やはりレイカルからしてみれば外に出られないのがどこかで鬱屈とした気分になるのだろうか。活動的な彼女のことだ、カリクムたちとも会えないのが辛いのかもしれない。
レイカルは部屋干ししてあるシャツを睨んでいる。シャツの周りをナイトイーグルが周回しており、その軌道に不意にレイカルは飛びついていた。
途端、部屋干しのカーテンレールが崩れ、レイカルの上に降り注ぐ。
あーあ、と作木は後頭部を掻いていた。
「せっかく干したんだけれど……」
助け出そうとしたところで、仰向けになっていたレイカルがどっと泣き出した。
「雨、つまんないですー! こんなことをしている間にも、ダウンオリハルコンがー!」
「――その心配は必要なくってよ、レイカル」
いつの間にかレイカルを見下ろしていたラクレスにレイカル共々驚愕してしまう。硬直したレイカルを、ラクレスはせせら笑っていた。
「レイカルったら、お馬鹿さぁん……。外に出ることもできないのねぇ……」
「な、何だと! お前だって、出られないじゃないか!」
「私は作木様の意思を尊重しているのよ? そうですわね、作木様」
「あー、うん。確かに梅雨って嫌だよね。雨ばっかりだし、じめじめで……。でも僕からしてみれば、ちょっとばかり静かで助かるって言うか。インドア派の言い訳にはなるかな」
組み上げているのは新しいフィギュアのベースである。梅雨の時期には外に出ないでいい分、中での作業に集中できる。外の等間隔の雨の音も、集中するのにはちょうどいい音程なのだ。
レイカルにはそれがほとほと理解できないのか、うぅーと歯を軋らせて呻る。
「出たい出たい! 外で戦いたいです!」
駄々をこね始めたレイカルを自分では諌められない。ここは、とラクレスが助け船を出していた。
「では出ればどう? 雨の中でもハウルを纏えば、関係ないかもしれないわねぇ……」
「そうだっ! ハウル! たまにはいいこと言うな、お前! そうです、創主様。ハウルさえ纏えば、雨なんてただの水粒じゃないですか! そんな簡単なことが分からなかったなんて……迂闊でした! では、ダウンオリハルコン退治に参りましょう!」
やる気を出したレイカルに比して作木は困惑していた。
「れ、レイカル? オリハルコンはいいかもしれないけれど、人間はハウルで水を弾いて外には出られないんだ」
「あっ、そうか……。うっかりしておりました。……んー、では人間サイズのハウルを練って……」
「それだとレイカルにかかるエネルギーが半端じゃないだろう? それにそこまでして出なくっても……」
その言葉から先をラクレスが心得ていた。
「創主の望みはオリハルコンの望み。私は出ないけれど、レイカルが出たいって言うんなら、止めませんわ。でもぉ……そうすると、この部屋には私と作木様、二人っきりになるのですねぇ……」
ラクレスの妖艶な笑みにレイカルが慌てて言いやる。
「お、お前っ! また何か企んでいるな! 分かった! 私も創主様から離れないー! 離れないぞー」
レイカルが腕に組みつく。小さいとは言え、ハウルで強化された膂力で掴みかかられれば、創主である自分とて堪ったものではない。
「い、痛いってば……レイカル……」
慌てて振り払うとレイカルはしゅんとする。
「創主様は……私よりラクレスがいいんですかぁ……っ!」
「いや、そういうわけじゃ……」
皆まで聞かず、レイカルは案の定部屋を飛び出す。
「創主様のアホー! ラクレスのバカー!」
雨に打たれながらレイカルの姿が遠くへと一瞬にして消えていく。その背中に作木は嘆息をついていた。
「……レイカルの元気さには見習うところもあるんだけれど、梅雨ばっかりはなぁ……。人間は色々と面倒なところもあるし」
この時期ばかりは出不精になってしまうのも仕方がないというもの。ラクレスが手元に歩み寄り、仔細にフィギュアのベースを観察する。
「人間と言うのは分からないものですね。雨が降れば憂鬱だと嘆くくせに、雨が降らないとそれはそれで困ると嘆くなんて」
「……オリハルコンからしてみれば身勝手に映るかい?」
ラクレスはレイカルに比べれば生きてきた年月が段違いのはずだ。彼女は頭を振っていた。
「それはもう。……ですが、今の私の創主は作木様。その趣味に野暮なケチをつけようなんて思いませんわ」
「理解があるって、考えていいのかな」
はは、と苦笑するとラクレスはわざとらしくそっぽを向く。
「さぁ? どうでしょう」
いずれにせよ、レイカルとの不和は解消しなければならない。
「……レイカル、また削里さんのところだろうなぁ」
腰を上げようとした作木にラクレスが問い返す。
「行くのですか?」
「厄介になっているからね。放ってはおけないよ」
「では、お供します。なに、レイカルに言ったのもあながちウソではないのですよ? オリハルコンがハウルを使って創主を雨から守ればいいのです」
胸を張ったラクレスに微笑みながら作木はやんわりと断る。
「ありがとう。でも、人間には人間の、雨をしのぐ道具があるんだ」
玄関口で傘を手に取る。ラクレスは浮かび上がって、傘を見やってため息をついた。
何か、当たり障りのあることをしただろうか。気にかける作木に、ラクレスが肩を竦める。
「……理解できません。機能性や、その他のことを追従するのならば、もっといい発明があるのでは?」
どうやら傘に一家言あるらしい。作木は自身の黒い傘を翳す。
「オリハルコンから見れば、そんなに変?」
「雨を弾けるのに、弾かずにそんなシンプルなものでしのぐと言うのは少し……。ですが、人間と言うのは不自由さを愛しているのだと聞きます。その一環でしょう」
ラクレスも日本文化に馴染んだのかそうでないのか。作木はその在り方に、これもオリハルコンと人間の関わり合いか、とどこか得心する。
「そうだね。日本には……そういえば歌があるんだ。こういう、雨の日に打ってつけの歌が」
「母親が蛇の目傘で子供を迎える歌でしょう?」
まさかそんなにすぐにその歌がラクレスの口から出るとは思えず、作木は目を白黒させていたが、やがて納得していた。
――そうだ。ラクレスのかつての創主は、子供……。
雨を礼賛するその歌を、彼女が知っていても何ら不思議ではない。それと同時に、ともすればラクレスからしてみれば、それも思い出したくない過去だったのかもしれない。
知らず踏み入ったことに恥じ入る前に、ラクレスは浮かび上がり、先を進んでいた。
「行きましょう、作木様。どうせ、ヒヒイロたちに迷惑をかけているに決まっていますわ」
ラクレスに本来ならば何か言葉をかけるべきだったのだろう。しかし、気の利いた一言のたった一つも思いつかないまま、作木は靴紐を結んでいた。
ずぶ濡れのレイカルにドライヤーを当てるナナ子は、何度もしゃくり上げるレイカルに、こらっと声を荒らげる。
「暴れないの。あんたら、そうじゃなくってもハウルが使えるってのに、何で濡れて来たんだか」
レイカルが身振り手振りでヒヒイロに説明する。ヒヒイロは、またかと額を押さえていた。
「相も変わらず、作木殿にお主は面倒ごとを押し付けおるのう。創主が外に出たがらないのだ。別によいではないか」
「よくないっ! だって、こんな雨が続けば……ダウンオリハルコン退治がー!」
「……危ういダウンオリハルコンならばワシの関知にも入る。もっと危ういオリハルコンならばもちろん、な。なんじゃ、お主はワシが信用できんか?」
「ヒヒイロばかりに任せられないだろ! 私だって、創主様のお役に立ちたいーっ!」
「身体ひねらない! 拭きにくいでしょうが!」
身をよじるレイカルはふと、気づいたように首を巡らせる。
「あれ? カリクムがいるのに、あいつ……何でいないんだ?」
「小夜ならいるわよ。ずぅーっと、部屋の隅に」
完全に気配を消していた小夜は毛布を被っていた。驚愕したレイカルはナナ子の手を掻い潜って近づく。
「わ、割佐美雷? 何をやっているんだ?」
「……役名で呼ぶな」
おかしい。いつもならば掴みかかってくるところを、どうしてだか今日の小夜は大人しい。レイカルは不審がりつつ、毛布を指差した。
「お前、もうあったかいだろ! 毛布は仕舞うって創主様が言ってたぞ!」
ずびしと指差したレイカルに、毛布の中から小夜は凄みを利かせた声を出す。
「うるさい……。タチサレ……タチサレ……」
「うっ……! 何なんだ、カリクム。こいつ、いつもにも増しておかしいぞ!」
助けを乞うたレイカルにカリクムは無関心に応じる。
「……ま、人間って面倒くさいんだなってよく分かるわよ。今回ばっかりはあんたに同情するわ」
レイカルが小首を傾げていると小夜の腕がカリクムを引っ掴んでいた。
「生意気言ってんじゃないわよ! カリクム!」
毛布がばっと取り去られる。
露になったのはぼさぼさの小夜の金髪であった。
「おおっ! クマみたいになってるぞ! 割佐美雷!」
レイカルの指摘に小夜が慌てて毛布を被り直す。
「うぅ……だから梅雨って嫌いなのよ。癖っ毛からしてみれば、こうも忌々しい季節もないわ……」
「小夜、あの調子だから誰とも会いたくないってさ。色んな約束をぶっちぎって、それで今ここってわけ」
ナナ子が指差してやれやれと息をつく。その調子にはレイカルも同意であった。
「割佐美雷、いつもより強そうでカッコいいじゃないか。何が不満なんだ?」
純粋なる疑問に小夜がぶわっと泣き出す。
「これだから直毛には分からないのよ! 癖っ毛の悩みなんてーっ!」
カリクムは露骨なため息を漏らしていた。
「だからって、梅雨が終わるまで誰とも会わないってのは無茶だろ……。小夜って馬鹿なんだな」
キャンサーとタオルの引っ張り合いをしているカリクムの首根っこを、小夜が掴んで振り回す。
「あんたら直毛に! 私の苦労が分かって堪るかってのよ!」
暴れる小夜をカリクムが声を弾けさせる。
「髪型一つで何でそこまで悩むんだよ! ホント、分かんないよな、小夜は!」
「……頼むから、自分の家で暴れてくれまいかのう……。真次郎殿、手が止まっております」
将棋を打つヒヒイロに、向かい合った削里が待ったをかけたまま呻っていた。
「……参りました」
「まぁ、雨が人間の神経に及ぼす影響と言うのは無きにしも非ずかもしれません。それにしたところで、レイカル。雨着も纏わずにハウルで水滴を弾いて飛び出すなど正気の沙汰ではないぞ?」
問いかけるとレイカルはうん? と思案する。
「……雨着って何だ?」
もしや、とヒヒイロは問いを重ねる。
「……傘を知らんのか」
「傘なら知ってるぞ! 雨になると人間たちも武装的になるんだな! みんな、取り回しのいい武器を持っている!」
甚だしい勘違いにヒヒイロは頭を抱える。どうやら雨の文化を一から――否、ゼロから教えなければならないようだ。
「そんなでは、作木殿も愛想を尽かすのは当然であろうな……」
「創主様に嫌われたのか? 何でだ! 私は何も悪いことをしてないぞ! ラクレスが焚きつけたから!」
自覚もなし。ほとほと呆れたヒヒイロにナナ子が提案する。
「要するに、レイカルは外で遊びたいけれど、でも傘も雨着も分からないから、どうして人間がここまで億劫になるのか理解できないんでしょ? だったら……」
暴れるカリクムと小夜を他所に、ナナ子がレイカルに耳打ちする。その提案にレイカルは目を輝かせた。
「そんなことできるのか?」
ナナ子はサムズアップを寄越す。
「任せなさい! ミサイルからブラジャーまで、何でも揃えるんだからっ!」
ヒヒイロは何でもいいが、と付け足す。
「外で……やってくれんかのう……」
訪れると思いのほか人の気配が雑多で、作木は面食らう。
小夜とカリクムがどうやら来ているらしいが、門前に佇んだナナ子が「面会謝絶!」と強く声にする。
「これは小夜のプライドに関わるのよ」
はぁ、と生返事した作木にレイカルの声が弾けた。
「創主様っ、見てください! ナナ子が作ってくれたんですっ!」
レイカルが纏っているのは、紛れもなく――。
「雨がっぱ?」
「ありあわせの布で作ったのよ。それに、お手製のカタツムリバッグ!」
レイカルが背中を見せ、カタツムリの殻を象ったバッグを背に誇らしそうに鼻息を荒くする。
赤い雨がっぱにカタツムリのバッグと言う取り合わせは、まるで――。
覚えず吹き出した作木に、レイカルが猛講義する。
「あーっ! 創主様、何で笑うんですか!」
「いや、だってさ。かわいいから……」
そう、まるで無垢な子供そのものだ。その評をレイカルはプラスだと感じたのだろう。肩に留まったラクレスにレイカルは赤い雨がっぱを誇る。
「どうだ! 創主様に褒めてもらえて、羨ましいだろ! あげないぞっ!」
「誰が」
ぷいっ、と視線を背けたラクレスにレイカルが地団駄を踏む。
「嫌なヤツ! 行きましょう、創主様! もうこれさえあれば雨なんてイチコロですっ!」
雨の中、悠々と駆け出すレイカルは、もう雨が憂鬱なんてことは口にも出さないだろう。きっとこの雨の景色を誰よりも楽しんでくれるに違いない。
自ずと、歌が口をついて出ていた。
雨の中、蛇の目傘を差した母親が、子供を迎えに来る歌。何の変哲もない、雨の情緒を歌った日本の童謡。
その歌に声が混じっていた。
ラクレスが見知ってか知らずか、口ずさんでいたのだ。
きっと、記憶の原初にあるであろう歌を。この雨空の下で共にする家族として。
「……ラクレス。雨がっぱを作ったら、三人で出かけよう」
提案にラクレスは髪を払った。
「……別に、レイカルのが欲しいわけでは……」
「いや、雨の散歩を、僕が三人でしたいんだ。それじゃ駄目かい?」
その言葉にラクレスはすぐには応じなかったが、小さな返答を寄越していた。
「……それが創主の望みなら」
レイカルが自分の歌を真似て口ずさむ。
――ぴっちぴっち、ちゃぷちゃぷ、らんらんらん――。
降りしきる雨も、今ならば恨まずに済みそうだ。