「……馬鹿にしてんのか? てめぇも、アンヘルの連中も。言っとくがな、オレはこれでも二か国語以上できんだぞ? 日本で言うと、あー、何だ? あの犬の種類みてぇな言い方……」
「バイリンガル?」
「あー、そう、多分それだ。だからあんまり侮るんじゃねぇって話だ。日記なんて様式なんだからよ。分かった風な返答を書いときゃいいんだよ」
「……分かった。書くから、文体を教えて」
「……てめぇも日本語はできんだろうが」
「でも、教えて」
こちらのひたむきさが伝わったのか、両兵は中空を眺めながら、書き出しを紡ぎ出す。
「そうだな。まずは――」
「――“煮魚よりもお肉が食べたい。そうでないのなら、カレーがいい。でも、ニンジンがたくさん入っていると甘ったるいので少しだけピリ辛だと助かる。美味しいカレーがあるなら、考えてあげてもいい”……? 赤緒さん、これ、どう思います? 何かの暗号なのかな……?」
さつきは純粋に戸惑っていると、赤緒も腕を組んで疑問符を浮かべる。
「何だろ……。本題には全く触れてないんだよね?」
「ええ……全く……。でも、ルイさん、もしかしたらこれ、カレーにしないとコンビ解消って意味なんじゃ……!」
そうだとすればカレーにすべきだが、しかし、とさつきは思いとどまる。
「……ううん。ここでカレーにしたら、結局ルイさんの言う通りって風に捉えられちゃう。赤緒さん、今日は煮魚で行きます!」
「う、うん! その調子だよ、さつきちゃん!」
さつきは自身の思いを文章にしたためていた。
「――“カレーは一昨日やったから煮魚で行きます”、ですって……? “それと最近、ルイさんはお野菜を食べていらっしゃらないようなので、野菜も多めにしておきます”……宣戦布告ってわけ」
ルイは飛び出して窓伝いに屋根瓦に渡り、両兵へと問題の交換日記を差し出す。
「……んー、別にいいんじゃねぇのか? カレーだろ? 美味ぇじゃん。さつきのカレー」
「駄目。これを呑んだら、私の意見に対して、さつきのわがままを通してしまう気がする……!」
「そんなご大層なもんじゃねぇだろ。って言うか、メシの話題しか書いてねぇな……。本当にこれでいいのか? もっと大事なことを書くべき場所なんじゃねぇのか?」
「……これでいい」
「……ん、まぁ、そう言うんなら続きは考えるけれどよ。そうだな、オレとしちゃカレーに文句はねぇところなんだが、確かにマンネリ回避ってのはあるかもな。じゃあこうすりゃいい。もっと要求を釣り上げるんだ。そうすれば、相手も自ずとこっちの意見を無下にはできねぇはずさ」
「――どう?」
さつきは書かれている内容に再び疑問に首を傾げる。
「……えっと……“ならステーキにしなさい。上ロース以外認めないわ”……どういう意味?」
赤緒もその返答には分かりかねているようで首をひねる。
「……えーっと、本来の話題って晩御飯だったっけ?」
「いえ、そのー……もっと真剣な話題のはずなんですけれど……。もしかしてルイさん、ふざけてる……?」
つまり、自分の要求など呑むに値しないということか。
そう考えると、自分にしては珍しくはらわたが煮えくり返るような感覚を覚え、さつきは赤緒に言いつけていた。
「赤緒さん! 今日は煮魚です! 買い出しに行ってもらえますか?」
「えっ……いいけれど……問題の交換日記は……?」
「私が何とかします!」
ペンを取り、さつきは衝動のままに書きつけていた。
「――“煮魚以外認めません! 今日は煮魚です!”……いい度胸じゃない、さつき。どうやら私相手に本当に戦いを吹っかけたいみたいね……」
再び窓を出ようとすると、両兵が先んじてにゅっと屋根の上から顔を出して日記を受け取る。
「んー……まぁ別にいいんじゃねぇの? 煮魚も美味いだろ」
「駄目。ステーキで通す」
「……てめぇも強引だな。えっと、じゃあ今度はステーキじゃなくっちゃメシは食わんでどうだ? こうすれば、世話焼きのさつきなら自ずとこっちのペースに――」
「お、小河原さん? 屋根からひっくり返って何をやってるんですか?」
どうしてなのだか赤緒の声が響き、両兵は慌てて日記をこちらに返す。
「ヤベっ……柊だ。黄坂のガキ、後は頼んだ」
「た、頼んだって……まだ何も……」
「いや、もう充分に……分かったんじゃねぇのか? お互いに譲るタマじゃねぇンだろ? 何が原因なのかオレにはとんと見当もつかんが、そろそろ落としどころを見つけてもいいんじゃねぇのか?」
そう言って両兵は屋根伝いに逃げていく。
交換日記を返されたルイは、その言葉に戸惑っていた。
「……落としどころ……。そういえばこんな風に、さつきが意見を私相手に言ってくるなんてもしかして、初めて……?」
最初のほうなど、明け透けに互いの言葉をぶつけ合えばさつきはすぐにしゅんとするものであったが、こうして思いを何のてらいもなく投げ合ったのは、ともすれば初めてのことであったのかもしれない。
それがたとえ、交換日記の上で交わされる晩御飯の話題であろうとも――。
「……どこかで思っていたのかもしれないわね。さつきは絶対に、私には食い下がってこないって。でも、あれでも操主なんだもの。我が強いのは、お互い様、か……」
ルイはペンを手に取り、書き出しを決める。
そうだ、まずは――。
「――メシ食いに来たぜー、って、おいおい、やけに豪勢だな。ビーフカレーと煮魚かよ」
両兵が食卓に顔を出した時には、もうあらかた食事は終わっていて、自分の卓に夕飯が残っているのみであった。
「あっ、小河原さん。おかわりありますよ」
「おう、助かる」
食卓を囲うさつきとルイは見られなかったか、と僅かながら感慨にふけっていると、赤緒は目をぱちくりとさせる。
「どうしました、小河原さん? 誰かお探しで……?」
「あー、いや。……でもま、こういう落としどころってことは、上手く行ったんだな。よかったじゃねぇか。柊、夕飯の席は賑やかだったか?」
「……よく分かりませんけれど。まぁ、いつも通りでしたよ? さつきちゃんのご飯を、ルイさんは美味しそうに頬張って……」
「……そうか。ならいいんだ。なら、な。話に割り込むのは、野暮ってもんだろ」
ならば別に、問うこともない。
交換日記の中身は、乙女のものだけでいいはずなのだから――。