JINKI 114 奇跡と喧騒の一日

 そう言われて自衛隊の車両へと乗り込む。隣には両兵が居たが、ぼろを出してはいけないと終始無言であった。

 それを、彼は訝しむ。

「……何だ、具合悪いんじゃねぇのか、やっぱ。演習だって別に義務じゃねぇし、柊神社に戻るか?」

「いや、その……だっ、大丈夫だ! 小河原! ……さん。私はメルJ・ヴァネットだからな……!」

「……そうか。何かヘンだが、まぁ気にしねぇよ」

 ホッと安堵の息をついたのも一瞬。

 演習場に辿り着くなり、自衛隊員たちと共に向かったのは射撃訓練場であった。

「メルJさん! いつものをまずは見せてください!」

「い、いつもの……?」

 困惑していると的が用意される。

「百発百中でしょう? まずはそれを見せてから、演習に入るじゃないですか」

「ひっ、百発百中? ……もう、ヴァネットさんってば、そんなことをしてたの……?」

 拳銃を握らされ、さつきはおっかなびっくりに安全装置を外し、引き金を引く。

 悲鳴を混じらせて最初の一発が的を大きく外していた。

「す、すいません……。あの、ちょっと今日は……」

「メルJさん? ……確かに今日はちょっといつもの感じじゃないですね。これはなしにしましょう」

 ホッとしたのも束の間、次! と促されたのは人機の訓練であった。

「我々は《ナナツーウェイ》の搭乗訓練をしますので、メルJさんからご指導をいただければ!」

「わ、私から……? えっとでも……皆さん、よく乗っていらっしゃるし……」

「そんなことではなく! 普段のようにビシバシと指導してください!」

 メルJは普段どうやっているのだろうか。困惑して頭の中が真っ白になってしまったさつきへと、両兵が割って入っていた。

「……ちょっと今日はやめておこうぜ。自衛隊連中! 《ナナツーウェイ》でグラウンドを周回! 一人十周だ! 走っとけ!」

 両兵の声に自衛隊員たちが従って走り始めるのを目にしていると、その手が自分の手を引いていた。

「……ヴァネット。ちょっと来い」

 切り詰めた声に、怒られるのだろうか、と不安と恐怖で泣き出しそうになったさつきに、両兵は振り向きざまに言ってみせる。

「……なんてェ顔してんだ、ったく。……調子悪ぃンならそう言えよ。オレは気にしねぇけれど、他の連中は別だろ。いつものメルJ・ヴァネットはどこ行ったんだっての」

 そのいつものメルJは今は自分の代わりに学校に行っているはずだとは言い出せず、さつきはまごついてしまう。

「その……ごめんなさ……いや、すまん……」

「何で泣きそうなツラぁしてんだよ、てめぇが。……演習はオレがやっから、お前は休んでろ。普段はお前に頼りっきりなんだ。自衛隊の奴らだって馬鹿じゃねぇ。体調の悪い日くれぇはあンだろ。……無理すんな」

 その優しさに甘えてしまいそうになりつつも、さつきはぐっと堪えていた。

 ――今は、メルJらしく振る舞わなければ。

「おっ、小河原。私は別に……平気、だぞ……。心配してもらうほどじゃ――」

 そこまで言いかけて両兵が自分の手を強く握り締める。思わぬ仕草に当惑している間に、両兵は声にしていた。

「……てめぇらしくねぇこと言ってんじゃねぇよ。気ぃ張る時と張らねぇ時くれぇは心得てんだろ。……しょーがねぇな。調子出ねぇ時に行くとこ、行っとくか」

「ち、調子が出ない時に行くところ……?」

 疑問符を挟んでいると、両兵は自衛隊の演習地域から少し歩いたところにある露店に顔を出していた。

 露店の店主は心得たように声を発する。

「おっ、また来たね、べっぴんさんと野獣の」

「うっせぇぞ、オヤジ。いつもの二人分」

 あいよ、と応じる店主が手慣れた様子で差し出してきたのは――。

「……ラーメン?」

「ここのラーメン、店構えはともかく美味ぇからな。いつも調子出ない時にゃ奢ってやってんだろ? まさか忘れちまったか?」

 割り箸を割りながら早速ラーメンにありつく両兵に、さつきは小さくこぼす。

「……ヴァネットさん、これが楽しみだから演習ってうるさかったんだ……」

「ん? 何か言ったか?」

「い、いえ……いや、別に……。いただきます」

 一口含んでみると両兵のお墨付きの理由が分かった。

「……美味しい」

「だろ? ったく、お前も馬鹿真面目に演習演習って柊たちの前じゃ言うクセに、いつもなんだもんな。小河原、今日は行かないのかーって。ラーメン食いたかったら食いてぇって言えばいいってもんを」

 それは恐らく、メルJの秘密の一つなのだろう。

 期せずして自分はメルJの一側面を知ってしまっていた。

「……ヴァネットさん……お兄ちゃんとこんなことしてたんだ。……いいなぁ……」

 ぼやいたさつきはラーメンを啜っていた。

「――いやー、びっくりしたなぁ。まさか、教室でモデルガンを出しちゃうんだもん」

 マキと泉に連れ立って、今日一日の心労を引き摺った形の赤緒はさつきの身体に入ったメルJと肩を並べる。

「あれは私が悪いのではない。教師が悪いんだ」

「おおっ……すごいなぁ、はまり役って奴? 今日一日のさつきちゃんは飽きないなぁ……」

 感嘆するマキと泉を他所に、赤緒は憔悴し切っていた。

 堤防で二人と別れてから、赤緒は小言を漏らす。

「……ヴァネットさん。さつきちゃんが困っちゃうじゃないですか」

「知らん。それよりもさつきは上手くやっているのだろうな?」

「……いや、それは多分、さつきちゃんだから真面目にやってくれているんじゃ……?」

「そうか。……しかし、欠伸が出るほど平和なんだな、お前らの日常とやらは」

 その言葉には少しむっとして赤緒は言い返してしまう。

「……これが普通なんですよ。人機も、キョムもなければ日本って」

「……だが、今日一日で……少しだけ、穏やかな心地と言うのが体感できた。さつきは……そうか、こんな気持ちで学校とやらに通っているのか」

 思うところのある発言に赤緒は尋ねてみる。

「ヴァネットさんは、学校とかは……」

「行っていない。と言うよりも、縁のない場所だった。さつきくらいの歳の頃には、もう銃を握っていた」

 思いも寄らぬ返答に言葉を重ねられずにいると、メルJは呟く。

「……だが、悪くはないものだな。平和ボケと、言ってしまえばそこまでなのだが、こういう生活、か。……赤緒、お前やさつきがある意味では真っ直ぐ生きているのも、頷けるよ」

「……さつきちゃんの生活がちょっとだけ、羨ましくなりましたか?」

「それはない。いや……ないと思いたいのかもな。こんな心の安息なんて……一生得られないのだと思い込んでいたのだから」

 ある意味ではメルJにとっては得難い体験であったのかもしれない。

 何の変哲もなく学校に行き、友人と談笑する――そんな当たり前が、彼女には……。

「赤緒。……少しだけ、さつきに謝りたい。その……できるだろうか?」

 こちらを窺ってくるメルJの不安げな視線に、中身の年齢はともすれば変わらないのかもしれない、と赤緒は感じていた。

「ええ、大丈夫ですっ。さつきちゃんもきっと……分かってくれるはずですから!」

 ――と、柊神社に着いた途端、メルJがぴたりと止まる。それと共に、赤緒は風圧を感じていた。

 直後、さつきは自らの身体を確かめて、こちらへと向き直る。

「赤緒さん! 戻って来られました……よかったぁ……」

 へたり込んださつきを支えて、赤緒は笑顔を咲かせる。

「うん! よかったね、さつきちゃん」

「……でも、ヴァネットさんってばずるい……」

 どこかむくれた様子のさつきに首を傾げていると、先に帰っていたのか居間からメルJがひょっこり顔を出す。

 お互いに視線を交わし、二人して次の瞬間、頭を下げていた。

「その、ごめんなさい!」

「いや、こちらこそ……すまない」

「ど、どうしたんですか? 二人とも……」

「いえ、その……ヴァネットさんはヴァネットさんでその……大変なの、分かっちゃったんで……」

「私も……そうだな。この日本で生きていくことが少しばかり……身に染みて感じられた」

 さつきは微笑んで割烹着を羽織る。

「晩御飯にしますね! あっ、でも……ヴァネットさんは間食をされてますから、要らないんでしたっけ?」

 その言葉尻に何かを感じ取ったかのようにメルJが硬直する。

「……なっ、さつき……。お前、まさかあのことを……」

 ショックを受けた様子のメルJへと、さつきは悪戯っぽく唇の前で指を立ててウインクする。

「さて、何のことでしょう? ラーメン、美味しいですよね?」

「……どういう……」

 意味を掴みかねている自分とは対照的に、メルJはどこか悔恨するように顔を伏せていた。

「だ、大丈夫ですか? さつきちゃ……じゃくって、ヴァネットさん」

「いや、何でもない。……抜け駆けは、できんということだな。それに私とて、さつきの大変さは身に染みた。もう二度と御免だ」

 赤緒にはどういうことなのかよく分からず、疑問を抱いたまま、夕食の席につく。

 夕食の匂いに釣られてひょっこりと顔を出した両兵へと、さつきは言いやっていた。

「お兄ちゃん! その……お昼はありがとう。それと、ラーメン、食べ過ぎは駄目だよ?」

 両兵もどこか、きょとんとしている。赤緒はそんな彼と顔を見合わせた。

「……どういうこった? 柊」

「いえ、私も何とも……。でもさつきちゃんもヴァネットさんも……今日があってよかったと、思っていると思いますよ?」

 暴風のように過ぎ去ったその日は、まるで夢のように、誰にも追及することはできなさそうであった。

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