番組への出演」
紡ぎ出した言葉にテレビ局の重役連たちは、是非と願う。
「どうしても……うちの末っ子がテレビで人機を観たいと言うのです」
「それに、そのほうがアンヘルの活動にも差し支えないのでは? あまりに隠密が過ぎると、逆に勘繰られます。日本はテレビ文化が根付いている国なので、テレビから受ける印象が国民の支持そのものと言っても過言ではないのです」
彼らが自分を呼び出した理由はそれに集約される。
――人機をマスコットとして、教育番組に登用したい。
その嘆願に南は渋い顔をしていた。
「ですが……それは同時に危険性もはらんでいるのではないですか? もし、アンヘルが粗相をすれば、その番組もダメージを受けます」
「ですから! そうしないための教育番組なのです。国民に、もっと広くアンヘルの活動を知ってもらおうではありませんか」
「それに、広報としても悪くはない条件のはずです。柊神社でしたか? いちいち国民をパイロットの適性にかけなくとももしかすればよくなるかもしれません。それに、あの中継でのやらかしも取り消せるかも……」
「君! それはタブーだと……」
口にされた失言にあっと声を出した重役に南はふぅんとふんぞり返る。
「あれを失言と、そう思っておられるんですか、そうですか」
「……失礼を。アンヘルはしかし、謎の集団によるロストライフ現象をこの国で起こさないための組織だと、そう伝え聞いております。結構な報道陣が頭を抑えられていて困っているとも。某国からの報道規制は厳しくなる一方で」
某国と濁したが、アメリカなのは分かり切っている。そうでなくとも、冷戦終了からそして今に至るまでの数年間。カラカスで核が使用され、アメリカの国民意見は封殺されて久しい。それでも国際警察としての権限だけは振るいたいという上の一存がまかり通り、現状の報道の拘束状態が続いているのだ。
南米で何が起こっているのか。世界で何が起こっているのかを、実際のところ見聞きして知っている人間は、恐らく四割を切る。
ロストライフ現象の根源たる黒い波動の実態も、現在アンヘル諜報部が調査中。目下のところ、キョムに対して後手なのは否めない。
その矢先、こうしてテレビ局に呼ばれてみれば、人機をマスコットに使えと言うのはどこか浮世離れした提案ではないだろうか。
南は人機の情報を開示しろと言う、お歴々の喧しい要求かと思っていただけに意外であった。人機の情報は公表できない。操主が実際何なのかは言えない、という無茶がある程度通っているのは、やはり全世界規模での報道管制が敷かれているからだろう。
日和見のこの国が悪いのではない。世界全土で、実態不明の消失現象が起こっているとなれば、人々は静観を貫くかあるいは声高に声を上げるかのどちらか。日本が特別平和なわけでも、ましてや安全の確保が成されたわけでもない。
自分たちが少しでも仕損じれば、すぐさまロストライフ化される。
その緊迫感を分かっていないはずがないのだが、南は資料を睨んで後頭部を掻く。
「先にも言いましたが、専門家がいないので……。教育番組というのも分かりませんし、それにマスコットなんて」
「では、マスコットキャラクターの前例を挙げた資料をお渡ししますので、それに沿ってデザインを上げてください。我々局が採用するかどうかは一考するとして」
参ったな、と南は呻る。ここでどうしても必要が一切ない、という選択肢は断たれたようだ。
テレビ局の提案は魅力的である。これから先、アンヘルのイメージアップに貢献してくれるというのだ。
だが、その実態をまるで把握できないイメージアップ戦略は危険だ。
どう扱われるのか分かったものではない。アメリカからの圧力のほうがまだ予見できる。国内でもし、アンヘルの評価が荒れれば、その時の対応策に追われるのだ。
荒れ野を再建するのは厳しいのだと、南は軍部にいた頃の経験則で知っている。実際にベネズエラ軍部は腐っていたとは言え、自分たちアンヘルメンバーはある程度その情報を鵜呑みにしていた。
軍部でも悪い人間ばかりではないと知ったのは所属してから。実際に目にしてみないと分からない事柄がこの世には数多い。
加えてテレビ局のマスコットとなれば、制御不能な評定だ。
少しばかり慎重になったほうがいいに決まっている。
「持ち帰りますので、ここでの決定は先延ばしで構いませんか?」
「もちろん、いいですよ。ただ、この世の中テレビの評価一つで世論は大きく変わると思ったほうがいいでしょうね」
ここに来て脅迫めいた言葉と来たか。南は苦味を噛み締めつつ、資料を手にしていた。
「あのさー、エルニィ。あんた、絵描ける?」
持ち帰った陰鬱な事情を少しでも紛らわせたくって齧ったせんべいに、軒先で寝転ぶエルニィが文句を垂れていた。
「図面なら、どれだけでも書いてきたけれど……何? 絵心とか、そういう話?」
「まぁ、そうねー。デザインをうまくできる子を探しているのよ。……あんたならいいかしら。これ、見て」
テレビ局より寄越された資料を見てエルニィがどっと笑った。
「何これ。どれも間抜けなキャラばっかり」
「日本の文化なんですって。そういう、……何て言えばいいのかしら。ゆるいキャラクターを出したがるのは」
「へぇ、間抜けっ面のキャラクターをテレビに出したいって? 何だかにわかには信じ難いなぁ」
エルニィの生まれと育ちはほとんど南米だ。価値観が違うのも頷ける。
「教育番組だって言うんだから、怖いキャラは駄目よね?」
「……ボクに聞かれても。この国で教育を受けた人間に聞けば? さつきとか」
確かにさつきはこの国での平均的な教育を受けた人間だろう。最初に思い浮かべるべきだった、と南は立ち上がっていた。
「そうね。まずは手当たり次第、とりあえずやってみないと」
「でもさー、南。こんなことやって意味あるの? イメージ戦略ってやつ?」
エルニィの質問に、まぁねと応じる。
「私の記者会見が気に入らないってさ。あれを失敗だって」
やけっぱちな言い方にエルニィは笑い転げた。
「そりゃ、そうだ! あれが成功してたら今頃アンヘルの戦力は五倍くらいになってるよ!」
「笑いごとじゃないってば! ……とにかく、教育番組ってのが分からないのよねー。どういうのが求められているのか……」
「この資料に描かれているキャラみたいなのを出せってことでしょ?」
「あんた、できる?」
「無理だね! ボクには絵心はないし、それにこういうのって狙って当たり出すの難しいんじゃないの? そんなことができていれば、世の中にデザイナーって職業はないんだし」
エルニィの言う通り。狙って人気が出るキャラクターを描くなど無理に等しい。
「さつきちゃんに聞いてみて、思ったより手ごたえがあれば、頼んでみる、か……」
「アンヘルに絵心のある人間なんていた? そりゃ、ボクだって正確な図面と、設計図を書けって言われれば難しくないけれど、多分、そういうことじゃないでしょ?」
悩みの種が一つ増えた形だ。
南は資料を手にしたまま柊神社をうろつく。視界に入ったのは赤緒であった。
「あっ、赤緒さん。ちょっと聞きたいんだけれど、赤緒さんってこの国の教育番組って観たことある?」
アルファーの修行中であった赤緒はどこかきょとんとする。
「教育番組……ですか。あれですよね、マスコットキャラクターが出てくる、人形劇みたいなの」
意外と分かっている。これは幸先がいいか、と思われた南は提示していた。
「教育番組のキャラクターを、何でもいいからこの紙の裏に書いてみて」
ペンと資料を渡すと、赤緒はまごつく。
「えっ、でもこれ、重要って書いてありますけれど……」
「いーの、いーの。何でもない紙切れだから」
胡乱そうな目を向けつつ、赤緒は資料にキャラクターを描く。
「あっ、できればアンヘルのマスコットみたいなのがいいかなー、って」
「アンヘルのマスコット……。これですかね?」
差し出されたのは矢じり型の顔をしたマスコットキャラクターだ。南は首をひねる。
「……何これ」
「アルファー君です。ホラ、アンヘルのみんなが持っていますからっ」
方向性は間違っていないのだが、着眼点に微妙なものを感じる。南はやんわりと却下していた。
「こういうのじゃなくって……もっとかわいいのがいいって言うか……ゆるいのって言うか……」
「そう言われましても……。私、美術の成績3ですし……」
これがこの国に住む人間の平均値なのか。意外と厳しい戦いになりそうだ、と南は他の人員を当たることにした。
「絵が上手いのって誰かいないのかしら……。あっ、さつきちゃーん!」
買い出しに行こうとしていたさつきを呼び止める。歩み寄ってきた彼女に早速ペンを渡していた。
「なんか、かわいいキャラクターを描いてみて」
無理難題であったが、根が大人しいさつきは引き受ける。
「えーと、どういうものを?」
「アンヘル代表みたいなキャラ。何でもいいわ」
その言葉にさつきが愛想笑いする。
「何でも……ですか……」
「……あの、南さん? 日本人が一番言われて困るのがそれなんですよ」
「えっ、何で? 何でもいいって楽じゃないの? 何でもいいんだから」
赤緒は懇々と日本人の文化性を説明する。
「そういうのに限って、何でもよくないんです。学校の夏休みに出る自由研究とかがそうで、あれって何でもいいって言っておきながら何でもよくないじゃないですか」
案の定と言うべきか、さつきはペンを握ったまま固まっている。どうやら何でもいいは日本人には禁句らしい。
「あー、じゃあさつきちゃん。アンヘルでかわいいものを描いてみて」
「かわいいもの……。あっ、この間ルイさんに見せてもらった南米での写真に、かわいいのが写っていました。こういうの」
差し出されたのは南米でルイが可愛がっていたアルマジロである。こちらを振り返って小首を傾げている様は確かに可愛らしいのだが……。
「うーん、次郎さんか……。確かにかわいいっちゃかわいいんだけれど……日本人ってアルマジロに面識ないでしょ。それに、求められているのはアンヘルのイメージ広告なのよね。次郎さんもかわいいんだけれど……」
これもまたしても却下するしかない。さつきは肩を落としていた。
「すいません……ご期待にそえなくて……」
「いいのよ! さつきちゃんは悪くないし。でも……どうしよっかなぁ。絵心のある人間を片っ端から、当たっていくしかないわね」
それもアンヘルのことを心底理解し、興味のある人間だ。
南は赤緒とさつきを伴って射撃訓練に明け暮れているメルJを見つけていた。相手は厄介なのに見つかった、という顔をしている。
「……来るな。来る前から厄介ごとのにおいがする」
「そう言わずに! メルJ、あんた器用でしょ? 絵の一つや二つ、ぱぱっと描いてよ!」
「絵だと……? 何を描けばいい?」
「アンヘルの象徴みたいなの!」
南の提示したハードルに赤緒たちが苦笑する。
「それって結局、何なのか分からないんですけれどね……」
「アンヘルの象徴? そんなもの、これに決まっているだろう」
提示されたのは精緻なスケッチであった。その描写の巧みさ、そして正確さは紛れもないのだが……。
「……シュナイガーじゃない」
《シュナイガートウジャ》の正確なスケッチにメルJが腕を組んで鼻を鳴らす。
「これ以上とない、アンヘルの象徴ではないか」
「あんたの好きなものを描けって言ってるんじゃないっての。アンヘルの象徴を描いてって言ってるの!」
「そんな曖昧なオーダーで描ける奴がいるものか。いたのなら是非とも見てみたいくらいだ」
言い争いを始めた自分とメルJにさつきがあわあわと仲裁する。
「け、喧嘩はやめましょうよ! ほら、もうすぐ夕飯にしますから」
「両じゃないのよ! ご飯の一つで納得できるもんですか!」
「そうだ。小河原と一緒にするな。これは私とこいつの美意識の格差問題だ」
「何ですって? あんたのシュナイガー一機を直すのに根回しするのにどんだけかかっていると……!」
「さっさと直せ。どれだけ私がやきもきしていると思っている」
これ以上の舌戦に発展する前に、あっ! と赤緒が手を叩いていた。
「いますよ、私のよく知っている人に。デザインが得意な子が」
その言葉に南が赤緒の手を握り締める。
「やっぱり! 助けになるのは赤緒さんね!」
赤緒は苦笑いを浮かべながらいやぁ、と曖昧に頷く。
「でもその……意図したものになるかどうかまでは……」
「いいわ! 赤緒さんに任せる! アンヘルのイメージキャラクターを、ばしっと描いてもらってちょうだい!」
「いいんですかね……。じゃあ、えっと、明日学校に行きますので、マキちゃんに頼んでみますね」
南はそこで疑問符を挟む。
「うん? ……マキちゃんって、もしかしてこの間柊神社に来ていた……」
「はい。親友の……」
あのミーハーな少女か、と南はげんなりしていた。
「……不安になってきた」
「だ、大丈夫ですからっ! 私がきっちり頼みますので、どしーんと構えていてくださいっ!」
胸元を叩く赤緒の虚勢に、南は熟考の末、仕方ない、と答えを出していた。
「……くれぐれも、アンヘルの情報は話し過ぎないようにね。あの子、何でも根掘り葉掘り聞いちゃうタイプでしょ? 見れば分かるわ」
図星を突かれた赤緒がうろたえ気味に応じる。
「し、心配しないでくださいよぉ……。私だって、言っていいことと悪いことの区別くらい……」
一気にさつきとメルJからの視線も疑念に変わる。赤緒は三人分の疑心を受けて資料を引っ手繰っていた。
「や、やってみせますからっ! 心配しないでくださいっ!」
南はその背中を見送りながらふとこぼす。
「不安だわ……」
「国際電話なんて、馬鹿にならない請求額なのよ。さっさとこっちの要求を呑む! 以上!」
南米からの矢のような要求を跳ねのけ、こちらの要望を相手へと承諾させる。電話を叩きつける勢いで切った南は居間へと向かっていた。
寝転がったエルニィがテレビを指差している。
「今週のジンキさん、始まったよ」
テレビに映し出されているのは人機のシルエットを限りなくデフォルメした、銀色のキャラクターであった。
あの後、赤緒はマキという少女からデザインを得て、それをダメ元でテレビ局に通したところ、何と一発OKをもらい、そして毎週のアニメ放送に漕ぎ着けたのだ。
「漫画家のタマゴって言っていたけれど、馬鹿にできないわねー。でもちょっと間抜けじゃない? 先週はジンキさんが河原で遊んで、で宇宙人に連れ去られる回じゃなかったっけ?」
「なんか、日常的なことを描いているよね。続くのかな、これ」
エルニィの疑問もさることながら、南にはどうしてこれが通ったのかまるで分からなかった。
「……まぁ、いいのか。教育番組だし」
今日もジンキさんがゆるーい日常を繰り返す。
ナレーターの眠たくなるほどの穏やかな声が柊神社に響き渡っていた。
『ジンキさんの気性はとても穏やかですが、中には乱暴者もいます。はてさて、彼らはどうやって生き残るのでしょうか』
――後にこれが長寿番組に発展するとは、この時誰も思わなかったのだ。