JINKI 200 南米戦線 第二十話 引き継ぐべき想い

「……う、そ、だろ……いきて、る……」

 雷撃に貫かれたと思った肉体はどこも損傷していない。

《ナナツー零式》のコックピットブロックは健在で、傍に佇んだ《ホワイト=ロンド》からもたらされる声紋は、見知った声であった。

『リョーヘイっ! ……よかった、生きて……』

「……ちょっと待て、霜月。……何でオレは、生きてンだ……」

 視界の中で、見知らぬ白銀の翼が空域を引き裂いていく。

「……空戦人機か? どこの……」

 雷撃の自律兵装はその飛翔人機を追跡していた。

 地を這いつくばる自分たちは完全に意識の外であるらしい。

 機体制御バランサーを復旧させようとして、先ほどの雷撃がそれを焼き切ったのを関知する。

「……あっちの新型機は何と戦ってやがるんだ……?」

『リョーヘイ、今はそんなことよりも、逃げないと……。残っているのはもう、私とリョーヘイだけだよ……』

 両兵はコックピットより周囲を見渡す。

 焼け焦げた地表の上で、無数の人機の骸が並んでいる。

「……冗談じゃねぇ。ここで退けば、オレは何のために……!」

『リーダーからもさっきから返答がないし……カラカスは諦めるしか……』

「諦めるだと? ……そんなこと吐くくらいなら最初から奪還任務なんてやるんじゃねぇ……! 無理だって言ったって道理を蹴っ飛ばすつもりでやっているんだろうが!」

 しかし、意思とは相反して、《ナナツー零式》が機動する気配はない。

 バランサーの調節段階に移ろうとして、空を舞う白銀の機体が重火力を《キリビトプロト》へと突きつけていた。

『アルベリッヒレイン!』

「……何だ、あの火力……相手もキョムの人機なのか?」

 その総火力は《キリビトプロト》のリバウンドフィールド装甲を融解させ、表層を焼き尽くす。

『キリビトのRフィールド装甲を無効化するだと!』

『操主の熟練度の差だな、八将陣。私はお前らを、許しはしない、銀翼の――!』

 黄昏色のエネルギー波を流転させ、超加速度を得た白銀の人機が真っ逆さまに落下してくる。

 純然たる出力の光波が弾け飛び、《キリビトプロト》の展開した雷撃の自律兵装を吹き飛ばしていた。

『アンシーリー、コートッ!』

『リバウンドビットを粉砕する……!』

「……何が起こってんだか分かんねぇが、相手のリバウンドの装甲が破壊されたみたいだな。今のうちに立て直す。……霜月、刀を取ってくれ。どうやらさっきので吹っ飛ばされたらしい」

『まだ戦うの? 無理だよ、リョーヘイ……。もう、戦わなくたって……!』

「ごたごた……言ってんじゃ、ねぇ……よ。刀がねぇと何もできん。すぐに取って来い」

 どうやら《ナナツー零式》のインジケーターが一時的にダウンしているらしい。

 復旧までには数分かかるか、と概算した両兵はその時、白銀の人機がこちらを睥睨したのを感覚していた。

「……トウジャタイプか? 飛行型の人機なんざ……」

『……アンヘルか。その人機』

「……てめぇ何者だ? レジスタンスなのか?」

『……語る口は持たん。それとも、お前は、そんなボロボロの機体でキリビトタイプを相手取るつもりだとでも言うのか』

「……うっせぇよ。相手がキリビトだろうと何だろうと……オレはここに来るまで、覚悟を踏み越えて来てンだ。ならよ……気張らねぇのは嘘だろうが……!」

『リョーヘイ、刀を……!』

 桜花の操る《ホワイト=ロンド》が突き立った刀を回収して戻ってくる途上、《キリビトプロト》のアイカメラがそれを捉えたのを両兵は感覚していた。

「……駄目だ、霜月! 下がれ――!」

『コケにしてくれる……! 私は八将陣、アーケイドだぞ! 行け、リバウンドビット!』

 バインダーの内側より格納されていた無数のビットが《ホワイト=ロンド》を取り囲む。

 両兵はその瞬間、《ナナツー零式》で駆け抜けようとして、硬直した機体挙動に歯噛みしていた。

「くそ、がぁ……ッ! 動けよ、ナナツー! ここで動かなくっちゃ、オレは何のために……!」

 包囲された《ホワイト=ロンド》はじりじりと追い詰められ、四方八方より引き絞られた雷撃の矢を浴びせられる。

 機体各所が焼け爛れ、その脚部が融かされていた。

 傾いだ《ホワイト=ロンド》の頭部へとビット兵装が直進する。

 その刹那、両兵は声を聞いていた。

『……リョーヘイ、私は……』

 ビットから放たれた光条が《ホワイト=ロンド》の頭蓋を射抜く。

 両兵の意識はそれを目の当たりにした直後、白く弾けていた。

 この世のものとは思えない慟哭が己の内から爆ぜ、その衝動のままに《ナナツー零式》は空間を駆け抜ける。

《ホワイト=ロンド》を受け止めた《ナナツー零式》のコックピットより、焼け落ちた操縦席で力なく背中を預ける桜花を目にした瞬間、怒りで視界は白熱化していた。

『《ホワイト=ロンド》が目障りな……貴様もここで墜としてやろう!』

 自律稼働したビット兵装が迫った直後、それらは一瞬にして断絶される。

 視界内全てのビットを両断した太刀を振るい、両兵は《キリビトプロト》を睨んでいた。

『……何なんだ、その操主……!』

《キリビトプロト》が再びバインダーを開くまでのタイムラグ。

 その隙を逃さずに、ファントムで肉薄し、刀を閃かせていた。

 根元から抉り取られたバインダーを蹴散らし、内側のビット兵装へと刺突を叩き込む。

 内部より爆ぜた兵装が連鎖爆破を生んだその時には、両兵の駆る《ナナツー零式》は巨大人機である《キリビトプロト》の装甲を足掛かりにして、跳躍していた。

『反応……上……!』

 相手がこちらを捉えるよりも素早く、刀の切っ先は《キリビトプロト》の頭蓋へと叩き込まれている。

 刃に殺意を乗せ、両兵は何度も斬り付ける。

 最早、真っ当な意識など残っていない。

 ただ――眼前の敵を許さぬ修羅が、そこには在った。

 堅牢に守られたコックピットブロックが剥がされた時には、《ナナツー零式》はコックピットに収まる両兵と共に、獣の雄叫びを発する。

 このまま一息に。

 相手の息の根を止めようとした刃は、しかし、声に阻まれる。

 ――殺さないで!

 ハッとして、コックピットを僅かに逸れる形で刃は突き立てられていた。

「……オレは……」

『ひ、ひぃ……! な、何なんだ、お前は……!』

 コックピットに収まる敵操主の女に、両兵は声を振り向けていた。

「……なぁ、お前。刀使いを知っているのか?」

『か、刀使い……何を言って……。わ、私はそんなもの……』

「知らんのなら、いい。興味も失せた」

 いやに醒めた論調で、両兵は《キリビトプロト》から舞い降り、今も電流がのたうつ大地で声の主を探す。

 先ほど自分を一線で留めた声の主は、息も絶え絶えであった。

「……霜月。何でだよ。……何で、お前をここまでした奴を、殺さないでくれって……」

『……だって、リョーヘイが……そんな風になっちゃうの、見たくなかったから……』

 両兵は思い返す。

 かつて、黒将にそそのかされ、青葉と争い合った時――あの時も気付かされた。

 人機の力は、容易く人の精神など飲み込む。

 魂を愚弄し、人間の意識を啄む。

 だが、そこから帰れたのは。

 今一度人の世で生きようと思えたのは、何よりも――。

「……オレを引き戻してくれたってのか。……何だってオレは、間違えてからいっつも気づく……!」

《ホワイト=ロンド》に乗る桜花はもう限界のようであった。

 いつ意識を閉ざしてもおかしくはない。

 それでも、自分へと伝えてくれた。

 怒りのままに力を振るうことだけを是としない、人機と共に歩む道を。

『……私は、どうせ二年間だから……。リョーヘイのほうが大事だよ……』

「二年って……そんなもん……! そんなもん、関係あるか! 生きてきた期間が何だって言うんだよ! 長く生きりゃ偉いってわけでもねぇだろうに……! 二年間だからとか、そんな悲しいことを言うんじゃねぇ!」

『……リョーヘイは、言ってあげてね。私みたいな子を……これ以上……』

 命の灯火は消え失せようとしていた。

《ホワイト=ロンド》と共に。

 無数の人機の遺骸が積み上がった、この墓標の地で。

 自分は、大切なもの一つ、救えないまま。

「オレは……オレは大馬鹿野郎だ……! 霜月を救う? カラカスアンヘルの前線で戦うだと? ……思い上がっていたんだ、また……! 力もねぇクセに、粋がって……!」

 かつて黒将に立ち向かった時のように、愚かさを抱いてしか自分は前に進めない。

 青葉のように人機に愛されることもなければ、人機を本当の意味で愛することもない。

 自分は――また間違えた。

 その結論が脳裏を過った瞬間、《ナナツー零式》の機体が吹き飛ばされていた。

『敵に後ろを向けて! いつまでも感傷に浸ってるんじゃないぞ!』

 どうやら《キリビトプロト》の操主が調子を取り戻したらしい。

 拡張されたバインダーアームが無力な《ナナツー零式》の機体を叩き潰さんと迫る。

『このまま押し潰してくれる……! 私こそが、八将陣アーケイド――!』

「――うっせぇな。少しは浸らせろよ」

 支持アームの根元が断絶する。

 唐突な出来事に追いついていないアーケイドへと、両兵は《ナナツー零式》の機体を跳ね上げさせていた。

 既に機体の限界点は超えている。

 だが、命の灯火さえ消さなければ、人機は応えてくれる――その名前を、自分はかつて紡いでいるのだから。

「……エクステンド、チャージ……」

 血塊炉が大きく脈動し、肉体と一体化した錯覚さえ引き起こす感覚を伴わせて、《ナナツー零式》が跳躍する。

『ふざけるなァッ! 私こそが、勝利者だと言うのに!』

 残存するビット兵装が躍り上がった《ナナツー零式》に向けて雷撃を放つが、それら全てを受け止めてもなお、色濃い純然たる命の輝きが切っ先に籠る。

『墜ちろ! 堕ちろ! 墜ちろぉっ!』

 殺意の包囲陣は止め処ない。

 雷鳴が轟き、遠雷の灼熱が喉を枯らす。

 それでも、命の一滴そのものになった自分と《ナナツー零式》を止めるにあたわず。

 両断の太刀はこの時、血塊炉の最後の一刹那の鼓動を得て、打ち下ろされていた。

《キリビトプロト》の巨体が傾ぐ。

 一振りで真っ二つになるとは、相手も想定してはいまい。

『……何を、したァ……!』

「何も。ただ、命の力を、使っただけだ。ああ、それと。あんまり何回も言うのは、ガラじゃねぇんだが、一言だけ。――墜ちンのはお前のほうだ」

 断末魔の叫びと共に、内蔵されたリバウンドの磁場が薄らいでいく。

《キリビトプロト》はカラカスの地に青い血潮を撒き散らしながら、沈黙していた。

 両兵は手負いの《ナナツー零式》を捨て、真っ直ぐに桜花の《ホワイト=ロンド》へと駆け抜ける。

 全ての生命が死した絶対の死地で、刀一振りだけで、《ホワイト=ロンド》のコックピットを引き剥がしていた。

「霜月!」

「あ、れ……リョーヘイ……? あ、まだいきて……」

「喋んな! 少しでも息があるんなら、まだ助かる! 医療班は後続部隊に……!」

 そこで絶句する。

 もう後続部隊も前衛部隊もない。

 カラカスアンヘルは全滅していた。

 自分一人を残して、誰も彼も死に絶えている。

「……オレ、は……」

 桜花の細い指先が、自分の頬に触れる。

 こんな死の淵に居ると言うのに、彼女は微笑んでいた。

「……うれ、しい……。だって、リョーヘイ、きて、くれたんだから……」

「馬鹿野郎! 来るに決まってんだろ! オレは、お前を裏切るような真似……!」

 指先は何もない空を彷徨っていた。

「……お前、もう眼が……」

「リョー、ヘイ? どこ……どこいっちゃったの……?」

 両兵は桜花の手をしっかりと握り締めて、枯れた喉を振り絞っていた。

「……ここに居る。ずっと、傍に居てやるから……だから、死ぬな……! 行くんだろ! ショッピングだとか、映画だとか……街の人混みだとか……そういう……当たり前の風景に……!」

「あ、そっ、か……。うん、じゃあ、あんしん、だね……」

 微笑んだままで、桜花の指先から力が失せる。

 その手が滑り落ちて、両兵はその身体を抱き留めていた。

「……馬鹿野郎……! 死に際まで、他人の心配、してンじゃねぇよ……!」

 曇天から雨の粒が滴る。

 降り出した雨はプレッシャー兵器のオゾン臭を消し去るかの如く、激しい雷雨になっていた。

 両兵は踏み出す。

 桜花の遺骸を抱え、朽ちたビル群の中枢へと。

「……誰も彼も、死んじまった。何にも……なくなっちまったんだな……」

 がらんどうの心を持て余したまま、両兵が踏み出したのは大きく抉られた爆心地であった。

 ――全てが始まり、全てが終わった場所。ロストライフの産声。

 砂はどれもこれも黒く染め上がっており、遺体を埋めるのには適していないが、それでも、と桜花の身体の上に土を被せる。

 この世界に、救済はない。

 どこまで行っても、人界はまかりならぬものだ。

 しかし、それでも追い求めたかったのもある。

 人間が人機と共に歩める未来――それが如何に果てなく彼方であろうとも、歩み進むことだけが無力な人間にできる唯一の――。

 両兵は、身を翻す。

 雨は、やまなかった。

 地獄の淵で、《ナナツー零式》を仰ぎ見る。

「……さぁ、行こうぜ。オレもお前も、裁かれるような善性は持ち合わせちゃいないのさ」

 命の力を使い果たした《ナナツー零式》に再びスターターを通し、空っぽの躯体のまま、歩み出していた。

 報われることはない、救われることはないのかもしれない。

 ならば、恩讐だけを身に宿して、ただひたすらに――進め。

「それがオレの……罰だって言うんなら」

「――……あの人機の操主、只者ではなかった。キリビトタイプを一太刀で、だと……」

 メルJは先ほどの戦闘に全く踏み入れなかった自分を恥じる前に、その実力差に歯噛みしていた。

「まだ私は……弱いと言うのか。グリムの者たちを追い詰めるのには……!」

 その時、カラカスの大地より飛翔した機体を関知し、メルJは構える。

 真紅の人機が極黒の荒れ野を見下ろしている。

「八将陣か……!」

『その機体、アンヘルの《シュナイガートウジャ》ね。確か強奪されたと言う』

「八将陣か、と……聞いている……!」

 スプリガンハンズを突きつけるも、相手は怯みもしない。

『ここで戦闘するのは単純に旨味はない。そうでしょう? 《キリビトプロト》が破壊された……あれ、あなたがやったの?』

「……他人の戦果を自分のものと偽るほど、腐った覚えはない」

『じゃあカラカスアンヘルの誰か、か。……少し楽しみが増えたわね。いくら間に合わせの強化人間とは言え、アーケイドをやったなんて』

「ここでお前は死ぬ。それは決定事項だ」

『急かすものでもないでしょう? まだキョムとアンヘルの戦いは、始まったばかりなんだから』

 光の柱が構築され、真紅の人機を飲み込んでいく。

「シャンデリアの光、か……」

 光の残滓を見据えて、メルJはつい先ほど、カラカスの荒れ野を歩み出した一機のナナツータイプを一瞥する。

「……分からんな。お前と私の道は、交わるのか違えるのか。それは未来に託すとしよう。キリビトを討った操主、いずれ私の道を阻むのならば……貴様とて……」

《シュナイガートウジャ》に加速をかけさせ、雨の空を抜けていく。

 カラカスの黒い地平線は、既に遠く離れていた。

 ――日本行きのコンテナに押し包まれた《モリビト2号》を、ルイは見上げていた。

 今日は生憎の雨模様である。

「旅立つのに、荷物は少ないほうがいいんじゃない?」

 エルニィの言葉振りにルイは応じていた。

「元よりそのつもりよ。あんたは……」

「しばらくこっちに留まってから、世界の動向を見て、って感じかな。まだシュナイガー強奪の件、許されてないっぽいし。少し遅れる」

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