「知らないわ。自称天才がザリガニ釣りが面白いって言うもんだから」
「えーっ……分かんないのに行くんですか?」
「何? 不服なの?」
相変わらずルイに凄まれてしまうとさつきは言い返せなくなってしまうが、今日ばかりは用事があった。
「えっと、その……図書室に本を返さなくっちゃいけないので……」
その言葉にルイは目をぱちくりさせる。
「……本を、返す? どういう文化?」
「えっ、分かんないですか? 図書室ですよ」
借りていた本をルイはぱらぱらと捲ってから、わざとらしく欠伸をする。
「……どれもこれも、難しそうなのばっかりね」
「そうですか? 最近売れ筋の小説とかですし、結構大衆文化ですよ?」
「……退屈そう。私なら、入って三分で寝られる自信があるわ」
「図書室、いいんですけれどね。紙の本のにおいとか、そういうの。私は結構好きですし」
「……ふぅーん、それってザリガニ釣りよりも面白いのかしら?」
「それは……どうか分からないですけれど……」
ルイは少しの思案の後に、ふっと決断していた。
「じゃあ行ってみようかしら。図書室って何があるの?」
「何って……読んで字の如く本ですけれど……」
「本を借りてどうするの?」
「えっとぉー……それはその、借りて読むんですよ」
「……つまらなさそう」
そう言われてしまうとなかなか返す言葉もないが、さつきはルイを伴わせて図書室に向かっていた。
「案外、ルイさんみたいな人でも興味ある本もあるかもですし」
「待って。今、私みたいなの、って言った?」
あっ、と失言を取り消そうとしたその時にはルイがその剣幕で迫る。
「私みたいなの、ってことは、ちょっと馬鹿にしたでしょう?」
「し、してません、してませんってば! ……ルイさんみたいな転校生でも、多分気に入るって意味ですから!」
「……ふぅーん、何だか誤魔化されたような気がするけれど、よしとするわ」
何とか取り繕った、とさつきは当惑したのも一瞬、ルイが図書室へと入るなり駆け出す。
「あっ、ルイさん! 図書室は走っちゃ駄目ですよ!」
「何よ、教室なのに駄目なことばっかりなのね。何だかつまらなさそう」
「あっ……それと大声も禁止です」
「今の」
「……今のは……つい……」
周囲を気にしながら声を潜めると、ルイは図書室の本の垣根へと分け入っていく。
「……大丈夫かなぁ……」
とは言え、ルイも本に興味を持ってくれたのならば、少しは喋る事柄も増えるかもしれない。
ともすれば、学校に来てくれる機会も、自分の理由からのものとなる可能性も高い。
今は、少しでもその可能性に賭けようとして、さつきは本を返そうと受付に赴いた途端、硬直していた。
そこに居るはずのない――人影を見つけたからだ。
「……ん?」
眼鏡をかけ、黒い長髪を一つに結っているが、間違いようもない。
幾度となく戦い、そして辛酸を舐めてきた相手――キョムの八将陣を束ねるリーダー格。
「……八将陣……の、シバ……」
圧倒されている自分に対し、相手は眼鏡のブリッジをくいっと上げこちらを凝視する。
「……返本、ですよね?」
「あっ……えっ……?」
「はい。貸し出し期限ギリギリだけれど、よしとします。次からは注意するように」
当惑する自分に図書カードが返され、唖然としていると相手はその紫色の瞳で見返してくる。
「何か?」
「あ、いえ……その……えっと……」
「図書委員としての仕事がありますので、手短に」
「と、図書委員……?」
名札には「志麻涼子」と書かれており、まさか他人の空似だったか、とさつきは戸惑う。
「あ、その……知っている人によく似ていたから……」
「だから?」
「えっと……人違い、です……すいません……」
しゅんとしたこちらに対し、志麻涼子は微笑む。
「そんなに似ている人が居ましたか? 呼び捨てするほどの」
「あ、そうですね、はい……。ちょっと気が動転しちゃって……」
とは言え、相手を八将陣のシバと呼び間違えるのは相当に失礼であっただろう。
「あの……あなたは……その、いつから図書委員に……?」
「ずっとですけれど、何か問題でも?」
「あっ、そういうんじゃなくって……。えっと……」
まごついている自分に、本の森からルイの声が響き渡る。
「さつきー、こっちこっちー」
「あっ、ルイさん……! って、すいません……」
志麻涼子は唇の前で指を立てて、しっ、と注意する。
何だか二重に申し訳ない気持ちでさつきはルイへと歩み寄っていた。
「どうしたの? 何か問題でも?」
「ああっ、いえ……っ。問題ってほどじゃなくって……」
もし、ルイにも志麻涼子がシバに映った場合、一触即発の空気になるかもしれない。
自分の通う中学校でそのような事態は避けたい気持ちもあった。
「……その、よく似ている人を見かけちゃって」
「ふぅん、まぁいいわ。これ、借りるから」
ルイが何冊も自分の手に本を積み上げていく。
少し意外でさつきは本をペラペラと捲るとどれも洋書であった。
「あれ? えっ? ルイさん、これ」
「初歩的なものばっかりだけれど、こっちにも英語って浸透しているのね。初めて知ったわ」
「いえ、そうじゃなくって……洋書ですけれど……」
「言ってなかった? 私、日本語より英語のほうが読めるのよ」
そう言えば、ルイは元々、南米のアンヘルに所属であったのだ。
日本語よりも英語に親近感を覚えているのも頷ける。
「……でも他のはほとんど読めないから、貸し借りのシステムは分からないし、あっちと顔合わせるのはさつきのほうが分かっているでしょ? ちょっと借りて来てもらえる?」
「いや、ルイさんも図書カード作れば……」
「それが面倒なのよ。日本語でつらつらと説明されたって言葉面でしか分からないし。さつきのがあるんなら、それで事足りるでしょ?」
そう言われてしまえば確かにその通りで、さつきは少しとぼとぼとした足取りで受付へと向かう。
やはりシバにしか見えない志麻涼子へと、さつきは洋書を差し出していた。
「その……これ、借りることって……」
「できるけれど、全部洋書ですよね? 冷やかしで借りるのは図書委員として見過ごせませんが」
「あっ……冷やかしとかじゃないです。本当に。えっと……何て言うのかな、読む人が居ますので」
志麻涼子は少し疑り深い眼差しを向けた後、図書カードに日付とハンコを押して預かる。
「はい、貸し出し期限は一週間ですので、厳守するように」
「あ、ありがとうございます……」
さつきは何だか狐につままれたような気分で、図書室を出ていた。
ルイは既に待ち構えている。
「遅い。何をやっていたの」
「いえ、その……あ、よく言いますよね? 世界には同じような顔の人が三人か四人くらい居るって」
「だから何? 本当、分かんないことばっかり言うんだから」
洋書を抱えたルイの背中に続きながら、さつきは首を傾げる。
「……でも、そんなはずない、よね……。八将陣が図書委員なんて……」
――昼下がりに図書室に足が自然と行くことも、別段珍しいわけではない。
ただ、前回の違和感を払拭したかったのかもしれないが、それよりもまず自分で信じられる根拠が欲しかったのかもしれない。
もし――相手が八将陣、シバであったのならば、然るべき対処を、とアルファーを鞄に忍ばせてある。
少し緊張気味に廊下を歩いていると、不意打ちの声がかけられていた。
「あっ、さつきさーん!」
駆け寄ってきた相手が抱き付いてきたので、さつきは当惑する。
「な、なずな……先生……」
「どうしたんですかぁ? 何だか戦場に向かうみたいな顔ですよぉ?」
今ばっかりは出会いたくなかった相手かも知れないと思いつつ、さつきは上下になずなを観察する。
「……なずな先生がその……送り込んできた、とかじゃ、ない、ですよね?」
「何のことですぅ?」
「いや、その……何でもないんです。と言うか、まだ居るんですね」
「まだも何もぉ、教職期間が明けていませんしぃ、中学校の先生って案外、向いていたりして?」
「……それ、なずな先生が言うと、洒落にならないって言うか……。で、でもですよ! アンヘルの操主として、それは毅然とした――」
「そういうの、抜きにしません? ここは学校ですよぉ?」
そう、学校だ。
だからこそ、戦いとは無縁の場所にしたいのが本音。
しかしキョムの側から攻めてくるのならば、考え方も変わってくる。
「……わ、私はキョムと戦いますから」
「うーん、いいですけれど、さつきさん、ちょっとヘンじゃないですかぁ?」
「へ、変って何がです?」
「だって、こっちは図書室ですよぉ? お昼ご飯を食べるのなら、教室か校庭のほうにしたほうがいいと思うんです」
「お、お昼は食べ終わりましたから。それに、別にお昼休みに私が図書室に行ったって、いいじゃないですか」
「……ふぅーん」
「……何です? 何か気になることでも?」
「いえ、別にー。ただ、隠し事は、ためになりませんよぉ? それだけ言っておきますぅ」
身を翻したなずなの背中を見送ってから、さつきは困惑を浮かべる。
「……隠し事……なのかな。でも、自分の眼で確かめなくっちゃ、うん」
図書室は昼休みの時間中はさほど人も多くはない。
活動的な生徒が多いためだろう、しんと静まり返った図書室の一角で本を読みふけっている人影を発見するのは容易だった。
「……志麻、涼子……さん」
「あら、前回の。洋書をたくさん借りた子ですよね?」
まったく警戒を見せない相手に、少しばかり毒気は抜かれたが、さつきはこほんと咳払いする。
「……その、あなたはこの学校の生徒……なんですよね?」
「当たり前のことを聞かないでください。ただの図書委員ですよ」
そのただの図書委員が八将陣のリーダーに酷似していれば疑いたくもなる。
さつきは対面に座り込み、何度か観察の眼を注いでいた。
「……何か?」
「いえ、その……」
切り出そうとして、自分はシバ本人と直接対峙したことがないのに気づく。
赤緒なら確証めいたものを聞き出すのも容易だろうが、自分はシバと言葉を交わしたこともほとんどない。
何となくシバのような気がする、で疑念を向けることもある意味では失礼に当たる。
「……えっと、その……」
「ここ、お気に入りなんです」
志麻涼子はそう言って読んでいた文庫から視線を外し、図書室から窺える校庭を眺めていた。
さつきの目線も自ずとそちらへと注がれる。
活動的な生徒はサッカーに励んでおり、志麻涼子の眼差しはどこかそれらへと情景を抱いているようであった。
「……校庭に出たり、しないんですか?」
「……身体が弱くって。だからこうして図書委員になったんですけれど、それもあまり、向いてないのかも。だって、何だか因縁を付けられていますし」
「い、因縁……?」
「違うんですか? 最初に会った時から、敵意っぽいものを、感じていましたので」
「い、いえ、それはちょっと違って……。えっと、私、その……」
まごつく自分に志麻涼子は視線を振り向ける。
「川本さつきさん、ですよね?」
「えっ、何で、名前……」
「名札に書いてありますし、それに何だかんだ有名ですよ? アイドルみたいなこともしていらっしゃいますし」
微笑んだ志麻涼子の面持ちは、まるで八将陣としてこれまでアンヘルと戦い続けてきたのとは無縁で、さつきは慌てて否定していた。
「め、滅相もないって言うか……アイドル……じゃないですよ。その、ちょっとした声優業、とかですし……」
「でも、声優さんってことは、芸能界の人ですよね? ……羨ましいなぁ。そういうの、表舞台みたいなのは私、縁がないですから」
「い、いやぁ、それほどでも……」