レイカル42 2月 レイカルと義理チョコ

 レイカルがこたつの上で頬張っていたのはチョコレートであった。

 うん? とようやく注意が向いたところで、小夜は指差す。

「あれ? チョコレート……? 何であんた……」

「何でって、失礼な奴だな、割佐美雷。創主様が貰ったからって、それで私に……何だ? 何でがっくりしてるんだ?」

「いや、だってこの季節って言えばあんた……バレンタインデーじゃないの」

 自分もしっかりバレンタインチョコレートを用意していたと言うのに、まさか何者かに先んじられるとは思っても見ない。

「小夜ってば、結構乙女だから。これでも名店を回った末にようやく決めたって言うのに。作木君も隅に置けないわね」

 続いてきたナナ子の声に、レイカルは本心から意味が分からないように首をひねっていた。

「チョコレートをもらえるって言うんなら、喜んでもらうが……ナナ子も割佐美雷も何を言ってるんだ?」

「バレンタインデーよ。乙女の戦場の日と書いて、ね」

 ナナ子の言葉にもレイカルはピンと来ていないようである。

「えっと……トリックオアトリート、って奴だったっけ?」

「それはハロウィンでしょうが……。相変わらずレイカルは常識ってものを知らないよなー」

「何をぅ! カリクム! お前に何が分かるって言うんだ!」

 いきり立って反発したレイカルに、カリクムは訳知り顔で近づく。

「小夜の奴、これでも結構大げさな準備していたんだから。えっと……この季節には本命チョコと義理チョコってのがあるんだよな?」

「ギリ……チョコ? 何だそれ。ギリギリ食べれないチョコレートなら要らないぞ」

「そっちのギリじゃないってば。ま、私も報われない戦いを毎年繰り広げているなぁとは思っているわよ」

「小夜様ぁ……やはり本命チョコは作木様に、ということですのぉ……?」

 囁きかけてきたラクレスにレイカルとカリクムは二人して驚愕する。

「うわっ! お前、いつから居たんだ……?」

「ずっと居たわよぉ……。レイカルがバリバリチョコレートを頬張っているところからねぇ……」

「あ、これはちょっと魔が差したと言う奴で……」

 レイカルの釈明にナナ子はピンと来たらしい。

「ははーん、さてはレイカル、それ。食べていいって作木君は言ってないわけか」

「な、ナナ子まで……! 私は留守番を預かるから、その間は何をしてもいいよ、と言ってもらったんだぞ!」

「でも留守の間にチョコレート食べちゃったんでしょ? 普段ならいざ知らず、乙女の戦場たるバレンタインチョコを気にせず食べちゃったってなると、作木君もへこむんじゃないかしら」

 うっ、と手痛いダメージを受けたレイカルにカリクムは冷淡に告げる。

「何だ、勝手に食べちゃったの? そりゃー、さすがのあの創主だって怒るよな? 小夜」

「そうねぇ……。結構手が込んでいるのなら、もしかしたら本命……って考えたくないー! 私以外に作木君に目を付けた女が居るって言うのー?」

 頭を抱えて喚いていると、レイカルがチョコレートの欠片を差し出す。

「その……これでどうにかチャラに……」

「なるかっ! そもそも……それって義理チョコ? それとも本命?」

「うーん……私は机の上に置いてあったから食べていいのかと思ったんだ」

 作業机の上には山積したフィギュア造形の道具の隅に、ちょこんと置かれた可愛らしいピンクの包みがある。

 どうやらレイカルはそこから頂戴していたらしい。

「うーん……包みの質はそれなり……。これだけじゃ本命かどうかを判定するのは難しいって言うか……」

「作木君もノッポだけれど案外、小夜以外の女の思わぬ好意って言うのを受け止めちゃうかもしれないからねー。断り切れずに、かもよ」

「……怖いこと言わないでよ。あー! 私以外の本命? じゃあ誰なの……?」

「よく分からんが、ギリギリチョコレートを渡し合うのか? それって爆弾とか一緒に包んでいたり?」

 レイカルはどうやら誤解しているようだが、ある意味では爆弾も投入されるのがこのシーズンである。

「……まさか、髪の毛とか……」

「入っていたら本命通り越してその先よ。さすがにそんな相手と真正面から戦えるほど小夜も粘着じゃないでしょ」

 うーん、と小夜は腕を組んで思案する。

「じゃあこのチョコは本命? それとも義理……?」

 判断する術もなく、小夜は呻るしかない。

「ねぇ、台所を使っていいのなら、これから作ることにしない?」

 ナナ子の提案に小夜は胡乱そうな眼差しを返す。

「なに? まさか彼氏の留守中にサプライズ、とか言うの? ……私みたいなのがしたらサプライズどころじゃなさそうだけれど……」

 合鍵まで持っているのだ。確信犯だと言われてもおかしくはない。

「そうじゃなくって、レイカルたちからのチョコレートって言えば、少しは作木君もそのチョコの主を話す気になるんじゃない? いきなり小夜のチョコレートを渡すんじゃなくってさ。ワンクッション挟むってこと」

 ナナ子の言い分も一理ある。

 このままチョコが本命かどうかを問い詰めれば、それこそストーカー一歩手前だ。

「……仕方ないかぁ。レイカル、それにカリクムも。ちょっと手伝いなさい」

 腕まくりをして台所へと呼び込むと、カリクムは見るからに不承気にして座り込む。

「……私、レイカルの創主にチョコなんてあげたくないんだけれど……」

「なにー、カリクムってば今どきツンデレ? もう流行らないわよ? 最近は真正面から愛情チョコ! ってのが主流なんだから」

 ナナ子は早速クッキングのために冷蔵庫を物色する。

「相変わらず作木君は不健康を極めたみたいな食品ばっかりねぇ。小夜、これからメモるから材料を買って来てくれる? 私はこの冷蔵庫でも少しは作れそうなのを見繕っておくから」

「私? ……何で私が使いっパシリなのよ」

「文句言わない。そもそも本命チョコ渡しに来て、小夜よりも本命が居るかもってのが問題でしょ? はい、これメモ」

 差し出されたメモを凝視して、仕方ないか、と肩を落とす。

「……サプライズのつもりだったのにぃ……」

「じゃあ私は留守番――」

「あんたも来るのよ、カリクム。それと……このチョコを一応、参考に持っておくか」

 レイカルの食べ残しを拾い上げ、小夜はアパートを後にして買い出しメモをポケットに入れる。

 未だ寒気の燻るこの季節だ。少しばかり肌寒い日々が続いていた。

「……それにしても、あの作木君にチョコレート、かぁ……。酔狂な人も居たものよねぇ……」

「小夜だって変わり者じゃんか。レイカルの創主にいちいち媚びなんて売る必要ないだろ?」

「分かってないわね、カリクム。これは媚びじゃない! 乙女の生存権のアピールなのよ!」

「……でも媚びじゃんか。わざわざそのチョコレートを意識してるってことは」

 言い返せず、小夜はチョコレートの一部を頬張る。

「……かすかに甘い……。うぅ……愛情がぁ……愛情が感じられるぅ……」

「何でチョコ食って苦しんでるのよ。第一、愛情なんて甘いだけじゃ分からないでしょ」

「いいえ! これは愛情のあるチョコレートなのよ! じゃないとここまで甘くできないわ!」

「そういうもんかぁ?」

「そういうもの! カリクム、ここは私たちも本気で行かないといけなさそうね」

 バイクに跨り、小夜はヘルメットのバイザーを下げてアクセルを踏む。

「絶対に! チョコレート戦争では勝つんだからね!」

「――とか言って息巻いてきた割には、何でもう一個チョコレートを買って来たの?」

 ナナ子は冷蔵庫の食材と残り物でキッチンを展開しつつ、自分の買って来た材料に首を傾げる。

「だってぇ……あのチョコ、甘かったんだもん……。私のチョコはちょっとビターに設計しちゃったし……」

「小夜ってば、気持ちで負けてどうするの? バレンタインデーは気持ちだけじゃないとは言え、気持ちで勝利しないと乙女の戦場じゃ命取りよ?」

「それは……言われた通りなんだけれど……やっぱり先回りされたって言うのが……」

「効いているって言うわけか。小夜、まぁ見てなさい。ナナ子キッチンはここからが本番! さぁ、バレンタインデーの最終的な勝利者はこのナナ子様よー!」

 高らかに笑いながら溶かしたチョコレートをかき混ぜるナナ子のテンションに付いて行けず、小夜はレイカルの座っているこたつの傍に腰を下ろす。

「何だ、割佐美雷。ギリギリチョコレートを作るんじゃないのか?」

「だからそっちの意味じゃないってば。……って言うか、あんたはいいの?」

「ナナ子とはもう作っておいたからな。お前が買い物に行っている間に!」

「へぇー、一応それらしいものを作れる材料はあったんだ。まぁ、出来合いのチョコレートを溶かせばそれっぽいのには成るか……」

「私のほうがギリギリチョコだからな! 今回は私の一人勝ちだ!」

 レイカルは何を勘違いしているのか、それともいつもの調子なのか、「義理チョコ」のほうが本命よりも強いと誤解しているようだ。

 しかし今はレイカルの真っ直ぐさが少しばかり眩しい。

「……何だ、いつもの調子じゃないな。普段なら言い負かしてくるだろ?」

「いや、やっぱりちょっとダメージ……。あのチョコ、甘かったから。それなりの愛情が籠っているのはその……分かっちゃったし……」

 頬を掻いて誤魔化していると、レイカルは大仰なため息をつく。

「ギリギリチョコなのは確かにこっちかも知れないが、そっちのチョコレートも美味しいんだろ? じゃあ、強さじゃ匹敵するはずだ!」

「だから、あんたは何ですぐに戦闘力に換算するのよ。乙女の力は戦闘力じゃないんだってば」

「だが、勝ち負けがあるんなら似たようなものだろ?」

 何だか今日のレイカルは少し分かった風なことを普段より言うので、小夜は少し面食らう。

「……確かに勝ち負けはあるけれど……ううん、気持ちじゃ誰にも……負けてられないもの! ナナ子、私も手伝うわ! 渾身の本命っ!」

「それでこそ小夜よ! 手伝ってちょうだい、とっておきを仕上げるから!」

 サムズアップを寄越したナナ子とサインを交わし、小夜はチョコレート作りの大詰めに移っていた。

 貧乏学生の電化製品ばかりでも、ナナ子の手にかかればそれなりのチョコレートが仕上がっていく。

「……あとは……作木君次第……か」

「――ただいま……ってあれ? 小夜さんにナナ子さん? 何かあったんですか?」

 作木はエプロン姿のナナ子と小夜を視界に留め、玄関で戸惑っていると芳しい香りが鼻孔をくすぐる。

「あれ……このにおいって……」

「創主様! 今日はギリギリチョコを作ったんですっ!」

「ぎ、義理義理チョコ? えっと……それはどういう……」

「こういうことよ。作木君、ハッピーバレンタイン」

 ナナ子の差し出したのはチョコレートのホールケーキであった。

 まぶされているのは小さなレイカルの顔の形のホワイトチョコレートだ。

「ケーキですか……えっと、これが義理チョコ……?」

「まぁ私にとってはね。でも、レイカルたちにとってはそうじゃないと思うけれど」

 豪勢なチョコレートケーキを前にレイカルは返答を期待しているようであった。

「……ありがとう、レイカル。とても嬉しいよ」

「やったー! あれ? でもギリギリチョコってそれでいいんだっけ?」

「あんたってのはもう……。言っておくけれど、私からは完全な義理だからな。レイカルの創主!」

「ツンデレねぇ……」

「ツンデレじゃない!」

 つんと澄ましたカリクムにラクレスは微笑みつつ、肩へと留まっていた。

「作木様、私たちのハウルが少しばかり籠っております。美味しいかどうかは分かりませんが」

「あっ、そういうのもできるんだ? じゃあ、その……いただきます」

 切り取って口中に運ぶと、ビターの苦さとホワイトチョコレートの甘さが波のように押し寄せてくる。

「よくうちにあっただけの食べ物で作れましたね、これ……」

「まぁ、ホワイトチョコレートはちょうど余っていたお菓子があったからそれを材料にね。でもチョコケーキのメインどころは小夜が買って来たのよ」

「小夜さんが? えっと……あっ、えーっと……」

 言葉を発し損ねている自分に、小夜はすっとバレンタインチョコを差し出す。

「……言っておくけれど、こっちは本命だから。その……先にあげた人には負けるかもだけれど」

 少し素直になれないのか、こちらの顔を真正面から見ないのは小夜にしては珍しい。

 それでも手渡されたチョコレートの箱に、作木は精一杯の笑顔を向けていた。

「ありがとう……ございます。って言うか、今年のバレンタインでは小夜さんからもらったのが初めてのチョコレートですし……その……ちょっと気恥ずかしいな」

「えっ……でもあそこに……本命チョコが……」

 こたつの上にまだ残っているチョコレートを指し示すと、ああ、と応じていた。

「あれ、懿君がくれたんですよ。何でも水刃様に献上するチョコレートを試作してみたんだけれどどうかって。お裾分けです」

 小夜とナナ子は茫然としていた。

 レイカルだけは憮然として腕を組む。

「言っただろ? ギリギリチョコだって。私は本命とは言ってないぞ?」

「いや、あんた、分かっていたんなら少しは……」

 小夜はそこまで言ってから、あっけらかんと笑っていた。

「……何やってんだろ、私。気持ちは、もう決まっているはずなのにね。……今さら先も後もないか。作木君、そのチョコ、私の気持ち入ってるから! 本命チョコ、大事に食べてよね!」

 何だか吹っ切った様子の小夜に、作木はあえて言及せず、箱のチョコレートを受け取っていた。

「ありがとうございます。その……大切に食べますね」

「ちょっと、ちょっと! まだチョコケーキはあるんだから。みんなで食べましょ。義理でも本命でも――だって気持ちは何よりも美味しい、最強のチョコのはずなんだから!」

「最強? 最強なのか? 創主様っ!」

 最強と言う言葉に反応するレイカルのらしさに、作木は微笑みつつ席に着く。

 きっと――こうして皆でチョコレートケーキを囲める瞬間が、何よりも替えがたい。

「うん。じゃあ食べようか。最強のチョコレートを」

「はいっ! いっただきまーす!」

 ケーキへとレイカルががっつく。

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