JINKI 104 ハロウィンの季節にまた

「私のはないの?」

「南さんはやってくれるんですか?」

「えっ、だってお得じゃない。トリックオアトリートって言うだけでお菓子もらえるのよ? 特別な代金を支払わなくっても補給物資が得られるなんて夢のイベントだわ」

 そういう観点か、と青葉は少し肩透かしを食らった気分になってしまう。

「でも……どうすればいいんでしょう。私、やったことないから勝手が分からないな……」

「じゃあルイに教わりなさいよ。ルイ! あんた、おどかし役は得意だったでしょ?」

「……ルイが?」

 目をぱちくりさせると、ルイは舌打ちする。

「……余計なこと言わないで、南」

「この子ってばさー、ハロウィンのおどかし役だけは妙にぴったしハマってるのよねー。まぁ生来の悪ガキっぷりを全力で活かせるから天職なのかも」

「だから、余計なことは言わないでってば」

 ルイは整備班の衣裳を検分するなり、ふんと鼻を鳴らす。

「……こんなんじゃ子供だっておどかせやしないわね」

「あら? じゃあルイ、あんたお手本見せなさいよ。青葉はちょうどハロウィン初心者だし、教えてあげられるんじゃないの?」

 ルイの鋭い眼差しが飛んでくる。青葉はやんわりと断ろうとして、南に耳打ちされていた。

「こうやって挑発してあげると、あの子も本気になるから。大丈夫だって、ルイってば澄ましている風で単純だから、ね?」

 はぁ、と生返事を返していると、つかつかと歩み寄ってきたルイがじっとこちらを睨む。

「……いいわ。本場のハロウィンを教えてあげる。整備班の衣裳は好きに使っていいのよね?」

 ルイの声音に気圧された様子の川本たちがおずおずと首肯する。

「あ、うん……。でもルイちゃんに合うような衣裳ってあるかな……?」

「ないなら、作ればいいのよ。南、手は空いているわよね?」

「あら、ルイ。やる気になってくれたの?」

 わざとここで問い返す南に、ルイはぷいっとそっぽを向く。

「別に。ただ、王道のハロウィンを見せてやったほうが、こっちの流儀に合うでしょ。青葉、あんたに本物のトリックオアトリートができるかしら?」

「で、できるもん! ……多分だけれど」

「そう。じゃあお互いに特製の衣裳を持ち寄りましょう。それでおどかす相手は――」

 すきっ腹を押さえて、両兵は今一度食堂へと向かっていた。

 先ほどは意地になって食いそびれてしまったが、夜半を過ぎると妙に空腹になって目が冴えてくる。

「……メシ食いそびれちまったな。ったく、ヒンシの奴らが妙なこと言いやがるもんだから」

 ――ハロウィンが大好きだったじゃないか!

 その問いかけに両兵は中空に返答する。

「……ガキん頃の話蒸し返すなよ。今のオレに、ハロウィンを楽しむ余裕も、ましてやガキに成り下がって菓子もらうなんざできるわけねぇだろ。……いつまでも子供じゃねぇし……」

 食堂はもう消灯されている。仕方がないので冷蔵庫から適当に見繕うか、と近づいたその時である。

 感じた気配に視線を振り向けると、台所に見たことのない真っ白な球体が転がっていた。

 大きさはそれなりで、人一人分はあるだろうか。

「……何だ、コレ。ヒンシたちの忘れ物か?」

 大方、ハロウィンに浮かれて台所に余った資材でも忘れていったか。そう思って歩み寄った瞬間、球体が変形し、すくっと立ち上がった影に両兵はびくつく。

 それはまさしく――。

「……アルマジロ?」

 人の背丈ほどもある巨大アルマジロに、両兵は気圧されたのも一瞬、川本らの差し金かと頭を小突く。

「何やってんだ、ヒンシ。着ぐるみでおどかそうってのはあまりに小細工が過ぎるんじゃねぇのか?」

 そう言いやった瞬間、アルマジロがくわっとその口腔部を開く。

 並んだ乱杭歯の鋭さが冷蔵庫から漏れる光を反射して輝いた。

 その瞬間に理解する。

 これは川本のものではない。

 僅かに後ずさった両兵は声を上ずらせていた。

「な、何なんだ、てめぇ……」

 巨体のアルマジロが口を開いたまま、ずしんと歩んでくる。その気迫に両兵はびくりと肩を震わせていた。

「な、何のつもりだ、ヒンシ。よくできてるじゃねぇの……。ガキおどかすのには、最適だな。中に入ってるのは、デブか? それとも、青葉……」

 その時、食堂に入って来た人影を両兵は目に留める。

「と、トリックオアトリート……って、あれ? 両兵?」

「青葉じゃ、ねぇ……? じゃあこいつ……」

 青葉は白い着物を身に纏った幽霊姿の仮装であったが、彼女もまた眼前のアルマジロに疑問を呈する。

「うわっ……川本さん? すごいなぁ……次郎さんの仮装?」

「いや、青葉……こいつは仮装なんかじゃ……」

 その瞬間、アルマジロから唸るような声が漏れ聞こえる。

 直後には両兵は青葉を抱えて駆け出していた。

「ちょ、ちょっと! 両兵! やだ、どこ触ってるの!」

「ヤベェヤベェヤベェ……ッ! 何だあれ! お前ら何やってんだ! ハロウィンだからってやり過ぎだろ……!」

「えっ……何あれ……整備班の誰かの仮装じゃないの? うわぁ、よくできてるなぁ……」

「呑気なこと言っている場合かよ! って、追ってくるじゃねぇか!」

 その巨体とは裏腹に移動速度はあまりに速い。スプリンターの走法で襲ってくるアルマジロに両兵は青ざめていた。

「どうすんだ、あれ……。って言うか、何であんな速ぇんだよ……!」

 全力で逃げていると言うのにつかず離れずの距離で襲ってくる。その喉元から、怨嗟のような声が耳朶を打っていた。

『……トリックオア、トリートぉ……お菓子をくれなきゃ……いたずらするぞぉ……』

「どう見たってヤベェ奴だろうが! ……クソッ、だが逃げたってどうにもなんねぇッ! 青葉! アイツはオレがどうにかする! ヒンシたちを呼んで、どうにか……」

「そんな……! 両兵!」

「へへっ……嘗めんな。どんなバケモンだろうが、どうにかする術は……」

 アルマジロの巨体が大口を開けて食いかかってくる。それを両兵は胸倉を掴み上げ、巴投げを極めていた。

 だがあまりの重量に互いにもつれ合い、押し倒す形になってしまう。

「痛って……。だが、これでどうだ。バケモンでも、何とか……」

 その視界に大写しになったのは、アルマジロの喉の奥に収まったルイの相貌であった。

 押し倒した自分にルイがばっと紅潮したかと思うと、鋭い手刀が首筋に叩き込まれる。

 思わぬ威力と精度に霞んでいく意識の中で、両兵はルイの言葉を聞いていた。

「……そのイタズラは……駄目だから……まだ」

「――でね、せっかく作ったハロウィンの衣裳も両がとっちめちゃったから、それっきりだったなぁ。まぁ、その後だとあんまり余裕なかったのもあるけれどね」

 南の話し振りに赤緒はさつきを追いかけるアルマジロの着ぐるみを視界に留めていた。

「でも……ルイさんが自分で作ったんですよね? 整備班の力を借りたとは言え」

「まぁね。あの子にとっても思い出の品なんでしょう。ただまぁ、日本じゃハロウィンが馴染むのはまだまだ先かもね」

 がおー、と威嚇するアルマジロにさつきが悲鳴を上げる。

「助けてくださいよ! 南さーん!」

「ああ、はいはい。……ったく、ルイもルイだわ。あの子ってば、でも、あの後は何でだか知らないけれど、ハロウィンを馬鹿にしなくなったのよねぇ。何でなのかは分からないけれど」

 言ってから南はアルマジロの着ぐるみを止めに入る。

 赤緒はそれを眺めながら、ふと、ハロウィンの行事を思い返していた。

「……お菓子をくれなきゃ、イタズラしちゃうぞ、か」

「……ん? 何だ、どっかで見た影だと思ったら、南米でひでぇ目に遭わせやがった黄坂のガキの仮装じゃねぇの。ったく、あン時はマジにビビったんだからな。デケェアルマジロなんて、バケモン以外の何者でもねぇだろうが」

 両兵は柊神社の前に置かれたアルマジロの着ぐるみに懇々と言い聞かせるが、中に誰も入っていないのか、反応はない。

「……って誰も入ってねぇのか。まぁ、いいけれどよ。あれキッカケでオレもハロウィンを馬鹿にするものでもねぇって学んだしな。ただ……あの時言っていた、そのイタズラは駄目って、どういうこった? 今思い出してみてもよく分からんのだが……。でもま、もし黄坂のガキに言うんだとすれば、今のテメェは存分に頑張ってンよ。だから褒美に菓子をくれてやってもいいし、別にあの時先送りにしたイタズラでもいいんだぜ……って言うのはまぁ、本人には言わねぇがな。勝負は――そうだな、ハロウィンの季節にまた、持ち越しにしようぜ、バケモン。おーっす、柊。メシぃ食いに来たわ」

 赤緒たちの喧騒を背に受けつつ、アルマジロの着ぐるみの中でもぞもぞと動き、喉の奥から顔を出したルイは、耳たぶまで赤くなった顔を手で覆って呟く。

「……そういうところじゃないの。……バカ」

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