JINKI 170 親と子と

「私のせいだって言うの? 赤緒さん、違うからね? これはエルニィがやらかしたんだから」

「……やらかしたって言ってるじゃん。じゃあやっぱ南だって変だって思ったってことでしょ? 何でボクを止めなかったのさ」

「それはあんた……せっかく請け負ったんだもの。止めるのは野暮ってもんでしょ」

 その一方で、メルJはルイへと目配せする。

「私はこうしろと言ったんだ。だって言うのに、黄坂ルイがやらかした。私は悪くないはずだな? 赤緒」

「……よく言うわよ。メルJ、あんたが嬉々として買い物しているのを、私は後ろから見ていただけなんだから。赤緒、怒るんならこいつだけにしなさい。私は無関係よ」

「な――っ! それは裏切りではないか! 黄坂ルイ!」

「うるさいわね……。私は本当にやめろって言ったんだから」

 堂々巡りにお互いに責任をなすりつけ合うアンヘルメンバーに赤緒は眩暈じみたものを覚えていた。

「……どうして……こうなったんだっけ……?」

 ――事の始まりは、あっ、と帰り道に思い出したことに始まる。

「マキちゃん、泉ちゃん。そう言えば今日私、買い物係だったんだった。先に帰るね」

 思い返した赤緒にマキは怪訝そうにする。

「えっ? アンヘルって買い物係とか決めてるの? ……なぁーんか、庶民的って言うか」

「仕方ないよ。だってみんな、まだ東京に慣れたわけじゃないんだから」

 そう、誰に頼んでもまともに遂行されそうにないから、自分かさつきがメインで担当しているのだが、泉はでしたら、と提案する。

「たまには赤緒さんも誰かに頼って見ては? 私、お電話お貸ししますので」

「えーっ……でも悪いし……」

「いや、たまには赤緒も私たちとの約束を優先しようよ。そうじゃないと、赤緒、何だかアンヘルのほうばっかりになっちゃいそうだし」

 その言葉にはさすがに自分の普段の行いを顧みる。

 確かに学校の友人であるところのマキと泉との下校の約束を差し置いて、自分はアンヘルにばかり気を割いている。

 このままでは学業も心許ないと言うのに、いつの間にか時間だけが過ぎ去っていくことだろう。

「……えーっと、じゃあ今回だけ……。柊神社に電話していい?」

「ええ、もちろん。赤緒さん、普段からロボットのパイロットも頑張っていらっしゃるのですから、皆さん、ご協力も惜しまないはずですわ」

「……うーん、そうだったらいいんだけれど……。あ、南さん?」

『あ、どうしたの、赤緒さん。出先から電話なんて、珍しい』

「いえ、今は泉ちゃんに携帯を借りていて……。その、今日の買い出し当番なんですけれど、私、マキちゃんと泉ちゃんとの約束がありまして……」

『ああ、こっちに頼みたいってこと? いいわよ、別に。私たちで助けられることがあれば助け合うってのが信条じゃない』

「えーっと、じゃあ今日の買い出しの一覧を頼みますね。さつきちゃんはまだ下校していないでしょうし、私だけなので」

『赤緒さん、さすがに私たちでも買い出しくらいはどんと来いって奴よ。いくらさつきちゃんと赤緒さんに普段は任せ切りって言ったって』

「では、それで買い出しを頼めますか? お金は台所の引き出しの三段目にありますので、それで」

『はいはーい。まぁ、買い出しの一つや二つ、請け負うってものよ。赤緒さんは友達との時間を大切にね』

 出たのが南でよかったかもしれない。

 もしルイたちであれば、その金額分のゲームでも買ってしまっていた可能性がある。

「じゃあ、お願いできますか? 今日の晩御飯はカレーですので、その材料を」

『了解。まぁ任せてちょうだいよ。私たちだって買い出しくらいならなんてことないんだから』

「よかった……じゃあお任せしますね」

 携帯の通話を切り、赤緒はマキと泉に向き直る。

「ほんじゃ、約束していた喫茶店にでも立ち寄ろうよ。今度のマンガのアイデアも込みで、ちょっと話し合いたいんだよねー」

「マキちゃんは相変わらずですわね。赤緒さん、大丈夫そうですか?」

「あ、うん。さすがに晩御飯のお金をどうこうしようとかは言い出さないと思うし、それに出たのは南さんだから、きっと大丈夫だと思う」

 マキと泉の後ろに同行する途中、一度だけ不安になって立ち止まってしまった。

「……大丈夫……だよね? さすがにアンヘルメンバーだし」

「――聞いたよぉー、南」

 うわっ、と背後に立っていたエルニィ相手に、南は仰天する。

「……何よ、エルニィ。言っておくけれど、これは面白味のある話じゃないわよ」

「何言ってんのさ。赤緒が買い出し頼んだんでしょ? だったら……普段買えないものを買うチャンスじゃん」

 囁きかけたエルニィに、南は額に手をやる。

「あんたねぇ……悪い顔してるわよ? さすがに買い出しのお金に手を出すわけにはいかないでしょうに。それはさすがに……ねぇ?」

「そんなこと言ってー。南もおつまみの一つくらいは報酬として買うつもりなんでしょ? 普段は財布を絶対に握らせないからねー、赤緒は」

「……いや、さすがに悪いってば。買い出しのお金を自由にできるとは言え――」

「とは言え、何なの? 騒がしいわね」

 今度は二人して仰天する番であった。

 今しがた帰って来たルイに、互いに声のボリュームを下げる。

「……どうするの? ルイが帰ってきちゃったじゃない」

「知んないよ。とにかく、ルイにお金の場所、バレてないよね?」

「……台所の引き出しの三段目……さすがにこればっかりはバレるわけには……」

 すると、台所のほうから歩いてきたメルJに南とエルニィは目が点になる。

「……むっ、何なんだ、お前たち。何やら怪しい雰囲気で」

「め、メルJ……今の聞いてた?」

「今の? 台所の引き出しがどうのこうのか? ……何の話だ?」

 エルニィは南の肩を引き寄せて声を潜ませていた。

「ヤバいって! メルJにバレたら、ルイが分かるのなんて時間の問題!」

「いや、さすがにこんな状況でルイに財布を渡すわけにはいかないわよ。今回ばっかしは、私が任せられてるんだから……!」

「メルJ、今の話を詳しく聞かせなさい」

 こちらの行動に先んじてルイがメルJから聞き出す。

「さぁ? 私には分からないのだが、引き出しの三段目と言われても……」

「なるほど。そこに財布があるのね。南の慌てようから考えて、お金でしょ」

「な――っ! 誰もそんなこと一言も……!」

 そこまで言ってから、しまったと、南が口を閉ざす。

 ルイはしたり顔になって台所へと駆け出していた。

 その後ろに追従した南は大慌てでルイの手にした財布を奪い取ろうとするが、ルイのほうが俊敏である。

 南の手を掻い潜り、エルニィの追撃をかわしていく。

「財布はいただいたわ、南。さて、これでゲームでも――」

「待ちなさい! ルイ! ……さすがに私の沽券に係わるわ。どう? ここは話し合いでも」

「話し合いって……ルイにいっぺんバレちゃったらどうしようも……」

「甘いわね、エルニィ。交渉事は私も得意だもの。ルイ、その財布に入っているお金の半分をあげる代わりに、協力しろと言ったら?」

「……どういう意味?」

 南はルイと渡り合うだけの算段は既に講じてある。

 何よりも、財布を手にしておいて自分たちの前から逃げ出さない時点で交渉の余地はあると考えるべきだ。

「まぁ、ちょっと考えてみなさい。買い出しのお金を全額、あんたが持って行ったとなれば、赤緒さんはどう言うと思う?」

「……面倒くさくなりそうね」

「でしょう? じゃあ、ここで交渉。今日の晩御飯はカレーみたいだし、ちょっと勝負してみない?」

「勝負? 何を賭けるって言うの?」

 来た。こう言った勝負ごとに引き込んでやればルイは乗せられやすい。

「まぁ、待ちなさい。ルイ、その中にいくら入ってる?」

「……三万円程度ね」

「じゃあ一万五千円ずつで勝負よ。今日の晩御飯は奇しくもカレー。なら、材料くらいは分かっているはずよね? そのお金の一時の誘惑に負けてカレーを逃すか、あるいはカレーを買い付けて、その上でどうお金を扱うか。あんたと私の、真剣勝負と行こうじゃない」

「み、南……さすがに分が悪いんじゃない? だって、一万五千円だよ? 一万五千円。正直、普段のお小遣いよりもよっぽどの額だし、赤緒がそんだけの額を自由に使わせてくれるとも限らないんじゃ?」

「だから、これは勝負になり得るのよ。ルイ、あんたが自分勝手に買えば、赤緒さんからの心象は悪いでしょうけれど、でも自分の好きなものを買える。でもきっちり買い物を完遂すれば? それだけ赤緒さんからの信頼も得られるでしょう」

「……要は私がこのお金の誘惑に負けるか、それとも打ち勝って次からの買い出しを頼まれるかどうか、分水嶺にしようって言うのね」

「そういうこと。私は大人だし? 買い出しのお金を不当に使うなんてことはしないわ。でも、あんたはどうかしらね、ルイ」

 南の挑戦的な声音にルイは勝気な瞳のままで応じる。

「……いいわ。受けましょう。その代わり、チーム戦よ。私はメルJと組む。南はその自称天才と組みなさい。フェアな勝負なら二対二がちょうどいいわ」

「うへぇー……ルイってばマジに言ってんの? って言うか、ボク買い出しとか全然……」「馬鹿、エルニィ! 相手にとって有益な情報を言ってどうするの?」

 エルニィの口元を塞いだ南は、いい? と囁きかける。

「勝負ごとに持ち込んでやれば、ルイは自滅するか、あるいは頭を働かせるわ。そうなったほうがマイナスは少ないでしょう?」

「……とは言っても、買い出しなんだよね? 普通にルイに頼めば……」

「そんなことをしたら十中八九、買って来るのは新しいゲームでしょう? それくらい、あんたでも分かることでしょうし」

「……だね。でも半額ずつの勝負なんて、あっちに分があるんじゃないの?」

「甘いわね、エルニィ。あの子は言ってしまっても地の利なんてないのよ? 私のほうが有利に決まっているわ」

「うーん……そうとも限らなさそうだけれど……」

「作戦はいいわね? 南と自称天才には、一万五千円を差し出す。それで五分五分、ということで」

「その前に。本当に三万円分入っているのかの確認よ」

 そうでなければ五分五分の定理でさえも崩れかねない。南はがま口財布を確認し、ちょうど一万五千円ずつ入っているのをしっかりと視認する。

「……よし。まずは最初の課題はクリアね。じゃあ一万五千円ずつ。リミットは……赤緒さんが帰ってくるまで」

「上等じゃない。南、私に挑戦したこと、後悔させてあげる」

 互いに一万五千円を握り締め、南とエルニィ、ルイとメルJがそれぞれ柊神社の石段の前で構えを取り、買い物袋を抱え、走り出す。

「ルイがどこで買うとか分かるの? 南、その時点で不利じゃない?」

「大丈夫よ。あの子だってそんなに遠くまで行くはずがないし。勝負は自然と商店街になると思うわ」

 ルイとメルJは、と言えば、既に商店街への最短ルートを辿っている。

 やはり勝負は商店街になりそうであった。

「……でも、こんなことしなくっても、普通に頼めば……」

「いいえ。一度でも隙を見せればそれを逃さないのがルイなんだから。何よりも、私が請け負った手前、ルイに負けられないじゃない」

 こちらの言い分にエルニィは肩を竦める。

「何だかなぁ……。南だって充分に勝負ごとにはアツくなるタイプじゃん」

「……そう言われてみれば、そうね。久しぶりかも。あの子とこうして対等に……勝負って言うのは」

 トーキョーアンヘルの責任者になってからと言うもの、ルイと親子として向かい合ったことはよくよく考えると少ない。

 私的なことにルイを使う負い目があるのももちろんだが、どこかで距離が空いていたのは事実だろう。

「……たまにはいいんじゃないの? こんなことでも、南とルイが親子関係に戻れるんなら、さ。だって普段の二人って、近いようで遠いように見えるし」

「……そんな風に見えちゃってるの? 私たち」

 エルニィはとことん、と言ったように嘆息をついていた。

「似た者同士って言うか、ジャパンではカエルの子はカエルって言うんだっけ? ……大丈夫だよ。ルイと南は絶対に親子だし、こういうことでアツくなっちゃうところも、まぁ共通点なんじゃない?」

「……失礼ねぇ、エルニィ。私は私的なことにお金なんて使わないわよ」

「どうなんだか。……でも、赤緒が帰ってくるまでって言えば、そう時間もないでしょ。一時間くらい?」

「勝負をかけるのには充分よ。エルニィ、じゃあまずはカレーの材料を……」

「ちょ、ちょっと待って! ……いつもカレーって何入れるんだっけ?」

 ハッとする。自分もよく考えてみれば、カレーと言えば簡単なイメージであったが、毎度のことながら赤緒とさつきに任せているせいでまともに作ったことはない。

「……参ったなー。カナイマでも任せっきりだったし、サバイバル食以外はまともなもの作ったことないわ」

 頭を抱える自分にエルニィが顔を覗き込む。

「……えっと、じゃあこうしようよ。カレーじゃなくってもまともなものを買えば、赤緒だってさすがにルイのほうに軍配を上げないでしょ」

「まともなものって……あんたら、何か作ろうとしてこの間も両相手に暗中模索していたじゃないの。あの時はサラダだっけ? マヨネーズまみれにしちゃったの」

 エルニィはその事実から逃れるように口笛を吹く。

 とは言え、そういう点ではルイとメルJも同じのはずだ。

「条件では同じのはず……。とりあえず! カレーっぽいものを探すわよ」

「――条件は同じ。なんて南は考えているんでしょうけれど、甘いわね。こっちにはメルJが居るんだから」

「しかし、黄坂ルイ。黄坂南と反目する必要性はなかったんじゃないか? ただの買い出しだろう」

 そこでルイは立ち止まり、メルJへと視線を向ける。

「勝負ごとを舐めると大概ロクなほうに転がらないのよ。これは経験則。南との勝負はいつだって真剣そのものだったし、負けたら負けただけ損しちゃうわ。それに、せっかくの一万五千円よ。最大限に利用するのが筋ってもんじゃないの」

「……だが、お前もカレーの材料なんて分かるのか?」

 その問いかけにルイは憮然とする。

「当然じゃない。しっかりカンニングはしておいたわ」

 自信満々にルイは生鮮食品コーナーを抜け、その手に取ったのはレトルトカレーの素である。

「これさえ入れれば、誰でもカレー風味ってテレビで言っていたもの。勝ったも同然よ」

 こちらの勝利宣言に比して、メルJは眉根を寄せる。

「……だが赤緒が作るカレーの材料なのだろう? それだと結果的に負けじゃないのか?」

 確かに、とルイは手に取ったカレーの素を見やる。

 勝負の基準点は「普段、赤緒の作るカレー」である。

 自分のお手軽カレーを振る舞って勝ちなのではない。

「……じゃあどうしろって言うの。メルJ、あんたがカレーの作り方を知っているとは思えないのだけれど」

「ば、馬鹿にするな。私だってカレーの一つくらいは……」

「じゃあ買いなさいよ。材料は何だっていいんでしょう?」

 メルJは生鮮コーナーで立ち止まり、いくつか果実を吟味してから清算する。

「黄坂ルイ、財布を渡せ。ひとまず果物を隠し味に入れれば間違いないはずだ。赤緒も普段、隠し味がリンゴだのどうだの言っていた」

 ルイは不承気に財布を差し出し、残った残額に目を瞠る。

「……待って。今だけで三千円って何を買ったの?」

「何って……果物なら高いほうがいいはずだろう。それ相応のものだが?」

 ルイはそもそもチームを組む相手を間違えた、と顔を覆う。

「……そうだった。あんたは高ければ何でもいいって思っているタイプだったわね。カレーなのに隠し味をメインにしてどうするの? 肉もなしに……」

「何を言っているんだ。肉など要らんではないか」

「……とは言え、三千円のマイナスよ。ここから巻き返そうと思えば、それなりに吟味する必要があるわ」

「カレーに合う材料と言えば……じゃがいもか?」

「今度は私が選ぶ。あんたは口を出さないで」

 とは言ってみたものの、じゃがいもの良し悪しなど自分の眼では分からない。

 自ずと高いほうへと流れかけて、メルJの視線に振り返る。

「……高ければいいってもんじゃないわよね」

「別に何も言っていないが」

「……要は審美眼よ。こんなの、買い物なんだから。普段どれだけいいものに触れているかって言う……」

 じゃがいもを清算し、次へと移ろうとしてルイは香辛料のコーナーの手前で立ち止まる。

「……南なら辛いほうが好き……よね」

「黄坂ルイ? 食べるのは私たちだろう? 黄坂南のために作るんじゃないはずだが?」

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