「えっと……まぁそういうのは、まだ……」
「何だ、本当に操主候補なだけなのか。けれどまぁ人機を動かせるだけでも大したもんさ。オレたちの家族の中では、動かせるのはオレだけだったからな」
含んだところのあるコールの言葉に南は振り向く。
「家族って……あの人たちですか……?」
「そう。オレの自慢の家族さ。大家族過ぎるのが玉に瑕だけれどな。それでも大事なんだ。だから……オレの我儘でもいい。ここに居させてやることができれば、きっと……」
コールの横顔に翳りが見える。きっと彼は自分では窺い知ることもできない波乱を乗り越えてきたのだろう。
その一朝一夕ではない努力が、現太と戦って潰えたとなれば、彼も慎重になるのも頷ける。
「……あなたは……」
「ここだ。南。さっきスコールが降り出したところで、見つけたんだ」
目の前に広がるのは一面の湖畔であった。
積層の大地から流れ出でた水脈を通り、大洪水の間欠泉の堰を切ったように、水が四方八方から流入する。
そこらかしこで流麗な虹が上がっていた。
「……すごい。こんなの見たことない……」
「だろ? オレもすごいと思って。いつかはこういう、何でもない景色を見ることができれば、オレの戦いも報われるもんだなって思うんだ」
「……ウインドゥさん」
「――何てな!」
コールが思いっきり背中を叩いて自分を下操主席から突き落とす。
南は直後には湖面に着水していた。
「あぶっ……! 危ないじゃないですか! 急に――!」
そう言っている次の瞬間には、コールもトンとコックピットを蹴って豪快な水飛沫を上げて着水する。
「どうだ? 今の飛び込み、すごかったろ?」
その子供のような笑顔に、南は少しだけどきりとしてしまう。
そうでなくとも、銀髪の美青年――異性ならばときめかないほうがどうかしているかんばせだ。
「しかし、ここはいい眺めだ! ……生まれてくる我が子にも見せたいな、いつかは」
だからなのか、想定外の言葉が出て、南は面食らってしまう。
「わ、我が子……?」
「あっ、言ってなかったか、南。オレ、父親になるんだ。もうすぐの話だけれど」
仰天の声が直後、滝つぼに木霊していた。
「う、嘘でしょ? ウインドゥさんって何歳……」
「オレか? うーん、今年で18かそこいらかな」
「私と三歳しか違わないのに……?」
「あ、そうなのか? だったら早いのか?」
うーんと真剣に悩む様子が可笑しくって、思わず吹き出す。
そんな自分を見て、コールは笑みを浮かべる。
「な? 笑っときゃ大概のことはどうにかなるもんだ」
「あっ……私、笑って……」
「何があったのかは知らないけれど、あんな酷い顔をしてうろつくもんじゃないぜ? ここいらは野犬の縄張りでもある。普通に危ないし……何よりも、見てられない」
コールは自分の思っていたよりもずっと人間ができている。
ぼんやりしていると、コールは才能機を仰いだ。
「……オレしか動かせないんだ、こいつ」
「あっ……人機……」
「まぁ、だからこそ今日まで生きてこられたのもある。オレ以外が乗ったらどうなっていたかなんてことは考えたくもない。……とは言え、家族を守るのは父親の役目だからな。オレは自分が立派に父親をやれるのか不安だよ」
「……ウインドゥさんみたいに強くっても、不安になるんですか……?」
「強い弱いの問題じゃないぜ? これは魂の在り方だろうに。まぁどっちにしたって、今のアンヘルにオレたちの居場所はなさそうだ。第四格納庫で身を寄せ合うしかない。それでも現太には感謝してもし切れない。根無し草のオレたちに、きっちり屋根のある場所で落ち着いてもいいって言ってくれたんだから」
コールは物事を単純な風に見ているようで、実のところとても複雑な物の見方をしているのかもしれない。
戦いと言うシンプルな事実に糊塗された代物で生きていながら、大家族の父親なんて言う、18歳の少年にはまだまだ重いものを背負おうとしているのだ。
その相克が。その矛盾が。
どこか歪な形こそが、彼の――。
「なぁ、南。何を気にかけていたんだ? よければ聞かせてくれよ。力になれるかもしれない」
思わぬ提言であったが、アンヘルに戻ったところでほとんど居場所なんてないだろう。
南はぎゅっと、拳を握り締めていた。
――明朝、カナイマの格納庫を訪れたコールは開口一番言い放っていた。
「現太は居るか? 居なければ山野でもいい」
整備班相手に喧嘩を売るようなものだ。
色めき立とうとした整備班たちを制して、現太は駆け寄る。
「どうしたんだい? こんなに朝早くから……」
「現太、あんたほどの力の持ち主でも、困っているんだと聞いた。人機が足りないんだろ?」
「それは……そうだが……」
返事に窮していると、コールは微笑んでこちらへとゆっくりとした足取りで歩み寄ってくる才能機を提示していた。
乗っているのは南である。
「……南君?」
「こういう、壊れた人機やまだ使えるジャンクをどうにかすれば、アンヘルの物資問題は解決できる」
「それを君がやるとでも……?」
「オレだけじゃ無理だ。だから、黄坂南。彼女がその部隊員その一。アンヘル専用の回収部隊を作る。オレはそこで操主としては引退をするつもりだ」
何を馬鹿な、と言い出しかけて、南の声がかかる。
「現太さん! あの……私からもお願いします! ……山野さんの前で啖呵切っちゃった手前、もうここには居られないだろうし……現太さんにも迷惑をかけちゃう。なら私、自分で強くなろうと思うんです! 強くなって……いつかは誇りたい! 現太さんを助けられるように……!」
「南君……。だが、君らだけで組織なんて――」
「――ヘブンズ」
唐突に遮られた単語に、現太は瞠目する。
コールはその響きを尊ぶように声にしていた。
「回収部隊ヘブンズって言うのが、その組織の名前だ。オレと南がつけた。ここはアンヘル――天使の場なんだろ? なら、その領域は天国のはずだ。……ま、生きるか死ぬかの瀬戸際の場所で、天国なんて縁起でもないって言われても仕方ないけれど」
「……いや、それは、まぁ……」
言い返せないでいると、整備班の奥からドスの利いた声が聞こえてくる。
「オイ……そいつ、才能機を引っ張り出して、何のつもりだ……?」
山野が鋭い眼光で睨むのを、南は真っ直ぐに見返していた。
「山野さん! 私、操主になる! 絶対に、立派な操主に……! その時まで、アンヘルの資材はお借りしません……! 自分の力で立てるようになるから……だから!」
「立派な操主だぁ? ……現、言ってやれ。女子供の領域じゃねぇって」
「女子供でも、オレは南を立派な操主にしてみせる。その誓いを立てに来たんだ」
コールの言葉繰りに山野は舌打ちする。
「……庇貸したと思ったら母屋どころか財産を奪いに、いや、築きに来やがったか……。言っておくが、操主なんて道楽じゃ務まらねぇぞ! 才能だって馬鹿にならねぇ! ……それでも、やるんだな……?」
覚悟を問い返す山野の言葉に、南は強く頷いていた。
それを目にして、山野は踵を返す。
「帰るぞ、現。こいつら、頭湧いてやがるのさ。俺たちの助けが要らないなら、好きにすりゃあいい。ただし! ……危なくなった時には自分の足で立ち上がりやがれ。操主くずれをやるって言うんならな」
それは暗に南を、コールを認めたということなのだろうか。
窺っていると、南とコールは声を合わせる。
「ウインドゥさん! 私……!」
「ああ、第一歩だな、南! だが、これからだぜ。まだまだお前には教えなければいけない基礎があるんだからな!」
「……本当にやるつもりかい? 山野はああ言っているが、協力体制をもっと築いても……」
「いや、これはオレなりのケジメなんだ、現太。オレは大家族を率いる父親でありながら、あんたに敗北した……本来なら首を取られてもおかしくない立ち位置なのに、あんたは許してくれた。なら、オレは許しに報いたい。そのための、ヘブンズだと思ってくれ。……まぁ、笑ってくれたって構わないとも。オレも何でかな……南を見て、そうしようと思ったんだ」
「……南君が……」
「ああ。南には……あいつ自身も気づいていないかもしれないけれど、力がある。誰かを引っ張っていく力が。なら、オレはその力を伸ばしてやりたい。だから、操主としてはもう今日から引退だ。少し……寂しいけれどな」
それでも彼の瞳が才能機を操る南に対し、これから先の展望を抱いているのは明らかであった。
自分でも見出し切れなかった、南の才覚。それを彼は見たと言うのか。
「……なるほど。コール君。私はでは、アンヘルでその歩みをきっちりと見届けるとしよう。互いに歩みは違えども……」
「ああ! 交わした約束は同じはずだ!」
コツン、と拳を突き合わせ、誓いを胸にしていた。
――お腹の大きい女性が歩んできて、本当に、と認識を新たにする。
「……お父さんに、なるんですね、ウインドゥさん」
「ああ。もうすぐ生まれるんだったか?」
「元気な女の子なのよ。名前は、もう決まっているのよね」
女性の慈愛の瞳に、コールは力強く首肯する。
「ああ。――ルイ。ルイ・ウインドゥ。それが、オレたちの子供の名前だ」
「ルイ……」
どうしてなのだろう。
その名前に導かれるように、南はお腹に耳を当てて子供の声に耳を澄ませる。
「……すごい、元気に息づいている」
「ああ。オレたちは、今日からヘブンズだ! 頼むぜ、隊員第一号!」
背中を豪快に叩かれて、南はむせてしまう。
「っと、悪い悪い」
「もう……ウインドゥさん、女の子の扱い分かっていませんよ。そんなだと娘さんに嫌われちゃいますよ?」
「えっ……それってまずいのか?」
「大マジにまずいですってば。……でも、この子も多分、元気。元気に大きくなると……思う」
「そりゃ、オレの娘だからな! よし、今夜は乾杯だ! ヘブンズの祝杯を挙げるぞ!」
「……まだたった二人ですけれどね」
それでも、たった二人で始まったヘブンズの歩みが、どこまで続くのか。
今はまだ、分からない。分からないままでもきっと、いいこともある。
たとえ一歩先の歩みが見えなくとも、ヘブンズの空に、駆けるものがあるのだとすれば――それはきっと……。
「よし! じゃあとっとと乾杯しようぜ、南! ヘブンズ誕生に!」
「はい……! ヘブンズ誕生に!」
乾杯、とグラスの音が弾けていた。
――これはあなたが生まれるまだ前の、祝福の物語。