「その……ホワイトデーって間に合わなかったら、どうなるんだ……?」
そんなレイカルとは無縁の言葉が口から出て、小夜はカリクムと視線を合わせていた。
「……ホワイトデーに」
「間に合わない? それって何のことよ、レイカル」
「だってそれは……お返しがどうのこうのって……創主様が頭を悩ませていて……!」
「ああ、そう言えばそろそろホワイトデーよね。……うん? お返し? あの朴念仁の作木君が?」
ナナ子の疑問に端を発し、小夜は考え込んでいた。
「……もしかして、ホワイトデーのお返しが間に合わないとか、そういう話?」
「だからそう言っているだろ……! ヒヒイロ、どうすればいいんだー!」
業を煮やした様子のレイカルとは裏腹に、落ち着き払ったヒヒイロは雑誌からようやく視線を上げる。
「……お主は相変わらず、慌て様だけは一端じゃのう……。そもそも、じゃ。お返しの意味は分かっているのか?」
「それは……あれ? そう言えばお返しって……何のお返しだ? 私はてっきり……ホワイトデーとか言う日には相手に一発二発お返しをするもんだと思っていたんだが……そもそも創主様は喧嘩なんてしないし……」
「あんた……ホワイトデーのお返しをお礼参りか何かと勘違いしてるんじゃないの……?」
カリクムの呆れ声にレイカルはむっとしていきり立って反発する。
「何をぅ! ……って言っても、カリクムに創主様がお返しをするわけもないし……じゃあ誰にだ? 殴ってスカッとする奴なんて……知り合いには居ないだろうし……」
「何だかレイカル、ちょっと物騒よ……? そもそもホワイトデーの意味を分かってる?」
ナナ子に問い返されてレイカルは腕を組んで考え込む。
「えっと……お返しをする日だ!」
「じゃあそのお返しって何のお返し?」
「それは……日頃の鬱憤の溜まっている相手に、殴り掛かってもいいって言う日で……」
「そんな日があって堪るかよ……。まったく、レイカルってば相変わらず、常識ってものがなってないよなぁ」
肩を竦めたカリクムに小夜も陰鬱なため息を発する。
「小夜、ため息をつくと幸せが逃げていくわよ」
「だってぇ……お返しを作木君が考えてくれたのは嬉しいけれど、それがレイカルの口からバレたって言うんじゃ……何て言うか乙女として報われないのよ」
「まぁねぇ……。作木君もでも、結構やり手じゃない。バレないようにお返しのつもりだったんでしょ?」
ナナ子のフォローにも今は素直に喜べない自分が居る。
「うぅ……でもレイカルの口から聞くことになるなんてぇ……。これじゃあ私、どんな顔をして作木君に会えばいいのよぉ……!」
「……何を嘆いているんだ? 割佐美雷。まさか、お返しの相手はお前だったのか? ……でもお前を殴ったりはしないぞ? 創主様はお優しいんだからな!」
どこか誇らしげに胸を反らすレイカルに、そもそも、とヒヒイロが雑誌の特集号をハウルで操って捲って寄越す。
「こういうものが“お返し”なのだと、お主は知らんかったのか?」
ラッピングされたチョコレートや品々の特集が組まれた三月号のファッション雑誌にレイカルは首をひねる。
「……何だ、これ? これじゃあまるでクリスマスじゃないか」
「いや、クリスマスとも違うんだけれど……。そもそも、レイカルに人間の機微って言うか、こういう文化って根付かないのかしら? ヒヒイロはそこんところどうなの?」
「私は真次郎殿やヒミコ殿から教わってはおります。ですが、ここ数年はバレンタインのお返しと言っても複雑を極めている様子で。お返しと一言に言ってもここまで幅があるとは思いも寄りません。まさか、バレンタインに貰ったチョコレートの三倍返し、なる暗黙のルールがあるとは」
「……まぁ、それも誰が作ったのかって言うルールだけれどね。三倍返しは私も結構前から知っているけれど、今もそうなの?」
「バブル期の余韻のようなものでしょうが、そのようですね。基本的にはチョコレートを貰ったら、殿方はネックレスや財布などをお返しにする場合もあるとか」
レイカルは先ほどから脳内で疑問符が絶えないようで、ナナ子とヒヒイロのやり取りを聞いて首を傾げる。
「……三倍返し? つまりホワイトデーとやらは普段の三倍の力で相手を殴り返してもいいと言う日で……?」
「あんた……殴り返すから少しは離れなさいよ。けれどまぁ、オリハルコンにしてみれば、こういうのは馴染みが薄いからなぁ。そこんところ、何か思うところはないの? 小夜」
「……あんたねぇ、分かってないんだから。こっちから言い出したらそれこそ性悪って奴なの。待つのも立派な乙女のたしなみってものなんだから」
「ふぅーん、よく分かんないよなぁー」
「――あらぁ、でもカリクム。少しは分かる身分なんじゃなくってぇ……?」
うわっ、とカリクムとレイカルが同時に驚愕する。
「……ラクレス、いつから……?」
「さっきからずっと居たわよぉ……。それにしたって、レイカルもお馬鹿さぁん……ホワイトデーのお返しも知らないなんて、可哀想ねぇ……」
「な、何をぅ! ならお前はお返しとやらをするのか!」
「ええ、もちろん。作木様には最高のお返しをするつもりよぉ」
その言葉にレイカルと小夜が同時に雷に打たれたように衝撃を受ける。
「お前――っ! それはズルいだろ!」
「そ、そうよ、ズルいわよ!」
あれ? とそこで意見が一致したことに二人して疑問を抱く。
「……何でお前までズルいって言い出すんだ?」
「そ、それはぁ……だってラクレス、この間みたいにコアエンブレムを使っちゃえば何でもできちゃうんでしょ?」
「あらぁ、小夜様。もしかしてあの一件にご立腹なのかしら? でも作木様と少しは近づけたでしょぉ……?」
小夜は紅潮した顔を背ける。
さすがにラクレスの力で作木を快楽に落とすのは間違っていると言い出したかったが、そうすれば自分たちの醜態も明るみになってしまう。
「……な、何だか知らんが、とにかく駄目だ! なんか、何となくだけれどそれはズルい気がするぞ!」
今ばっかりはレイカルの嗅覚に助けられたと言うしかない。
ラクレスは艶めいた仕草でふふっ、と微笑む。
「じゃあ……レイカルはお返しができるのかしらぁ……?」
「もちろんだ! ……あっ、でも暴力じゃないんだったか。うーん……三倍返し、三倍返し……三倍返し、三倍返し……」
レイカルは考え込んで身体を寝かせたり、転がったりして思案するが恐らく一生答えが出ないだろう。
「……で、まぁ普通に期待はするわよね、女子だもの」
「……でもあんた、あの鳥頭からはもう貰ったんでしょ?」
「分かってないわね、小夜。……伽クンと私の間には、そんな了承なんて要らないわ! だってお互いに燃え盛るような愛を感じているんだもの!」
見せつけられれば辟易もする。
小夜は呆れ返って手を振っていた。
「……はいはい、他人のイチャつくところなんてお呼びじゃないっての」
「イチャつく……。そうか! そういうことか!」
何か天啓でも得たようにレイカルは立ち上がっていた。
「何か分かったの?」
「カリクム! 私たちにはハウルがある!」
「そうだけれど……何?」
「ハウルを三倍に練り上げれば……それはつまり三倍返しだ!」
「……うん? つまり……?」
「いつもより三倍の強さのハウルで、何かを作ってお返しすれば、それはつまり、ホワイトデーってことじゃないのか?」
小夜とカリクムは顔を見合わせる。
レイカルは何か重要な見落としをしているようであったが、指摘するのも野暮のようなので放っておくと彼女は踵を返していた。
「こうしちゃいられない!」
「まぁ、待て。どこへ行くんじゃ」
「山道に行って、いつもより三倍のハウルで倒した虫を献上すれば、それはホワイトデーのお返しに……!」
「「ならない、ならない」」
思わず小夜とカリクムは声を合わせて否定していた。
「な……っ! じゃあ何だって言うんだー! ホワイトデー難し過ぎるぞー!」
膝を折ったレイカルが頭を抱えるのを横目に、小夜は考えを巡らせていた。
「……ねぇ、ここは何も知らない体で、作木君の家にいつものように向かうのはどう?」
「ははーん、小夜ってば、ここ一番のところでやっぱりヘタレなんだから。知らない体で、なんてレイカルがここに来た時点で無理でしょ」
「うーん……やっぱりそうよねぇ……。じゃあどうしろって言うの? 言っておくけれど、ホワイトデーだって乙女にしてみれば、それは戦場なのよ? かまととぶってギリギリまでその話題を避けるか、それか直進しかないじゃないの!」
「でも、間に合わないってことは、何か用意はしているってことじゃないの?」
ハッとして、小夜はレイカルを見据えていた。
レイカルはと言えば、きょとんとしている。
「何だ? 割佐美雷。言っておくが、これは難問だぞ……。こうも分からない行事があるなんて思わなかった。三倍返し……お返し……そしてバレンタイン? ……あれ? バレンタインって言えば、この間ケーキを食べたばっかりじゃないか」
「お主はようやくそれを思い出すんじゃのう……。バレンタインのお返しが、そもそもホワイトデーだとさっきから言っておるじゃろうが」
「……うん? いや、ちょっと待て、ヒヒイロ。三倍返しってのは、じゃあ暴力じゃなく?」
「もらったものの三倍を返さなければいけないと言う不文律じゃな。バレンタインの定義から言えば、お主ももらった側じゃろう? なら、お返しを待つのが礼儀のような気もするが……」
そこで重大な間違いに気付いたのだろう。
レイカルは茫然としていた。
「……なんてことだ……じゃあ私は……お返しをもらう側……つまり、三倍返しの暴力を食らう側だって言うのか……?」
「だから、三倍返しってのは暴力じゃないんだってば。うーん……レイカルに理解させるのにそもそも通常の三倍の時間が必要そうだぞ、ヒヒイロ」
「ふむ、しかし作木殿がお返しを作っておられると言うのは少し意外じゃな。軽んじるわけではないが、そもそも苦学生というイメージがあったが」
「それはヒヒイロ、男の意地と言う奴だろうさ」
詰め将棋の本を片手に将棋を打っている削里の言葉に、ヒヒイロは寛容に応じていた。
「確かに。それもそうなのかもしれませぬ。私はめっきり、真次郎殿からお返しめいたものはもらっておりませぬので、失念しておりました」
「……攻撃してくるの、やめてくれないか……。俺は毎年渡しているだろう?」
「……はて、何のことやら」
「とぼけないでくれよ、ヒヒイロ」
ヒヒイロと削里のことはさておき、小夜はレイカルと顔を見合わせてどうにか策を練ろうとする。
「いい? あんたがここに来たのは内緒! それでいいわよね?」
「か、構わないが、割佐美雷……」
「何よ……」
「多分、出かけたら今頃こっちに来てるんだと思って……創主様からこっちに向かっていると思うぞ?」
「……そうよね。そういうパターンだった。でも、どうしよー……。レイカルから全部聞いたなんてさすがの私でも言えないし……」
「もう諦めて作木君のところに行けば? どうせ寄るつもりだったんでしょ?」
「……それは……そうだけれど……。乙女にとって言わない領域ってあるじゃないの」