「なるほど、血塊炉に使われているのと同じ材質なんだ。よくそんなものあったもんだね」
「でも、両兵に時計を買わせるつもりが自分が買っちゃうなんて」
何だかなぁ、とため息をついて通路を抜けたその時、両兵と鉢合わせする。
「あっ、両兵! 酷いよ、勝手に居なくなっちゃうなんて!」
「うん? お前ら何言ってんだ。そっちが居なくなったんだろ? どこ行っていたんだ?」
「どこって、こっちの路地裏に……」
「そこは行き止まりだが?」
「あれ? ……あっ、本当だ。エルニィ?」
「いやー、ボクも分かんない。土地勘はあるけれど、道に関しちゃ素人だから」
「それ、懐中時計か?」
自分が手にしているものを指差すなり、両兵は凝視する。
「あ、うん……」
「まぁ、それなら邪魔にならんかもな。腕にずっと付けている必要もないし」
「あっ、じゃあこれ……両兵が持ってなよ。困るもんじゃないし」
「懐中時計ねぇ……何だか随分とお高くとまった趣味みてぇに見えちまうな」
とは言え、両兵に時計を買わせるのは結果的に成功したことになる。
「でも……何だったんだろ。さっきの露店の人……」
確かに振り返ってみれば、路地裏は閉ざされておりとてもではないが人が通れるようにはできていない。
「ふぅーん、これ、人機の装甲を切り出したのか? 触った感じが似ているが」
「あっ、両兵分かっちゃう? 何だかそうみたいなんだよねー」
「両兵……その……余計なお世話……だったかな?」
今になって自分の世話焼きの性格のせいで、両兵を余計に連れ回してしまったことを反省してしまう。
両兵はため息一つで自分の憂いを打ち消していた。
「今さら余計なお世話も何もねぇだろ。ただまぁ、持ち歩くんならそれなりに愛着のあるもんのほうがいいに決まってらぁ。まぁ、オレには箔も何も、時計なんて無用の長物だとは思うがな」
「でもいつかは……両兵だって時計があってよかったと思える時がきっと来るよ」
自分の物言いに両兵は思案する。
「そうかぁ? オレは時計なんて時間に縛られるだけの代物だって、きっと否定すると思うぜ」
「――えっと、買い物はこれくらい、っと……小河原さん?」
自転車に跨って懐中時計に視線を落としている両兵へと買い物袋を携えて赤緒は歩み寄る。
「……ああ、終わったのか。じゃあ後ろ乗れ。買い物袋は籠に入れちまえばいい」
「あ、はい……。でも、その時計、不思議ですよね……。人機の材質と同じなんて……」
「まぁ、あいつのお節介が行き過ぎた結果だ。ただ、これだけは……余分なものだとは思えなくなっちまったな」
両兵は懐中時計を懐に入れ、自転車のペダルを漕ぎ出す。
夕刻を迎えた春の陽気が降り注ぐ中で赤緒は両兵の腰に手を回し、柊神社までの道筋を辿っていた。
「……でも、小河原さん。時計は結果的に、必要だったんじゃないですか?」
「ん、まぁ、言っちまうとな。時間に縛られるのは嫌なのは今も変わらんし、何だったら時計なんて余分って切っちまってもいいんだけれどよ。……思い出の品は、そう簡単にゃ、要らねぇとは言えねぇよな。それが時計一個分の重みになっているんなら、なおさら、って奴だ」
「時計一個分の重さ……」
今は、両兵の南米での掛け替えのない思い出は懐中時計一つに集約されている。
否、きっと彼はそれ以上のものを背負っているに違いないのに。
その大きな背中を赤緒は眺める。
何だか、今だけは替え難い気がして、ぎゅっと背中に耳を付けていた。
――聞こえるのは両兵の鼓動。
緩やかな自転車の振動に、春の涼しげな風。
今だけは、世界に時計がないほうがいいのかもしれない。
だってこんなにも――時間に縛られたくないなんて思いも寄らなかったのだから。
「あの……回り道しませんか? ちょっとだけ……」
「回り道? 真っ直ぐ柊神社に帰るんだろ?」
「ですけれど……ほら、私も小河原さんも時計を持っていますし。それなら、きっと、どれだけ離れていても時間が分かるんなら……」
ただの我儘に過ぎなかったのだが、両兵は懐に仕舞った懐中時計を取り出していた。
「時間が分かるのなら……か。そうだな。だが言っとくが、時だけは待ってくれねぇぞ?」
「ええ、分かってます。待ってくれないから、だから……」
ほんの少しでいい。
二人の時間が、欲しかっただけの話――。
「柊、今日はハンバーグか?」
河川敷を走りながら両兵が問いかけてくる。
「あ、はい……さすがに分かっちゃいます?」
「まぁな。オレだって伊達にメシを恵んでもらうだけじゃねぇっての。それくらいは分からぁ」
「……でも、いい風。春の陽気ですね」
吹き込んできた突風が赤緒の栗色の長髪をなびかせる。
短く悲鳴を上げたところで、両兵は自転車のペダルを強く踏み込んでいた。
「……ったくまぁ、季節だけは巡っちまうな。時間は、本当に待っちゃくれねぇぞ、柊」
「はい……だから、今だけは……」
小さくってもいい。短くったっていい。
このひと時が永遠ならば――春先のぬくもりを込めたまま。
大事な人との時が止まってくれれば、それでよかっただけなのだ。