JINKI 216 凍てついた街より

「キョムくらいしか、私の評価を下げて得をするような人間が居るとも思えない。いや、これも思い上がりか。ただ単にO・ジャオーガタイプのテストをしたかっただけかもしれないからな」

『……言っておこう。キョムではない。もっと別の存在だ。最初に言っただろう? 我々は最早、世界に散っていると。既に手遅れなのだよ。“J”は目覚める。その時をただ、貴様らは指をくわえて待つしかあるまい』

「……その質問もまだだったな。“J”の刻印、その名を持つものを、私は一名だけ知っている。グリムの尖兵、彼の村の出身者。名を、Jハーン。貴様の濁った眼差しは奴と同じものを感じさせた」

『なに、答えは直に、出るさ……。それも最悪の形でだろうな』

 その時、首裏を粟立たせた殺気の感覚に、バルクスは咄嗟に機体を反転させて叩き落とす。

「……ダガーナイフ? この攻撃手段は……!」

 凍て付いた月明かりの下、三機の《バーゴイル》を伴わせている黒い影の主は――。

「……まさか、《ダークシュナイガー》……? だが《ダークシュナイガー》は破壊されたはずだ……!」

 照準が成される。

 瞬間的に飛び退る機動を取らせた《O・ジャオーガ》に、しまった、と悔恨が滲んだのは既に遅い。

《ダークシュナイガー》が狙っていたのは叩き伏せた《O・ジャオーガシン》であった。

 無数の銃口が開き、重火力が機体を爆ぜさせ、弾丸の雨嵐が叩き込まれている。

「アルベリッヒレインか……! そこの操主、聞こえているのならば、返事をしろ! 貴様は何故、私の模倣を――!」

『……さぁ、な。何故、なのだろう、な……』

 燃え盛る獄炎に焼かれた《O・ジャオーガシン》の躯体が弾け飛ぶ。

 その証さえも奪った相手へと、バルクスは睨む眼差しを向けていた。

「……貴様は、何なのだ……。どのような目的で……!」

 こちらの追及をかわすように、《ダークシュナイガー》は飛翔していく。

 三機の《バーゴイル》が代わりのように火線を散らしてきたが、どれもこれも自律型であるのか、先ほど対峙した操主に比べれば鈍いばかりだ。

「……遅い!」

 大太刀を投擲して一機の頭蓋を砕き、オートタービンの風圧で銃剣を向けてきたもう一機を叩き落とす。

 最後の一機は街ごと破壊工作に打って出ようと言うのか、距離を取ってプレッシャーライフルを引き絞ろうとしていたが、その時には青い翼を広げた友軍機の《バーゴイル》が相手の真上を取っていた。

 敵機が勘付いた刹那に実弾が突き刺さり、《バーゴイル》は街中へと墜落する。

『隊長、あまりに独断専行、何かあったらどうするんですか』

「ああ、過ぎた行動だっただろうな。……しかし、奴は……いや、奴は死んだはず。そもそも、マージャに宿っていた怨念に過ぎない。だが、先ほどの操主は言っていた。“J”の復活……」

『隊長? 言っておきますけれど、一市街を丸ごと封鎖するなんて、そうそうできないんですからね』

 アルベリッヒレインの高火力を前に、塵芥に消えた自分と同じ人機を操る操主へと、バルクスは静かに瞑目していた。

「……救えた命かも知れなかったわけか」

『隊長?』

「……いいや、何でもない。あまりに時間をかければキョムの実行部隊がやってくる。すぐにでも……立ち去るべきなのだろうな」

『それに関してはご心配なく。シャンデリアの光が来るにしては、もう随分と戦闘時間が経っています。追撃はないかと』

 数機の青い《バーゴイル》が降り立ち、自分の《O・ジャオーガ》へと肩を貸す。

「……この街も終いか」

 先ほどから降っている雪は、白色ではない。

 黒く濁ったロストライフの雪だ。

『……街があるだけ、まだマシなんだって思うべきなんでしょうね。けれど……ロストライフ化した地平で、隊長と同じ《O・ジャオーガ》を使うなんて、どういう理屈だったんでしょうか』

「私の邪魔をしたかっただけかもしれんし、あるいは少しは矜持でもあったのかもしれない。《O・ジャオーガ》……鬼の機体を操ると言うのならば」

 白い装甲へと黒の雪が降り積もっていく。

 朽ち果てた街並みへと目線を添わせ、バルクスはコックピットから這い出る。

「……少し……終わったはずの街の空気でも、吸いたくなった」

『……援軍も追いつきます。コーヒーブレイクにしましょうか』

「……そう言えるだけの余裕があれば、まだ楽だと……思うべきなのだろうな」

 よっと、と《バーゴイル》のコックピットから降り立った腹心の部下であるアイリスは、用意周到でコーヒーメーカーを携えている。

「それにしたって……終わりの淵ってのはいつだって似たようなものですね」

「案外、こういった機微は似たり寄ったりなのかもな。ロストライフ……黒の波動による、世界終焉までのカウントダウンか」

「終わる世界でも、コーヒーだけは同じ美味しさで居て欲しいですよ、っと」

 金属製のコップに注がれた黒々とした液体へと視線を落とし、バルクスは呟く。

「……私は無為なことに人生を費やしているのかもしれないな」

「何です、今さら。キョムに立ち向かうって決めた時点でもう充分に蛮勇でしょう」

「……それだけでは、ないような気さえもしてくる。先ほど《バーゴイル》を率いていた相手は確かに……」

 いや、それも自分の見間違いであって欲しい。

 Jハーン、あるいはマージャへと復活の兆しがあるとすれば、それは――。

「それにしたって、景色悪いですねぇ、ここ。黒い雪なんて綺麗でも何でもないですよ」

 文句を垂れながらコーヒーをすすったアイリスに、バルクスは僅かに救われた気分であった。

「……世界が終わっても、コーヒーだけは旨く、か。それには同意だな」

 熱いだけの液体を喉へと流し込み、今しがたの戦闘の緊張で凝り固まった筋肉をじわりとほぐす。

 間もなくやってきた後方部隊へと、アイリスがサインを振るのをバルクスは視界に入れつつ、終末の景観に染まった街並みを俯瞰していた。

 ヒトも、草木も、何もかもを消し去るだけの恩讐。

 人間から生じた恨みが、世界の地図を書き換えるなどあっていいものか。

 その私怨の行く先が全人類の破滅であろうとも、自分はその先に向かって賽を投げ続けるしかない。

 それこそが――白き鬼を操り続けるのだと決めた、男の信念だ。

「……黒将。あなたはこの世の終わりを望んでいた。だが、終わりとはこうも呆気なく、そしてこうもどうしようもない。人間の存在を否定し、そして滅びの末に本能だけが生きる世界があると、あなたは説いていたな。だが、本能で人間は自らを総べられるほど……できてはいないのだ。草木でさえも枯らす、死の雪を降らせるあなたは……今は、何を思って……」

 黒の男の描いていた終末像は誰にも分からないのかもしれない。

 たとえ八将陣として、一度は理念に賛同した者であっても、彼の者の胸中を知る者は、誰一人として――。

 だからこそ、災厄の担い手として黒将は絶対的であった。

 その在り方に焦がれたのも嘘ではない。

 バルクスは焼失した機体の痕跡を窺う。

 自分と同じように、何かの意志に焦がれ、そして身を滅ぼすまで戦い抜いた。

 それはその先に待つ光を信じての行動であったのだろうか、それとも。

 黒き雪がカップのコーヒーに溶け込む。

 それだけで致死量に相当する命を蝕む毒素だ。

「……せっかくのコーヒーが……冷めてしまったな」

 流し捨ててから、コックピットへと戻ろうとしたバルクスへとアイリスが声にする。

「隊長。でも、私はこんな終わりの世界でも……それでも美しく見えちゃうんですよね……。ヒトの介在を許さない、死の雪が降っているって言うのに。その光景でも、ちょっとは救いみたいなの、求めちゃうんですよ」

「……いや。骸にさえも意味を見出すのが人間だ。だから、破滅的な願望に光を見出すのも……何も間違いではない。間違いでは……なかったはずなのだからな」

「……うぅー、寒っ。後方支援の部隊には長居しないように通告しますね」

 襟元を立てて防寒着を着込んだアイリスへと、バルクスは淡白に応じていた。

「ああ。……それでも生きるのが、生きたいと願うのが、ヒトなのだろうからな。黒将、私はあなたの理想とは正反対を行く、偽善者かもしれない。だがな、あなたの唱えた人間の悪性を、ただただ闇雲に信奉するのは……そこまで思い切るのはできそうにないのだ」

 バルクスは《O・ジャオーガ》のコックピットに乗り込む前に、夜空を仰いでいた。

 凍て付いた夜の月が、白く輝いて罪深き自分たちを照らし出す。

 禊の月明かりだ、と胸中に呟いて、彼は人機へと戻っていた。

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