メルJの声音が通信網に焼き付き、数体の《バーゴイル》を撃墜せしめていた。
『シャンデリアがもし機能不全を起こした時のための中継地点としての《バーゴイル》……読めていないとでも思ったか』
アルファーの思念が如何に空間の概念を飛び越えると言っても、宇宙まで届くのにはさすがに時間がかかる。
その僅かなロスを突いた、この作戦を――。
「潰えさせるわけには、いきませんっ! モリビトっ!」
構えた《モリビト2号》が瞬時に掻き消えて《ブラックロンドR》を押し返していく。
『……今の今まで……加減していたとでも言うのか……ッ! 私相手に……ッ!』
「悪ぃな! オレも柊も、加減なんて難しい真似は、出来ねぇンだよ! これまでだって充分に本気さ。だからこっから先は……本気のさらに上の――土壇場って奴だ!」
その通り。手加減など、《ブラックロンドR》を操るシバ相手に通用するものか。
だからこそ、本気を見せていた。
本気が見えれば、きっと《キリビトコア》を呼ぶに違いないと踏んでいたからだ。
そして――目論みは達成され、今、双方の黒の女は寄る辺を失っている状態である。
攻め立てるのならば、今しかない。
「太刀筋は押し返します! ファントム!」
ぐっと奥歯を噛み締めて急加速に耐える。Rスーツがあったとしても、今の《モリビト2号》は極地を超えていていた。
臨界を迎えた《モリビト2号》の眼窩が輝き、命の灯火を照り上がらせる。
『……何故だ。何故、その紛い物を庇って、そこまでやれる……。赤緒、お前は私と……同じだと言うのに……』
「……その言葉の意味するところは、まだ分かりません。分かりませんけれどでも……っ! 誰かの命の価値なんて、誰にも決められないはずだから! だから私は……っ!」
『赤緒……そこまで……』
《モリビト1号》に乗ったシバは虚脱しているようであった。
赤緒は眼前で切り結ぶ《モリビト2号》と《ブラックロンドR》の刃から発せられたスパーク光を睨む。
『生きていていいはずだと? ……愚かしさもここに極まれりだな。私が厭だと言っている!』
「私はそれでもいいって――思ってるんですっ!」
相容れない二つの魂が互いの人機を伝導させてぶつかり合い、余剰衝撃波が対岸の地形を変えていた。
斬撃の軌跡が《ブラックロンドR》の片腕を叩き落とす。
だがその直後には《モリビト2号》の盾へと防ぎようのない一閃が叩き込まれていた。
亀裂の走る盾の表面にリバウンド力場を形成させ、赤緒は吼える。
『赤緒さん! 支援します! リバウンドの加護を!』
さつきの《ナナツーライト》からリバウンドフィールドが導かれるように構築され、モリビトの盾の崩壊を留めた。
だがそれも一時的な場凌ぎに過ぎない。
反重力の加速度を得て《モリビト2号》が飛びかかる。
打ち下ろした一閃を《ブラックロンドR》は飛び退いて回避し、バルカン砲を掃射していた。
盾を失いつつある《モリビト2号》に防御の術はない。
じりじりと機体表面を削っていかれる感覚に赤緒はコックピットの中で同調部位に痛みを覚える。
疼痛がRスーツを軋ませたが、それでも赤緒は刃を振り上げていた。
そのブレードを《ブラックロンドR》の大太刀が突き返した勢いで弾く。
『受け取りなさい、赤緒! メッサーシュレイヴを!』
ルイの《ナナツーマイルド》が投げたメッサーシュレイヴを逆手に握り締め、赤緒は《モリビト2号》と同期した視界の中で、《ブラックロンドR》に収まるシバの、その命の輝きを見ていた。
――これは、ビートブレイクの時と同じ?
しかし、今はビートブレイクの予兆もないはず。
それなのに、人機の中に居るシバの命の灯火が青く輝いて映る。
燃え盛る青の光は恩讐の輝きか。
思念の渦の中で、互いの鼓動が同調する。
全く他者のはずの二つの鼓動は、今この時、重なっていた。
《ブラックロンドR》の嵐の中のような漆黒の思念波の向こう側で、シバの鼓動に咲いた一滴の魂が、今、何かを告げていた。
――何を……何を言おうとしているの……。
どうしてなのか、見出した魂の色はシバのものではないのが分かる。
「――シバさん!」
『赤緒!』
呼気と共に突き上げた一閃が《ブラックロンドR》の血塊炉を破る。
それと同じくして《ブラックロンドR》の大太刀の暴風の如き刃の応酬が《モリビト2号》の装甲を切り裂いていた。
血塊炉が急速にパワーダウンしていく。
次々と沈みゆくモニターの中で両兵は叫んでいた。
「逃げンな! 柊! 行け――!」
「……はいっ!」
トレースシステムを捨て、赤緒はアルファーを先端につけた槍を携え、コックピットブロックを射出させる。
足元はいつの間にか湖畔に至っており、先ほどまでの《モリビト2号》と《ブラックロンドR》との激しい戦いのせいか、雨のように降りしきっている。
ここは水の檻の中。
二人だけの――同じく人機を捨て、刀を携えてやってきたシバとの対峙。
「……こんなことになるなんてな」
自嘲気味に語ったシバに、赤緒はその瞳から涙を流す。
「……何故泣いている? お前は私と同じはずだ、赤緒。だから今はまだ……泣く時ではないはずだ」
「……いいえ、悲しいんです。あっちのシバさんみたいなら……もっと上手く、出会えたかもしれないのに」
「偽物みたいなら、か……。それは私にとっては一番の苦痛だな。赤緒、まだまだ早いと思っていたが、一つだけ教えてやろう。お前は今さっき、私の魂の色を見たな?」
まさか看破されているとは思っておらず、息を詰まらせているとシバは冷笑する。
「……図星か。本当に分かりやすいよ、お前は。……モリビトは死んだか?」
「……いいえ、《モリビト2号》の血塊炉は……」
「嘘が下手だな。私が切り裂いたんだ、ダウンしているはず」
だが、とシバは《ブラックロンドR》の大太刀へと手を翳す。
「一つだけ、私について教えてやろう。お前の力は人機の命をついばむ力――人機殺しの右手のはずだ。だが私の左手はそうではない。お前とは……ある意味では正反対であることを宿命づけられた左手だよ」
「正反対の……力……?」
その時、大太刀を伝ってシバの身体から分かたれた青い光が《モリビト2号》へと注がれていく。
何を、と思った刹那にはモリビトの鼓動が復活していた。
「……モリビトを……生き返らせてくれたんですか……」
「これは敵に塩を送るようなものだが、今回ばかりは私も随分と私怨に駆られた。そんな女の、ある意味では末路のようなものだ。赤緒、これが私の左手……お前が心臓を射抜くなら、私の力はさしずめ、ビートリザレクション、とでも呼ぶべきか」
「ビート……リザレクション……。人機を蘇らせる、能力……?」
「神の左手だよ。私は……一つも誇るところはないがな」
悪に堕ちたシバが神の左手を持つなんて、と打ちひしがれていた自分へと切っ先が向けられる。
「……シバさん……」
槍の穂を突きつけ、互いに譲らなかった。
瞳だけは絶対に逸らさずに、そして交錯する時は訪れる――かに思われた、その時であった。
黒いモリビトが直上から躍り上がり、ブレードを振るい落とす。
『赤緒!』
「……こっちのシバさん? 何で……」
『何でじゃないでしょ! あたしは赤緒を信じているんだから! 危ないことをさせられない!』
「……決着は持ち越し、か」
シバはアルファーを顔面に翳し、淡く輝く光で上空から光条を導かせていた。
《モリビト1号》が無理やり《モリビト2号》ごと自分を引き剥がす。
「シバさん! あなたは――!」
「忘れないようにすることだ、赤緒。お前の右手は、壊すためのもの。再生には、私の力こそが相応しい」
上空展開していた《バーゴイル》が《ブラックロンドR》を回収し、そのままシャンデリアの光が街中へと落とされる。
光の中へと集束されていく《ブラックロンドR》の漆黒の機影を眺めながら、赤緒はにわかに動き出した《モリビト2号》を感知していた。
『……柊……敵は……やったのか……?』
両兵の声を引き写した《モリビト2号》が生命の輝きを再び灯らせる。
――見間違えようもなく、今の一瞬、モリビトは死んでいた。
それに命を吹き込んだのは、自分ではなくシバ。
自分の手は壊すためのもの、シバの手は再生者の手――。
「でも……じゃあ私は、全ての人機を破壊するために、生まれてきたって言うんですか……シバさん……」
仰ぎ見た天空の果てには、光の残滓すらなかった。
「――シャンデリアの光で《ブラックロンドR》を無事回収。ジャミングは一時的とは言え、ここまで深く潜り込んで証拠も残さないのはプロの所業だ。……来たのか、ミス瑠璃垣……。僕の眼を掻い潜れるのは世界広しと言えど彼女しか思い浮かばない。……因果なものだね。君は、だって――」
「回収したわ。《ブラックロンドR》と……こっちのシバは、ね」
ジュリの物言いにセシルは振り向きもせずに応じる。
「《バーゴイル》での参上お疲れ様。《CO・シャパール》がまさか直前で戦闘不能になるなんて思いも寄らない」
「……どうかしら。あんたはどこかで……分かっていたんじゃないの? 《ナナツーシャドウ》……あの女のことも、それに今回のシバの顛末でさえも」
「万能の神じゃないさ。そこまでは不明だよ」
「……全能を気取っておいてよく吹かす……」
「シバは? 彼女の様子はどうだい?」
ジュリは一拍置いてから答えていた。
「赤緒に……力の一端を見せた、と言っていたわ。ねぇ、坊ちゃん。あの子の力って……何なの? 私は知り得ない……」
「おや、八将陣の間でも知らない者も居たか。これは秘密主義が通っていると思うべきなのかな」
「……茶化さないで。教えなさい。あっちのシバにも仕組んであるんでしょう? もちろん」
「……最初に提唱したのは僕じゃない。グリムの研究者たちだ。彼らは魂を弄び、ヒトの形を精巧に造り上げる術を確立していた。僕がここに呼ばれ、研究主任となる前の話だが、彼らの禁忌は最早人の枠組みを超えていたという。魂、記憶の領域、人格の掌握術……数多の人体実験の記録。グリム教会の面々とは、本当ならば会っておきたかった。……彼らがその力ゆえに、滅びていなければね」
最初期にシャンデリアへと移住した人々――グリムの眷属――彼らの足取りを掴むのは並大抵ではない。
「だがそのためのもう一人のシバだ。僕は最初から、闘わせようだとか雌雄を決することを目的として造ったとは一言も言っていない。純然たる力を持つシバならばいずれ辿り着く。グリムの眷属の記録した命の河のメモリー――エクステンドの力へと」
「……あの子にはそれができないと?」
「できるできないの枠組みじゃない。不可能なんだ。今のシバではそこまで行けない。だが僕の造り上げたシバならば、行ける。シンプルに考えるといい。僕はただ、グリムの眷属の持っている技術が欲しいだけ。なら、ネズミの一匹や二匹は飼育するだろう?」
「……私が万全じゃなくってよかったわね。《CO・シャパール》があれば、このラボを破壊するところだった」
「それは意見の相違だよ、ジュリ。僕じゃなければ《CO・シャパール》も、その発展形たる《クイン・COシャ》も辿り着けない。君たち八将陣は僕を利用し続けるしかないし、僕も君たちを利用する。それだけの、単純な帰結だと思っていたけれど?」
「あの子を愚弄しないで。……シバは本気で傷ついたのよ……!」
「本気、かぁ……。じゃああれの今の実力は拮抗していることになる。柊赤緒、未来の血続の母よ。彼女はいずれ災厄の道を辿るだろう」
「……そうさせないために、私が居る」
「よく喋るじゃないか、ジュリ。何か本当に用向きでもあったのかい?」
ジュリは言葉を切ってから忌々しげに言い放つ。
「……最新情報よ。私はキョムの内偵も帯びている。これをあんたに渡す義務があるわ」
投げ捨てた情報媒体をゾールが拾い上げて自分へと差し出す。
「取って来いもできないのかい? 随分な内偵もあったものだ」
「黙りなさい、坊ちゃん。口さがが過ぎれば、今度こそ命はないと思うことね」
ジュリが立ち去ったのを確認してから、セシルは培養液に浸かったゾールたちを眺める。
「……だが君たちが、人造種たる彼らと違うのは母親から産まれるそれだけの話だ。じきに立場は逆転する。血続こそが、真の人類を導く地平となる時代が来る。その時に、欠陥品のシバか、純正品のシバ、……母たるのはどちらだろうね」
愛おしげに、セシルはカプセルを撫でていた。