JINKI 216 凍てついた街より

「……祈る相手を間違っているのではないか、と嗤うか?」

「そうとも思わない。私は世界を渡り歩いてきたつもりだが、人間が信ずるものはいつだって自由なのだと、思い知らされてきた」

「ここまで来た理由は推し量るべしだろうな。我々を狩りに来たか」

「狩る、などと傲慢なことは言わないとも。貴様らも充分な戦士なのだから」

「なるほど、狩るのではなく、戦いで分からせるか。分不相応と言うものを」

 月光の下で立ち上がったのは金髪のシスターであった。

 長い髪が煌めき、ステンドグラスの色調を吸って妖艶に揺らぐ。

「既に事に当たるに相応して、人払いはできている」

 シスターは一瞥を振り向けていた。

「刀一振りとは、舐められたものだ」

「これでも武人の名折れにならぬよう、鍛えてあるのでな」

「……名を、聞いておくべきか。我々を叩きのめそうと言うのならば」

 氷結した酸素を肺に取り込み、凍えた唇で名を紡ぐ。

「――バルクス。バルクス・ウォーゲイルである」

「世界に散った我々をどうこうしようと言うのは、貴様くらいなものだろう、バルクス・ウォーゲイル。憔悴し切ったこの星で、どう戦い抜くと言うのだ。最早、止めること、叶わぬ」

「止める……か。どこまでも傲岸に成り果てたとして、私にとっては目の前の些末事一つ」

 柄へと指をかける。

 抜刀の姿勢に移ったバルクスへと、金髪のシスターは振り返って嘲笑していた。

「どこで、我々のことを知ったのか、などとは聞かんよ。そちらには叡智の輝きがある」

「……キョムが黙ってはいないだろうな」

「それは元八将陣としての警句か? 刀一本で私を殺しに来たこと、後悔させてやろう」

 金髪のシスターの瞳が黒く濁る。

 赤い瞳孔が揺らめき、直後には獣の挙動を見せていた。

 瞬間的な速度で懐へと肉薄されたバルクスは習い性の感覚で抜刀していたが、「人間」の感覚ではそれは遥かに遅い。

 獣性の膂力がバルクスの巨躯を一撃で吹き飛ばす。

 シスターの細腕が内奥から爆ぜた筋肉で膨れ上がり、服飾を弾けさせていた。

 長椅子へと無様に転がりながら、バルクスは次手を講じる。

 飛びかかってきたシスターへと、今度こそ迷いのない太刀筋を浴びせていた。

 通常ならば片足の一本くらいは断ち切るであろう、刹那の剣術。

 しかしながら、振るわれた刀の峰を蹴って離脱すると言う離れ業によって、その一刀は封じられる。

 バルクスは予め古めかしいコートの内側に着込んでおいた装甲服を起動させていた。

 装甲服はアンヘルの開発せしめたRスーツと同等の能力を発揮する。

 殊に、戦場においては、その一秒が決定的で永劫の意味を持つ。

「……いやに硬いな。人工アルファーを穿った気分だ」

 シスターの口元より棚引く冷気の放射は、怪物じみた様相を呈していた。

 それは彼女がヒトではないという証左そのもの。

「……少し目聡くなっていた程度であったが、ここまで完成されているとなれば、因果は断つ」

「できるのか? 人機も持たないで」

「嘗めないでいただこう。これでも太刀の扱いには自負もある」

 直後、視界の中でシスターが掻き消える。

 固められた手刀が首を刈り落とすその前に、バルクスは判定を下していた。

 懐に隠していた小型の銃を構え、コート越しに相手を撃ち抜く。

「……勝負に定石はない。覚えておけ」

 弾丸は確かにシスターの眉間へと吸い込まれていた。

 血潮を撒き散らし、相手は沈黙する。

 バルクスは今しがた断ち切られかけた喉元をさすっていた。

 ――レイコンマの世界で、殺し合いでは勝敗が決まる。

 それが生物界での摂理の上に成り立つ勝敗であるのならば、なおのこと。

 深く呼吸し、そしてゆっくりと吐くを繰り返す三秒間。

 それは倒れ伏したはずの相手が、再び挙動するまでの三秒間でもあった。

 くらり、と起き上がったシスターの眼窩が赤く染まっている。

 恐れを呼び起こす色を帯びたシスターの眼球が別の生物の如く蠢動した。

 次の瞬間には、教会を粉砕して現れたのは鋼鉄の巨神である。

 ステンドグラスの七色が網膜に焼き付く中で、漆黒の機体が剛腕を振るう。

 破壊の饗宴を目の当たりにしたバルクスは、静かな面持ちでそれを観察していた。

「……噂に聞いていた通り、O・ジャオーガタイプ。禍根は断たなければならない」

「断てるのか? 我々の計画を挫き、貴様らのような人間程度に、“J”の刻印が打ち砕けるものか……!」

 シスターはその手にアルファーを掲げ、哄笑と共に力を行使する。

「やれ! 《O・ジャオーガシン》!」

 携えていた武装はオートタービンではなく、それそのものが質量兵器として価値を持つ巨大なる斬艦刀。

 暴力の権化たる大剣が薙ぎ払われ、教会が打ち壊されていく。

「……これでは一方的に成り下がるな。私の機体を用意して欲しい」

 耳にはめ込んだインコムより通信の声を吹き込んだところで、通話先から呆れ声が返ってくる。

『……やはり決裂、だったでしょう? 最初から、無理なことはやるものではないですよ、隊長』

「……分かっていたのならば少しは止めて欲しかったものだ」

『そうと決めれば聞かないのが隊長ですから。……十秒以内に、直上』

 バルクスは空を仰ぐ。

 凍結し切った異国の夜空を今、一台の輸送ヘリが羽音を散らして切り裂いていた。

 白く澄み渡った月が見下ろす世界で、十秒のカウントダウンが始まる。

「……一……」

 敵性人機がその膂力を発揮してバルクスを叩き潰さんとする。

 人機のパワーとそれに付随する能力に比すれば、刀で武装した自分など羽虫以下だ。

 刃が大上段より打ち下ろされ、教会が吹き飛んでいた。

 逆巻く冷たい風。

 迸る殺意の剣圧。

 バルクスはしかし、習い性の身体を跳び退らせて回避している。

「……四……」

『逃れられるものか!』

 アルファーを翳し、狂気の眼差しに堕ちたシスターが髪を振り乱して人機に命令していた。

 続いて激震の二の太刀が振るわれる。

 暴風圏に居れば、それだけで死の感覚に囚われるのは必然。

 バルクスは刀を鞘に収め、コートをはためかせる。

 塵芥に帰す剣風が襲いかかり、バルクスの命を啄もうとした、一瞬の交錯。

 仰ぎ見ていた。

 殺意の衝動に狂ったシスターの相貌を。

 整っていると言うのに、どこかに内包した狂気を隠し切れない、精緻な芸術品と呼ぶほかないかんばせを。

 そして、仰ぎ見ていたのは何も彼女の冷たい貌だけではない。

「……九……」

 空だ。

 解き放たれ、四肢を押し広げた機体が薙ぎ払われた一閃を受け止める。

「……十秒。ぴったりだな」

『……この機体は……!』

 白い鬼面の眼窩が煌めき、極寒の世界で獣の音叉が押し広がる。

 オートタービンを発動させた自身の愛機――《O・ジャオーガ》が敵機を払い除けていた。

 よろめいた瞬間には、跳躍してその腕に飛び乗っている。

「……確かに。人機の備えもなしは、軽率であったようだ」

 コックピットへと導かれたバルクスは敵対象を睨む。

「それにしても、《O・ジャオーガシン》、罪とは。忌み名を名付けられたものよ」

『砕けろ!』

 相手の機体が挙動し、振るい上げた一撃が《O・ジャオーガ》の躯体を震わせる。

 しかし、剛腕の持ち主なのはこちらも同じ。

「まずは純粋に、力比べと行こうか。同じ鬼を使うのだからな」

『高説を……!』

 敵の太刀筋に迷いはないが、自分も人機に搭乗した以上、迷いは捨て去っている。

 オートタービンに再び熱を通し、振るわれた一閃をその出力で打ち返す。

 火花が散り、凍り付いた世界に一瞬の彩りを与えたのもつかの間。

 刺突の構えを取った相手に、バルクスは《O・ジャオーガ》の腰にマウントされていた小太刀を払っていた。

 自身の操る機体は、誰よりも十全に理解しているつもりだ。

 無論、その弱点でさえも。

 懐に入った《O・ジャオーガ》は、小太刀で敵機へと踏み込んでいた。

 切っ先が血塊炉付近を切り裂く。

「装甲強度をどう設定しようが、《O・ジャオーガ》の排熱機関だけは排除するわけにはいかないはずだ。多重装甲を持つ《O・ジャオーガ》の弱点は血塊炉付近に滞留する熱を逃がすことにある。そこを突かれれば、さしものカスタムタイプであったとしても、無意味」

《O・ジャオーガシン》がよろめき、突き刺さった小太刀による一撃を打ち払っていた。

『……貴様……!』

「戦い抜くのならば潔いほうがいい。今のそちらの機体は損耗している」

『……少し一撃をくれてやったからと言って、そちらの口車に乗ると思っているのか』

「いや、戦場ではそのようなものはまやかしだろうな。だからこそ、問う。貴様は――マージャか? それとも、奴に宿っていたJハーンとやらか?」

 シスターはこちらの詰問に、フッと笑みを浮かべたようであった。

『……どちらでもないとすれば?』

「いずれにしたところで、私の立ち位置は決まっていてね。貴様を断ち切らなければならん。O・ジャオーガタイプで悪事に手を染められては、立ち行かなくなるのでな」

『八将陣であろう、貴様も。だと言うのに、正義の味方の真似事か』

「……かもしれない。所詮は贖い切れぬ、罪の清算でしかないのかもな」

《O・ジャオーガシン》が斬艦刀を担ぎ、再び構えを取る。

 それは退かぬと言う意思表示であったのだろう。

 ならば、こちらも一歩も退かぬ、とバルクスはオートタービンを起動させ、機体を沈めていた。

 ここから先は――単純に技量の勝負。

「……ファントム!」

 神速に掻き消えた機体を捉えられるか、と勝負ごとに挑むが、敵影は機体を逸らし、骨格を軋ませていた。

『……ファントム』

 相手もまた、ファントムの心得を会得している。

 しかも、自分とはまた違う系統の動きで。

 直上に跳ね上がった敵機を知覚し、バルクスは瞬時の戦場の感覚を研ぎ澄ませていた。

 果たして、一秒にも満たない交錯の末に、決着の時が迎えられようとしていた。

 敵の斬艦刀が地面へと鋭く突き刺さる。

 恐らく、一撃離脱を予見しての思い切った刺突であったのだろうが、バルクスはこの時、オートタービンを逆回転させ、自身を軸にして機体を逸らしていた。

 平時ならば辿るであろう、死地を回避し、《O・ジャオーガ》は全くの想定外の動きに入る。

『何だと……!』

「……悪いな。運の作用があったらしい」

 背面に装備していた大太刀を抜刀し、その刃でバルクスは敵の袖口を叩き斬る。

 斬艦刀を装備していた敵機が、そのまま重力に負けたように大地へと落下する瞬間。

狙い澄ました太刀による刺突を打ち込んでいた。

 血塊炉が完全にダウンする。

 漆黒の《O・ジャオーガ》は命の灯火を掻き消され、雪の降り積もる街頭に没していた。

「……私の……勝ちだ」

『……このような偶発的な勝利があるなど……』

「勝利とは、偶然でも必然でも構わない。ただ、諦めなかった者の手繰り寄せた結果論だ」

『……諦めなかった、か』

 バルクスは突き刺した姿勢のまま、コックピットに収まっているはずのシスターに問い質す。

「……質問がまだだったな。この黒い《O・ジャオーガ》はキョムの手の物か」

『何故、そうだと思う』

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