性懲りもなく、という自分にしては含んだ物言いのつもりだったのだが、なずなは何でもないように舌を出して茶目っ気たっぷりに応じてみせる。
「だって教育実習生ですから! 居ないと困るでしょぉ?」
「……私は困りませんけれど」
「でも私ぃ、この仕事、何だかんだで気に入ってるんですよぉ?」
下校する生徒へとなずなは手を振る。その仕草そのものはおっとりとしていて、まるで人機の操主だとは思えない。その上、自分たちの敵だなんて――。
「……なずな先生は、何をしたいんですか」
「うーん……ちょっと説明は難しいですねぇ。さつきさんが大人になったら分かるかもしれませんけれどぉ」
「……オトナに?」
少しだけ赤面すると、なずなはわざとらしく指差してくる。
「おやおやぁ? オトナの意味、ちょっとは分かってるなんて。案外、さつきさんもおませさんなんですねぇ」
「かっ……からかわないでください! ……もう、そういうところですよ、なずな先生……」
「でもでもぉ、さつきさんもこうして学校では領分を守ってくれるだけありがたいですよぉ? 私のこと、告発しないなんて思わなかったですからぁ」
「それは……。学校を戦場にしたくないだけです。赤緒さんたちだって居るのに、ここで人機なんて出せませんから」
「それは日常を大事にしている、と思って取っても?」
「……どっちでもいいですよ。でも、私はあの夜、何でなずな先生が私たちの前に立ったのか、まだ理由を聞いていませんから」
「なるほど、なるほどぉ。理由を聞くまでは敵対もできない、というわけですねぇ。さすがはさつきさん、大人ですねぇ」
どうにも掴みどころのないなずなの言葉に惑わされているような感覚を味わいながら、さつきは問い返す。
「……で、何でまだここに? 教育実習生なんてどうせ嘘なんですよね?」
「嘘じゃないですよぉ? きっちり、教育実習の期間は居るつもりですしぃ」
「……私たちの前じゃ嘘ついたくせに……」
「ふぅーむ……私を信じられないですかぁ?」
「あっ……当たり前です! あんな真似をしておいて――!」
「だったらぁ、ちょっとだけ提案を呑んでみません?」
「……提案?」
「はい。今日の夜に、この学校で。誰にも言わないのなら、私も約束を守って、さつきさんにはああして人機を操る理由を教えてあげてもいいかもしれません」
「……私だけに?」
「はい♪ 私とさつきさんだけの、約束です!」
どうにも嘘くさい上に、自分となずなが一対一など、それもそれで危ういものを感じていたが、アンヘルメンバーに危害が及ぶのは避けたい。
何よりも、ここでなずなの真意が探れるのならば、それに越したことはないはずだ。
「……い、いいですよ。今夜……、ですね」
「ええ、でもぉ……誰か一人でも呼んだら、気分が変わっちゃうかもしれませんねぇ」
「……分かりました。私一人で、いいんですね?」
こちらの返答になずなは笑顔を寄越す。
「はい。上出来です♪」
なずなは軽い足取りで職員室へと戻っていく。
この学校ではなずなの正体に気づいている人間はどうやら自分一人のようで、誰も彼もから愛されるキャラクターを持っているなずなは羨望の対象だ。
おっとりとしていて、それでいて愛嬌のある人柄は魅力だろう。
「……でもそれって嘘なんですよね、なずな先生……。だったら、私はあなたを……」
決めなければいけない。
ここでなずなを見極めるか、そして――敵対するのかを。
「――うん? さつき、何か今日の味噌汁の味、薄くない?」
エルニィの言葉にさつきは何でもないように装って返していた。
「そ、そうですか? ちょっと味付け間違えたかな……」
「うーん……さつきっぽくない味って感じ。赤緒もそう思うよね?」
「いえ、私は……薄味も好きなので……」
赤緒は自分の心理的な動揺が味噌汁の味に現れているとは思っていないようであった。
この時ばかりは赤緒の鈍感さに救われた形だ。
「さつき。味はきっちりつけないと。私は自称天才ほど舌馬鹿じゃないけれど、それでも分かるわよ」
「むっ……舌馬鹿とは、言ってくれるね、ルイ……。でもまー、たまにはそういうこともあるか」
それで納得してくれるのならば、と胸をなで下ろしかけたその時、ぬっと両兵が夕飯の席に顔を出す。
「あっ……おにい……小河原さんもご夕飯を?」
「おう。やっぱ酒ばっか腹に入れてっと小腹が空いていけねぇよな。今日の晩飯は焼き魚に味噌汁か、……ちょっと質素じゃねぇか?」
「たまにはいいのよ、両。さつきちゃんにはそうじゃなくっても無理言ってるんだから。それにあんた、質素な食事って言ったってこういう場には来ないじゃないの」
南の忠言に両兵は適度に応じる。
「へいへい、確かにこういうのは縁遠いもんだがな。……ん? さつき、味噌汁の味、変えたのか?」
「あー! やっぱり両兵も思うよねぇ? ちょっと薄味? になったのかな……」
エルニィの興味が再燃するのを、赤緒は制していた。
「駄目ですよ、小河原さん。唐突に現れて味噌汁の味が変わったなんて、わがままじゃないですか」
「……ん、それもそうか。まぁオレが味噌汁なんてたまにしか飲まねぇからってのもありそうだが」
味噌汁をすする両兵はもう気にしていない様子である。エルニィは何だか納得いかないのを封じられた様子だ。
「ちょっと、今日は薄味に挑戦してみただけですから。今度からは気を付けますね」
「あー、いいのよ、さつきちゃん。こいつだって馬鹿舌なんだから。両の注文にいちいち応えていたら身が持たないわよ」
「……ンだと黄坂、てめぇ……。分かった風な口を利きやがって」
「だってそうじゃないのよ。カナイマに居た頃だってご飯は食べられるだけでも貴重だったでしょう? それに文句をつけたら、罰が当たるってもんよ」
「……まぁ、そう言われちまえばその通りなんだが……。さつき。本当に何でもねぇンだな?」
両兵の問いかけに、自分は嘘を返すことになる。
心苦しかったが、ここは笑顔で返答するしかなかった。
「本当に、何でもないの。ゴメンね、お兄ちゃん。今度からはきっちりするから」
「……まぁ、別に味噌汁の味にケチつけたいわけじゃ、ねぇんだがな」
それでも、ある意味では、気づいてくれて嬉しい反面、自分はこういうところでヘマをやらかすのだと痛感する。
ここで両兵たちに協力を仰げば、恐らくはなずなの企みも挫くことができるだろう。
一面では正しい方向のはずなのだ。
しかし、アンヘルメンバーに頼り切ってしまっていれば、それはいつもの自分である。
――守られるばっかりじゃ、ないはずだから。
そう心に誓い、さつきは夕飯の片づけに向かっていた。
――夜の静謐に包まれた学校は平時とはまるで違う空気を纏っていて、さつきは当惑してしまう。
その中で、今も電気が点いているのは当直室だ。
ぎゅっと拳を固く握り締め、さつきは当直室へと歩を進めていた。
「……でも、なずな先生は何のつもりで……」
自分一人を誘い出して、アンヘルの戦力を削ごうとでも言うのか。だが、ならば普段でも可能なはず。
今こうして、わざわざ夜遅くに自分を呼び出す意味が不明瞭だ。
そう思いながらさつきは当直室の前に佇み、扉をゆっくりと開いていた。
果たして、そこに居たのは事務作業を続けていたテーブルに妖艶に腰かけたなずなであった。
「約束通り、ですねぇ、さつきさん♪」
「……なずな先生」
「はい♪ 何でしょう?」
なずなは笑顔で何でもないことのように応じてみせるが、さつきは強く丹田に力を込めていた。
――ここで事態に流されれば、自分はまかり間違える。
キッと見据えて、言葉を搾る。
「……あなたは……あなたの目的は……何なんですか……!」
なずなは唇を指で押し上げて思案した後に、「残念♪」と手を開く。
「……えっ……?」
「交渉は決裂のようですねぇ、さつきさん。お仲間が居るなんて」
その言葉の意味を解きほぐす前に、サッカーボールがすぐ脇を突き抜けてなずなを射抜こうと迫る。
アルファーの加護を得たサッカーボールの一撃をなずなは軽い身のこなしでかわし、トンと着地してみせる。
さつきは振り返り、こちらを見つめて憮然としているエルニィを視界に入れる。
「た……立花さん? 何で……」
「何でも何もないでしょ、さつき」
不遜そうにポケットに手を突っ込むエルニィは歩み寄って言いやっていた。
「味噌汁の味がおかしい上に、今日のさつきってば挙動不審過ぎ。あんなの、怪しいって誰でも分かる。……ま、一応はボクしか気づいていない体だけれどね」
「……付けてきたんですか」
「心配だったんだよ。あんな……不自然な状態のさつき、見ていられないもん」
ならば責める言葉は出てこない。
なずなはわざとらしく小首を傾げる。
「あれれ~? さつきさん一人かと思ったら、立花博士がご同伴ですかぁ?」
「……そのムカつく喋り、いい加減やめない? 正体割れてるんだからさ、――瑠璃垣なずな」
「ふーん……。何だか立花博士、怖いですねぇ、さつきさん。お喋りの舞台を変えましょうか」
そう言ってなずなは飛び退って窓を開け、そのまま外へと逃げ出す。
「逃がすか……!」
エルニィが追ったその時には、なずなの身柄は巨大な人機の掌の上であった。
乗機――《ナナツーシャドウ》が因縁の赤い眼光でこちらを見下ろしている。
エルニィは気に食わない、とでも言うように鼻を鳴らしていた。
「上から見下ろさないでよ! このペテン師!」
「ペテン師と言うのは語弊がありますよぉ。まだ誰も騙してないでしょう?」
「どうかな……君はボクとさつき、それにアンヘルメンバーを愚弄したようなものだよ。何よりも! さつきをこんな場所に呼び出した! その時点で許せない!」
「……立花さん」
「麗しい友情ですねぇ。それとも愛情? どちらにせよ、言っている場合ではないとは思いますけれどぉ?」
どういう、と自分が意味を解する前に、エルニィはアルファーを翳し、人機を呼び出す。
「来て! ブロッケン!」
エルニィの呼びかけに応じ、《ブロッケントウジャ》が飛翔して仕掛ける。
槍の穂を突き出した攻撃的な構えに、《ナナツーシャドウ》はリバウンド力場の生じた刃で一閃を退けてから、操主をそのコックピットに招く。
「なずな先生!」
呼びかけた自分の声になずなは一拍だけ振り向いていた。
「……何もかも……本当に嘘ばっかりなんですか……? それだけでも……」
「すいませんねぇ、さつきさん。その真っ直ぐな真意に応じる時間は、なさそうですので。……今は」
瞬間、空間へと切り込んできたのはプレッシャーライフルの光条であった。
空中展開するのはキョムの《バーゴイル》部隊である。
「……《バーゴイル》! やっぱり繋がって……!」
確証を得たような発言のエルニィとは裏腹に、《ナナツーシャドウ》は彼らに向けてすっと――その刃を突きつける。
「……あれは……? キョムとなずな先生は……敵対して?」
「まやかしだ! そんなの! やっちゃえ! ブロッケン!」
《ブロッケントウジャ》が呼応して《ナナツーシャドウ》の足を止めようとするが、相手は槍の一撃を見事に足掛かりにして跳び上がり、直上に居た《バーゴイル》へと剣閃を浴びせ込む。
あまりにも鮮やかな動きに二人して絶句していた。
「……《バーゴイル》を迎撃? なずな先生は……キョムの敵なの……?」
「信じられるもんか! さつき、アルファーはあるんでしょ? ……《ナナツーライト》で応戦、頼むよ」
「……でも、立花さん。まだその……分からないじゃないですか」
「分かり切ってるじゃないか! ……あいつはさつきの心を弄んだんだ」
そう決めてかかるエルニィの背中は、そうだと断じなければこの局面で読み負けると言う確証があった。
アンヘルの作戦行動を指揮する上で、迷いは命取りとなる。
もしかしたら、ともすれば、なんて要らない可能性は摘まなければいけないのが彼女の仕事なのだ。
さつきは一つ頷き、アルファーを天高く翳す。
「来て! 《ナナツーライト》!」
呼び出された《ナナツーライト》がハンドガンで《バーゴイル》をけん制しながら、自分へと掌を出す。
さつきは覚悟を決めてそのコックピットへと乗り込んでいた。
『さつき! Rスーツがないから、ダメージは最小限にね。あんまり下手に弾もらっても旨味がない……』
「立花さん……。でも、《ナナツーシャドウ》の挙動は……」
《バーゴイル》部隊を相手取って《ナナツーシャドウ》は後れを取った様子はない。
それどころか、果敢に、それこそ無謀とも取れるような機動を描き、《バーゴイル》の射線を潜り抜けていく。
その佇まいは歴戦の兵のそれを想起させた。
「……なずな先生。あなたは一体……何なんですか……」
『……癪だけれど、まずは《バーゴイル》をやる! そうしないとまともに戦うこともできそうにない!』
エルニィの《ブロッケントウジャ》が視線を合わせてサインを送ってくるのを、さつきはコックピットの中で首肯する。
「緑舞う田園の守護者、《ナナツーライト》! 川本さつき、行きます!」
ハンドガンで《バーゴイル》に向けて照準する。当然、ハンドガンの弾丸程度では致命傷にはならない。
相手は装甲で弾き返そうとするが、既に弾道を触媒にしてRフィールドの道は拓けている。
敵機が勘付いた時には、既に手遅れな射程だ。
「Rフィールド、ハンドガンプレッシャー!」
ハンドガンの弾丸そのものにRフィールドを纏わせ、弾頭を強化する一撃。
射抜かれた形の《バーゴイル》が撃墜され、それぞれに黒煙を棚引かせながら落下していく。
その落下地点を先読みして、さつきはリバウンドの網を張っていた。
「学校を下敷きには、させません!」
リバウンドの投網が敵機の爆発と衝撃を緩和し、光でさえも減殺させる。
『……やるじゃないですか。さつきさん♪』
『さて、これで邪魔なキョムは黙らせたけれど……ここに《バーゴイル》が来たこと自体、異常なんだよね。……何が目的?』
《ブロッケントウジャ》が対人機用のアサルトライフルを照準する。銃口を向けられていても、なずなはおっとりとした口調のままであった。
『そうですねぇ……。さつきさんの覚悟が見たかった、というのは? 駄目ですか?』
『何を言って……! ……いや、そっちのペースに乗ったら負けだ。下らない理由なら引き金を引く。それくらいは馬鹿にしないで』
エルニィの詰めた声音に、なずなは半分面白がっているかのような論調で返す。