「……ああっ、もう! 分かったよ……今回は大人しくしとく。でも、一分でも勝てる要素を増やすのがボクの仕事。そこんところは分かってよね」
「もちろんよ。頼りにしているわ、天才メカニック」
しかし、と箱部屋を離れてから南は改修プランを一読する。
「……まさかこの人機が、勝利の鍵になるなんてね……。大丈夫なのかしら」
仰ぎ見た憎々しいほどの青空を、飛行機雲が横切って行った。
「あの! ヴァネットさん! 絶対安静って先生が……」
屋上で風を受けているメルJへとさつきが声を投げる。彼女はどこか恨むような目線を細めていた。
「……あの人機、勝てなかった、な」
「今、立花さんが一生懸命、作戦を練ってくれているそうです。私たちは、それを待つしか……」
「待つのも戦いか。……因果なものだ。メカニックなんて要らない、一人で戦えれば充分だと吼えていた私も、事ここに至ってしまえばこうも弱い」
その事実を恨んでいたのだろうか。さつきは、でも、と言葉を手繰っていた。
「……そうやってみんな進んできましたから。多分、それがトーキョーアンヘルなんだと思います」
「……知った風な口を利くのだな」
「あっ、ごめんなさい! 私ってば、そこまで出過ぎたことは……」
「いや、いい。頭も冷えた。お前のお陰かもしれない」
さつきはきょとんとしてメルJを見つめる。
「私の?」
「……お前も赤緒も、一生懸命に帰る場所を守ってくれている。ならば戦士なら、それには応じるべきだ。私の《バーゴイルミラージュ》一機では勝てるものも勝てん。正直、頼りにしているとも。帰る場所を守れる人間の強さを」
「帰る場所を守れる……強さ、ですか?」
「さつき、思ったよりお前は傷が浅いな。あの青い光の放射の時、何が起こったのか……」
「あっ、その……どうしてなのだか、あの後、撤退しながら立花さんにはこう言われました。“《ナナツーライト》だけが……”とかって。どういう意味なんでしょう?」
「さぁな。私には分からんが、天才の頭脳を当てにするとしよう。それに、馬鹿は私だけではないようだぞ?」
メルJが庭先へと顎をしゃくる。さつきは歩み寄って下階を覗き込むと、庭先で松葉づえ片手に歩いている人影を見つけていた。
「……大変!」
思ったよりも速く身体が動き、一目散に階段を駆け下りていく。
「ルイさん! ルイさんも駄目ですよ! 絶対安静です!」
「……さつきじゃない。何やってるの、慌ただしい」
ルイは病院の庭で一匹の猫へと猫じゃらしを振っていた。猫が掴もうとジャンプするのをルイはぴょんぴょんと猫じゃらしを跳ねさせて眺めている。
「もうっ! 言うことを聞いてくださいよ……。南さんからも言われているんですから。重傷者は寝ておくように、って!」
「……私、重傷者じゃない」
「包帯まみれじゃないですか! それで重傷者じゃないは通りません!」
さつきの言葉にルイは眉根を寄せる。
「……悪かったわね、包帯まみれで。でも、堅苦しいから要らないわ。第一、こんなの日常茶飯事で……」
「駄目です! ルイさんは寝ておいてください! ……ヴァネットさんも寝ておくように言っておきますから」
「ふぅん、さつき、メルJには何も言えなかったのね。……弱虫」
「な――っ! そんなことないですよ! ちゃんと言いました!」
「まぁどっちでもいいけれど。……それよりも人機は? いつ作戦は開始されるの?」
「……今のところは立花さんの返答待ちです。私はまだ軽傷なので、皆さんのお目付け役に任命されたんですから!」
「……さつきの癖に、生意気……」
「くせにとは何ですか! ……赤緒さんも目を醒まされたみたいです。おにい……小河原さんも、重症だけれど一応は大丈夫そうだって。……よかったぁ……。一時はどうなることかと思いましたよ」
安堵の息をついてしゃがみ込むと、ルイはこちらへと目線を合わせて歩み寄る。
「……赤緒もようやく起きたのね。相変わらず、遅れてる」
「……あんまり強気なことは言わないでくださいよ。みんな怪我したのは、事実なんですから」
「……あの人機……さつきは勝てると思う?」
ルイの目線はいつの間にか庭を舞う蝶々を視野に入れていた。さつきはうぅん、と思案する。
「……すごく強い人機でした。これまでの八将陣の、どれとも違う……。あ、でも似たようなのは居ましたっけ。《キリビトコア》って言う……」
「……リバウンド兵装で身を包んでいる人機なんてそうそうお目にかかれないはずよ。……何かカラクリがあるはず」
それはこれまで数多の戦場を抜けてきたルイならではの目線なのだろうか。確証めいた論調にさつきは息を呑む。
「何か……。もしかすると、勝てないかもって……そう言いたいんですか?」
「何言ってるの。勝つに決まってるじゃない。リベンジのできない戦いなんて間違ってる……」
どうやらルイは重傷でもリターンマッチに燃えているらしい。活力があるのはいいことだが、それにしたところで、とさつきはため息をつく。
「……じゃあ英気を養うためにも今はじっとしていてくださいよ……。立花さんも怪我してるのに朝一番に出ちゃったし……。何だかみんな……急いでいるみたいで……ちょっと怖いです……」
しゅんとしょげた自分へと、ルイは猫を抱えて隣へと座り込む。
「……アンヘルがどうこうしちゃうんじゃないかとか、思ってるわけ」
「そりゃ……そうも思いますよ……。だって、あんなの圧倒的で……」
「それでも、私たちは負けないわ。負けている余裕なんてないもの」
猫の背中を撫でつつルイは語る。さつきは泣き出しそうな中でルイの強さの理由を問うていた。
「……ルイさんは、いつだって強いんですよね……」
「南米じゃこれくらい普通。たくましくないと生き残れないもの」
「……たくましくないと……。お兄ちゃんも、そうだったんですか……?」
ここで言う兄とは実の兄のことであったが、半分は両兵のことも混じっている。ルイはどことなく遠くを回顧するような瞳を投げていた。
「……そうね。さつきの兄とは、私はあんまり関わったことはなかった。元々ヘブンズって言う、回収部隊が私と南の仕事だったし。アンヘルの整備班とはなかなか、ね。でも、どれだけモリビトが危ない時でも、それでも弱音を吐かないのが整備班だったと思うわ。まぁ私は操主だから、どっちでもいいけれど」
「……操主。私も今は、操主なんですよね……。だから、勝たなくっちゃいけない……」
「怖いんなら南に言えばいい。やめさせてもらえるかもしれない」
「……そんなこと言えませんよ。私が怖いのは、何よりも自分で決めないことですから。お兄ちゃんも……小河原さんも頑張っている。そんな時に、何もできないのが一番に怖いですし」
「……結論、出てるじゃない」
「そう、ですね……何だか遠回しになっちゃいましたけれど……」
頬を掻くさつきにルイは言いやる。
「……力があるのなら、戦ってみることよ。そうじゃないと飲み込まれる。抗ってみて初めて拓ける道もあるんだから」
「それは、ルイさんの……?」
「別に誰でもない、誰かが言ったのかもしれない言葉の受け売りよ」
ぷいと視線を背けたルイだがさつきは自分の掌に視線を落とす。
――そうだとも、まだ負けていない。諦めるのには、まだ随分と早いのだ。