「それはいいんですけれど、でも……大丈夫なんですか? ――こんな場所で……」
仰ぎ見た天地は漆黒に染まっており、大地は罅割れ、恵みの一欠けらもない。
――まさに全てに見離された土地。
そんな場所でこんな呑気なことをしていてもいいのか、という意味の問いかけにエルニィは《ブロッケントウジャ》のコックピットハッチに座り込む。
「だってー、しょーがないじゃん。南だって上の決めたことだから覆せないって言っていたもん」
ぷいと視線を背けたエルニィにさつきは《ナナツーライト》に持たせた農耕機具で大地を耕作する。人機サイズの農機具は人手の要る農作業においてかなりの面で効率的であったが、それをやるにしては、ここはあまりにも不適当だ。
――こんな場所が、ロストライフの最果て……。
さつきは日本でのうのうと暮らしていた自分を顧みて、改めて口にする。
「……もし、キョムが勝っちゃったら、こうなっちゃうんですね……。日本も……」
「まぁねー。そうならないように努めるのが、ボクらの仕事ってわけなんだけれど」
どこか能天気なエルニィの声音にさつきは嘆息をつく。
そして、どうしてこんな場所にまで同行したのか、自らの迂闊さを呪っていた。
「あったかいなぁ……。ぽかぽかの春だなぁ……」
軒先で寝転がっていたエルニィにさつきはやんわりと声にする。
「あの……立花さん? ごろごろしているとその……危ないですよ……」
「いやぁ、こんな風に何て言うの? 春のうららかなえっと……陽射し? って言うのを浴びていると、何か溶けちゃうよねー。ほとんどのことは意味がないと思えてきちゃう」
「立花さんがそう思っちゃいけないじゃないですか。アンヘルのメカニックですし……」
「うん、まぁそうなんだけれどねー。さつきは、さ。農作業ってしたことある?」
藪から棒の質問にさつきは目を白黒させる。
「いえ、特に経験は……」
「んじゃ、農業体験しに行こうよ!」
思わぬ提案にさつきはうろたえたが、確かに暦の上ではそろそろ種まきの季節。春の暖かな日々が続く日本では、農家は忙しくなる時期だろう。
「……農業体験……。どこかの体験セミナーとかですか?」
「うん、まぁ、そう言うの。赤緒ってば学校とか言うしさー。ルイも、乗り気じゃありませんって顔してるし、さつきなら適任でしょ?」
「あの、私も一応、中学生……」
「明日休みじゃん。付き合ってよー」
「ええー……」
前掛けに縋ってくるエルニィの涙目に、さつきはうっとうろたえる。
こうやって懇願されると自分は弱いのだ。
だが、今回は農業体験という程度ならば、危ない目に遭うこともないだろう。それに、農作業をするのもまた、人生の一環かもしれない。
「……分かりました。でも農具とか、あっちで揃えてくれるんですかね?」
「ホント? やったー! じゃ、さつき。これ」
差し出されたのは真っ黒いチケットである。さつきは表裏を仔細に観察した。
「……何ですか? これ」
「何って、特務機に乗るのには一応手続きが要るじゃん。国境超えるんだからさー、それくらい分かるでしょ?」
このこのー、と肘で突かれさつきはまごつく。
「特務機? えっと……国境? 立花さん、農業体験って国内のことなんじゃ……」
「えっ? いつボクが国内の話って言った? これからさつきには、とある場所に行ってもらうよ。まぁ、諸事情あってどこなのかは明かせないけれど……ちょっとばかし遠出。《ナナツーライト》の仕様はきっちり整えておくから、さつきは明日の朝一には出発ねー!」
ぐっとサムズアップを寄越したエルニィにさつきは呆然とする。
「えっ……《ナナツーライト》で? えっと、農業体験……?」
事柄が頭の中で結びつかずに混乱するさつきへと、エルニィは満足げに頷く。
「うんっ! ロストライフ化した土地ってさー、どんどん痩せていく一方だから! 人機で農業体験! ホラ、敵情視察もできるし、何なら復興のモデルケースにもできる! 効率いいでしょ?」
そう言われてみても、さつきにはいまいちピンと来ない。一体エルニィは何の話をしているのか。
「……どういう……?」
「もうっ、にぶいなぁ! 早い話、ロストライフ化した土地を耕そうって言ってるの! これから春だしね!」
そう言い置いてエルニィは足早に駆けていく。取り残されたさつきは、黒いチケットを掴み、その段になってようやく、やられた、と実感した。
「さつきー! お昼休憩、お昼休憩ー!」
「はいはい……慌てないでくださいよ。お味噌汁です」
水筒に入れた味噌汁を差し出すとエルニィは途端に上機嫌になった。
「どう? ボクの開発した特製の水筒! まだ日本じゃ、冷たいものを入れる容器って定義だからねー。これは将来売れると思うなー」
「どう……ですかね……」
はは、と乾いた笑いと共にさつきは項垂れる。味噌汁とおにぎりをこしらえてきたのを、エルニィは楽しみにしていたらしい。早速、膝をついた形の《ブロッケントウジャ》に背中を預け、巨大おにぎりに齧り付いていた。
「ウマっ! 何コレ、さつき、何入れたの?」
「国境を超えるって仰っていましたから、濃い味付けのほうがいいかな、と思いまして……。えっと、ちょっと邪道だけれど、焼き肉おにぎりです……」
「いや、これ本当おいしいよ……。さつきもさ! ボクの発明品と一緒にお弁当売らない? きっと儲かると思うなー!」
「ど、どうでしょうかね……」
さつきは自分サイズの小さな梅干しおにぎりを頬張る。
しかし、と農耕地と定めた大地を、二人は見渡していた。
「……何にも、ないんですね」
「うん。まぁ分かっていたことだけれどね」
どこか他人事なエルニィに、さつきは怪訝そうにする。
「……初めて見るんじゃ、ないんですか?」
「まさか。何個も見て来たよ、こういうの。……キョムの連中はさ、日本もこんな……ひなびた場所にしようって魂胆なんだ。そりゃ、許せるはずもないよね」
焼肉おにぎりを頬張りながらも、エルニィの眼差しは真剣そのものであった。
――きっと、ずっと戦い続けてきたんだ……。
自分には及びもつかない、それこそ撤退戦や敗北戦もあったはず。だがエルニィは諦めていない。諦めていないから、今も自分たちのために手を講じてくれている。
それが、嬉しいと思うのか、あるいは酷だと思うのかは、それこそ後の時代が決めるものだろう。
「さつきはさー、人機ってどう思う?」
出し抜けの質問にさつきは戸惑ってしまう。
「どうって……」
「人機を見る人もさ、色々いると思うんだ。怖いだとか、悪魔だとか、そう思っちゃう人もね。だからさつきの意見が欲しい。さつきは、人機をどうしたい?」
「私が……人機をどうしたいか……」
それは恐らく保留にし続けていた答えかもしれない。
《ナナツーライト》は怖くない、それだけでは理由にはならないのだろうか。兄の造ってくれた《ナナツーライト》には優しさが込められているような気がするのは。
しかしエルニィの瞳はどこか遠くを見据えているようであった。
「……立花さんはどうしたいんですか?」
「ボク? ボクは、さ。人機をとにかく便利で、ハチャメチャで、すんごい強くって……そんでもって……人の役に立つ物を創りたい! これって、変かな……?」
笑顔を咲かせたエルニィにさつきは首を横に振る。
「いえっ……! とても素敵な夢だと、思います……」
「でもねー、ボクよりももっと、人機に夢を懸けた人間がいるんだ。今、どうしてんのか知らないけれど。……でもまー、この空で繋がっているどっかで、多分戦っているんだと思う。そいつはさ、ちゃんちゃら可笑しいけれど、人機が車とか、飛行機みたいに、戦う道具じゃないものにしたいんだってずっと息巻いてた。可笑しいよね。だって、武器を持った時点で、これは兵器だ。平和利用なんて謳ったって、今の世界の均衡を簡単に崩しちゃえる、そういう代物なんだよ。だから、ロストライフの土地で……こうやって農作業するのは、ね。ホント、無駄って言うか、意味ないんだよ。……分かっちゃ、いるんだけれどね……」
「立花さん……」
どこか寂しげに語られた背景にさつきは言葉をなくしてしまう。
しかし、直後にはエルニィの声は弾んでいた。
「だからさ! 日本も春なんだし、ここにもきっと……遠い遠い、将来のことかもしれないけれど……春が来るんだと思うんだ。そんな時、草木の一本も生えない、死の土地じゃ嫌でしょ? だから、無駄でも農作業する! ……たとえこれが人機の、そういう風に造られたもんじゃないって言われても、ボクなりの足掻きなんだ。だって、そうじゃない? ロストライフ化した土地で、一輪でも花が咲けば、それはボクらの勝利だ!」
「……私たちの、勝利……」
それはきっと、見ないようにしていたことの一つでもあるのだろう。
――何をもって勝利とするのか。何をもって敗北とするのか。
キョムの八将陣の企てた「ゲーム」。それに従って今はこう着状態に近い日常が流れているが、それだっていつ壊れるのか分かったものではない。
大体、その勝利条件だって一方的だ。
八将陣を見つけ出し、討伐すれば、“「日本」からは撤退する”と宣言されているが、それは日本以外の土地での敗北を意図したものではない。
きっと、どこかで誰かが、死の淵にいる。誰かが嘆き、そして悲しむのに違いない。
自分たちがよしんば八将陣を撃退したとしても、キョムを完全に敗退させるのには何もかも足りていない。
元より不利な情勢なのだと、両兵は吼えたが、それでもこうやって突きつけられると現実は違うのだと思い知らされる。
「……私たちが、ロストライフ化を完全に食い止めるのには、何もかも……」
もう遅いのかもしれない。世界は崩壊に転がり出し、人類は破滅への秒読みを始めている可能性だってある。
こうやってロストライフ化した大地が広がっているのがその証明。
日本を救えても、どこかの誰かの不幸までは贖えない。
自分たちは所詮、手の届く範囲でだけ吼えているだけの、とんだ弱者……。
エルニィは、まぁ、と話を切り替えていた。
「ボクらにとっちゃ手に余る代物なのかもね。世界平和だとかそういうのって。いくら人機を操って、前線に出ているって言っても、もう手遅れだった場所はたくさんあるんだ。……手遅れだった命も。でもだからこそ、こうやって足掻くし、こうやって土を耕す。それってさ、抵抗って言う名の、ボクらにできる唯一なんだと思う」
エルニィは天才だが、彼女とて限界を感じていないわけではないのだろう。自分たちの前ではおどけているが、日夜キョムの張り巡らせた策謀と鎬を削っているに違いない。
「……立花さん。私……っ、でもさっきの言葉――!」
「待って。おいでなすったみたい。まぁ、来るだろうね。ロストライフ化した土地で何やってんだってさ」
仰ぎ見た暗夜の空に、黒カラスが三機羽ばたく。
「……《バーゴイル》……」
色めき立ったさつきにエルニィは尋ねていた。
「……ねぇ、さつき。本当に、意味はあると思う? ボクらが、こうやって何かやって、誰かのためになるのかも分からない戦いを、繰り広げていても……」
その言葉にさつきは自らの頬を両手で張っていた。
思わぬ行動であったのだろう。エルニィは目を見開く。
「……どったの? おかしくなった?」
「……おかしくなってません。立花さん。らしくないじゃないですか、弱気なんて。だって、立花さんは天才でしょう? だったら、この荒んだ大地で、一輪どころじゃない。一面の花畑を作ってみせるんだくらい……言ってのけてくださいよ……! じゃないと、私……っ……」
何を頼りにすればいいと言うのか。何に縋ればいいのか。それはまだ見えない。まだ分からない。
だが、それでも見据えるべきは、ささやかな幸せなんかじゃない。
大輪の幸福を、勝ち取ってみせる。
こちらの覇気にエルニィは力なく笑う。
「はは……あーあ、何かさつきにいいこと言われちゃったね。これだけ言わせて。……さつきのクセに、生意気だぞ、って! よぉーし! ボクらは負けない! だってトーキョーアンヘルだもん! ブロッケン!」
呼応した《ブロッケントウジャ》の掌に乗ってエルニィはコックピットへと導かれていく。
さつきもその手に携えたアルファーを淡く輝かせていた。
「……ついて来てくれる? 《ナナツーライト》」
首肯した《ナナツーライト》が手を差し出す。
さつきはコックピットへと入るなり、戦闘姿勢に入ったエルニィの《ブロッケントウジャ》を視野に入れていた。
『来るなら来い! キョムの《バーゴイル》! ボクらは負けない! エルニィ・立花! 《ブロッケントウジャ》、出るよ!』
槍を回転させて構えた《ブロッケントウジャ》が突き出して威嚇する。
さつきもその勢いに押されて声を発する。
「緑舞う田園の使者、《ナナツーライト》……川本さつき、行きます!」
《バーゴイル》がプレッシャーライフルを放射する。それをばらけた二機が回避し、さつきの《ナナツーライト》は着弾の前にリバウンドフィールドを纏いつかせていた。
地表に至る前に、プレッシャーライフルの弾頭が凝り、それらはやがて《バーゴイル》へと反射する無数の矢じりとなる。
「Rフィールド、プレッシャー!」
リバウンドの性能を付与した弾丸が幾何学の軌道を描き、《バーゴイル》の編隊へと殺到した。
敵機も散開するが、それの頭を押さえたのはエルニィの《ブロッケントウジャ》である。
『へへーん! その程度の連携、ボクらに敵うもんか! そうだろ、ブロッケン!』
槍の穂先が《バーゴイル》の胴体を割り、そのまま生き別れにさせる。
さつきは呼気を詰め、敵の動きをつぶさに観察した。
「……残り二機……。私は……守る! 守って守って……お兄ちゃんに――会うんだぁっ!」
迸った声音と共に《ナナツーライト》は大きく跳ね上がる。
敵の頭上を取り、ハンドガンで相手をかく乱させた。
「立花さん!」
『合点!』
高度を落とした《バーゴイル》の翼ならば、《ブロッケントウジャ》の敵ではない。
『シークレットアーム!』
隠し腕を展開し、《ブロッケントウジャ》は《バーゴイル》の首元を締め上げていた。敵のブルブラッドが行き場を失い、やがて凝固したそれらは循環パイプから噴き出す。
敵機の「内出血」を誘発させた《ブロッケントウジャ》はそのまま首を刈っていた。
撤退機動に入る最後の一機へと、《ナナツーライト》が猪突する。うろたえ気味の《バーゴイル》がプレッシャーライフルをゼロ距離で番えた。
――しかし、この《ナナツーライト》ならば。リバウンドを自在に操る、この人機は。
「その距離は私の距離でもあります! Rフィールドプレッシャー、最大出力っ!」
躯体の各部器官より放たれたRフィールドの電磁場が《バーゴイル》を絡め取り、巨躯を痙攣させた《バーゴイル》の背後へと《ブロッケントウジャ》が回っていた。
『……もらいッ!』
槍が《バーゴイル》の頭蓋を叩き割る。
沈黙した敵影にエルニィは声を弾けさせていた。
『終わったー! ……ねぇ、さつき。ちょっとさっきの戦闘の前のアンニュイは忘れて。ボクらしくなかった』
普段ならば、これで忘れてやるところだが、さつきはこの時、少しだけ意地悪をした。
「……いいえ。立花さんの弱い部分も、脆い部分も見せてくださいよ。だって私たち、同じアンヘルメンバーじゃないですか」
その言葉に暫時沈黙が流れたが、やがてエルニィからいつも通りの調子の声が返ってくる。
『……だね! 今のもボクっぽくなかったかもだけれど、でも……忘れないでくれていい』
「立花さん。まだ農作業は途中ですよ? 一緒にやりましょう。種蒔きを。きっとこの土地に、花は咲きますよ」
エルニィは槍の穂先をシークレットアームで農耕機具に切り替えていた。
『んー、まぁそうだね。そう、信じたい……かな』
「いえ、きっと来ます」
さつきは《ナナツーライト》より外に出ていた。
漆黒の土壌に、煤けた風。空は暗く染まり、太陽の欠片さえもこぼしてくれない暗礁の大地――。
「でもそれでも……春は来るんです。だから、春が来るなら、種を撒いて……そして花咲く頃に、もう一度、ここに……」
今度は誇りを持って、戻って来られれば。
願ったさつきにエルニィが《ブロッケントウジャ》から出て声にする。
「……できるかな。春が来ても、真っ暗じゃかわいそうだ」
「だったら。青空を、取り戻しましょう。私たちの、力……アンヘルの手で……」
「あれ? さつきちゃん、何だか土のにおいがするよ? 立花さんもそうだったかな……どこへ行っていたの?」
台所で隣に立った赤緒へと、さつきは少しだけ意地悪にウインクしていた。
「……内緒ですっ! でも、いずれはみんなで一緒に行ける場所には、違いないですから。――そう。春が来れば」
春の訪れは、そう遠くはないはずだ。