JINKI 196 こんな星の夜にさえ

「もうちょっと骨があると、思っていたんだけれどね」

 とは言え、元々が電脳を用いての無人運用を主眼に置いた機体に人が乗れば、それは鈍るのは必定と言えるだろう。

《バーゴイル》の血塊炉を射抜いた剣をそのままの勢いで引き裂き、青い血潮を蒸発させながら頭蓋を叩き割る。

「どれもこれも、素人運用って感じ。そんなにもキョムが徹底して叩きのめすほど?」

 しかし上からの命令には絶対だ。

 如何に自分が八将陣とは言え、命令に逆らってまで寿命を削るような胆力はない。

 ここは素直に従い、敵勢力を抹消する――そうだと判じた神経は既に敵の本隊へと至りつつあった。

 つい先ほどまでの鹵獲《バーゴイル》は囮であったのだろう。

 ロストライフ化した黒い土壌をひた走るトラック部隊に、これこそが本懐だとジュリは《CO・シャパール》の機体を軋ませる。

「……趣味が悪いとは思っているわよ。でも、キョムに抵抗するのが悪いんだからね。……ファントム」

 超加速度に至った《CO・シャパール》は即座に敵の前面を塞ぎ、照準は確実に命を摘んだかに思われた。

 だが、直後に体当たりを仕掛けてきた青い《バーゴイル》を嚆矢とする連隊に阻害される。

「……何なんだい! あんたらは!」

『私たちはレジスタンス……キョムの八将陣! これ以上の好きにはさせない』

「好きにはさせない? もう少し強くなってから吼えなさい。それじゃ、何も守れないわよ!」

《CO・シャパール》の刃が隊長格らしい青い《バーゴイル》の跳ね上げた銃剣とかち合う。

 互いに干渉波のスパークを散らせて後ずさった瞬間には、プレッシャーライフルの光条が狙い澄ます。

 だが、殊に地上戦において《CO・シャパール》の機動力を上回ることは、《バーゴイル》のスペックではあり得ない。

「嘗めないで! そこいらのトウジャよりも、こっちのほうが速い!」

 その言葉通り、《バーゴイル》の銃撃はどれも当てずっぽうを貫くだけだ。

『……決着を望んでいるわけじゃない』

 分かっている。

 相手の目的は補給戦力をこの地から撤退させること。

 逃げ切れば勝ちなのだ。

 ジュリはすぐさまこちらの《バーゴイル》編隊に命じていた。

「敵の補給路を潰しなさい。いくら相手も《バーゴイル》とは言え、無人機にしかできない芸当もある」

 キョムの《バーゴイル》相手に、青いカラーリングの鹵獲《バーゴイル》たちは徹底抗戦を仕掛けようとするが、その直後には組み付いた機体が内側からの熱量で爆ぜていた。

『……無人で自爆……!』

「それくらい、考え付くでしょうに。ほら、まだまだこっちには兵力はあるのよ。無人の《バーゴイル》が駆逐されるのと、そっちの操主の乗り込んでいる人機が疲弊するの、どっちが先かしらね」

 どう足掻いたところで相手に勝ちの目などない。

 鹵獲された《バーゴイル》の性能は大きく落ちているはずだ。どれだけキョムの運用する機体であったとしても、人が乗った時点で下策に転がっている。

 それを相手も予見していないはずがない。

 青い《バーゴイル》連隊はプレッシャーライフルを撃ちつつ後退機動に移っていくが、それでは補給部隊を守れやしない。

 畢竟、相手は勝てもしないこちらの編隊へと特攻を仕掛けるしかないのだ。

 その隙を突いて、《CO・シャパール》は抜け目なく敵の補給路を断つ。

『卑怯者……!』

「悪いわね。世界を敵に回しているのに今さら卑怯も何もないわ。……それに、あなたたちが勝てない勝負に打って出るのが悪いのよ」

 キョムに降っていれば、少しはマシな心地のまま死ねただろうに。

 無駄な血を流さずに、ロストライフの終わりを享受していればいいものを。

 青い《バーゴイル》はどれもこれも練度は高いようだが、やはり所詮は雑兵。

《CO・シャパール》の敵ではない。

「……もらった!」

 隊長機らしき機体へと回り込み、その血塊炉へと刃を突き立てようとした、その瞬間であった。

『――悪いが、それを看過するわけにはいかん』

 途端、激震。

 痩躯の機体を揺さぶったのは強烈な衝撃波である。

 地表を転がった《CO・シャパール》へと即座に立て直しをかけさせようとして、ジュリはその技の感覚を知っていることに驚愕する。

「……まさか、この技は……」

『地竜陣!』

 大地を揺るがすオートタービンの咆哮。

 一閃された暴力の螺旋に、《CO・シャパール》へと習い性の回避行動を取らせてから、ジュリはその機体と対峙していた。

 まさか、戦場で相見えるとは――否、戦場以外で再び会えるなんて思いも寄らなかったのが本音ではあるが。

「……バルクス」

『……《CO・シャパール》。ジュリ、か』

 白い禊のカラーリングに染め上げた《O・ジャオーガ》がメイン武装であるオートタービンを下段に構え、こちらと対面する。

『……隊長。補給部隊が危ういです。すぐに援護を』

『……分かった』

 その一言でこちらとの禍根を消し去ったかのように、《O・ジャオーガ》は補給部隊を潰そうとしている《バーゴイル》の脳天を叩き割る。

 返す刀で胸部装甲を削り、血塊炉をオーバーヒートさせて撃墜していた。

 瞬く間に制圧されていく友軍を視界に入れつつ、ジュリは動けなかった。

「……あなたが敵に回ったのは知っていたけれど、まさかこんな場末で再会できるなんてね」

『……補給部隊の警護を頼む』

『しかし、隊長。……この機体、八将陣です』

『私が負けるとでも?』

『……いえ、過ぎたる言葉でした』

 青い《バーゴイル》の部隊はそのまま補給路の守りについて後退していく。

 白い《O・ジャオーガ》は《CO・シャパール》の射程外になるまで、立ち塞がってそれを守り続けていた。

 ジュリがコックピットから歩み出る。

 相手も同じように、コックピットから出ていた。

 その眼差しに宿った光も、かつて自分が愛した男の、武人の眼差しのまま。

 それでいて、今は信じるものが異なると言うのが克明に分かる瞳であった。

「……バルクス。私はキョムの八将陣として、ロストライフの地の制圧を任されているわ」

「そうか。……いや、そうだろうな。それこそがキョムとして、何よりも八将陣として正しい選択だ」

「でも、あなたを撃墜しろとは言われていない。遭遇した際のマニュアルもね」

「今さらマニュアルを信奉するような人間ではあるまい」

「そうね。そうであったはずなんだけれど」

 バルクスは白い《O・ジャオーガ》から降りるなり、死した土壌に足をつけていた。

「……何。悪いけれど、キョムに戻れるなんてことは考えないほうがいいわよ」

「そうではない。少し……話がしたい」

「あら? それは意外ね、バルちゃん。あなた、絶対に命乞いなんてしないと思っていたけれど」

「命乞いなど死んでもするつもりはない。話し合いだ、八将陣ジュリ。少し、コーヒーでも飲んでいかないか」

「コーヒー?」

 想定外の言葉に目を見開いたこちらへと、バルクスは黒に染まった大地で野営じみたものを始め出す。

「死んだ土地では旨いコーヒーなど味わえんと思っていたが、部下がそういったものに造詣が深くてな。私も自ずと覚えてしまった。どうだろうか」

「……それ、冗談にしては笑えない部類よ?」

「だろうな。私もそう思っている。だが、冗談でかつての同朋に、生身でコーヒーを振る舞うと思うか?」

「それは人機のコックピットの中でも御免でしょうね」

 バルクスがコーヒーを抽出し始めたのを目にして、ジュリは周囲に《バーゴイル》の展開がないことを確認してから《CO・シャパール》より舞い降りていた。

 地表は荒れ果てている。死に絶えているのだ。

 ロストライフ化した土壌では草木の一本すらも生えない。

 だと言うのに、芳しい香りは確かに鼻孔をくすぐる。

「……バルクス。あなたは何を望んでいるの? 何に期待して、八将陣を裏切ったって言うの?」

「裏切ったと言われてしまえばそこまでだが、私は私の理想に裏切られたからこそ、八将陣を辞した。それが理由のはずだ」

「ええ、そうね。あなたはそうだった。……でもそれが、こんな世界の果てでコーヒーを振る舞う理由になる?」

「問答は豆から抽出したコーヒーの匂いが消えるまでにしようじゃないか。私は不器用でな。部下ほど上手くできんのだ、これが」

 その言葉は真実のようで、抽出してコーヒーを注ぐ一連の動作は手慣れているとは言い難い。

 ジュリは対面で佇み、バルクスの一挙手一投足を観察していた。

 不意打ちでも、彼は武人だ。

 自分のような女は組み伏せられる程度の心得はあるはず。

 もっとも、自分とて腐っても八将陣。

 その時には、相手の命もないのは自明の理。

 だと言うのに、バルクスから不思議と敵意は感じなかった。

 かつての日々のように、彼からは静かな戦いへの意思と、そして志す世界への渇望だけがあるようで――ジュリはその場で屈んでいた。

「……言っておくけれどコーヒーの香りが消えない間だけだからね」

「その程度でいい。私はお前を裏切ったのだけは事実だ。それに関しては取り繕いようもないのはハッキリしている」

「そうね……ただ……フラれた男の言葉を、もう一度だけ聞いてみる気には、なれた……って言うのは私も甘い人間の証かしら」

「それはコーヒーブレイクの後でも分かることだろう」

 コーヒーの芳香が匂い立つ。

 今は、少しでも信じる気になれたのは、こんな世界の片隅でも明瞭であった。

『――大丈夫なの、あれ……。相手は八将陣なのよ? これまでとは話が違う』

 通信網を震わせたハザマの言葉に青い《バーゴイル》を率いるアイリスは嘆息をついていた。

「隊長本人のたっての希望なのよ。なら、それに従わないのもレジスタンスからしてみれば嘘でしょうに」

『とは言ったって……まだ信用できない。やっぱり私は……《O・ジャオーガ》を……バルクス・ウォーゲイルと言う人間を許す気には、なれないのかもしれない……』

 ハザマの事情は何度も窺い知っている。

 ほとんどが《バーゴイル》で編成されたレジスタンスで、まだ《アサルトハシャ》にこだわる辺り、執念深いものがあるのは事実であろう。

「それでも、隊長は帰ってくるはず。そりゃあ、キョムの八将陣だった過去は変えられないけれど、未来なら変えられる。今頃お茶でもしているんじゃない?」

『……そんな生易しい相手だとは思えない。だって、あれは特別な人機に見えた? 紅い……痩躯の人機……』

「《O・ジャオーガ》で相対するのには、少しばかり不利かもしれないわね」

『……分からない。それでも副隊長は……』

「アイリスでいいわよ。今は直通回線なんだし。ハザマちゃん」

 暫しの逡巡の後に、ハザマは声を吹き込んでいた。

『……アイリスは、何故そうまでしてあの男を信じる? 奴はどれだけ言い繕ったって八将陣、キョムの……この世界を壊す側の陣営だ。少し心変わりしてしまえば、我々の拠点なんてあっという間に押し潰せるだけの力を持っている。……補給路だって割れた。敵の人機と一緒に攻められれば、レジスタンスは終わる』

「そうね。このままアンヘル基地跡まで補給路を後退させたのだって、《O・ジャオーガ》のシステムに介入すれば一発で割れちゃうだろうし。それに、相手は女操主だった」

『……そんなのは関係ない』

 そうは聞こえない論調だったので、アイリスは少しからかう。

「……隊長が取られちゃうって?」

『馬鹿馬鹿しいことを言わないで。奴は仇だ。仇を討つまでは、私は死ねない。だから、あんなところで無駄に死なれては困る』

「それって何て言うのかしらね。素直じゃないって言うの」

『……あんたのほうが困るはずよ。バルクス・ウォーゲイルは今日までの抵抗軍の旗印。彼が折れれば全てが水泡に帰す』

「そうね。でも、隊長はそう簡単には死なないだろうし、こっちの損耗も確認しないと、勝てる戦だって勝てなくなる」

 話している間に、防衛拠点へと辿り着く。見た目上は完全に廃墟になっている基地へと到達した全軍へと、アイリスの《バーゴイル》が周辺警戒してからハンドサインを送る。

 ようやくトラックの荷台から降り立った者たちはロストライフ化から辛うじて逃れた民草だ。

 彼らの故郷はもう黒い波動に呑まれてこの世に永劫存在しない。

『……何故、バルクス・ウォーゲイルはこんな真似に出るの?』

「それが隊長のいいところだからじゃない?」

『……取りこぼせばいいだけの人々なのに。彼らの命を救ったところで、根本のところでは何も救われない。キョムと言う本質から彼らだって逃れられないところに居る。銃を取るしか道はない』

「そうでもないとは思うけれどね。選択肢を、隊長は与えているのよ。それが生殺与奪の代物であろうとも、自分で選び取ったそれこそが生きるだけの“よすが”というものになるのだろうし」

『……残酷な選択肢だ、それは』

「そうね。生きるって言うのは残酷よ。いつの世であったとしてもね」

《アサルトハシャ》から降り立ったハザマを筆頭にして、アンヘルの基地を精査する陣営へと、アイリスは加わっていた。

「まずは電気設備が生きているかどうかを見る。水が使えれば上々だと思って行動」

 前をハザマが、後ろを自分が固めた陣形で、神経を張り詰めたまま基地の状態を精査する。

 ハザマは《アサルトハシャ》で抵抗軍に属していた分、こういったことには手慣れているのか、動きに無駄がない。

 ライフルを構えたまま、ライフラインが生きているかどうかを確認した彼女は、直後には沈痛に面を伏せていた。

「……電気は……もう送られていないようだな。仕方ない、《アサルトハシャ》の内蔵電力を使う」

「大丈夫じゃないでしょ、それ。《アサルトハシャ》も重要な戦力の一つなんだから。……しょうがないわね。ここで一晩野営した後に、次の拠点を探すとしましょう」

 ハザマは奥歯を噛み締め、苦渋に壁を殴りつける。

「何故……! 何故、こんな惨めな目に遭わなければいけない……!」

「ロストライフの地に根を張るなんてなかなかに辛いものよ。それが与えられたものに由来するのならなおのこと」

「だが……彼らはようやく、安住の地を得られたと思っているはずだって言うのに……! 待っているのが、こんな仕打ち……」

「それも、選択肢のうちなのかもね」

 何も抵抗できずに死ぬか、それとも選択肢を与えられるかどうかの違い。

 反抗する者は無残な死を迎えるか、人機という力を憎むか。

 いずれにしたところで、絶望的な宣告に過ぎない。

 アイリスはその場で座り込んでいた。

 ハザマは部隊を誘導して、他のライフラインの確保を命じるが恐らくは徒労だろう。

「……何で、お前はそこまであの《O・ジャオーガ》を信じられる? 今に裏切るかもしれないのに」

「それは……まぁ、経験則と言うか、私自身、救われた身でもあるから。少しは信じてみたくもなるでしょ」

「……アンヘルの基地からレジスタンスに加わって半月が経った。ここまで過酷な道を選んでいるとは思わなかったけれど」

「アンヘル基地に居たほうがよかったって?」

「……いや、それも長引かなかっただろうし。彼らが生きているのかどうかさえも分からない」

「ハザマちゃんはこっちの道を選ぶことに決めたんでしょ。それだって選択肢の一つよ」

「アンヘル基地に縋りついたって、私の力だけではバルクス・ウォーゲイルを打倒できないと分かっていたから。最短手を取るに限る。……恨みは、まだ消えたわけではないのだから」

 彼女が《O・ジャオーガ》とバルクスに対し、尋常ではない怨嗟を持っているのは分かっている。

 分かっている上で、バルクスは自分と同じように近くに置くことに決めたのだろう。

 それも自分の贖罪の一部なのだと、自らを切り売りするかのように。

「……でも、隊長は帰ってくる。まだ浄罪の旅路が消えるにしては早いもの」

「それも、私にしてみれば理解に苦しむ。こんな世界でどうやって罪を償うと言うんだ。どれだけの人の人生を狂わせ、どれだけの人の日常を奪ったのだと思っている。そんな上にある虚飾の平和を願ったって、誰も救われないだけじゃない」

「報いのある世界だけが全てじゃないわ。隊長は自分の目の届く範囲くらいは、救えれば僥倖だと思っているのでしょう」

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