JINKI 83 ささやかな眠りにつく前に

「えっ……? うーん……多分、優しいおじいさんと、笑顔が素敵なおばあさんが……そのー、暮らしておりました。で、おじいさんは山へ芝刈りに、おばあさんは川へ洗濯に……」

「ちょっと待って、青葉。何、シバカリ? ……物騒なことを言うのね。老人に狩猟をさせるなんて」

「いや、そういう狩りじゃなくって……。まぁ私もよく分かんないけれどでもそうなっているの。えーっと、それで大きな桃が川をどんぶらこどんぶらこと……」

「変な擬音ね。何がどうなっているのかさっぱりだわ」

「まぁそれはえっと……持ち帰ったおばあさんが桃を割ると、玉のような男の子が……」

「待って。青葉、それって何なの。眠る前にホラーなんて聞かせないで。果物の中から人間が這い出て来たなんて気味が悪い……」

「いや、これホラーじゃなくって昔話……」

 こちらの取り成す言葉に対してルイはむっとして上体を起こす。

「……やっぱり駄目ね。青葉じゃ当てにならない」

「そ、そんなー……。でも、他にやれるようなことって……」

「そもそも眠るという環境が違うのよ、日本人とこっちじゃ。人機の中で眠れたら、もうちょっと寝つきはいいかもしれないけれど……」

「それは……あっ、でもそれなら!」

 手を叩いた青葉をルイは胡乱そうに見つめていた。

「……ねぇ、大丈夫なの? 勝手にモリビトの中に入りたいなんて」

「だって、ルイは眠ってくれる気配ないし……。私も万策尽きたから、そのーモリビトなら安心できそうだもん」

「……呆れた。あんた自分がモリビトの中で眠りたいだけでしょ」

 図星を突かれ青葉は言葉を失う。

「で、でも! ルイもこのままじゃ眠れないでしょ?」

「……まぁそうだけれど。青葉がもうちょっとマシな方法を知っていればこんなことにもならなかったのにね」

「なっ……! 私のせいみたいに……」

 涼しげな顔をしているルイを横目に、青葉は懐中電灯で廊下を照らし出していた。

 宿舎の中は静謐に包まれておりそれなりに雰囲気がある。

 ごくり、と唾を飲み下した青葉が進みかけてルイがぎゅっと首根っこを引っ掴む。

「待って、青葉」

「ひゃあっ! ……もうっ、何、ルイ……」

「誰か、来る……」

 その詰めた声に青葉は背筋を凍らせていた。まさか、こんな夜更けに、と思ったその時には、こつん、こつんと廊下を歩んでくるふらついた影を視野に入れていた。

 懐中電灯の光がその対象を照らし出す。

悲鳴を発しかけて、ルイがその口元を覆っていた。

「……小河原さん……」

「えっ、両兵?」

「んあ……? 何だ、てめぇら。こんな夜中に」

 両兵はこちらを認めるなりしっしっと手を払う。両兵相手に驚いたことも恥なら、こうして相手にもされないのも恥であった。

「なっ……! 両兵だってこんな時間に何やってんの!」

「ションベンに行った帰りだっての。うっせぇな……夜中だぞ? 何やってんだ、黄坂のガキまで引き連れて。ガキはさっさと寝てろ」

 あしらわれるのが嫌で青葉はぐっと声にしていた。

「……両兵。人機の中で眠ったこと、ある?」

「あン? 人機の中でだぁ? ……そんな真似はしたことねぇな。ああ、でも……ちょうどいい。面白ぇもん、教えてやる」

 笑みを浮かべた両兵の面持ちはどう見ても悪ガキのそれであったが、その相貌を自分はよく知っている。

 日本で自分たちを率いて遊んでくれていた時の横顔だ。

「……もう! 両兵、何か悪いこと考えてるでしょ?」

「分かるか? なぁーに、ちょっくら失敬するだけだっての。こっち来い、お前ら。整備班には見つかんなよ。まぁこんな夜更けだ。誰も起きては来ねぇとは思うが、山野のジジィに見つかるとヤベェからな。うっせぇの何のって」

 両兵が先導し、廊下を慎重に折れ曲がっていく。その背中に引き続く自分は自ずと日本での日々を思い返していた。

「……懐かしいね。こうやって私と遊んでくれた」

「……そんなこともあったか? ほとんど覚えてねぇんだよ」

 そういえばそうだった。両兵は日本で自分のことを男だと思っていたのだ。何だか、癪な気分で青葉はぷいっと視線を背けていた。

「知らないっ! 両兄ちゃんの馬鹿」

「あっ、お前、その名前で呼ぶなって言ってんだろ! って……デケェ声出したら気づかれちまうだろ。……ったく、マヌケなのは変わらねぇな、アホバカ」

「あっ、それ言ったっ! 私のこと、アホバカって!」

「うっせぇぞ。静かにしねぇと、マジに誰かに見つかっちまう。……よし、格納庫までの道順はクリアだ。ちぃと走るぞ、二人とも」

 両兵の背中に続き、青葉はルイと手を繋いで人機の整備格納庫へと踏み出していた。

 扉を器用にピッキングで開けた両兵を青葉は見咎める。

「両兵……それって犯罪……」

「細けぇこたぁいいんだよ。よし、開いた」

 何だか手慣れているのもどこか物騒で、青葉がじっと見据えていると両兵は手探りで間接照明を点けていた。

 最低限度の灯りだけで《モリビト2号》が照らされる。

 そういえば暗がりの中でモリビトを目にしたことはなかった。こうやって改めて仰ぎ見ると、巨大さが浮き立ってくる。

「……モリビト……」

「何やってんだ、アホ。さっさと上って来い」

 両兵はそんな情緒など何のそのでモリビトのコックピットへと繋がる階段を駆け抜けていく。

 青葉は少しだけむっとして両兵の後を追っていた。

「……えーっと、確か緊急ハッチのパスコードは、っと」

「……何やってるの? いつも普通に開くのに」

「……お前、本当に何も考えてねぇんだな。格納庫の場所バレてんだ。どこかの国の諜報員が人機奪ってくるかもしれねぇだろ。そういう時にコックピットには入れないようにしてあんだよ。普段はヒンシたちが予めロックを解いてくれてるんだ」

「……そう、なんだ。そうだよね……モリビトは……人機は、強過ぎる力だもん……」

 学べば学ぶほどに人機は強力な武力であることを思い知らされる。しかし、自分は一度だってモリビトに対して「兵器」という言葉を用いたくはなかった。

 いつかは人機だって車や飛行機のように、万人のための存在になれる。そうなのだと、信じている自分を裏切ることになるからだ。

「おっ、開いた。さぁーて、やるか」

「やるかって……モリビトを動かしたらさすがにみんな起きちゃう……」

「馬鹿だな、お前。格納庫の天井を見とけ。モリビトからでもアクセスできたはずだ。緊急出撃機構が生きてるはずだからな」

 その言葉に導かれるように格納庫の天井部分が開いていく。

 視界に大写しになったのは満天の――輝く星空。

「……すごい、キラキラしてる……宝石みたい……」

「なかなかに豪勢な眺めだろ? 南米の夜ってのはこれだけは誰かに誇れるからな。夜更けになると星が強く輝く」

「日本に居た頃は……こんな夜空、見れたことなかった……」

 呆然とする青葉に両兵はモリビトの頭部に近い部分の強化ガラスの屈折率を変える。

「こうすりゃもっと見えるぜ。モリビトの中から望める、最大級の星空だ」

「……綺麗……」

 息を呑んだ青葉にルイがぎゅっと手を握り締める。ともすれば彼女からしてみれば見慣れた眺めだったのかもしれない。そう慮っていると、両兵が得意そうに微笑む。

「どうだ? これで満足か?」

「あ、うん。ルイ? どう?」

「……うん。でも、今は眠れそうにない」

「えっ、でも人機の中ならって……」

「違う。……胸が高鳴って、眠れないって言っているの。……馬鹿」

 どこか紅潮したルイの相貌に放心していると、両兵は上操主席を倒していた。

「まー、満足するまで見とけ。オレは寝る」

「あっ、両兵……。って、もう寝ちゃった……」

 高いびきを掻く両兵に少し可笑しくなって微笑むと、ルイは下操主席へと自分を導いていた。

「青葉。……ここからなら、星も見えるし……小河原さんとも距離があるから眠れるかも……」

「何で両兵と距離を……?」

 問いかけが実を結ぶ前にルイは下操主席へと自分を引っ張り込む。

 狭苦しいが、ルイはどこか茫然としたように呟いていた。

「……こういう日々も、ありなのかもね」

「うん。私も、今日はちょっと悪い子で……よかったかもしれないかな。両兵には感謝しないとね。モリビトが繋いでくれたんだと思う。この風景を、目に焼き付けて欲しいって」

「……何それ。恥ずかしい台詞」

 ぼやきつつもルイは否定だけはしなかった。きっと、こうやって一歩ずつでも進んで行ける。歩み寄ることができるのだと思える。

「……ねぇ、眠る前の……戯れ言だと思ってくれてもいいんだけれど……。私、ルイのこと、もっと嫌な子だと思ってた」

「……奇遇ね。私も、こんなもやしが何に成れるのかって思っていたわ」

「……でも今は……ライバルだよね、ルイ」

 近づいたルイの面持ちに声にすると、彼女の透き通ったエメラルドの瞳がこっちを見返す。

「……そうね。色んな意味で……」

 少しずつ遠のいていく意識の中で、青葉は天上へと手を伸ばす。仰ぎ見るのは満天の星空、果てに望むは銀河の彼方、星々の地平――。

「……眠る前にこんな綺麗な景色を見せてくれたのは……両兵にもありがとうかな」

「南米じゃこんなの日常茶飯事よ。よくある光景」

「……もう。ルイってば意地悪」

「……でも、そうね。……友達……と一緒に見たのは、初めてかもしれない」

「えっ、ルイ、今なんて?」

「……もう言わないから」

 少し聞きそびれた言葉を問い返すと、ルイは何でだかむくれて寝返りを打つ。その背中に青葉は呼びかけていた。

「……おやすみ、ルイ」

「……おやすみ、青葉」

 眠りにつく前の、ささやかな思い出には、こんなささやかな絶景が似合う。

 ――ここに来てよかった。

 そう感じながら、眠りの幕はゆっくりと下りていた。

 ――翌日。

 両兵を含めてモリビトのコックピットで寝入ってしまった自分たちはこっぴどく怒られてしまったが、それでも三人とも、どこかくすぐったい共犯者の感覚を味わいながら、そっと笑い合った。

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