レイカル 39 11月 レイカルとパンダ

 目を輝かせてそう言ってのけるレイカルに、ラクレスへと自ずと視線を流した作木は肩を竦める彼女を見ていた。

「事の始まりは大したことじゃないですわぁ、作木様。どうやらカリクムと小夜様たちが、動物園に行って来たようなのです。その時にパンダを観て……それでお昼にカリクムが自慢した結果、というわけなのです。本当、レイカルってば単純なのねぇ……」

「何だとぅ! ラクレス! 私は見たことのないものを見たいだけなんだ!」

「動機は純粋なんだけれど……パンダかぁ……。動物園ってそういえばしばらく行ってないな」

「創主様! パンダとはどのような動物なのですか?」

「あれ? その辺は聞いていないだ……?」

「なにぶん、カリクムはレイカルの観たことのないものをかなり大げさに言っていたので、曲解しているかのかと」

「えっと……大きな動物なんだ。ちょうど……そうだなぁ、白黒模様の熊みたいな……」

「白黒模様……それはもしかして、合体とかですか!」

 しまった、と作木は自分の表現力のなさを呪う。

 ワクワクと期待に胸を弾ませたレイカルは、どうやらパンダを合体ロボか何かだと思っているようである。

「うーん……多分、レイカルが思っているような動物じゃないと思うけれど……」

「毛並みは? 鋼鉄なのですか?」

「いや、毛並みは普通に……猫みたいな……感じ、かな?」

 実際にパンダに触れたわけではないので曖昧な言い回しになってしまうが、作木は久しく見ていないパンダの外見を脳裏に描く。

「猫? 猫のような……合体ロボだというのですか……それは不思議な……」

「いや、合体ロボから離れて……」

「では白黒の模様を持つ生き物で、とても愛らしいというのは……どういうことなのでしょう?」

「尋ね返されても……うーん、検索すればすぐに出てくるとは思うんだけれど」

 携帯の検索画面に手を伸ばしかけて、レイカルはそれを制する。

「駄目です、創主様! カリクムはこうも言ったのです。“まぁ、見てみないと分からないでしょうけれどねー”って! だったら、実際に見るまで意地でもその姿は見ません!」

 なるほど、カリクムも厄介なことを言ってくれたものだ、と思いつつ、作木は携帯を閉じる。

「……うーん、でも思ったほどじゃないかもしれないよ?」

「いえ、それでいいんです! パンダを実際に見るまで、楽しみで仕方ありませんから!」

 ここまで期待値が上がっているとなればなかなか、難しいものだと感じつつ、作木はカレンダーを目にする。

「じゃあ、今度の日曜日。動物園まで行ってみようか、レイカル」

「いいんですか? よぉーし! これでカリクムに言われっ放しじゃなくなります!」

「作木様、しかしこの時期は少し肌寒いのでは?」

 ラクレスの気遣いに作木は微笑む。

「いや、僕もこの時期に家に籠りがちになっちゃうから、ちょっとした息抜きになるだろうし。それに、パンダを見たいって言うのは何て言うか……あらゆる子供の夢みたいで、ちょっと……羨ましいな」

「羨ましい……? ですか?」

「うん。僕も昔、パンダを見たいってごねたこともあったっけ、って思い出しちゃったのもあるし」

「創主様もパンダを? ……どう、だったんですか?」

「いや、うーん……それは今度の日曜日の楽しみにしようか」

「はいっ! どうだ、ラクレス! 創主様はパンダを見せてくれるんだ、きっとすごいのに決まってるぞー!」

「レイカルってばお子ちゃまねぇ……。私はパンダに関しては知っているのよぉ」

「な、何をぅ……! 創主様、パンダを絶対に見に行きましょうね!」

「うん。せっかくだから小夜さんたちも誘おうかな。この間のハロウィンのお礼もしたいし」

「割佐美雷たちも、きっとビックリしますよ。パンダってすごいんだって、驚くに決まってます!」

 どうやらレイカルの中でパンダの存在感が異常に強くなっているらしい。

 曖昧に笑いつつ、小夜へと通話をかける。

「あ、もしもし、小夜さん……」

「――と、いうわけで、パンダを見に行くんだ! 羨ましいだろう! カリクム」

「別にー。って言うか、私はもう観たし。あんなの、大したもんじゃないって。ただの大きいだけの生き物なんだから」

「おや、それにしてはカリクム、この間には興奮気味に語っておったではないか」

「あ、ヒヒイロ、それは言いっこなしで……」

 ヒヒイロの指摘にカリクムは僅かに頬を紅潮させる。

「どっちにしたって、パンダを楽しみにできるのなんて、あんたらって本当……世間知らずって言うか……」

「割佐美雷。それにしてはお前だって浮かれているじゃないか」

「そ、そう……? そう見えるかしら、ナナ子」

 小夜は対面で座っているナナ子に問いかけると、彼女は見透かしたように笑みを浮かべる。

「作木君から動物園でデートのお誘いって、舞い上がっていたくせに、今さらクールぶるのは大人げないわよ、小夜。まぁ、いいんじゃないの? 久しぶりに小夜の一張羅を選ばされる立場になれたし」

「そ、それは言いっこなしでしょうが……。あんただって鳥頭誘ったじゃない」

「伽クンは別だもの! ああっ! きっとめくるめく愛のロマンスが待っているのよ!」

 すっかり自分の世界に浸っているナナ子に、小夜は頬杖をついていた。

「……言ってなさい、これだから初恋気分の抜けないアベックってのは……。でもレイカル、そんなにパンダが見たいの? カリクムが大げさに言ったからだけじゃなくって?」

「それだけじゃないぞ、割佐美雷! もちろん、きっかけはカリクムの言い分だったが、私は自分の意思で、パンダを見たいって心の底から感じているんだ!」

 きらきらとした笑顔を向けてくるレイカルに、小夜は思わず、うっ、と呻き声を上げる。

「うーん、笑顔が眩しいわねぇ……。でも、パンダ、か。確か最初に見たのは……幼稚園の時だったかしら? 数十年間も子供たちの憧れで居続けるパンダって言うのもすごいわね」

「私は小学校の時の遠足で観たわね。あの時も結構な人気で……今でも衰えないって言うのはなかなかだと思うわ。だってカリクムが初見時にあんなに興奮したのってあんまりないんじゃない?」

「そうなのか? まったく、カリクム、お前は子供だなー。パンダで興奮なんて」

「な――っ! ナナ子、それは言うなってば! ……それに、別に私はパンダなんて珍しくなかったんだからな。ただ……ちょっと近くで観れたから、気分が上がったって言うか……」

「それを興奮したって言うんでしょうが。はぁー……ぬいぐるみ買えだの、グッズを買えだの……あんた、お金がかからないのだけが魅力だったでしょうに」

「私は犬か何かかよ! ……しょーがないだろ、パンダ……すごかったんだから」

 ふんと鼻を鳴らしたカリクムに、レイカルの期待値がさらに上がっていた。

「カリクムがここまで言うんだ、やっぱりパンダはすごいんだな!」

「うーん……確かにすごいわよね。ホラ、悪い言い草だけれど客寄せパンダだとかいう言葉だってあるくらいじゃない。やっぱり集客力は時代に左右されないのよ」

「そういえば、削里さんは? 今日は見かけないけれど」

 胡乱そうに店の奥を覗いた小夜に、ヒヒイロが雑誌から視線を上げる。

「真次郎殿は都内のダウンオリハルコンに関しての会合に出ておりまして。留守を預かっております」

「へぇ、珍しい。あの人でも外の世界に触れることってあるんだ?」

「別段、籠り切っているというわけでもありません。真次郎殿にはそれなりの職務がありますので」

「……何だか、あの人も普段何してるんだか分からないわよね。そういう点じゃ、パンダよりレアよ」

 削里の印象は正直なところ、ヒヒイロと将棋を打っている様子しかないので、小夜からしてみれば真っ当に働いているだけでも意外である。

「とは言え、話を聞かせていただきました。パンダの歴史は古く、1972年まで遡ります。その頃から、パンダは日本人にとってある意味ではシンボルであったと言えましょう。国交の正常化を意味する動物として、今日まで愛されてきたのです。当時、上野動物園に六万人ほどが訪れたというのですから、その人気ははかり知れません」

「六万人……! って言うと、どれくらいだ?」

 肩透かしのレイカルの疑問に、カリクムはズッコケていた。

「あんた、驚いてみせただけって……。でも、六万人って私でもピンと来ないなー。人間が六万人も居れば、それは相当なのか?」

 問いかけるカリクムに、小夜も当惑する。

「……私も六万人っていまいち想像がつかないけれど、えっと……」

「コミックマーケットの参加者が一日当たり、だいたいそれよりちょっと多いくらいだから、結構な数よ」

 例に出されたナナ子の数字にいまいち実感が湧かないまま、小夜はヒヒイロの言葉の続きを促す。

「えっと、それで?」

「パンダを一目見ようと多くの日本人が詰めかけたのです。それくらい、パンダと言うのは珍しい動物だったと言えるでしょう。当時は絶滅危惧種に指定されていたくらいですから」

「へぇー……本当にパンダって珍しかったのね。今じゃ、ちょっと足を延ばせば見れちゃうけれど」

「なぁ、ヒヒイロ。パンダってのは、そんなに人気者なのか?」

「無論、パンダの赤子が生まれれば今でも全国ニュースになるほどじゃ。日本人の精神に根付いたマスコット的な動物と言えよう」

「何だか余計に楽しみになったな……! 今度の日曜日、絶対に見に行くぞ、カリクム!」

「……だから、私はもう観たってば。本当、レイカルって子供っぽくてどうしようもないよなー」

 斜に構えているカリクムだが、小夜は彼女の秘密を一つばらしていた。

「……あんた、この間撮ったパンダの写真、毎日見せろ見せろってせがんで来ているでしょうが。レイカルのこと、言えないんじゃないの?」

「あっ、小夜ってば! それは言うなよ!」

「何なら見る? パンダの写真――」

「いや、それはいい。私は自分の眼で、しっかり見たいんだ!」

「へぇー、レイカルにしては珍しい。目の前の誘惑を振り払うなんて」

 感心するナナ子にレイカルは胸を張る。

「創主様と見に行くって決めたんだからな! 絶対に見に行くんだ!」

「……いいけれど……それっていわゆる、“フリ”って奴じゃないのか……? 大丈夫なのか、お前の創主……」

「――ゴメン、レイカル。日曜日にしていた約束だけれど……」

「はいっ! 創主様! 遂に明日ですよね! 私もパンダが見れるのはとても楽しみに……!」

「いや、そのことなんだ。……本当にゴメン! 日曜日までに提出しないといけない課題ができちゃって……僕はその日には動物園に行けなさそうで……レイカル?」

 てっきり、落胆の声が聞こえてくるかに思われた作木は、レイカルが存外に大人しいことに首を傾げる。

「作木様、レイカルはショックのあまり固まっておりますわ」

 ラクレスが背筋に指で沿わせると、ぞわわわ、としてレイカルが意識を取り戻す。

「はっ……! 何か今とてつもない絶望の言葉を聞いたような気が……」

 それでもこればかりは言わなければいけないだろう。

 作木は再度、謝ろうとしてラクレスに遮られる。

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