「馬鹿にしたもんでもなかったってわけだ。……柊、ちぃと無茶するぞ。ここで切り抜けられなきゃ、どっちにせよ、キョムとの全面対決なんてどだい無理なんだからな」
言われなくとも分かっているつもりであったが、ここまでの戦力差を突きつけられると、赤緒はろくな威勢も出ない。
そして思い知る。
自分は所詮、まだ彼らとの戦いの序章にしか立っていないのだと言うことを。
キョムと戦うと言う本当の意味を。
「……気ぃ、張れよ、柊。《モリビト2号》、出るぞ!」
「はい……っ、小河原さん……!」
その言葉と共に、乗機である《モリビト2号》が眼窩を煌めかせて黒々した暗黒の軍勢へとブレードを手に斬り込んでいた。
ブレードの斬りつける装甲の感触をトレースシステム越しに関知しながら、赤緒は、どうしてこんなことに、と目じりに涙を僅かに浮かべていた。
ここにあるのは、お互いを人とも思わぬ喰らい合い。
こんな戦いを、望んでいたのか、という悔恨が滲む。
――そもそもの話は、南のもたらした作戦である。
アンヘルメンバー全員が居間に集合し、南の重々しい声を聞いていた。
「……キョムのスポンサーと思しき拠点の一つが見つかったわ」
机の上に敷かれた地図には山岳地帯の中腹部に位置する巨大な銀盤の工場地帯がある。そこを赤い丸で示されていた。
「……キョムの、スポンサー? そんなのが居るんですか?」
赤緒にとってしてみればどうして世界の敵の資金源なんて、と言った心地の意見にエルニィが目聡く返す。
「……あのね、赤緒。この平和な日本じゃ、想像もつかないかもしれないけれど、人機ってさ。すごい力の象徴なんだ。それを意のままにできる技術を持つキョムに、尻尾を振らない人間のほうが、実のところこの地球上じゃ異端なほど。この山岳地の工場地帯なんて氷山の一角だよ。こんなの、可視化されていないほうがどうかしているんだ」
地図をどこか苛立たしげに睨んだエルニィに赤緒がまごついていると、メルJが進言する。
「襲撃するべきだな。下手な戦力を整えられる前に」
思いも寄らぬ冷たい声音に赤緒は当惑を口にする。
「そんな……っ! だってそんなの……やっていることはキョムと……」
「キョムと同じ? でもそうでもしないと、この戦力差は永遠に埋まらないわ」
言わんとしたことを先んじて言ってのけたルイは既に臨戦態勢に入っているようであった。そのエメラルドの瞳に浮かんだ決意に赤緒は言葉をしぼませる。
「で、でも……っ、この地区に住んでいるのは、何もキョムに関係のある人ばっかりじゃ……ないんですよね?」
「そうね。何も知らされずプラントの維持を任されている一般人も居ると、思ってしかるべきだと言っておくわ」
南の返答は常とは思えないほどに切り詰められている。
やはり冗談でも、ましてや嘘でもなく、この作戦は本気なのだ。
本気で、キョムの一拠点を潰そうとしている。
その事実がどこか遊離して思えるのは気のせいだろうか。
赤緒は戸惑いの眼差しをじっと話を聞いている両兵へと向けていた。
「あの……小河原さん。戦うってことなんですか? この人たちに……今まで私たちがやられてきたように……襲撃しろって?」
「そうだ」
両兵の返答は短いがそれだけに即断であったのが窺える。
赤緒はどこか信じられない心地で声にしていた。
「何で……。無関係かもしれない人たちに……」
「確かにこの拠点に居る人間の過半数は無関係かもしれねぇ。だが、一部でも関係があるんなら、これから先に戦力を揃えられる危険性がある。それくらいは分かンだろ」
「それは……」
分かっている。キョムに与する人間が出て来ても何ら不自然ではないことは。今さらエルニィたちに問うまでもない。
だがだからと言って、そう容易く呑み込めるものか。
「……あの、参加は強制ですか」
「……いいえ、そういう迷いも含めて、明日の朝までの時間の猶予を与えます。明朝、決意のある人間は格納庫に来て。そうじゃない人は参加しなくってもいい」
しかしそれは、無関係を気取れるわけでは決してない。
知ってしまった。そして一部でも頷いてしまった以上、この作戦に関しては泥を被らない選択肢はない。
知っていて、臆するか。知っているからこそ、前に進むかのどちらか。
「……時間を、ください……」
力なく口にした赤緒にさつきも挙手して同調する。
「あの……私も、いいですか? その、お時間をいただいても……」
「ええ、構わないわ。今回の作戦は少しの気の緩みも許されないの。変に仲間意識を持つこともないし、できる人だけで編成します」
できる人。それは暗に、「人殺しが」とでも言っているかのように。
夕食の席も言葉少なのまま、赤緒は夜を迎えていた。
静寂の降り立った洗面台で赤緒は鏡に映った自分に自問自答する。
「……やれるのか、か。でもそんなの……私はだって……」
先延ばしにするしかないのだろうか。そう考えていた矢先、暗がりに感じ取った気配に目を向ける。
「……さつきちゃん?」
「あ、赤緒さん? その、寝つけないからちょっとお水をいただきに……」
それもどこか言い訳なのはハッキリしていた。自分と同じく、やれるのかどうかを己に問い質したいのだろう。
水をちびちびと飲みつつ、降り立った重々しい沈黙を、破ったのはさつきのほうであった。
「……操主になるってそういうことのはずなんですよね」
「……さつきちゃん……」
「キョムと戦う、世界を……守りたい人を守るって。綺麗ごとじゃないはずなのは分かっていたんです。……いえ、そうだと思い込んでいただけかも、しれません。自分に振りかかる火の粉だけを払っていれば、きっと戦いは終わってくれるって。……でもそんな甘い見通しのはずがないんですよね。時には敵に仕掛けなくっちゃいけないこともある……それくらい、分かっていたつもりなのに……」
肩を震わすさつきに赤緒は何か気の利いた言葉でもかけようとして、何も自分の中にはないことに気づいていた。
さつきと同じだ。
襲われれば応戦すればいい。
そんな都合のいい話でもないはずなのに、どうしてなのだかそうなのだと規定していた。人機と言う鋼鉄の塊に搭乗している以上は、戦闘経験を積まなくってはいけない。こういうことも、もちろん、あって当たり前なのだ。
――だが。
手が震えるのはどうしたことか。言葉も出ないのは、どうしてなのか。
「……私、怖い。もし……その拠点に私みたいな……平和に暮らしている誰かが居たとして、その日常を、壊してしまうかもしれないのが……」
あの日、日本に現れたキョムの尖兵と同じく、ある日突然に壊される日常。
そんなものの加害者になってしまうかもしれないのが。
だがさつきは気丈に言葉を搾り出す。
「……それでも、戦わなくっちゃ私みたいな人はきっと出てくる。人機やキョムに、怖い思いをする人が……。だったら私、応えたいんです。これまでの私たちの戦いに。……何よりもお兄ちゃんに、失望されたくない」
「小河原さんに、か……」
両兵なら何と言うだろう。会った当初ならそうやって縮こまって勝手にしておけとでも突き放していたかもしれない。
だが今ならば、別の返事を聞けそうな気がしていたが、それは甘え過ぎなのだろう。
自分一人の足で立たなくってはいけない。
――私は操主なのだから。
震え出す手を拳に変え、赤緒はさつきへと言葉を振っていた。
「……さつきちゃん。私は、行くよ。だってそうじゃないと、綺麗な面だけを見て戦うなんてこと、きっとあっちゃいけない。私はトーキョーアンヘルの、《モリビト2号》の操主だから……っ!」
引き継いだ想いもある。受け継いだ意志もある。
だからこそ、単純にここでは折れられない。折れてはいけないのだ。
「……赤緒さん。その、私……」
「さつきちゃんは優しいから。大丈夫、どんな決断でもきっと、小河原さんは分かってくれると思う」
その一言で互いに了承が取れたのだろう。
さつきは少しだけ涙ぐんで意思を口にしていた。
「……私はもう、弱虫じゃない。そう言わなくっちゃいけないから」
赤緒はその双眸に頷く。決意は固まっていた。
『――現地までの水先案内人は全翼機に任せます。まぁ、これも向こうさんの都合って奴なのよ。片道くらいの案内はしなくっちゃ都合の悪い誰かさんのね』
南の通信に赤緒は生返事を返していた。
「は、はぁ……」
「おい、柊。覚悟決めて来たにしちゃ、随分と声に張りがねぇな」
下操主席に収まる両兵に赤緒は肩を落とす。
「……だって、私もその……」
「迷いがあるンなら今からでも取って返したっていい」
両兵の優しさに赤緒は、いいえと拳を握り締める。
「……これも、アンヘルの……役目なら私は……」
「あんまし雁字搦めになんなよ、らしくねぇ。……昨日のうちに一応は立花と黄坂に聞いておいた。全く無関係の民間人の居る確率は三割程度らしい」
それは安心させる意味合いもあったのだろうが、逆に赤緒はその一言で確信してしまう。
――ゼロじゃない、自分たちは日常を蹂躙しに行くのかもしれない確率は。
「……辛気臭ぇ顔してんなよ。行って帰って来るだけだ。そうだろ?」
「で、でも……。強襲作戦ってことは、被害者が出るかもしれないってことで……」
両兵は苛立たしげに後頭部を掻き、シートベルトを外して振り向いてぐんと顔を近づけさせる。思わぬ挙動に赤緒は赤面してうろたえていた。
「お、小河原さん……?」
「柊、てめぇよぉ……。納得は、別に要らねぇぞ」
「ふえっ? で、でも……」
「承知はしておかなくっちゃいけねぇ。でも納得は別の話だ。いいか? 心ン中で、納得できるかどうかってのは、それこそ生き死にのかかった話だ。必要だがな、今回に関しちゃ納得よりも先に承知だ。こういうこともあるって言う、な。……前に出て撃墜しろだとか、敵を徹底的に潰せだとかは言わねぇさ。ただな、自分の命がかかっているって言う、その一つだけを持って行け。そしてどんなに納得できない戦地でも、生き延びなきゃいけねぇ。死ねばそこまでだ。だから明日の納得が欲しけりゃ、今日の承知を胸に抱いとけ。そして忘れンな。相手もきっと忘れねぇ。戦うって言う意味を。キョム相手に立ち回るって言う、本当のところをな」
それだけ言って両兵は下操主席に戻ってしまう。赤緒はその背中に何か言葉を返そうとして、何も返せないことに気づいていた。
そうだ、まだ承知したわけではない。ましてや納得なんて……。
だがここで生き延びなければ、明日も明後日もないのは事実。
『《モリビト2号》、降下予定地点に入った。これより作戦に入る』
機械的な音声が耳朶を打ち、もう迷いを浮かべている場合ではないのを嫌でも感じさせる。
両兵はその音声に、いつでも、と応じていた。
赤緒も一つ頷いて返答する。
「……了解。降下します」