レイカル44 4月 削里と花見酒

 ――へっくし、とくしゃみをした自分にヒヒイロが声をかける。

「おや、真次郎殿。風邪ですか?」

「いや、花粉かもしれない。そういうのとは無縁だったつもりなんだが」

「誰かが噂でも、というものかもしれませんね」

 ヒヒイロは落ち着いた声色だが、立ち合いの動きは洗練されている。

 はっ、と声を張り上げたウリカルの拳をいなして、直後に浴びせ蹴りを見舞われるが、それも完璧に防御していた。

「甘いぞ、ウリカル」

 柔術にも似た動きでウリカルの姿勢を崩し、ハウルの砲弾で距離を取っている。

「格闘術に関してはハウルによる連撃を基本とするがよい。そうでなければ読み負ける」

「はいっ、師匠!」

 ウリカルはヒヒイロの指摘を受け、上段回し蹴りを打ち込んでから、ハウル防御を組んでいた。

 ヒヒイロの至近距離でのハウルの叩き込みを予見していたが、それでも大きくよろめいた形のウリカルへと、すかさず手刀が入る。

「ここまで。少しは動きにキレが宿って来た。とは言え、やはりハウルの格闘戦術には迷いが見られるようじゃな」

「……まだまだ鍛錬です」

 ウリカルとヒヒイロの打ち合いは桜の木の下で公然と行われていたが、誰かに見咎められることはない。

 やはり平日の朝時分に桜の花見なんて実行している人間のほうが少ないものだ。

「それにしても、桜、か。あまり接点もなかったもんだが、花見って言うと師匠が好きだったな」

「師匠の師匠……ですか?」

 不思議そうにするウリカルに、ああ、と削里は応じていた。

「高町光雲、俺の師匠なんだ。そして、ヒヒイロの元の創主でもある」

「光雲殿は相当な方向音痴でしたが、桜の木は自然とよく見つけられましたね」

「あの人なりの美学だったのかもな。綺麗なものを見つける審美眼とでも言うのか。案外、正統創主ってのはその辺が関係してくるのかもしれない」

「師匠の師匠は……一体どうなさってので?」

「……まぁ、ちょっとあって死んでしまったんだ。あまり公言するものでもないんだけれど」

 ウリカルに事情を説明しようにも入り組んでいる。

 表層だけをすくった言葉に、彼女は彼女なりに悟ったようであった。

「す、すいません……出過ぎたようなことを聞いてしまって……」

「いいんだって。今さら気にしてないし。それに師匠は、こんな未来を想像してもいなかっただろうからな」

 桜の花びらが風に舞い上がる。

 一刹那の輝きに、人々はその時々の美学を見て来たのだろう。

 だから、日本人は花見が好きなのだろうし、きっと自分もそれは同じだ。

「……下手に斜に構えるもんでも、ないな」

「それはその通りでしょうね。……っと、来たようです」

 重箱を抱えてやって来たのは小夜とナナ子で、その後ろで荷物を運んでいるのは伽と懿であった。

「作木君は?」

「講義がまだ残っていたみたいで。私たちが先着です」

「おとぎさん、足元気を付けてください」

 おとぎの手を引く懿の後ろには人間態の水刃も伴っている。

「おっ、珍しい客も居たもんだ」

(……お主とこうして顔を合わせるのもなかなかなかったな)

「まぁ、そりゃあね。そうでしょうとも。……ヒミコは?」

「姉さんはまだ講義が残っているとかで。作木様と一緒に来られる予定です」

 なるほど、まだ全員が揃うのには時間がかかると言うわけか。

「あっ、削里さん。ブルーシート、この辺、ちゃんと伸ばしてくださいよ。折れ曲がっちゃってる」

 指摘したナナ子に、伽が割って入る。

「まぁ待てって。ナナ子は弁当のほうを頼むぜ。オレが力仕事はやっておくから」

「さすが伽クン! 私ったら、幸せ過ぎて死んじゃいそう!」

 伽とナナ子に対して、冷たい眼差しを送っていた小夜は、こちらへと声をかける。

「……あーあ、見せつけてくれちゃって。……その、大丈夫でした?」

「ああ、懸念していたヒヒイロとウリカルのことなら、全然。誰も足も止めなかったくらいだよ」

「……それもですけれど、削里さん、いつもはお店の奥で、ずっと将棋打っているじゃないですか。無理させたんじゃないかなって、ちょっと罪悪感あったんですよ」

「俺の心配はしなくって大丈夫だって。別にむつかしい顔をして将棋とにらめっこしているわけでもないし、そこまで老け込んだつもりもないよ」

「……そうかもですけれど、無理させるの趣味じゃないってだけです」

 何だかんだで小夜も結構、他人のことはよく考えているものだ。

 重箱を用意する中で、削里はふと将棋盤を挟んだ位置に座り込んだ影に気付いていた。

「……何だ、伽か」

「伽か、じゃねぇだろ、お前は。……ったく、兄弟子への敬意が足りねぇよな」

「俺相手に駄弁っている場合でもないだろ。いいのか? ナナ子さんとか手伝わなくって」

「それに関しちゃ、懿のお坊ちゃんが大体やってくれてるんで、オレの出る幕もねぇってもんだよ」

「……お前も大変だな。懿君はいい青年だから、比べられて」

「そうでもねぇさ。……これでも居心地だけはいいんでな」

「居心地、か」

「小夜の姉ちゃんが気にしていたのはそれだろ? お前の居心地の問題さ。いっつも店の奥で何か考えてんだか考えてないんだか分からないお前のこと、何やかんやで心配してるんだよ」

「俺は心配されるような器かね」

「少なくともこの面子ならそうだろ? 別にカッコつける必要性もねぇし、もうちょっと身構えなくってもいいんじゃねぇか?」

 削里は片手に詰め将棋の本を携えつつ、一手を打っていた。

 それに対し、伽は少しむっとしたように駒を進める。

「……対局するか? 久しぶりに」

「……別に構わねぇぜ。思えば……こうしてお前と向かい合うのは、師匠が死んで以来だったか」

 駒を並べている最中に放たれた言葉に、削里は何でもないように応じる。

「弟子だった頃はよく打っていたもんだな。将棋の腕じゃ、どっちもどっちの実力だったから、よく師匠にカモられていたっけか」

「……ま、その師匠も悪くないって風に見ているんじゃねぇの? お前とオレ、一度ここまで分かれた部類の弟子が、こうして花見で顔を突き合わせるなんて想像もしてないだろうし」

「あの師匠でも想定外、か」

「そうだろ。……あーあ、ここいらで悪ぶれるわけでもねぇってのが、どうにもな。締まらねぇって言うか」

 伽の一手に対し、削里は定石を打っていく。

「俺たちはこうして……花見席で将棋を打つのがお似合いの、そういう身分なのかもしれないな。あれだけ……お互いに色々あったとはいえ、こんな場所に落ち着くなんて」

「言っておくが、オレは老け込んだつもりもねぇぞ、っと。この手でどうだ!」

「……相変わらず、脇が甘いことで。これで、っと」

 敵陣に切り込んだ駒に、伽はうーんと頭を悩ませている。

 元々、伽はこういった戦略的なゲームが得意な性質ではない。

 さて、どう出るか、と見据えていると、横合いからナナ子がアドバイスをしてきた。

「あっ、伽クン。ここ、取れるわよ」

「おっ、本当だな。よぉーし、削里! これで一歩優勢だ!」

「……おいおい、彼女の助言を受けて優勢とは、恥ずかしくないのか?」

「全然! ナナ子はオレの自慢だからな!」

「もうっ! 伽クンってば!」

 いちゃつくナナ子と伽を視野に入れつつ、削里はなるほどな、と頷く。

「そういうもの、なのかもな。師匠が俺たちに、遺してくれた意味ってのは。案外、それほど大層なもんでもなく」

 そこでヒミコの車が停車し、スーパーの袋を抱えた荷物運びの作木が顔を出す。

「あっ、皆さんもう始められて……?」

「いや、これからってところさ。作木君、今日はもう大丈夫かい?」

「はい。講義も終わったので高杉先生の車に乗せてもらって……あれ? 伽さんも一緒で?」

「オレは水刃様とおとぎちゃんの荷物当番だよ。ま、ナナ子に誘われちゃあ、断るわけにもいかないからな!」

 作木がクーラーボックスを降ろすと、そこから飛び出したレイカルたちが桜の木の下で舞い上がる。

「わぁっ……! 創主様! 桜が満開です!」

「へぇ……ひ、ヒマだったから来てみるもんねぇ」

「あらあら、カリクムってば強がっちゃってぇ……」

 三者三様の反応を見つつ、作木は小夜から飲み物を受け取り、一息ついたようだ。

「真次郎、あんた、今日はさすがに呑むでしょ?」

 ビールを掲げたヒミコに、削里はおいおい、とうろたえる。

「帰りがあるんだから、お前は呑むなよ」

「そりゃー、教え子のためだもの。その辺は弁えるってば。それにしたって……この三人で花見なんて、懐かしいわねぇ」

 ヒミコの言葉に伽はへっと毒づく。

「高杉神社の跳ねっ返りがよく言うぜ」

 舐めた口を利いた伽には直後にチョークスリーパーがかけられていた。

「何よ! 言っておくけれど、こちとら仕事明けなんだから! ストレス解消するくらいじゃお釣りも来ないんだし!」

「ギブ! ギブだっての……! ったく相変わらず力だけは強ぇんだから」

 ブルーシートの上でタップした伽に、削里は目の前でコップにビールを注ぐ。

「ま、ここまで来たんだ。無礼講で行こうじゃないか」

「……ったく、てめぇと杯交わすなんざ、あり得ねぇと思っていたがな」

「私はジュースで。……まぁ、よかったんじゃない? 三人こうして、禍根もなくお花見ってのも」

「創主様! このハム、とっても美味しいです!」

「あっ、それ、私が仕込んだんだから。大事に味わってよね、レイカル」

 注意を飛ばす小夜を他所に、レイカルは次々と重箱の弁当を頬張っていく。

 喉に詰まらせたのか、ばたばたともがくのを作木は水を飲ませていた。

 何だかそれは――失った何かを思い起こさせるようで、削里は微笑む。

「……こうして見守るのも、別に悪い気分でもないな」

「ジジイくさいわよ、真次郎。私たちだって、まだまだじゃない」

「よく言うぜ、てめぇも。ま、つまんねーわけじゃないのは、ありがたいがな」

 今年も満開の桜の木の下で――お互いの労をねぎらいながら。

「乾杯っ!」

 ――そうして、春は行くのだろう。

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