JINKI 255-15 悪夢を超えろ


「おいおい! トーキョーアンヘルは腰が引けているぜ? キリビトだって言ったって、操主が居ないってんじゃあな」
 しかし、作戦指示を担当するダグラスは沈痛に返していた。
「……《キリビト・コア》の再起動、そして我々の策である挟み撃ちが成功したところでの攻撃……それを恐れているのは何もあなた方だけではない」
 東京タワーを制圧目標としているマップには、既にグレンデル隊が後方より支援し、《K・マ》と《シュナイガートルーパー》を抑える手はずである。
 元々、彼の国が開発を急いでいると言う光学迷彩じみた「ステルスペイント」なる新装備を試すと言う名目もあると言う。
 血塊炉と併用すれば、目視以外では認識不可能な新型兵装に、エルニィは舌を巻いていた。
 米国はグレンデル隊の配備を急いでいるだけではなく、人機戦術でも抜きん出ようとしているとは。
「《キリビト・コア》が何らかの要因でその出力の全てを使ってボクらを制圧に来た場合、止める術はほとんどない。比肩する機体がこっちにはないも同然だからね」
「しかもタイミングとしては最悪の……全ての目標が完遂する直前に、だとすれば性質も悪いだろう。《キリビト・コア》に関しては脅威判定としては挙げつつ、やはり無視するほかあるまい。これを作戦に組み込めば、足を止めることにもなりかねないですからね」
「その点に関しちゃ同意……とは言え、キリビトの射程外に居ると想定した陣形も組んでおく。赤緒、それにさつきは多分、キリビトの射程からは少し離れた位置での交戦になるはず」
 赤緒とさつきはそれぞれRスーツに身を包み、作戦概要を聞いていた。
「つまり……切り札は、私たち、ですか……?」
「いいや、切り札は変わらず、《シュナイガーノルン》だ。《ダークシュナイガー》が最後まで残ると仮定した場合、その機体追従性から考えても《シュナイガーノルン》以外では倒し切れまい」
「空戦人機の強みだね、これは。《ダークシュナイガー》は絶えずこちらより優位な状況で立ち回っての攻撃が可能だと思ったほうがいい。加えて、まだ相手は手札を残しているはずだ」
 ダグラスが慎重に切り出す。
「……我々の監視衛星でも、結局は見つけられなかったが……あなたはそれがあると、確信しているのですかな? 立花博士」
「そうだと思わないと……気象現象を操っているんだ。相手の手札が十二機の《シュナイガートルーパー》と、《ダークシュナイガー》、それに《キリビト・コア》だけだとは到底信じられない。敵も切り札があるはず」
「我々と同じように、ですか……。そうなった場合、真っ当に対処できるかは賭けです」
「賭けになろうとも……ボクらは対抗策を練らないと。そうじゃなければ読み負けてしまう。恐らく、《キリビト・コア》の最大出力なら、至近距離の人機は壊滅状態だ。そうなった場合、君たちグレンデル隊の沽券にもかかわる。勝てる手はずを残しておくべきなのは間違いないんだけれど……」
 何度か駒を使って攻め手を考えるが、《キリビト・コア》と、そしてまだ見ぬ相手の切り札を想定しての戦線はかなり危うい。
 一手でもまかり間違えれば、完全な敗北を喫するだろう。
 腕を組んで呻っていると、不意に扉がノックされる。
「どうぞ……って、あれ……。君らは――」

 ――《キリビト・コア》の雷霆が最悪のタイミングで照射されたのは間違いない。
《ブロッケントウジャ》はリバウンドシールドで防衛に転じていたが、高出力R兵装を前にすればそれも塵芥の代物だ。
『……ぐっ……。大破しなかっただけでも御の字かもね……』
《ブロッケントウジャ》が装備していた四枚羽根の盾をパージする。
 オーバーロードした盾は地面に落下した瞬間に溶解していた。
『……こちらダグラス。《ハルバード》の照準機能をやられた。近接では役に立てないだろう』
『クソッ! こっちもだ! 隊長、《K・マ》は何とか封殺できましたが、《ストライカーエギル》のRフィールド装甲は完全に今ので消えちまいましたぜ……!』
『こちらも同じく。《アサルト・ハシャ》の電力系統が焼き切られて……。動くことも儘なりません』
 グレンデル隊からの戦闘続行不可能の声に、《ヴァルキュリアトウジャ》二機に乗った二人からも声が上がる。
『……キリビトを警戒していては、相手に肉薄もできません。シット! こんなことってある?』
『私たちではこれ以上の援護は不可能、と言うことね』
 残存しているのは、僅かに射程から離れていたルイの《ナナツーマイルド》と、そして急速後退で雷霆の直撃を受けなかったメルJの《シュナイガーノルン》。
 そして今も《シュナイガートルーパー》の相手をしている赤緒とさつきだけ。
「……なんてぇ、こったよ。最悪の想定が現実になりやがった……!」
 下操主席で舌打ちする両兵に、メルJは通信を接続させていた。
『総員は! 無事なのか……?』
『……何とか、かな。リバウンドシールドがなかったら、ブロッケンの機体は黒焦げになってもおかしくはなかったけれど……』
『ヴァネットさん……それに立花さんたちも……! 大丈夫ですか!』
「柊! 油断すんな!」
 両兵が声を張り上げた瞬間、近接兵装を振るい上げた《シュナイガートルーパー》に長距離滑空砲が断絶されていた。
 直後にブレードへと持ち替えるも、相手を狙撃で狙い澄ますことは不可能に近い。
『ヴァネットさん! 小河原さんも、無事ですか! 今、援護に向かいます!』
 さつきの《キュワン》がRフィールドを拡散しようとして、その全てが途端に消え失せていた。
『……何で……? キリビトの攻撃は受けなかったのに……』
『……やっぱり、か。首都制圧に絶対の自信があるんだ、おかしいとは思っていた。人機の駆動系に干渉しない、そんな都合のいい気象現象、引き起こすはずがないって』
 エルニィの確信に黒煙の空が割れる。
 天高くより来訪したのは、巨大なウィングユニットだった。
 闇色の翼を羽ばたかせ、《キリビト・コア》の全長とほぼ等しいだけの兵装より降り注ぐのは光の雪。
 破滅へのカウントダウンを導く、招来の六翼――。
《ダークシュナイガー》は浮遊し、直後にはその巨大なユニットとドッキングを果たしていた。
《ダークシュナイガー》の躯体より伸びた長大な二門の砲塔がまずは《ナナツーマイルド》を照準する。
『まずは、空を舞う邪魔な機体から……』
「いけない! 黄坂ルイ! 逃げ――!」
 声を発するよりも早く、兵装から噴出したミサイルポッドが《ナナツーマイルド》へと殺到する。
『……この……っ!』
 メッサーシュレイヴを投擲し、それらを誘爆させるが《ダークシュナイガー》が肉薄し、アームユニットで《ナナツーマイルド》の躯体を掴む。
『空を支配するのは、我が陣営に相応しい……』
 凶悪な爪を研がせたアームユニットはそれだけで人機を包み込む。
 リバウンドの電磁波が舞い上がり、《ナナツーマイルド》の装甲を捲り上がらせる。
 ルイの悲鳴が劈いたその時には、《モリビト2号》が疾走していた。
『させません……っ!』
 完全に背面を取ったはずのブレードの太刀筋を《ダークシュナイガー》は振り向きもせずに回避する。
『避けられた……?』
『兵装ユニットにも眼があるんだ……あんな機体……!』
『あまりに遅いな』
《ナナツーマイルド》が投げ捨てられ、《モリビト2号》と共に空域から引き剥がされる。
『ルイさん……! ルイさん……っ!』
『……あか、お……? 私の、ことは……いい、から……』
『そんな! 見捨てられませんよぉっ!』
『……赤緒。モリビトと一緒に後退して。あれは……簡単に倒せるような人機じゃない。いいや、そもそも人機なの……?』
 エルニィの問いかけに漆黒の翼を拡張させ、Jハーンは言い放つ。
『これこそ、ライフエラーズ計画を先導する、破滅の導き手。その名は気象戦術特化型人機《グリム》。さしずめ、今の状態は《ダークシュナイガーグリム》、とでも呼ぶべきかな』
「……《ダークシュナイガーグリム》……だと……」
 メルJは完全に中てられていた。
 相手の放つ気迫と、そして圧倒的な性能差に。
 ――勝てる勝てないの論理ではないじゃないか。
 敵は気象条件ですら変動させるだけの力を持った相手なのだぞ。
『メシェイル。お前は賢明なはずだ。《キリビト・コア》の雷撃、そしてこの機体の誇る圧倒的な力。どれを取っても勝利条件には程遠いのだと、今の一瞬で理解できただろう? ならば、取るべき道は、分かっているな?』
「私、は……」
 足が震え出す。
 肉体が、精神が認識する。
 ――Jハーンには勝てない。
 以前勝利できたのは、ただ運がよかっただけ。
 完全な条件を突きつけられれば、自分はこうも脆い。
 赤緒の声がルイを呼んで決死に通信網を叩く。
 エルニィの判断次第で、自分たちは撤退するしかなくなるだろう。
 ここまで来たと言うのに。
 ここまで来られた仲間だと言うのに。
 自分は、彼らの期待を裏切るしかないのか。
 その感覚に身を委ねようとした、その時であった。
「……ヴァネット。連中の性能は、確かに圧倒的だろうよ」
「……小河原……?」
 下操主席に収まっていた両兵はその言葉を発した直後、思いっ切り己の頬をはたいていた。
 何度も何度も、鼻血が出るまで。
「お、小河原……何をやっているんだ……? そんなに頬を叩いたら、お前が……!」
「よぉーし! スッキリした!」
「小河原、一体、何を……」
「ヴァネット! てめぇ、あんなデカブツなだけの相手に、勝てねぇとか思ってんじゃねぇだろうな?」
「そ、それはしかし……現状の損耗具合を鑑みれば、撤退もやむなしとするのは、何もおかしくはないだろう」
「ああ、それが作戦の責任を取る立場ならな。だが、お前はそうなのか? 作戦全体の指揮を執るんじゃねぇだろう。ここに来た目的は何だ? あのクソ野郎に、一発喰らわせてやるためだろうが!」
「……そ、それは、私は……! 私の個人的な恨みでしか……!」
「ここに居る連中はみんなそうさ。どんな形であれ、どういう思惑であれ、てめぇの個人的なものに、ケリを付けに行くって言う、正直なところ真っ当とは言えねぇ道を応援してるんだ。だったら! オレたちが折れるわけにゃ、いかねぇよな……!」
「……小河原、手が……」
 操縦桿を握る両兵の腕が僅かに震えている。
 それを誤魔化すように彼はさらに強く、握り込んでいた。
「こいつぁ武者震いって奴さ。何でもねぇ、気にすんな!」
 分かっている。
 両兵とて、死地の距離を今しがた感覚したはずだ。
 彼とて、死を恐れぬ人間と言うわけではない。
 いや、両兵だけではないのだろう。
 誰しも、死は怖い。
 屹立する恐怖を前にして、身が竦むのは当然の反応だ。
 両兵はそれを押し殺して、それでも前に進もうとしてくれている。
 自分と共に、未来を切り開くために。
 あの日――Jハーンを倒した時から、両兵はいつだって、自分の足並みを揃えてくれているのだ。
 愚直にも、蒙昧にも。
 ただただ、前に進むことしか知らぬこの足を。
 彼は支えてくれている。
 彼だけではない。
 自分一人の力で、この戦場に佇んでいるのではない。
 メルJは一つ、深呼吸してから、己の頬を張っていた。
 じぃんと染み渡る痛み一つ、生の縁となる。
「……目ぇ、醒めたか?」
「……ああ。すまない。少し、惑っていた」
「いいさ。ビビるなってのも正常な感覚たぁ、違うだろ。……オレらは生きてる。生きてるからこその痛みもある。生きてるからこそのビビりだってあンのさ。恐怖しねぇなんて言い切っている奴は、ただのペテン師か、それとも逆に臆病者だ。オレはお前の恐怖を尊重する。尊重した上で、お前の恐怖をオレに吐き出せ。恐れは全部、オレが吸い取ってやンよ。――行くぜ」
「……ああ。行こう」
《シュナイガーノルン》の銀翼に光が宿り、《ダークシュナイガーグリム》と同高度に至る。
『やはりか。やはり、私とお前の決着は、一対一の空が相応しい』
「違うな、Jハーン。一対一じゃない。小河原と私と……そして、ここに来るまで、私を支えてくれたトーキョーアンヘルの皆の力。……絆の力で貴様を討つ!」
『絆とは! 笑わせてくれる……! その力で彼我戦力差を埋められると思ったか!』
「うっせぇな。いいから来いよ。口だけ達者なのは、ただの腰が引けた臆病者だろうが」
 Jハーンの哄笑が止まる。
 やがて、怨嗟を籠らせた声が放たれていた。
『……私が臆病者だと? 貴様、そう言ったのか?』
「何が違う。そんなデカいだけの鎧に身を包んで、全部を支配したつもりか? 驕ってんじゃねぇ! オレらが何のために、希望を繋いできたと思ってンだ! 全部をこの一回に込めるためだ! ヴァネットをよ……こいつのやりてぇことをやり抜かせる! それ以外、屁でもねぇぜ!」
『……貴様、死が恐ろしくないのか? 見たはずだろう。“光雪”は、時間が経過すれば人機の駆動系にすら干渉する。貴様らが掲げた希望も! ましてや全霊も! あり得ないのだよ……! 勝利者は我ら、グリムの眷属だ……!』
「そうかな。死は怖ぇよ、これでも人並みにはな。死なんざ一秒も関係ねぇとは言わねぇ。だがよ、墓の下をねぐらにするのには、まだ随分と早ぇんだ。だったら! 最後の最後まで足掻きに足掻いて! 命を燃やし尽くしてやる! てめぇが死の雪を降らせようが知ったことか! こっちには、銀翼の使者が居る! そうだろ、ヴァネット!」
「ああ――《シュナイガーノルン》、行くぞ」
《シュナイガーノルン》が天高く舞い上がる。
 敵機は二門の砲身を叩き上げ、こちらを照準していた。
『愚かな! それは私の射程圏内だ!』
「蹴散らせ! アルベリッヒレイン!」
 強化された火砲が面火力の弾幕と化し、《ダークシュナイガーグリム》へと襲いかかる。
 焔の牙だ。
《シュナイガーノルン》の生み出したその牙が相手にかかる前に、砲口から放たれたのは光の瀑布。
『アンシーリーコート、ツヴァイ!』
 砲撃そのものに力場を纏わせた攻撃に、思わず気圧されて《シュナイガーノルン》に制動をかけさせようとして、両兵の声が貫く。
「ビビるな! ヴァネット! そのまま飛び込め!」
 満身より両兵と共に咆哮し、全砲門の一斉掃射が敵のアンシーリーコートのエネルギーが流転する場所を射抜く。
 それは恐らく、レイコンマ一秒でも戸惑えば見切れぬほどの、台風の目だったのだろう。
 光が交差する力点が今、メルJの瞳の奥に見出される。
「スプリガンハンズ!」
 刃が纏った獄炎がその針の穴ほどの活路を切り裂いていた。
 大写しになったのは、《ダークシュナイガーグリム》の機体中枢。
 スプリガンハンズを基点とし、全ての余剰エネルギーと速力を一点に留める。
「唸れ!」
「銀翼の――ッ!」
『させると思っているのか!』
 地上より飛翔した《ゴルシル・ハドゥ参式》が腕を自律兵装として射出する。
 完全に横合いからの虚を突かれた一撃。
 必殺の勢いが霧散するかに思われた一瞬であったが、それは真紅の機影に阻まれていた。
『……何奴!』
『誰が呼んだか、オレ様こそ、最強の《トウジャCX》乗り! 勝世様と……!』
 沈黙に《空神トウジャCX》を駆動させる勝世がツッコむ。
『言えよ! 何のためにお膳立てしたと思ってんだ!』
『……は、恥ずかしい奴なんだな、お前は……』
「勝世か? ……お前……」
『両兵! それに、メルJも。……エルニィちゃんに作戦の中にねじ込んでもらったんだ。後腐れのねぇように戦場を整えてやる。行け!』
「……ああ、ったく、毎度のことながら世話ぁ、かけさせるな。――ヴァネット!」
 光の集積地点が、今のメルJには克明に映っていた。
 それは空戦人機が持ち得る最大の弱点。
 空力に左右されない人機は居ない。
 まして、それが気象条件を確定させる人機であるのならば、なおのこと。
《ダークシュナイガーグリム》の持つ、漆黒の翼へと刃を突き立てる。
『特攻だと!』
「違う! これは――勝つための、最終手段だ!」
「突っ切れ!」
「銀翼の――ッ! アンシーリーコート、リヴァイヴ!」
 機体が纏った黄昏色のエネルギー磁場が《ダークシュナイガーグリム》の機体を射抜く。
 罅割れた機体のマスクの下で、獰猛な牙が覗いていた。
 ウィングユニットが砕かれ、スプリガンハンズ諸共消滅の一途を辿る。
 砕け落ちた《ダークシュナイガー》本体が熱量で融解し、その腕を伸ばして《シュナイガーノルン》へと組み付いていた。
 急激なリバウンド出力波の逆流。
 夕刻の色調に染まった磁界の中枢部で、二機がもつれ合う。
『お前は二度と報われぬ! 私と共に来ればよかったものを……! 此度もその男を選び、後悔するか!』
「違う!」
 拳に変え、《ダークシュナイガー》の機体を激震する。
『何だと……!』
「戦うこと……それは私たち、皆の強さだ! 替え難い出会いを! 私たちの絆の理由を! お前には分かるまい……! 過去の恩讐に支配され、その身を焼き尽くす身では……!」
『言うではないか、メシェイル……! だが、これが結末だとも! 私はグリムにとっては尖兵、“Jの刻印”を持つ片割れでしかない。お前との融合をもって、完結したはずがな……』
 Jハーンの言葉繰りに一瞬だけ刃を止めようとするも、両兵の声がそれを引き裂く。
「それがどうした! 身勝手なことにこいつを巻き込みやがって……! ヴァネットはなぁ、自分の力で今を選び取って来たんだ! アンヘルも、モデル業も、どっちもな! こいつのやりてぇことをやらせる……! それが見守るってことだろうが!」
『見守る? 見守ると言ったか、貴様……! 戯れ言を……メシェイルを見守って来たのは誰よりも私であると言うのに! そうだ、これこそが愛だ!』
「愛……だと……っ!」
 獄炎の中で《ダークシュナイガー》が太刀筋を振り上げる。
《シュナイガーノルン》の胸部装甲が砕け、亀裂が走っていた。
『そうだ! グリムの下でこそ……我が愛は、成就する……ッ!』
「うるせぇ……ッ!」
 両兵が機体を稼働させ、スプリガンハンズ同士で鍔迫り合いを起こしていた。
 火花が眼前で散り、刃が震える。
『……邪魔立てを……!』
「てめぇ勝手な愛だの何だの……! いいか? 本当の愛情ってもんはな……与えてやるもんであって、押し付けるもんじゃねぇンだよ……! ヴァネットが本当にしたいことを、てめぇは一個だって応援してやったのか? この道も、戦いも! てめぇの自己陶酔のために、こいつを利用すンな! そんなもん、反吐が出るってンだよ……ッ!」
 しかし、両兵が押し留めようとする操縦桿は今にも爆発しそうなほど震えている。
 こうして言葉を交わし合うのも、ほとんど限界機動だ。
 舞い上がる装甲。
爆ぜる駆動系。
そして、吹き飛ばされゆく薄靄の記憶――。
「……兄さん。もう……終わりにしよう」
 かつての決別。
 かつての愛情。
 かつての――慕情の日々を。
 もう終わりにしてしまおう。
 彼の中に棲む邪悪。
 自分の中に巣食う復讐鬼。
 引き絞られた恩讐の矢は、放たれるべくして放たれる。
 敵の喉笛を掻っ切るために。
 その血潮を、最後の一滴まで啜るために。
 そのために与えられた生であった。
 そのために与えられた罰であった。
 自ら課した災厄を。
 自ら放った罪の宿縁を。
 それを押し留め、牙として。
 今は翼を広げて、飛び立つために。
 だから――劈け、刃よ。
 だから――届け、銃弾よ。
 そして、彼を自分なりでもいい、救うために。
「……いや、違うな。そんなことのために、私は戦っているんじゃない。こいつらが……アンヘルの皆が、私を解き放ってくれたんだ。もう、宿命からは逃れていいと。……赦されていいのだと。だから……」
『だから、だと……。メシェイル、お前に何が分かる! グリムに囚われている限り、その輪廻からは逃れられぬ! 私はこの円環に赦されようなど……思ってはいない!』
《ダークシュナイガー》が最後の足掻きのようにその爪を伸ばす。
《シュナイガーノルン》の首筋を掴み、そのまま締め上げていた。
 ――ああ、これはいつかの罰か。
 それとも罪の証か。
 いずれにせよ、自分はここでは――。
「……すまない、兄さん。私はここでは……死ねない」
《ダークシュナイガー》の腕を――Jハーンの呪いを、メルJはゆっくりと払い除ける。
 仄暗い影を、振り払うように。
「死ねない理由ができたんだ……。赤緒や、立花……さつきに黄坂ルイ、そして小河原も……。皆が、私をここに繋ぎ止めてくれている。今にも消え入りそうな私を、ちゃんと、温かな手で。その手を取るよ、兄さん」
『私を選ばないと言うのか! グリムの片割れである、お前が! 私を見離すと言うのかァ……ッ!』
「……ヴァネット。もう、いいか?」
 両兵は言葉少なに問いかける。
 メルJは瞑目して、一つ頷いていた。
「……ああ。楽にしてやって欲しい」
『地獄に……地獄に叩き落としてやる……! 貴様は逃れ得ぬのだ! グリムの作り上げたこの世の災厄に、永劫、囚われ――!』
 その言葉尻を弾き返したスプリガンハンズで、両兵が斬り伏せる。
「……もう、よせよ。お前の地獄にこいつを付き合わせんな。もう終わってるんだ、てめぇはよ。なら、これから先はオレたち……トーキョーアンヘルと一緒に歩ませてもらうぜ」
 灯りの届く場所で。
 光のある、木漏れ日のようなところで。
 生きていいのだと。
 これから先を、繋いでいいのだと。
 そう、両兵たちが言ってくれるのなら、自分は、これほどまでに救われたこともない。
『……貴様、がァ……ッ! メシェイルをたぶらかしたな、この外道めぇ……ッ!』
 スプリガンハンズを血塊炉へと突き刺す。
 青い血が次々と溢れ出し、流れる《ダークシュナイガー》へと、メルJは武装を突きつけていた。
 それは愛用した、ハンドガンである。
 敵の急所、頭部コックピットへと据え、そのセーフティを解除する。
『……メシェイル……やめろ……』
「Jハーン。こんな言葉を知っているか? “自分に銃を向ける者は愚か者だ。銃を向けた者は死人と思え”、と。……あちら側で待っていてくれ。まだ、私はそこには行けないが……いずれ、赴くとしよう」
『やめろ……!』
 最後の銃声が響き渡る。
 黒の翼は潰え、リバウンドの斥力磁場は拡散していた。
 白銀の装甲を押し潰さんと迫った黄昏のエネルギーフィールドが剥がれ落ちる。
《シュナイガーノルン》は拳銃を突きつけた姿勢のまま、硬直していた。
 涙が伝い落ちる。
 止め処ない、熱の証が。
「……お別れなんて、本当はしたくなかったよ……兄さん。でも、私はこっち側なんだ。もう……どうしようもなく……生きていたいんだ……。だから、ごめんなさい……ごめん……なさい……っ」
 嗚咽を漏らし、《シュナイガーノルン》の上操主席で身を折り曲げさせる。
 別れはもっと、劇的なものだと思い込んでいた。
 だが、違った。
 とうの昔に、別れは済ませていたのだ。
 だから、今しがた引き絞ったトリガーはきっと、いつかの過去に居残していた、残留思念のようなもの。
 自分が清算し損ねていた、復讐の矢の到達点。
《ダークシュナイガー》が爆散し、メルJは全てが終わったのを感覚していた。
「……もういいのか?」
 両兵の言わんとしていることは分かる。
 これ以上、自身の宿命に対し、向き合い続けなくっていいのか、と言う意味であろう。
「……分からない。分からない……けれど、一つだけ分かるのは……」
 ゆっくりと、《シュナイガーノルン》は降下する。
 地上部隊であるトーキョーアンヘルの人機と合流し、彼女らの声を聞いていた。
『いやはや、焦ったよ、まったく』
 エルニィの声が弾け、それから一時的に後退していた赤緒たちが首都圏へと着陸する。
『ヴァネットさん……! その……決着は……』
「ああ、赤緒。ありがとう、みんな。ようやく私は……一歩を歩み出せそうだ」
 人並みでしかない一歩を、ここに来てようやく、自分の意志で。
『こちら、グレンデル隊。“光雪”現象の消滅を確認。繰り返す、“光雪”は完全に収束……我が方の勝利だ』
 ダグラスの報告にメルJは破滅の雪が終わりを告げ、海原の彼方より黎明の光が覗いたのを目にしていた。
「……また、朝が来るんだな」
「当たり前だろ。それも……オレたちで勝ち取った朝だ。誇り高いだろうよ」
「……小河原。二度も……お前に助けられるとはな」
「何か言ったか? オレはただ、下操主席に収まっていたに過ぎん」
 そう言ってくれるのが何よりも救われる。
 メルJは静まり返った首都圏の只中で、これが、と感じ入っていた。
 これが、自分の追い求めた結果。
 自分の追い求めた未来。
 そして――彼女らと歩む明日への道標。
「……立花、それに赤緒たちも……。ありがとう、私にまた、居場所をくれて……」
『水臭いこと、言いっこなしだよ。さて、作戦も完遂したし、後方支援の《ビッグナナツー》と南たちにも報告しなくっちゃ。それに――』
 そこまで言いかけて、彼女の言葉尻を遮ったのはシャンデリアからの光の柱であった。
《キリビト・コア》を回収し、全ての事象が終わりを告げたかのように首都中枢が静まり返る。
 キョムもこの戦いでは痛みを伴ったと言うことなのだろうか。
 それとも、彼らにとって今回の戦闘は来たるべきロストライフの前の、ただの前哨戦であったのかもしれない。
「……戦いは……これからも続く、か」
 そうであろうとも、望むところだ。
 拳に変えた決意を、メルJは光が消え失せていく空の彼方へと向けていた。
 以前までならば赤い空しか思い出せなかった自分にとって、染み渡るような青空がシャンデリアの光の後から溢れ出す。
 それは浄罪の青にも似て。
「……立花。それにみんな……。これからも、私は世話になるだろう。だから、お願いがある。……これからも戦わせて欲しい。トーキョーアンヘルの、一員として……」
『分かってるって。まだ……戦いは、終わったわけじゃないんだから』
 そう、まだ自分の宿縁の一部を清算しただけだ。
 全ての決着は持ち越し――それは疑いようのない事実なのだろうから。

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