JINKI 255-16 暗礁純黒夜


「……これは、断じて敗退ではない……。わたしが再び返り咲くための……戦略的撤退である……。それにしたところで、あの人形師が、オリジナルのわたしに比肩する、だと? 一体何が起こっている……何が……」
 ドクターオーバーは分析を走らせながら太平洋側に抜け、そのまま機体を潜水させようとしていた。
 ほとんどの人機は海の中ではまるで無力――この《ゴルシル・ハドゥ参式》はその中でも唯一に等しく陸海兼用の人機。
 高度を下げようとして、港からの熱源警告が劈く。
「……熱源……? まさか、アンヘルの送り狼か……!」
 だが、だとすれば撃退も可能であった。
 自身は傀儡を生み出すことに長けているとは言え、人機の操主としても一流のはず。
 即座に反転して攻勢に回ることも意識のうちだ。
 そう断じて振り返ったドクターオーバーは無数の《バーゴイル》の鹵獲機と、そして白夜の鬼の相貌の人機に絶句する。
「……《バーゴイル》の鹵獲機……それに、あれは……《O・ジャオーガ》……」
『ここに断罪する。ドクターオーバーよ。貴様は我々、レジスタンスが身柄を確保させて貰おう』
「貴様……八将陣を抜けたと言う、バルクス・ウォーゲイルだな……! そんな禊の白で、これまでやってきたことが消せると本気で思っているのか!」
『無論、消せはしないだろう。だからこそ、行動で示す』
《バーゴイル》連隊が《ゴルシル・ハドゥ参式》を包囲する。
 戦闘に慣れた操主たちが一斉掃射の実体弾で弾幕を張り、こちらの自律稼働の両腕を封じていた。
《O・ジャオーガ》がオートタービンのいななき声を上げ、出力を最大値にして振りかぶる。
 電磁を帯びた両腕を交差させて防御するが、破壊力を減殺できずに《ゴルシル・ハドゥ参式》は大きく後退していた。
 何よりも、離脱の途中で発見された時点で下策。
 ここでの戦闘は避けられないのか、とドクターオーバーは歯噛みしていた。
「……嘗めるなよ、バルクス・ウォーゲイル……。わたしがただ、Jハーンにのみ任せて後ろが手薄だとでも思ったか! これでも戦える……!」
『よかろう。ならばその方の傲慢、打ち砕かせていただく』
 バルクスは手心など加えるつもりはないらしい。
 瞬時にファントムの超加速に至った機体が《ゴルシル・ハドゥ参式》の懐へと潜り込む。
 背面にマウントしていた刃が一閃し、機体の血塊炉付近を引き裂いていた。
 よろめくように後ずさったこちらに対し、相手は圧倒的に攻勢だ。
 間近に迫ったオートタービンの迷いのない殺気に、ドクターオーバーは舌打ちを滲ませる。
「……ここまでだと言うのか……」
『――それはちょっと惜しいんじゃないですかねぇ』
 割り込んできた声と不釣り合いな漆黒の人機がオートタービンへと干渉していた。
 火花が散り、小太刀の一撃が《O・ジャオーガ》の機体を後ずらさせる。
『……何者……』
『名乗るほどのものじゃないですけれどぉ、まぁ言ってみれば第三勢力を気取らせてもらいましょうかぁ』
「……《ナナツーシャドウ》……まさか、ミセス瑠璃垣、か……?」
 しかし、何故、と言う思いよりも先に《ナナツーシャドウ》は振り向きもせず刃を突きつける。
『その呼び方……やめてもらえますぅ? 手元が狂っちゃいそうなのでぇ』
 息を呑んでいるとバルクスが返答する。
『……《ナナツーシャドウ》。諜報員か』
『そう見てもらって結構ですよぉ。でもぉ……分かりますよねぇ? ここでドクターオーバーを断罪するのは、長期的に見て不利益に働くことくらいはぁ』
『……庇い立てするか。今回のライフエラーズ計画はその者の主導だぞ』
『だからこそ、ですかねぇ。彼の国はまだ、諦めたわけではないので』
 含むところの物言いに、ドクターオーバーが憶測を走らせる前に、バルクスは武装を突きつける。
『邪魔立てするのならば、死あるのみだ』
『言い切れますかぁ? 今の一瞬、分かったんじゃないですかねぇ? バルクス・ウォーゲイルほどの武人であるのならば』
 牽制の物言いを放ちつつも、一瞬として戦意は薄らぐことはない。
 真の強者同士の探り合いの沈黙は、実際のところは三秒もなかったのだろう。
《O・ジャオーガ》が武装を下げる。
『……後悔するぞ。その者は悪辣の芽だ』
『だとしても、私も想定と言うものがあるんですよねぇ』
 白亜の鬼は機体を翻し、周辺展開する青い《バーゴイル》へと散開を命じていた。
『引き上げるぞ。ただし……次の邪悪は我々が止める。その覚悟くらいはあるのだと、思っていいのだろうな?』
《ナナツーシャドウ》の操主は応えない。
 レジスタンスの機体が完全に射程外に離れてから、ドクターオーバーは好機と感じていた。
 先ほどのレジスタンス組織の包囲陣形は抜けられないが、《ナナツーシャドウ》の小娘一人ならば突破できるはずだ、と。
 そう断じて武装を閃かそうとして、遥かに素早い速度で抜刀された《ナナツーシャドウ》の熟練度に、ドクターオーバーは硬直していた。
「……つ、強い……」
『物分りは、いいほうが賢明ですよぉ? キョムの人形師さん。それとも、ここで要らぬ反撃に出て、命を無駄に散らしますかぁ?』
「……どういうつもりだ。奴らに……殺させようと思えばできたはず……」
『まだあなたには語っていただかなければいけないからですよぉ、超越者を気取るのならば、ね。この地球上であなたしか知り得ないことはたくさんあるはず。キョムにしても、グリム協会に関しても。……私は真実に肉薄するためならば手段なんて選ばないんですからね』
「……望みは何だ? わたしに何をさせたい……」
『全てですよぉ、ドクターオーバー』
《ナナツーシャドウ》のコックピットが開き、オレンジ色のRスーツ姿の操主が露わとなる。相手はこちらを見据え、その先にある闇を垣間見させていた。
『私のために……この世界への反旗を翻す者として。利用させてもらいますよ、あなたの身柄は、最大限に、ね』
 そう告げる女の瞳は、昏く沈んでいた。

 ――ああ、空が見える――そう感覚した意識を持て余したカリスは、視界に生じた異物である黒の女へと目線を向ける。
「……あれ……? 何だって、俺は、シャンデリアに……?」
「何も分かっていないようだな、カリス。相変わらず、貴様らは迂闊が過ぎる……本来ならば八将陣を除名してもいいのだが……私も今回は迂闊であった。お互い様と言う奴だ」
 何を言われているのか分からずに身を起こすと、憔悴した様子のハマドと目が合っていた。
「……カリス。どうやら我々は、相当に……今回は運がなかったようで」
 そう言いながらハマドはランニングマシーンを走らされている。
「……どういうこった?」
「記憶がないのは救いだな。……走れ、カリス」
 吐き捨てたシバに反抗しようと思うも、何故なのだか肉体がとんでもなく重い。
「……何だ? まるで何日も人機を操縦した、後みてぇな……」
「カリス、素直に従ったほうがよろしい。今回は我々の落ち度のようなのですから」
 つかつかと立ち去っていくシバの背中を見送ってから、ランニングマシーンのスイッチを入れる。
「……分からねぇが……反省をしたほうがよさそうだな、クソッ」
 ハマドと並んでランニングマシーンで走り出す。
 隣のハマドはかなり息が上がっているようで、情けないと断じたのも束の間、瞬時に速度の上がったランニングマシーンにカリスは困惑する。
「うぉ……っ、何だってんだよ……!」
「カリス。あとは任せましたよ……」
 そう言ってハマドはリタイアするなり、ランニングマシーンに顔を打ちつけて自滅する。
「冗談じゃ……ねぇ……っ! 何なんだよ、マジに……!」
 ハマドとカリスは三日三晩、走らされ続けたと言う……。

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