JINKI 174 時が止まれば

「約束の時間を十分もオーバーしているし……買い物に行かないと、みんなにどやされちゃうよ」

 嘆息をついたその時、自転車を漕ぐ両兵の姿が遠くの地平線に映る。

「おーい! 柊、すまんな。こいつ調達すンのに時間がかかっちまって」

「……何で自転車なんです?」

「うん? 分からんか? この日本じゃ車一つ運転すンのにもうるせぇだろ? 免許だの何だって。その点、自転車ならてめぇの体力次第だし、何よりも都内じゃ小回りが利く。ちょうどいいってわけだ」

「……あの、ちょっと遅れてるんですけれど……」

「十分やそこいらだろ。そう刺々しくするんじゃねぇよ、女々しい奴だな」

 何だか肩透かしを食らった気分で赤緒は当惑していたが、そういえば、と思い返す。

「小河原さんって、時計、持ってないですよね?」

「あー、ンなもん要るか? 大体の時間は勘で分かンだろ?」

「……じゃあ今何時です?」

 両兵は腹を押さえ、瞑目してから、ふむ、と声にする。

「16時5分、ってところじゃねぇか?」

「あ、合ってる……。え、何で……?」

「腹時計に従っていりゃ、大概は何とでもならぁ。時計みてぇなハイソなもんに頼るのも馬鹿馬鹿しいだろ?」

 要は野生の勘で生きている両兵らしいと言えば両兵らしい返答である。

「……まぁ、いいですけれど。買い物には……自転車で?」

「おう。後ろ乗れよ、柊。これから買い物だろ?」

 何だか降って湧いたような幸運に赤緒は戸惑いつつも、咳払いで鼓動が早鐘を打つのを抑えていた。

「……じ、じゃあ、その……」

「しっかり掴まってろよ。……ああ、でも時計、か。そういや、持ってたわ」

 両兵が懐から取り出したのは年季の入った懐中時計である。

 思わぬ所持品に赤緒は尋ね返していた。

「懐中時計……って、小河原さんっぽくない……」

「失礼な奴だな、おい。まぁ、オレっぽくないと言われちまえばその通りなんだがな。これは元々……オレが持つもんでもなかったって言っちまえばいいのか」

「どういう……」

「チャリ漕ぎながらでも話せるだろ。いいから、乗れって。急ぐんだろ?」

 そう促されて赤緒は両兵の腰に手を回し、自転車に乗り合わせながら彼の話し始める昔話を聞いていた。

「そうだな……元々オレは、時計なんて持たなかったんだよ。面倒だし、縛られるみてぇな感じがしてな」

「両兵! 今日の訓練には……? あれ? どこ行ったの?」

 食堂に飛び込んできた青葉にシールと月子が顔を見合わせる。

「小河原君なら、まだ来ていないけれど。青葉ちゃん、どうしたの?」

「あっ、月子さん。その、両兵は? まだ部屋なんですかね」

「そうだと思うぜ。あいつも生活リズムってのがなってないよなぁ。起きたい時に起きて寝たい時に寝るなんてまるで野生動物だろ」

「うーん……でもカナイマだとそれが当然みたいなところもあったし……」

「青葉は甘えさせ過ぎなんだって。この際だ。両兵の奴に首輪でも付けちまえばどうだ?」

「く、首輪……? でもそんなことしたって、両兵が言うこと聞きっこないですよ」

「そうだなぁ……小河原君、でも食事の時間には絶対に間に合うよね? あれは何なんだろ……」

「ただ単に腹時計が正確なだけだろ? 要はがめついんだよ、あいつ」

 朝食を取る月子とシールに、青葉は部屋へと取って返そうとして、エルニィに遭遇していた。

「あっ、エルニィ……両兵は?」

「まだ寝てるんじゃない? 今日はなかなか……起きてこないねぇ」

 ふわぁ、と生欠伸を噛み殺したエルニィに青葉は思案する。

「……首輪……検討したほうがいいのかも」

「両兵に首輪? 無理無理! やめたほうがいいってば! ……第一、言うことなんて聞かないでしょ。あの性格じゃあねー」

 エルニィの言うことも分かってしまうのが辛いところだ。

 ため息をついていると、両兵が部屋から顔を出す。

「……何だ、てめぇら。うるせぇから目が醒めちまった」

「両兵! 今日は訓練の日でしょ? 時間くらいはきっちり守ってよ!」

「時間って……まだ一時間くらいあンだろ? 何だってそう焦るんだよ」

 両兵の言う通り、確かに訓練時間まではちょうど一時間あった。

「……両兵、そんなんで困らないの?」

「困る? 何言ってんだ、青葉。オレが時間に遅れたことなんてあるかよ」

「それは……ないけれど……」

 そう、ないと言えばない。自分の記憶する限りでは両兵が何らかの時間に遅れたことだけは、そう言えば皆無なのだ。

「……何で時間が大雑把でも分かるの?」

「ん? そりゃあ、お前、腹の虫と相談すれば分かるだろ」

 両兵が下腹部を押さえ、瞑目した後に現時刻を正確に言い当てる。

「……何だよ、まだ朝の八時かそこいらじゃねぇか。もうちょっと寝かせろよ」

「……えっ、何で分かるの?」

「だから、腹時計が正確なんだっつーの。お前らみてぇに下手なもん持たない分、身軽でいいぜ?」

 しかしそれはいい加減なことと何が違うと言うのか。

「もうっ! 両兵、ちょっとこっち来て! 街に出掛けるよ!」

「お、おいっ! まだメシ食ってねぇンだ。それにこんな朝早くに出掛けたってどうするんだよ!」

「時計を買うの! ……今のままじゃ、両兵、駄目な人になっちゃうよ?」

「時計ィ? ……ンなもん要らねぇよ。あったって邪魔なだけだろうが。第一、オレは嫌なんだよなーあれ。時計なんざ、たまに見るくらいでちょうどいいんだよ。ずーっと、腕に巻き付いているのもストレスだし、飾ったってどうしようもねぇ」

「それでも! 買いに行くの! 両兵、このままじゃ時間も分からない類人猿だよ!」

「うっせぇなぁ。ったく」

「あ、じゃあボクも付いていくー! 両兵、時計買うんでしょ?」

「買わねぇよ、余計なもんなんざ」

「でも、この街じゃ、ボクが同伴したほうが何かと便利だと思うけれど? 青葉だって、ブラジルはそれほど慣れてないよね?」

 エルニィにそう詰められてしまえば言い訳もできず、青葉は承服する。

「でも、エルニィだって時計付けてないじゃない。それで分かるの?」

「むっ、馬鹿にしてくれちゃってー。じーちゃんがガジェットマニアだったんだ。これでも時計を見る目くらいはあるんだよ?」

 言われるがまま、エルニィに引き連れられ、半ばげんなりしている両兵を連れて街へと飛び出す。

 相変わらず南米の主要都市だ。

 人混みでごった返している。

「で、どんなのが好みなの?」

「えっとー……両兵、自分のことなんだから自分で決めようよ」

「お前らが勝手に盛り上がってるだけだろ。オレは時計なんて買わんからな」

「そんなこと言っちゃってー。両兵だって時計の目利きの一つや二つはしておかないと、足元見られちゃうよ?」

「……そんな状況にはならん。ならんと断言できる」

「まぁまぁ。ひとまず、時計店にでも行ってみよう? もしかしたら、思わぬ優れものがあるかも」

「ここだよー、ここ。じーちゃんがよく使っていたなぁ」

 エルニィに先導され辿り着いた時計店は、明らかに高級店のそれで青葉は仰天してしまう。

「え、エルニィ? 本当にこんなところで買い物していたの?」

「何さ、意外そうに。じーちゃんはあれで研究者だったから、足元見られないように高級品だけは買っておいたんだ。まぁ、それでも家じゃ適当だったけれど。よそ行き用に一本くらいは買っておけば? そうすれば困らないでしょ」

「うーん……でもなぁ」

 入るのも憚られる高級時計店の前で右往左往していると、エルニィは何でもないように入店する。

「あっ、エルニィ……。もう、ほら行くよ、両兵」

「……オレに合う時計なんてねぇよ」

「いつまでも駄々捏ねていないで。子供じゃないんだから」

「失礼な奴だな、おい。時計なんて要らねぇって言ってんだ」

「お客様、時計をお探しですか?」

 エルニィが連れてきた店員がニコニコと営業スマイルで歩み寄ってくる。

 青葉は気圧されつつも応じていた。

「その、紳士物の時計を探しているんですけれど……」

「だから、要らんって言ってるだろうが」

「それでしたら、こちらにございます」

 案内された売り場にあった時計の値段に青葉は硬直してしまう。

「えっ……ちょっと待って……ゼロが六個もあるけれど……」

「だから言ったじゃん。それなりのお店だって」

 エルニィの言葉振りに青葉は両兵へと視線を流す。

 当然ながら、彼もそれほど手持ちがあるわけではない。

「あっ……えっとー、また来ますね。ちょっと今日は……その、ねぇ? 両兵」

「……そもそも要らんって言っているだろうが」

 曖昧な微笑みで店の外に出るなり青葉はどっと汗を掻いていた。

「……腕時計ってあんなに高いの?」

「ここは一等地の時計店だから余計にかもね。何なら、もうちょっと安いところにでも行っておく?」

「うーん、ちなみにエルニィ、あれくらいは買えちゃうの?」

「まぁ、じーちゃんの遺した財産が結構あるから。ボクは大丈夫だけれど、青葉たちは? 手持ちなし?」

「……あるにはあるけれど……エルニィほどはないよ」

「お前ら……オレは要らんと言っているだろうが」

 呆れ返った様子の両兵は腹部をさする。

「……それよか、朝メシがまだだったな。どっかで食いながら探そうぜ。どうせそこまで重要じゃねぇンだからな」

「じゃあそこの露店行こっ! 青葉もそれでいいよね?」

「あ、うーん……何だか誤魔化されているような……」

 そう言っている間にエルニィは三人分のハンバーガーを買い付けて、噴水広場のベンチに座り込む。

「ボクも朝まだだったんだー。ハンバーガー、おいしー!」

「……ね、エルニィのおじいさん……立花相指さんはどんな買い物をしていたの?」

 エルニィは頬っぺたにケチャップを付けつつ、うーんと思案する。

「じーちゃんは一人で買い物することが多かったからなぁ。勝手に決めちゃって、次の日辺りにそれを身に着けて、でいつの間にかなくしちゃうんだ。そんなのばっかりだったよ」

「何だそれ。物持ちが悪かったのか? お前の爺さん」

 両兵はハンバーガーに齧り付きながら問いかけると、エルニィも首を傾げていた。

「どうなんだろ……。研究者としちゃ一流だったはずだから、何かと物入りだったのは確かなんだけれど……案外、じーちゃんも抜けていてさ。その日必要なものはその日に揃えちゃうとかあったからね」

「……ま、人機の研究者なら金にゃ困らなかっただろうからな」

「でも……両兵、じゃあどうするの? 時計がないとこの先困っちゃうよ?」

「だから、オレは困らんと言っているだろうが。腹時計で何とかならぁ」

「何ともならないと思うけれどなぁ……」

「高級時計点じゃ買い物しづらいって言うんだよね? 二人とも」

 曖昧に頷くと、じゃあ、とエルニィは口元のケチャップを拭いながら声にする。

「露天商で探すってのはどう?」

「露天商……?」

「あれ? 日本人じゃ馴染みない?」

「露店なんかで時計が売ってるの?」

「馬鹿にしちゃいけないよ、青葉。ブラジルの露天商はそれなりのものがあるんだ。もしかしたら掘り出し物の一個や二個はあるかも」

「露天商ねぇ……。まぁそもそも要らないもんなんだが……格式ばった店で買うよかマシそうだ」

 両兵はハンバーガーの包み紙を丸めてゴミ箱に放り投げる。

「じゃあちょっと込み入った道に入ろうか。表通りじゃさすがに売ってないからね」

 ブラジルの裏通りは迷路のように折れ曲がっており、どこをどう通っているのか、現地人ではない自分たちではすぐに迷ってしまいそうだ。

「ねぇ、エルニィ? 本当にこっちで合ってるの?」

「分かんない」

「わ、分かんないって……」

「露天商が居そうな場所に行っているだけだし。ボクは何となくで道順は覚えているけれど、青葉と両兵は……って、あれ? 両兵どこ行っちゃった?」

「えっ……? あれ? 両兵?」

 いつの間にか両兵の姿は忽然と消え失せている。

「逃げられたかもねー、これ」

「……もうっ! 両兵ってば!」

「じゃあ、青葉も時計を買えば? 何となくでいいんでしょ?」

 とは言われても自分もそういえば時計などには頓着しないタイプである。

「……あの、安ければいいかな、私は」

「じゃあ、ここから選んでみようか。青葉は……この懐中時計なんて、いいんじゃない?」

 露天商の広げていた時計の中に、青葉はレトロな見た目の懐中時計を発見する。

「……何だろ、これ。材質が何だか不思議……」

「お嬢ちゃん、目聡いね。それは鋼鉄の巨人から造られたと言われている懐中時計だよ」

「鋼鉄の巨人って……」

 思わずエルニィに視線を流す。

 人機のことは極秘のはずだが、どこかで情報が流出している可能性もあった。

「じゃあ、これ、いくら?」

 示された値段はギリギリ買えないでもない値段だ。

「じゃあ、その、これ、買います」

「毎度あり」

 買い付けた懐中時計を開くと、中の時計の針がぼんやりと青く光っている。

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