JINKI 113 恋のテレホンダイヤル

「わっ……壊れちゃった……」

「いや、壊れてないよ。これ、二つ折りになるんだ」

 内側には薄い液晶が付いており、スピーカーらしきものが上部と下部に分かれている。液晶の下にはパソコンのテンキーによく似た配列の数字が並んでいた。

「あっ、これもしかして……電話ですか?」

「うん、そう。何かね、軍部ではもう実用段階みたいだけれど、民間に回るのはもうちょっと先かな。携帯電話とか言うらしいけれど」

「携帯電話……何だか不思議な響きですね」

「だよねー。まぁでも、ボクがこの間発明した奴のほうがいいと思うけれど」

「あっ、立花さんの言っていた何でもできる端末ですっけ?」

「あれのほうが時代の先端行ってると思うんだけれどなぁ。こんなの、単純動作でつまんないし」

 エルニィが発明してみせた万能端末はしかし、自分が壊してしまった。

 これもそのように壊れやすいものなのか、と見つめていると不意に黒電話が鳴り響く。

「はい」と手に取るとエルニィの声が伝わって来ていた。

『おっ、繋がった。民間の電波使ってるってホントだったんだ』

「えっ……うわぁー、すごい。立花さんが前に造ってくれたのはでも、今の電波方式じゃないんですよね?」

『うん、まぁねー。でも十年後、いや、二十年後にはあれが一般的になるとは思うよ? こんなの、所詮は国内レベルでしか流通しないだろうし、それに何よりも……』

 言葉を濁したエルニィは携帯電話の通話を切って難しい顔をする。

「……どうかしましたか?」

「いや、何か……最終的な到達点として、これって美しくないよ。そりゃ普及はするだろうけれどさ。電話しか使わないって何て言うか……技術の進歩を諦めているみたいだし」

「うーん、でも案外、広まるかもしれませんよ? だってどこからでも電話できるって便利じゃないですか」

 こちらの意見にエルニィは、これだから、とため息混じりに肩を竦める。

「一般的には、そうかもね。でも何だか、軽いだけの実験機だからつまんないって言うか……」

 常に技術革新を夢見ているエルニィからしてみれば民間に落ちる技術と言うのは案外面白味のないものに見えているのかもしれない。

 しかし、赤緒からしてみれば手のひらサイズの携帯電話はそれだけでも充分に希少品に思われた。

「あのー、もしかしてこれ、たくさんあります?」

「うん? ……まぁ、ざっと三十台くらい。軍部も送り過ぎなんだよ。こんなに要るかって言う……」

「じゃあその……一回皆さんで使ってみましょうよ」

 エルニィは目を丸くする。赤緒は段ボール箱に詰められた携帯電話を手にして開いてみせる。

「アンヘル内で使うんなら、打ってつけじゃないですか? 試用にもなりますし」

「うーん……まぁ、こんなローテクなものでいいんなら、使ってみる?」

 エルニィ自身は乗り気ではなさそうだが、赤緒は少しだけ浮ついていた。

 少し調整すればポケットにも入りそうだ。

 何だか夢の機械を手に入れたようで、胸が高鳴る。

「携帯電話かぁ……。何だか夢みたいですねっ」

「赤緒ー? でもあんまし……いい物だとも限らないかもよ?」

「――と言うわけで、トーキョーアンヘルで携帯電話の試用を検討したいのですが……」

 めいめいに自分の携帯電話を手に取った面々が居間で渋面を突き合わせている。

「電話……すごいですね。こんなに小さくできちゃうんだ……」

 素直に感心するさつきに対しエルニィはどこか不承気だ。

「こんなの、大したことじゃないってば。できるのは所詮、通話と……閉じたネット回線くらい? スペックが足んないから分かんないけれど。無線機でいいじゃん」

「あら? あんたにしては消極的ね? 私はいいと思うけれど。これで連絡手段には困らないし」

 南の後押しもあってか、ルイは早速使用する。

「もしもし? うな重一丁」

「る、ルイさん! 勝手に出前取っちゃ駄目ですよ……。大体、さっき食べたじゃないですか」

「もう頼んだわ。にしても……思ったよりもノイズも少ないし、便利なのね」

「そうなんですよ。これ、アンヘルの通信用に全員持っておきませんか?」

 赤緒の提案を渋っていたのはエルニィくらいで他の面子は大方賛成のようであった。

「無線機は何だかんだで範囲が限られる上にジャミングされやすい。これならば、緊急用の連絡にはなろう」

 メルJも乗り気である。さっきから携帯電話をぱかぱかと開いたり閉じたりしている。

「あとは技術顧問であるあんたの意見くらいだけれど?」

 南の目配せにエルニィは頭を抱えていた。

「……何か、こんなので喜ばれるの納得いかないなぁ……。ボクのほうがもっといいもの発明できるのに」

「あら? 嫉妬? 珍しいわね」

「いやー、そういうのともちょっと違うかな。何て言うかさ。いい気がしないんだよ」

「それが嫉妬じゃないの? 両! 居るんでしょ!」

 パンパン、と南が手を叩くと両兵が屋根の上からにゅっと顔を出す。

「……ンだよ、黄坂。メシか?」

「あんたもアンヘルメンバーなんだから持っときなさい。これ、あんたの携帯ね」

「ケータイ? ああ、あっちじゃたまに使っているヤツ見たな。……っても、こんなに小さかったか?」

 ぱかぱかと強度を確かめて怪訝そうにする両兵にエルニィは言葉を放る。

「新型だってさ。軍部がこの国で次に売りたいからってボクに」

「ああ、まぁ確かに天才の立花博士の承認があれば売りやすいわな。しっかし、こんなもん流行ンのかねぇ……。何だかちょっと手加減間違うと壊しちまいそうだが」

「馬鹿。あんた壊したら罰金よ? どっちにしたって、全員で一週間は持っておくこと。いいわね? その後に正式採用するかはエルニィの立場で決めてもらうから」

「……ボクの立場じゃ最初から反対なんだけれどなぁ。こんなの、ローテク過ぎて……」

「あんた、ハイテクなものばっかり造ってもどうせ共有できないんだから、たまにはいいんじゃないの? 電話機能に絞っているんだから」

「うぅーん……何だかそれもなぁ……」

 渋るエルニィを他所に赤緒は手にした携帯電話を開いたり閉じたりして愉悦の感覚に浸っていた。

「……何だかちょっとだけ、気分がいいかも」

「たかが電話だろ? まぁ、持っとくけれどよ」

 両兵がコートの中に携帯を入れる。

 ――それを目聡く察知したのはこの時、赤緒ばかりではなかったのをエルニィ以外は気づいていなかった。

「……何だか波乱の予感がするなぁ……」

「あ、あの……小河原さん……」

「ん? ああ、さつきか。どうした?」

 廊下で呼びかけてきたさつきに対して両兵は何でもないように応じる。

「あの、さっきの携帯電話、番号を知らないとお互いに誰からかかって来たか分かんないんだって。だから、その……」

「おお、番号を教えろってか? いいぜ、えーっと……これ、どうやって見るんだ?」

「あっ、立花さんに教わったから、私、教えておくね。えっと……これがこうなって……」

「おお、助かったぜ、さつき。んじゃ、さつきの番号はこれで入ったんだよな」

「うん。……あのね、小河原さ……」

「お兄ちゃんでいいぜ?」

「あっ、じゃあお兄ちゃん……。この先……何でもないことで電話して、いいかな……? 迷惑だったらいいんだけれど……」

 両兵はきょとんとしてしまうが、上目遣いでどこか不安そうにこちらを窺うさつきに了承する。

「ああ、別に寝る時間以外なら構わねーけれど。にしても、携帯電話ねぇ……カナイマに試作品は回っては来ていたんだが触る機会には恵まれなかったな」

 それがこうして、流れ流れて日本で手にすることになるとは。

 こちらの感慨を他所にさつきは笑顔を咲かせて大きく頷く。

「うんっ! じゃあ、また明日……」

「おう。気ぃつけてな」

 両兵は台所に酒のつまみを拝借しに行こうとして、その行く手をメルJに遮られる。

「小河原……ちょっといいか?」

「どうしたんだよ、ヴァネット。射的の訓練ならオレは要らねぇが」

「いや、そうではないんだ。……さっきの携帯電話だが……」

「ああ、これか。こんなオモチャみてぇなもん、お前にとっちゃ馬鹿馬鹿しいとかか?」

「いや、その……いいとは思うんだ。如何に狭い日本国内とは言え、どこでも通話できるのはな。……大きいんだと思う……」

「ンだよ、らしくねぇな。モジモジしてねぇで本題言え、本題。これでも急いでんだよ」

「じゃあ、その……番号、いいか?」

「番号? ああ、さつきにも聞かれたっけな。これだ、これ」

「そうか……。あの……かけてみてもいいか?」

「あン? まぁいいが……寝ている時間にはかけんなよ」

「ああ、それは避ける。登録しておいたぞ」

「おう、じゃあな」

 台所で酒のつまみを拝借しているところで、ふっと視線を感じて顔を上げると、机の隅に噛り付くようにしてルイがこちらを凝視していた。

「……何だ、黄坂のガキかよ。地縛霊みたいな目でこっち見てんじゃねぇって。柊ならマジに腰抜かすぞ?」

 ルイはじっとこちらへと視線を据えたまま黙りこくっている。

 両兵は手元のつまみを背中に隠していた。

「やらんぞ」

「……違う」

「つまみじゃねぇ……ってことはまさかてめぇも……これか?」

 携帯電話を取り出すとルイはむっとした表情のまま頷く。

「はぁー……何だよ、誰も彼も。確かにアンヘルメンバー同士、連絡は取り合えるほうが便利だけれどな。ほい、これが番号だ」

「……覚えた」

「あっそ。じゃあオレはこれから酒盛りでもすっから。寝る時間にはかけてくんなよ」

 手を振ってルイをいなすと、両兵は早速屋根の上に移ってヤオへとつまみを寄越す。

 ヤオは将棋盤を挟んで妖怪めいた笑みを浮かべていた。

「なかなかに隅に置けんではないか。現のせがれよ」

「何言ってんだ、妖怪ジジィ。酒は用意したんだろうな?」

 酒瓶を振るヤオへとカップを差し出した両兵は注がれていく酒へと注意を割いていたせいでヤオの言葉を聞き逃しそうになる。

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