JINKI 200 南米戦線 第十三話 「世界に縛られるだけの」

「……うん、少しはね。だって戦わないとどうしようもないもん。カラカス奪還の目標のためなら、私は……ちょっとの間なら忘れられる」

「無理すんな。人間、覚えておくことで自分を強く保つこともできるもんなんだよ。お前が何もかもを忘れたところで、絶対に消えないもんが一つある」

「……それって?」

「それは……思い出だとか、ガラじゃねぇけれど友愛だとかだろうよ。その一個を糧にして、敵に喰らい付く気概にだってできるもんだ」

「リョーヘイは、さ……。思い出とか、友愛とかは、どこかに置いてきたの?」

 置き去りにした青葉のことが脳裏を過ったが、両兵は頭を振る。

「さてな。オレも人でなしみてぇなもんだ。足を取るような記憶は思い出さないに限る」

「何それ。……リョーヘイも、辛いんだよね。キョムに……色々と奪われた」

「戦う理由が奪還なら分かりやすい。問題なのは、恨みって奴だ」

「恨み……」

 両兵は刀の鯉口を切る。

 てらてらと燃ゆる炎が銀色の刀身に照り返していた。

「刀一本でどうこうなる宿縁なら、まだマシだって思っていいんだろうな。オレは際限なく、その恨みを増幅させちまう」

「分かんないの。リョーヘイは恨みを晴らしたいの?」

「晴れる恨みならな。だが……案外生き延びた身で感じたことと言えば、恨みってのは簡単に晴れるもんじゃねぇらしい」

「それはリョーヘイの心に蓄積しているってこと?」

「……心なんていう、不確かなもんがあるとすりゃあ、そうだろうな。いや、もうとっくに、そんなもんを忘れちまった身かもしれねぇ」

「それは……違うよ」

 桜花が返答しながら、寒そうに身を震わせる。

 両兵は纏っていたコートを差し出していた。

「着ろよ。少しは寒さを凌げる」

「でも、リョーヘイが寒いじゃない」

「オレのことなんざいいんだよ。それよか、てめぇのほうが危なっかしい。風邪でも引いて、明日の作戦行動に支障が出たら事だろうが」

「……リョーヘイは風邪……なんて引かないよね」

「おい、何が言いたいのか今のはハッキリ分かったぞ、てめぇ……」

 凄味を出して言い返すと、桜花はてらいのない笑顔を咲かせていた。

 両兵はその横顔を眺めながら思案する。

 リーダーよりもたらされた情報が真実であれ、嘘であれ、今は桜花を守ることだ。

 他の何かが迫って来ようとも、桜花だけは守り抜かなければいけない。

 まだ彼女は自分の人生を生きていないのだ。

 この二年間程度の記憶と、そして狭い世界で拘束され、彼女はまだ戦場以外の平穏を知らない。

 それがリーダーの方針であったのかもしれないが、自分は違う。

 桜花を、いつかきっと、平和な世界に連れ出せれば、それだけでも自分がここまで来た甲斐があったというものだろう。

「……なぁ、霜月。カラカス奪還が終わったら、行きたいところでもねぇか? 連れてってやるよ」

「本当? ……実は私、行きたいところだらけなんだ。こういうの言うと士気に関わっちゃうから言わないようにしていたけれど……」

「今はオレたちだけだ。言うだけタダだろ」

「うーん……行きたいところだらけだよ? ショッピングって言うのもしたいし、普通の街に出て、映画とか、人混みとか! そういうの知りたい!」

「そんなささやかなもんでもねぇだろ。もっといい世界に連れ出してやるよ」

「その時は……リョーヘイは隣に居てくれるの?」

 不安そうな面持ちで問い返されて、両兵は一拍だけ逡巡を挟んだ後に応じていた。

「……ああ。傍に居てやる。てめぇだけじゃ、危なっかしい」

「何それ。……じゃあ、リョーヘイは、映画だとかショッピングだとか、人混みに入る時に私をエスコートしてくれるんだよね?」

「そんな大層なもんでもねぇよ。……ガキ一人にしておけねぇだけだ」

「素直じゃないんだから、もう……。でも、約束……」

 小指を差し出した桜花に、両兵も小指を絡めさせる。

「……これ、アンヘルの中であるって教えてもらっていて……。日本の約束する時に使う、指切りって奴なんだって」

「知ってンよ。オレも日本人だからな」

「じゃあその……! リョーヘイは私のこと、置いて行ったりはしないよね……?」

 兄と慕った人間の死をまだ踏み越えたわけではない。それでも、明日への約束手形が彼女の生きる意味に繋がるのならば、自分は喜んでその約束を交わそう。

「ああ。指切りげんまんって奴だろ」

「嘘ついたら針千本のーますっ! 指切ったっ!」

 小指同士を振るって離し、両兵はまだ燃ゆる炎へと木をくべていた。

 桜花も木をくべてから、自分のコートを引き寄せる。

「リョーヘイの匂いがするね」

「……くせぇって言う遠回しな言い方じゃないだろうな?」

「もうっ。今のはそういうんじゃないでしょ?」

「……さぁ、どうだかな。オレも約束一つに縛られて、それが心地いいってのはあるのかもしれねぇし」

 少なくとも死ねない理由にはなる。

 この身を持て余すのに、たった一つの約束だけが人間らしい寄る辺だろう。

「ヘンなの。約束に縛られるのが心地いいなんて」

「この戦場のど真ん中じゃ、明日だって知れねぇ身さ。なら、約束はあったほうがいいだろ? そう簡単にくたばっちまわないように努力できる」

「リョーヘイってとことんおかしいよね。何だか……」

「何だかって何だよ。……まぁ、ロクな気はしねぇが」

「ううん! ……これは言わないでおく」

「そうか。……火の番はオレがしておくから、てめぇはもう寝てろ。前線務めるんだ、寝不足でやられちまったら世話ぁねぇからな」

「それ、リョーヘイが言う? ……でもまぁ、じゃあお言葉に甘えて」

 桜花はコートに包まって横になる。

 直後には寝息を立てるその姿に、両兵は嫌でも青葉を重ねていた。

「……何やってンだろうな、オレも。こいつのお守りかよ」

 レジスタンスの旗印になって、キョムと戦いを繰り広げることになるなど思いも寄らない。

 しかし、だからと言って今さら撤退していい戦局でもないのだ。

「……青葉。軽蔑してくれていいぜ。オレはまだ……戦いから逃れられないでいる……」

 全ての決着の後にあったかに思われた《モリビト一号》との戦いも序章でしかなかった。

 本当の戦いは――闇への誘いはこれからなのだろう。

 そんな時に、誰かとの約束だけが自分を人でなしから少しはマシな人並みに留めてくれる。

 小指へと改めて視線を落とし、両兵は自嘲気味に告げていた。

「分かんねぇよな。誰かとの約束で、オレはまだ……生きていいって言われているようなもんなんだからよ」

 それとも、と面を上げる。

「オレは……誰かと約束したくって、こうして生きているのかもしれねぇな」

 まだ死ななくていいと、必要とされたいという願い。それそのものに縋るかのように、自分はこの世界に執着しているのかもしれない。

 あるいはそれは、死への誘因よりもなお、性質が悪いと言えるだろう。

 何せ、誰かに責任をなすりつけるようなものなのだ。

 生き意地が汚いとでも言うのかもしれない。

 桜花の寝顔を見やる。

 自分を疑っていない面持ち、それにまるで不用心だ。

 だと言うのに、それを愚かだと笑うよりも、今はそのままでいて欲しかった。

 顔にかかった髪を拭い去って、両兵は静かに口にする。

「オレに、まだ生きていていいって言ってくれるのは案外、お前みたいな奴なのかもな」

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