JINKI 150 黒と黒 第一話 黒の娘たち

 シバはセシルの操るコンソールの中に映し出された、一人の人物を睨み据えていた。

 そこに居たのは――漆黒の髪をなびかせて東京に到来した、自分自身の幻像……。

「――あっ、小河原さん。今日は晩御飯食べていくんですか?」

 学校へと向かおうとして、柊神社の縁側で座り込む両兵を認める。彼は刀を取り出し、その刀身を眺めていた。

「おう、今日はこっちでもらうことにするわ。夕飯までには戻るからよ」

「……もうっ。野良猫みたいな……」

「赤緒さん? 学校へ……あ、お兄ちゃん……。今日の晩御飯は腕によりをかけますね」

 さつきの笑顔に両兵は手を振る。

「頼むぜ。……最近、空きっ腹に酒ばっかり入れてるからな。たまにゃ、それなりにマトモなもんも食わねぇと」

 両兵にも呆れたものである。自分たちが放っておくときっと、駄目な方向に向いてしまうだろう。

 だからこそ、放っておけないのであるが。

「……さつきちゃん。あんまり小河原さんを甘やかすと……」

「いえっ、私がお兄ちゃんにいいものを食べて欲しいだけですし。それに、アンヘルの皆さんの好みも把握しておかないと、マンネリ化しちゃう」

 さつきは自分よりもよっぽどアンヘルの面々の献立を考えるのに向いていそうだ。赤緒は少しだけお株を取られた気分であったが、それでも彼女らしさに微笑む。

「……そっか。でも、思ったよりも深刻なことが起きないから、最近は出撃も減ったよね」

「いいことじゃないですか。私……あんまり戦いは好きじゃないから」

 確かに出撃回数自体は減っている。ここ数日間ではあったが、僅かな安息を享受できている感覚はあった。

「……でも、長くは続かないって立花さんは言っているよね……。私は、こう言うとアンヘルの存在意義が、って言われちゃいそうだけれど……今のままでいいかな……」

「赤緒さん……。私も、そう思っちゃうんです。いけない子ですかね……、やっぱり……」

「そんなことないよ。……きっと平和が一番っ!」

 そう結んだものの、どこかで消化不良は否めない。

 トーキョーアンヘルの出撃が減っても、南の心労が減るわけでもないし、エルニィの苦労が軽減されるわけでもない。

 ましてや、下手な平穏は逆に刃を鈍らせると、両兵は刀を研ぐ日々だ。

「……やっぱり、キョムとの戦いに決着がつかないと、平和なんて訪れないのかな……」

 だがそのような時が訪れるイメージもない。そもそも、あの時――《モリビト2号》と出会った日から、自分の日常は変わったのだ。

 ロストライフ化を阻止するために奮闘する日々。だが、キョムとの決着さえつけば。相手が諦めるとも思えないが、どこかに平和的解決方法はないものか、と赤緒は思っていた。

 ――戦わないでいい選択肢があれば……。

 そう思ってしまうのはどこか、アンヘルの存在否定のようで及び腰になってしまう。

 ため息をついたその時、さつきが、あっ、と声を発する。

「……あの人……」

 足を止めたのはその存在感の異様さであろう。

 立ち塞がるかのように眼前に屹立した相手にさつきは射竦められたようであった。

 だがそれ以上に……。

 赤緒は絶句する。

「……シバさん……」

「シバ、って……八将陣の……?」

 自ずと自分の陰に隠れたさつきを庇いつつ、赤緒は声を張っていた。

「……何なんですか。まさか、ゲームの……」

 キョムとの一方的な「ゲーム」。八将陣を見つけ出せればその時点で戦闘が発生するという状況を意図的に作り出されればまずい。赤緒は鞄の中に入れておいたアルファーを握りかけて、歩み寄ってくるシバに警戒の眼を注ぐ。

「……シバさんっ! それ以上近づくのなら――!」

 そう口にしかけた赤緒へと、シバは――これまでにない大輪の笑みを咲かせる。

 その笑顔に拍子抜けした自分たちへと、彼女は浮ついたような声を発していた。

「赤緒! あんたが柊赤緒ね? あたしはシバ! よろしくっ!」

「えっ? えーっ……」

 手を握られぶんぶんと振るわれる。赤緒はシバの振る舞いに翻弄されていたが、さつきがアルファーを携えてこちらを見据えていた。

「赤緒さん! その人、八将陣なら!」

「さつきちゃん……」

 アルファーが淡い光を湛えて輝く。直後に発生した物理エネルギーの風圧に対して、シバは吹き飛ばされていた。

 常時ならば、シバは何てことはないように受け身でも取るのだろうが、この時、シバはそのまま河川敷へと転がっていく。

 年頃の少女としか思えない弱々しさで地面に突っ伏したシバに、赤緒は不安に駆られて声をかける。

「シバさん? ……いつもの余裕は……」

 思わず走り寄るとシバはどこか不承気にむくれていた。

 その視線がさつきへと向けられ、彼女は自然と強張るが、何てことはないようにシバは土を払う。

「……ひっどい! 不意打ちじゃない!」

「えっ……不意打ち……」

 今度は虚を突かれたのはさつきのほうであろう。当然だ。汚い手を平然と使う八将陣の口から不意打ちなんて言葉が出るなんて思うわけがない。

 赤緒はシバと向かい合い、問いかけていた。

「……シバさん……ですよね……?」

「それ以外に誰に見える? ……でもまぁ、今のあたしとはあんたは初対面のはずよね? だったらはじめまして!」

 にこやかに応じるシバは平時の超然とした佇まいではない。年相応の少女の明るさを伴わせたその姿に赤緒は呆然とする。

「……えっ、シバ、さん……?」

「何で疑問形? でも、柊赤緒。あんたとは早く会いたかったの。だって……もう一人のあたしだもん!」

 唐突に抱き着いてきたシバに赤緒は硬直する。

「えっ、ちょっ……何するんですかっ! ……何だか今日のシバさん、変ですよ……」

「変じゃないって! ずっと会いたかったんだから!」

 シバがこちらを紫色の瞳で見据え、フッと微笑んだかと思うと、その顔が大写しになっていた。

 唇が重ねられ、柔らかな感触に赤緒はハッとする。

「な、何をするんですか!」

 すぐに突き飛ばすが、シバはふふっ、と明朗に笑う。

「なに? 赤緒ってばはじめてだった?」

「そりゃそう……じゃなくって! ……シバさん、ですよね?」

 怪訝そうに見据えているとシバはくるくると回ってコートを風になびかせる。

「そうだけれど? ……疑っているの? 赤緒」

 不満げにむくれたシバは明らかにいつものシバではない。赤緒はさつきへと探る視線を返したが、彼女も困惑して頭を振るばかりだ。

「……その、何でこんなところに?」

「赤緒に会いたかったから! それじゃ……ダメ?」

「いえ、その……駄目じゃないんですけれど……それっぽくないって言うか……」

「赤緒! 学校へ行くの? あたしも連れて行ってくれる?」

「えー……それはまずいんじゃ……」

「お願い! 八将陣だってことは言わないから!」

「そりゃ、そうですけれど……。いいのかなぁ……」

 さつきを目で窺うと、彼女は首肯していた。

「……一度柊神社に戻ってみます。何か……分からないことが起こっているって」

「……うん。頼める? さつきちゃん。……学校には……」

「行っている場合じゃないですよ……。赤緒さんが心配です」

 赤緒はさつきを帰してから、シバと肩を並べていた。

「ねぇねぇ! 赤緒ってどれくらい強いの? やっぱり、八将陣を何人も倒してきたんだもの。相当よね!」

「いや、そうでも……ないとは思いますけれど……」

 ここまでシバは人懐っこい性格であっただろうか。そう疑いつつ、赤緒はシバの質問を受け流していく。

「ねぇ! 赤緒ってあたしとの相性いいのかな? それとも、やっぱり特別だって思ってくれている?」

「いえ、その……。そりゃシバさんと出会ったのは思ったよりも特別な出会いだとは感じていますけれど……」

「そーれっ、答えになってない!」

 つんと澄ましたシバはまるで百面相だ。あたふたする自分を彼女は楽しんでいるようでさえもある。

「ねぇ、赤緒! 学校ってどんなところ? 楽しいの?」

「……学生なら、普通ですよ。あ、でもシバさんは、八将陣だから……」

「うん! 分かんないんだよね。でも、赤緒の行っているところなら大丈夫だよね?」

 有無を言わせぬ論調に赤緒はまごついていると、不意に空を裂く光を感じていた。

 風圧に煽られ、赤緒は留まる。

「何が……シャンデリアの……光?」

「――来た」

 シバの確信的な声音に赤緒は佇んだ漆黒の人機を視認する。

「……《ブラックロンド》……? でもちょっと形が違う……?」

「あーあ! もう来ちゃったか。ハロー? もう一人のあたし」

 手を振ったシバに漆黒の痩身より声が反響する。

『……やはり、赤緒に接触していたか。お前は、やること成すこと何もかも……気に食わんな』

 人機のコックピットが開き、そこから現れたRスーツを纏った影に息を呑む。

「……シバさん? えっ……シバさんが、二人……?」

 傍らのシバに眼を向けると彼女はむっとする。

「……二人、か。そう見えちゃうんだよね」

「赤緒。そいつは紛い物だ。接してみれば分かっただろう? ……偏屈な人形師が居てな。そいつの道楽だ。ただの戯れの命……ここで摘む」

 人機のコックピットに戻った相手は両刃の刀を突き出す。

 それに対して隣に居るシバは問いかけていた。

「……ねぇ、どう思う? あっちのシバが言うことがホント? それともこっちのあたしがホンモノだと思う? 赤緒が選んだほうでいいよ?」

 どう見てもシバにしか見えない相手に赤緒は困惑してしまう。

『……世迷言を。創造主に似て傲慢にできているようだな。悲鳴すらもお前には生易しい』

「どうかなぁ。前任者のあたし。それを決めるのは、じゃあ人機で戦ってからにしようよ! 来て!」

 シバがアルファーを天高く掲げる。

 その瞬間、空気が逆巻き舞い降りてきた機影に赤緒は息を呑んでいた。

「まさか……そんなはず……。黒い、モリビト……」

 赤い眼窩を輝かせ、漆黒の《モリビト2号》の似姿がシバへとそっと傅き、その手を差し出す。

 シバは茶目っ気たっぷりにウインクしていた。

「すぐ済むから。大丈夫、優れているほうがあんたを導く」

『黙っていろ。《ブラックロンドR》……一気に決めるぞ』

『えー、よく言うなぁ、前任者のあたしー。生き残れるかどうかを決めるのは勝つか負けるかでしょ? 行くよ、《モリビト1号》!』

「これが……何度か話に聞いた一号機……?」

 だが聞いていた外観とかなり違う。どちらかと言えば《モリビト2号》をそのまま黒に転写したようなシルエットだ。それに武装も、細やかな装飾も何もかもが《モリビト2号》の生き写しである。

『弱者が吼える……。《ブラックロンドR》!』

 姿勢を沈めた《ブラックロンドR》が一気に掻き消える。瞬時の速度が発生し、赤緒の栗色の長髪が風圧に煽られる。

 悲鳴を上げた赤緒を、黒い《モリビト1号》が庇っていた。

『危ない! 赤緒!』

 その背に剣筋を受け止める。否、抜刀した《モリビト1号》は背中越しに刃で返答している。

『……小賢しいッ!』

『どっちが。ファントム!』

 二機が空間に消失し、何度も火花を咲かせながら河川でぶつかり合う。地形を切り崩す刃の応酬を互いに相手へと浴びせ、その一撃ごとに研ぎ澄まされるものを赤緒は感じていた。

「……互角……?」

 シバの操縦技術は巨大人機である《キリビトコア》を操るだけあって折り紙つきなのは知っている。だが、それと比肩するだけの人機の操縦技術を編み出せるもう一人のシバは、では何者だと言うのか。

《モリビト1号》がブレードを振るい上げ、ブーストで土くれを巻き上げながら肉薄する。それを《ブラックロンドR》は両刃の刃で打ち下ろし、直後の薙ぎ払いにも応じてみせる。

『やるじゃない! 前任者のあたし!』

『……口が過ぎると、舌を噛む!』

 応戦の刃に《モリビト1号》が僅かにたたらを踏む。その隙に乗じ、《ブラックロンドR》は踏み込んでいた。

 大上段より打ち振るわれた一閃が叩き込まれ、《モリビト1号》を打ち崩したかに思われたが、その巨躯が不意に浮かび上がる。

《モリビト1号》が装備した盾よりリバウンドの斥力磁場を発生させ、《ブラックロンドR》の必殺の太刀を弾き返す。

『……貴様……』

『ざーんねん! あたしのほうが上手だったわけね』

 一瞬にして攻守は逆転していた。《モリビト1号》が《ブラックロンドR》へとブレードの切っ先を突きつける。

『……まだ、負けていない……』

『負け惜しみは、らしくないんじゃない? 勝てない勝負を申し込むほどじゃないでしょ?』

《モリビト1号》がブレードを振るい上げる。その一撃に、赤緒は叫んでいた。

「駄目……っ。シバさん、やめて……!」

 こちらの声を受け取ったのか、《モリビト1号》が刃を止める。

『……赤緒?』

 硬直した《モリビト1号》の隙を見過ごすほどの愚かではない。《ブラックロンドR》は躍り上がり、軽業師さながらの挙動で脚部によって《モリビト1号》の首筋を抑え込む。

 そのまま自重に任せてモリビトを仰向けに追い込んだ漆黒の痩躯が両刃の刃を解き、二刀流へと変位させて切っ先をコックピットへと向けていた。

『……終わりだ』

「待って……待ってください、シバさん! あなたたちは……一体……?」

『問う必要はない。こちらの落ち度だ。赤緒、こいつのことは忘れろ』

 その刃が振るわれようとした刹那、空間を奔った弾丸が《ブラックロンドR》の刃を取り落とさせていた。

『やらせないよ! ……赤緒、何があったって言うのさ。さつきが青くなって帰ってきたと思ったら、出撃させてくれって……! これってどういうこと? 仲間割れ……?』

 エルニィの《ブロッケントウジャ》が対人機ライフルの照準を《ブラックロンドR》へと向け矢継ぎ早に撃ち込む。《ブラックロンドR》は踊るようにステップを踏んで刃で銃撃をいなす。

『……ここまでか。シャンデリア!』

 その呼び声に空の彼方から光の柱が放射され、全員の眼を眩惑させる。

 直後には《ブラックロンドR》の姿は影も形もなかった。エルニィの操る《ブロッケントウジャ》がこちらへと顎をしゃくる。

『……色々と聞くことはありそうだなぁ。特に、黒いモリビト……何なのさ』

 警戒を注ぐエルニィに《モリビト1号》が機体を起き上がらせ、こちらと対峙する。

 まさか、戦闘になるか、と身構えた赤緒に対して、能天気な声が返って来ていた。

『びっくりしたぁ……。まさかあそこまでやるとはねー。さすがは前任者』

『……前任者……。こいつ、キョムの手先なんじゃ……』

『半分は正解。エルニィ立花、ね? ある意味じゃ、あたしの基になったんだから、ママって呼んでもいいかな?』

 思わぬ提言に赤緒もエルニィも絶句する。

『……赤緒。こいつの声……どう聞いても』

「はい……。シバさんのはずなんですが……」

 何かがおかしい。だがその違和感を解消する前に、《モリビト1号》が傅き、コックピットから這い出て来たのは黒コートをはためかせるシバであった。

 明朗快活に、彼女はこちらを認めて微笑む。

「赤緒! アンヘルの人たちはあたしのこと、知っているよね? 説明、要る?」

『……一応は。だって八将陣のリーダーなんでしょ……。そんな奴が、急に現れたって言うんなら……』

 エルニィの言いたいことも分かる。「ゲーム」が次の段階に進んだとでも言うのか。

 しかし、当の本人はどこかのほほんとしている。

「なになにー? そんなに気になっちゃう? でも、あたしだってよく分かんないんだから。生み出されて……まだせいぜい、三日目くらい? だからね」

「生み出されて、三日……?」

 要領を得ない言葉繰りの数々に赤緒は《ブロッケントウジャ》を仰いでいた。

「……立花さん。これ、簡単に行く問題じゃないと、思うんです」

『……ボクも同感。何よりも、キョムのリーダーに母親呼ばわりされるの、気味が悪いったら。話を聞かせてよね。それとも、抵抗する?』

 対人機ライフルの照準がコックピットへと向けられて、シバは呆気なく投降する。

「ま、当然よね。警戒は怠らないのは。いいわ、話してあげる。でも……いちいち驚かないでよね、あたしもそういうものとして受け取っているんだから」

 両手を上げて軽い動作で舞い降りたシバに、赤緒は困惑を隠せなかったが、それよりも、と空の彼方へと視線は吸い寄せられていた。

「……シバさん。あなたは……」

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