「あ、ルイさん……。ルイさんも、起きてたんですか?」
「夜食をもらおうと思って」
言ってルイは台所の少し高いところにある戸棚を漁り、そこに隠されているせんべいを取り出していた。
「る、ルイさん……! 駄目ですよぉ……、それお客さん用のお茶うけじゃないですか……」
「いいのよ、別に。ただ……天才が先に寝入っちゃってね」
「……ん? 天才?」
ルイはぼりぼりとせんべいを頬張りながら居間へとさつきを案内する。
そこではゲームのコントローラーを握り締めたまま、くぅと寝入っているエルニィが居た。
テレビ画面にはゲームオーバーの文字が躍っている。
「よ、夜中にゲームは駄目じゃないですかぁ……。赤緒さんも言っていたでしょう? ゲームは一日一時間って!」
「何よ、さつきは知らないの? 最近、天才と示し合せて、この時間に何回かマッチングしてるのよ。ま、今日はあっちが先に寝ちゃったけれどね。勝負は持ち越しってわけ」
ルイはマジックペンを取り出し、眠りこけているエルニィの額に「肉」と文字を書く。
思わずぷっと吹き出しかけたさつきに、ルイは尋ねていた。
「さつきは? 何でこんな時間に?」
「あっ……眠れなくって……。何ででしょう、目が冴えちゃったから、水だけもらってもう一度寝ようかなって思ったんです」
「もったいないわよ、さつき」
「も、もったいない……?」
当惑の眼差しを向けるとルイは外へと促す。
「夜は自由なのよ。何をやったっていいの。それに、あんたはいっつも朝早くに起きるんだから、たまには夜の魅力を味わうといいわ」
「よ、夜更かしはでも……旅館の頃から固く禁じられていて……」
まごつくさつきへと、ルイは一挙に手を伸ばし、せんべいを口に突っ込む。
「ふ、ふご……っ?」
「いい? さつき? あんたは今、私と一緒にお茶うけのせんべいを食べた。この時点で罪状は同じ。共犯者よ」
「そ、そんなぁ……」
「それに夜を過ごすのに一人じゃつまんないわ。赤緒でも起こしてきましょう」
「だ、駄目ですって……! 赤緒さん、今日は自衛隊の皆さんとの訓練でお疲れですし……」
「ちょうどいいじゃない。来なさい」
「……ん? ちょうどいい?」
どこか疑問を挟みつつも、ルイは何の躊躇いもなく赤緒の部屋へと押し入り、ぐーすか寝入っている赤緒の寝顔を凝視した後に、その額に「肉」と書いていた。
「る、ルイさんっ! 駄目じゃないですか! イタズラなんて!」
「しっ。さつきってばうるさい。起きちゃうでしょ」
そう言われてしまうと、どうしてなのだか慌てて口を噤んでしまう。
赤緒は気づいた様子もないようで、その後も寝返りを打つばかりであった。
「……赤緒はつまんないわね。次」
赤緒の部屋を後にして、ルイは次なる目的を見出そうとしているようだ。
「あのぉー、ルイさん? まさかこうやってアンヘルメンバーにイタズラしていく気なんじゃ……?」
「いけない?」
「い、いけませんよ……。何よりそのぉ……、私まで共犯者……」
「別にいいじゃない。夜に起きているのが私とさつきなだけなんだから」
「そ、それはそうかもしれないですけれどぉ……」
次いで訪れたのはメルJの部屋である。
押し入ったルイは、すぐさまハッとして身構えていた。
「……ルイさん?」
「しっ。……メルJ、布団には居ない」
「えっ、でも……布団は盛り上がってますよ?」
「……あれは替え玉よ。どこかに……そこッ!」
ルイが瞬時に反応してマジックペンを振るうのと、闇の中から奇襲をかけたメルJの銃口が肉薄するのは同時であった。
その思わぬ攻勢にさつきはへたり込んでしまう。
こちらを目にして、メルJはむっ、と眉間に皺を寄せていた。
「何だ、お前らか。……何をやっている?」
「その……何でこんなこと……」
「寝ている時は隙だらけだろう? 私の部屋に勝手に入って来れば、すぐに分かるように戦闘神経は研ぎ澄ましてある」
さすがはメルJと言うべきか、どうにも隙がない。
しかし、ルイは当てが外れたとでも言うように踵を返していた。
「……つまんないの。じゃああんたはなしね」
「……ちょっと待て。何の話だ? そもそも、さつき。お前がこんな夜半にまで起きているのは珍しい。何かあったのか?」
「あっ、何もないんです。ただ……何だか寝付けなくって……」
「そんな理由か。……まぁ、そんなこともあるか」
どこか得心した様子のメルJにルイは最早興味を失った様子であった。
「いいのよ、メルJ。あんたはどうせ、面白味もないんだから」
突き放すような物言いだったせいだろうか。
メルJはその進路を塞ぐ。
「……退きなさい」
「いいや、退かない。そもそも何だ、さつきまで連れ立ってわざわざ私の部屋に来るなんて」
「……別に、暇つぶしなだけよ。ま、あんたじゃそういうの似合わないかもだけれどね」
「……心外だな。これでも寝付けない夜を過ごす術は心得ているのだがな」
そう口にしてメルJは部屋の灯りを点け、デスク周りにある書類を寄せてから、コーヒーメーカーを抽出していた。
「あ、いい匂い……」
「分かるか? 黄坂南に頼んでな。本場の豆を仕入れてある」
「……南ってば、本当に無駄が好きなんだから」
「さつきもどうだ? 寝付けないのなら、それなりに付き合ってやる。……もっとも、黄坂ルイ、お前はそんな気はさらさらないようだが」
ルイはその明らかな挑発に反応する。
「……勝手に言ってなさい。夜の楽しみ方を知らないのはさつきだけで充分よ」
「あっ、でもちょっとだけ……もらおうかな。とってもいい匂いだから……」
なびきかけたこちらにルイは裏切り者を見たような目を向ける。
「……呆れた。さつき、あんたも節操がないのね」
「せ、節操がないとか言わないでくださいよ。それに、寝付けないのならちょっとだけコーヒーをもらってもばちは当たらないはずです」
「その通り。しかし、黄坂ルイは相当にコーヒーが要らないと見える。仕事を終えた後のこの一杯が格別なのだがな」
ルイは明らかに無理をして、強がっているのが見て取れた。
さつきは素直に黒猫のデザインの施されたマグカップを受け取っていたが、ルイはなかなか素直にならない。
「……そんなの飲んでいるだけ無駄よ、無駄」
「で、でもルイさん。せっかくヴァネットさんが淹れてくださったんですから……」
「さつきは殊勝でいい。日本人はそういうところだけは褒められる」
コーヒーメーカーから抽出される黒々とした液体を注ぐと、溢れた湯気の香ばしい匂いを鼻孔に突き抜けさせる。
本場の豆を使っていると言うのはどうやら嘘ではないようで、まるで小さな喫茶店の気分であった。
「黄坂ルイ。要らないのか?」
メルJは意地悪く微笑んでいる。当然、このような状態をルイは受け入れるはずがない。
さつきは一口含んでから舌を出していた。
「……に、苦いかも……」
「ああ、シュガーが要ったか? ミルクもある。お好みの味に仕上げてくれ。私はブラックでいただこう」
「わー……ヴァネットさんって大人なんですね。……私はブラックは駄目かなぁ……」
「さつきは子供ね。そんなものもブラックで飲めないなんて」
「おや、黄坂ルイ。ではお前は飲めるのか?」
「当然よ。ブラックなんて五歳の頃には克服しているわ」
嘘なのか本当なのか分からないが、ルイはこちらへと歩み寄ってくる。不機嫌な表情のままだが、さつきがマグカップを差し出すと、くっと一気飲みしていた。
途端、ルイの表情が苦悶に歪む。
「……あ、ブラックはその……お嫌いでしたか?」
「……大丈夫」
「大丈夫な面には見えんがな。ともあれ、こうして夜の語らいと言うのもたまには粋でいい。こうして操主同士、案外喋る機会は日中には少ないものだ」
そう言われてみれば、とさつきは回顧する。
自分は柊神社の台所事情や学校に奔走されていて、よくよく考えてみれば操主として、メルJとルイに素直に話を聞いたことは少ないかもしれない。
「あのー……ちょっとだけお喋りしませんか? せっかく夜に起きてるんですし……」
「別に構わないけれど、この女が邪魔」
「構わんが、黄坂ルイが邪魔だな」
互いに譲らない二人に、さつきは問題のない話題から振ることにした。
「そ、そう言えば操主としての訓練って大変ですよね。索敵レーダーとか、どうやればいいんだか未だに困っちゃいますし……」
「なに、索敵は空を舞う私の《バーゴイルミラージュ》に任せればいい。お前たちの《ナナツーマイルド》と《ナナツーライト》は敵との戦闘においては姿を露見しないわけにはいかんが、私の人機は違う。高高度から敵を見据え、全員に位置を伝える役割がある」
「……そんなこと言うのなら、私の《ナナツーマイルド》だって、切り込み隊長としての役割はあるわ。誰かさんみたいに空で腰の引けた索敵なんてしている暇はないから」
またしても一触即発の空気にさつきはあわあわと次の話題を繰り出す。
「え、えっとぉ……そうだ! ヴァネットさんは銃撃戦が得意ですけれど、やっぱりその……視力とかいいんですか?」
「……どうだろうな。あまり眼に頼った戦い方ではない。スタイルとして見れば、敵へと無数の銃弾を浴びせかけ、圧倒する。そして本懐であるアンシーリーコートへと繋げられればいい」
「要は考えなしなのよ。小河原さんと同じ、脳筋ってこと」
澄ました様子でルイが返すのを、メルJは睨み上げる。さつきは大慌てで別の話題を探っていた。
「あ、あの! せっかくですし……外に出てみませんか? そのー、一人とかなら危ないかもですけれど、三人なら!」
こちらの発言に二人してどこか仰天しているようであった。さつきは取り成そうとする。
「あっ、やっぱりその……駄目ですよね……。夜中ですし……」
「いや、いいのかもな。日本の夜は私はよく知らん。たまに小河原やヤオと一緒に出歩くが、連中は酒飲みの行く場所ばっかり案内する。私の足で少しだけ散策したいと思っていたところだ」
「……さつきにしては気が利くじゃない。そうね、せっかくだし、出かけましょうか」
どうやら一触即発の空気は脱したことに安堵するが、よくよく考えればこれも危ない行動である。
「……でも、バレちゃったら……怒られちゃいますよね」
「バレなきゃいいのよ、バレなければ」
「そうだな。幸いにして、誰も起き出す様子もないし、バレなければいい」
どうしてそういうところでは意見が一致するのだろうと不思議に思いながら、さつきは二人に続く。
夜も更けてくると、柊神社の石段を降りるのも何だか新鮮だ。
さすがにこの時間帯に行動している人間は少ないらしく、点々と居酒屋が開いている程度であった。
「居酒屋さんかぁ……。私、行ったことないんですよね……大人になったら行くのかなぁ……」
「何なら行ってみる? お酒が飲めるわよ」
「だ、駄目ですよぉ! ルイさん! お酒は二十歳から!」
「……赤緒みたいなことを言うのね」
「それにしたって、日本の市民は活動的だな。もう夜中もいいところだと言うのに、それでも動いている人間は少ないわけでもない」
「それはそのぉ……サラリーマンの人たちがこの時間帯に動くからでしょうか?」
どこかおっかなびっくりに夜の街を歩くさつきに、ルイとメルJは交互に言いやる。
「何をびくついているの、さつき。余計に目立っちゃうでしょ」
「まったくだ。そうでなくとも、日本の警官に目をつけられているのだろう? 下手に委縮すると逆に目を引きかけない」
「ふっ、二人して言わないでくださいよぉ……。それに、警察の方に目をつけられたのはルイさんのせいじゃ……」
「――しっ。あれは何?」
不意にルイが警戒を帯びたものだからさつきはびくついてしまう。メルJは、ああ、と応じていた。
「屋台だな。小河原に連れられて行ったことがある」
「……屋台ってそのー、おでんとかラーメンとかを振る舞う?」
「まぁ、それだけでもないのだが。……どうした、黄坂ルイ。まさか、屋台が怖いのか?」
安い挑発であったが、今度のルイは容易く言い返さなかった。自分の陰に隠れてどこか恐れを抱いている。
「……る、ルイさん? 屋台は別に、怖いお店じゃ……」
「あの赤いのが怖い……」
「赤いの……ああ、提灯」
しかし恐れ知らずのルイに提灯が怖いとは少し意外であった。
「何で怖いんです? 灯りと変わらないような……」
「……夜に不自然に赤いと、南米でね。そういうのは警戒すべきって教えられてきたから」
なるほど、ここに来て文化の違いがあったと言うわけだ。
それを好機と見たのか、メルJはにやつく。
「……さつき。屋台に行ってみるとするか。黄坂ルイは……怖がっているので置いておこう」
その言葉にルイがより一層、強く自分の袖口を掴んで呪詛を吐く。
「……置いてったら末代まで呪ってやる……」
「ルイさん! 置いて行きませんから、安心してくださいよ……。でも、こんな夜中に屋台でご飯食べたら……太っちゃう……」
「なに、ベツバラ、という文化が日本にはあるらしいではないか。ここはそれにあやかるとしよう」
「……別腹、ですか。まぁ、ちょっと食べるだけなら……帰って歯磨きすればいいかな……」
暖簾を潜り、メルJはどこか慣れた様子で席につく。
自分の後ろに縋りつくルイを見て、店主は自分たちの関係性をはかったらしい。
「おや、お嬢ちゃんはその子の妹かい?」
思わぬ言葉であったのだろう。ルイは胸を張って、自分より先に席に座る。
「……誰が。早くしなさい、さつき。本当に鈍いんだから」
どうやら妹認定されたのが相当腹に据えかねたらしい。さつきはため息をついて席に座っていた。
「ラーメンを三つ。豚骨を私は頼むが、お前らは何がいい?」
「……にんにくラーメン、チャーシュー大盛りで」
「私は……えっと……じゃあ普通の醤油ラーメンで」
あいよ、と応じた店主が早速ラーメンを作り始める。それを眺めながら、さつきはメニュー表に視線を留めていた。
「……お酒ばっかり」
「それはそういう店だからな。仕方ないだろう」
「熱燗一丁」
ルイが挙手して注文するが、さすがに店主は笑って流す。
「いやいや! さすがに未成年にしか見えない子には出せないよ」
その返答にルイはむっとむくれる。
「……ベネズエラじゃ五歳から飲めるんだけれど……」
「ここは日本ですから! ……でも、ヴァネットさんこういうお店、来慣れているんですか?」
「まぁな。ヤオと小河原にはこういう店構えが合うらしい。よく食事を奢ってもらっている。……そう言えば、この間は黄坂南も一緒だったな」
「……南ってば、こんなところで小河原さんと……」
どこか恨み節のような声がルイから漏れる。
さつきもその関係性は少しだけ羨ましかった。
「……いいなぁ。大人ってこういうところに来れちゃうんだ……。お兄ちゃんも……」
「なに、さつきも来たければ誘ってやろう。……ああ、しかし悪い道に引き込んでいると赤緒から叱責が来るかもしれんな」