それは人類の有史以前からそうであったし、これから先もそうであろう。
だが赤緒には、今自分の体重を支えている体重計の示す数値が信じられず、脱衣所に備え付けの鏡の前で何度か頬を叩く。
「嘘……太っちゃった……?」
そんなはずはない――と言い切れないのが辛いところで、そう言えば、とここ数日の不摂生を呪う。
「……あんまり体重を最近気にしていなかったから……いつの間にか増えちゃったのかも……」
うーん、と二の腕をぷにぷにとさする。
こういうところに贅肉は付いていくものだ。
もう一度体重計に乗ってから、やはり変わらない数字に赤緒はため息をついて、よしっ、と決意する。
「……痩せなきゃ……っ!」
「――うん? 赤緒ー、朝からそんだけー?」
エルニィが自分の器によそったご飯の量を見るなり目ざとく察知する。
「あ、はいっ。私はこれだけで……」
「ははーん、さては夜中に夜食でも食べたんだねー? それでお腹いっぱいなわけだ」
うっ、とうろたえる。
そう言えばここ最近、勉強に着いていくと言う名目で夜中に五郎から夜食をもらっていたのもあった。
迂闊であったのはそれもだ。
全くの計算外であったが、夜中のカロリーは恐ろしい。
特に夜食の暴力的な誘惑は自分の体重を引き上げたことだろう。
「ま、まぁ! そういうこともありますね……!」
「いいなー。五郎さん、ボクもお夜食ちょうだいよー。これでも日夜アンヘルのために頭使ってるんだからさー」
せがむエルニィに五郎は笑顔で応じる。
「ええ。立花さんもお勉強なさるのでしたら、喜んでお作りしますよ」
「あっ、五郎さん……。そのー、今晩から私、お夜食いいです……。しばらくはそのー」
ごにょごにょと要領を得ない言葉を発しているものだから五郎が怪訝そうにする。
「おや、何故です? 頑張っているのですから、労は惜しみませんよ?」
「そ、そうじゃなくってぇ……。うーん……」
「あら、自称天才、あんたもお夜食を頼むの?」
「トーゼンっ! ボクにも権利くらいはあるはずだからねー!」
ルイはそう、と頷いた後に五郎へと言葉を寄越す。
「五郎さん。私もお夜食を頼むわ。昼間に動き過ぎて最近、夜にお腹空いちゃうのよね」
そう言えば、と赤緒は味噌汁をすすりながら、エルニィとルイを注視する。
――二人とも、何でだか痩せてる……。
おかしい、と赤緒は感じていた。
自分とて人機の操主。二人より動いていないはずはないのに、何で自分ばっかり体重を気にしなければいけないのだろう。
だが観察すればするほどに、エルニィは健康優良児と言った体型で、こう言った悩みとは無縁に思える。
ルイもそうだ。
細身でしなやかな体躯は、それそのものが軽いフットワークを示しているようで、品位すら感じる。
「……結局、育ちの問題なのかなぁ……」
「どうなさいました、赤緒さん。ため息なんてついちゃって……」
「さつきちゃん。さつきちゃんは……」
さつきの身体を上から下へと見渡すが、彼女はまだまだこれからの成長期。食事制限なんてするものではないだろう。
「何を朝から陰鬱な空気を出している、赤緒。操主としての未熟さなら、お前は今に始まった話ではないだろう」
そう言いやるメルJは典型的なモデル体型で、背丈も高く、体重に思い悩んでいる節は見られない。
自分の眼差しが恨めしかったせいか、メルJはむっと眉根を寄せる。
「何だ、その顔は……。これか?」
メルJは自分の皿によそった唐揚げをフォークで突き刺す。
そう言えば唐揚げも自分だけ三個を一個にまで減らしていた。
これは昼ごろ堪えるな、と思いつつも、いやいや、と赤緒は頭を振る。
「……節制、節制ですから」
メルJとさつきが隣同士で顔をつき合わせて小首を傾げる。
朝食の場に遅れてやって来た南が早速、声を弾ませていた。
「わーっ、今日の朝ご飯も豪勢ねー。唐揚げ、だーい好き!」
「……南、いくつの発言? その年で唐揚げ、だーい好き! ……って」
「何よぅ! エルニィ。あんただって揚げ物は大好きでしょ?」
「いや、そういう問題じゃ……。年齢考えなよって話。ま、南の体重なんて知ったこっちゃないけれどさー」
「あら? そうは言うけれど、私、これでも南米時代から体重は一キロも増えちゃいないのよ?」
「えー、ホント?」
「ホント、ホント。何なら勝負してみる?」
その言葉に赤緒は自然と南の体型を目測していた。
二十代後半にしては細身とは言えないが、かといって太っているわけでもない。
適正体重を保っているのはそれなりの努力ありきだろう。
南は豪快に唐揚げを頬張って頬を綻ばせている。
「いい食べっぷりですね、南さん。作った甲斐があります」
五郎の評に南は浮かれ調子であった。
「いやー! そう言われると照れちゃうなー!」
「何やってんだか、南。言っておくけれど、そんな調子じゃすぐにデブ一直線なんだから」
ルイの冷たい声音は南に対してのものであったが、自分のことを言い当てられたかのようで赤緒は心臓が口から飛び出すかと思ってしまう。
「何言ってんのよ。食わないでどうする! って奴でしょ? 南米の頃から、食べれるものは食べる! これ常識! の世界で生きてきたクセに」
「ここは日本よ。それに、いつまでもその調子じゃ、本当に太っちゃうんだからね」
「ふーんだ! 澄ました顔してるけれど、あんただってカロリーの調整はしないと、その年から体型の維持は辛いわよー? まだまだ成長期だからって油断してるとボン! なんだからね!」
「南みたいにはならないわよ」
ルイと南の言葉の応酬の一つ一つがグサグサと突き刺さって赤緒は知らずにダメージを受けて突っ伏していた。
「うんー? 赤緒、何やってんのー?」
「いえ、別に……。思わぬ方向からのダメージにうろたえているわけじゃ……」
「ご飯は食べないとパワー出ないんだから! あんたも食べる! ホラ!」
「……南、うるさい」
納豆をかき混ぜるルイはマイペースに朝食を終えて自室へと戻っていく。
赤緒は全員が朝食を終えたのを確認してから、南へと囁いていた。
「あのぅ……南さん? ちょっとご相談が……」
その言葉に南がぎくりとする。
「……な、何かしら……? 赤緒さんのほうから相談なんて……?」
「……南さん?」
こちらが言及する前に南は土下座していた。
「ごめんなさい! ちょーっと、そんなつもりはなかったんだけれど、久しぶりに人機に乗っちゃいたい気分になっちゃって……。それで久しぶりに人機のコックピットでご飯を食べてその食べかすが……あれ? そうじゃない?」
「いえ、そうではなく……。って言うか、人機の上でご飯食べたんですか?」
思わぬ暴露に南は羞恥の念に顔を真っ赤にしてからこほんと咳払いする。
「……うん、何でもない。で? 何かしら? 赤緒さん」
「いえ、その……。人機の上でご飯を……」
「聞こえなーい! ……で、何かしら?」
どうやら南の側にも思わぬ弱点があったようで、これならば、と赤緒は耳元に用件を伝える。
「ふんふん……。あっ、だから赤緒さん、朝ご飯少なめだったの?」
「はい……。そんなに食べた覚えはないんですけれど……知らないうちに」
「分かる! 分かるわ、赤緒さん! 私もねー、エルニィ相手に太ったことなんてないって吼えたものの、そりゃあストレスも溜まればちょーっと体重が増減することもあるわ。でもねー、これはヘブンズ直伝の秘密のトレーニングがあるんだけれど……乗ってく?」
思わぬ展開になってしまったが、赤緒は唾を飲み下し、その提案に乗っていた。
「は、はいっ! 私……痩せますっ!」
「――って言うわけで、レッツゴーだよ! 赤緒!」
「はぁ……。って言うか、何で立花さんが?」
荷台に乗っかったエルニィに仰天していると南がいやー、と後頭部を掻く。
「エルニィにバレちゃった。まぁ面白そうだからって言うんでついついぽろっと」
「……南さん?」
「あ、怒らないで赤緒さん! エルニィはこれでもスポーツ少女だし、そういうカロリー計算ならお手の物でしょ?」
「そうだよー。大体、赤緒も水くさいよねぇ。痩せたいなら最初っからボクに頼ればいいのに」
「うー……。だって立花さん、絶対馬鹿にするじゃないですかぁ……」
「しないよ! ボクだって操主の体調管理くらいは気にするってば! ……でも、赤緒って何キロ太ったの? それに寄るけれど」
「えーっと……」
ごにょごにょ、と耳元で囁くと、エルニィがひっくり返りかねない勢いで声を発する。
「えーっ! ボクらとあんまり変わらない量食べているのに、そんなに太って――!」
「立花さん! 声、おっきいですよっ!」
「あ、ゴメン……。でも、それ、絶対何かよくない兆候だと思うよ? そんなに太る? 南」
「うーん……私からは何とも言えないのが実情なのよねぇ……。若い頃は太ったなんて悩みは全くなかったから」
「あー、南ってルイと一緒にやっていたヘブンズで毎日鍛えていたくらいだもんね。今のルイのストイックさを見れば分かるよ。南もああだったんだろうなぁって」
「……ま、とりあえず始めましょうか! ヘブンズ流、ダイエット術!」
「へ、ヘブンズ流ダイエット術……これがですか?」
体操服姿の赤緒は腰回りに巻かれた縄を自覚する。
それはそのまま荷車に乗っかったエルニィへと繋がっていた。
「まずは走ること! 基本中の基本ね! 脂肪を燃やすのには、まずは完全燃焼! さぁ、走りましょう、赤緒さん!」
「……えーっと、でもそのぉ……立花さんの乗っかった荷台分の重さが……」
「なぁーに言ってんのさ。痩せたいんでしょ? だったら最短距離を使う! ボクは乗っかってるから、赤緒は走りなよー」
「うぅーん……これって正しいのかなぁ……」
そう思いつつ、走ろうとして最初の一歩目が踏み込めない。
「た、立花さん……重い……」
「むっ、失敬な! ボクが重いはずないでしょ! 早く走る! 南もビシビシ鍛えないと!」
「えー、おっかしいなぁー。これ、ヘブンズ時代によくルイとやったものよ? 操主の体力作りは基本だからねー。相手の体重くらいは乗っかって走れないと」
「で、でもぉ……まず踏み出せないです……ぅ」
何度か渾身の力を込めて走ろうとするが、荷車をまともに引くことすらできやしない。
「あー、南? こりゃ駄目だよ。赤緒ってば、まずパワーがないんだ」
エルニィの結論に赤緒はぜーはーと呼吸を整えながら荷車を見やる。
「……そう言われても……。立花さんも重くなったんじゃ……?」
こちらの言葉にエルニィは、むっとしてからよしと力強く頷く。
「もういっちょ試そう! 別の方法だ、これなら痩せるって言うものがあるはず!」
「――で……これは?」
目の前には小豆の盛られた皿と、何もない皿がある。
エルニィはびしっ、と強く指差していた。
「頭脳労働! これが一番カロリーを食うはずなんだ。……でも今の赤緒に普段の勉強を解かせるだとか、ボクのやっているみたいな専門的なものをやらせるってのは無理だから、集中力をまず鍛えよう! そっちの皿に盛られた小豆をこっちの皿に移す。これなら簡単でしょ?」
「えーっと……こんなので痩せられるわけ……」
「何? ボクの提案に文句でも?」
有無を言わせぬ返答に赤緒は芝生の上でわざわざ小豆を皿に移し替えようとして、何度も箸が滑ってしまう。