「……とは言ったってあんた、別にやろうと思えば何でもできるでしょうが。わざわざしっかりとした服が着たいってのもなんて言うのか……心境の変化なのかしらね」
「だってさー、さつきとルイも……それに赤緒だってズルいんだよ? ボクだけ物持ちがないってのもそれはないでしょ」
そこにズルいだの何だの言い出すのはさすがにどうなのかと思ったが南は言い出さないでおく。
「……でも意外ね。あんたもわざわざこうして……真っ当な服を着たいなんて。それも何かあったって思うべきなのかしら」
「別にいいじゃんか。これくらいの子はみんな通ってるでしょ?」
「いや、そりゃそうなんだけれど、あんたIQ300の天才少女……」
エルニィは少し不貞腐れたように、ふんと鼻を鳴らす。
「あのさ、ファッションの勉強だとかは別に重要じゃないじゃん。着るって言う、そういう姿勢って言うかさ」
「……まぁ、いいけれど。じゃあなおさら制服なんじゃないの? 何でわざわざあんたの私服見繕わなくっちゃいけないのよ」
「……だってぇー、変化がないとつまんないよ。制服の上に白衣着るだけじゃ、やっぱりこうバリエーションって言うのかな」
「……あら、意外。あんたもそういうのに考え自体はあるのね」
そう返してやると、エルニィはむくれて応じていた。
「……か、勘違いしないでよ。ボクは別に、目先のファッションなんてどうだっていいんだ。けれど、やっぱせっかくさ……南に奢ってもらうんだから、それなりのものじゃないと」
南はエルニィがこうしてファッションに気を遣うように少しでも考えが向いた原因を思い返す。
そういえば最近、やたらとファッション誌を捲っていたな、という印象はあった。
メルJがモデル仕事を始めたのと同期して、柊神社にファッション雑誌が持ち込まれたのは近頃の話だ。
ルイが最初のほうは面白がって読んでいたものの、すぐに興味を失ったのか、最近では購読しているのはもっぱら赤緒である。
「……ルイもいっつも同じ格好してないで、何か他のも着なさいって言ってるんだけれどねー」
「ルイはあれでしょ? ルーティンワークが好きだから」
肩を竦めたエルニィに否定はし切れず、南は嘆息をつく。
「我が娘ながら、猫とじゃれ合っているほうが性に合っているなんて、ちょっと嘆かわしいわよ、正直……。で? あんたは欲しい服の方向性とかあるの?」
「それはー……行ってみないと分かんないかな」
こうして自分を駆り出して服を買って欲しいと言われた理由を、南はぼんやりと思い出していた。
「――えっ……こんなのほとんど着てないのと同じじゃ……」
居間でファッション誌を読みふける赤緒へと、南は湯飲みを片手にテーブルを挟んでいた。
「あっ、赤緒さん。そのファッション誌、この間メルJが載っていた……」
「南さん。そうなんですよ、ヴァネットさん、すごいですよね。もう立派なモデルさんみたいな感じで……」
赤緒はぺらりとページを捲りながら、ここ最近のトレンド、と大きく書かれた特集を凝視していた。
「……赤緒さんもそういうの、興味あるんだ? おっ、茶柱」
湯飲みを覗き込んだ自分へと、赤緒はまぁ、と曖昧に応じていた。
「その、お仕事上、巫女服着るほうがやっぱり多いですけれど……その、女子なので……」
「赤緒さん、その服何着持ってるの? 結構着古しているわよね?」
「あっ、五郎さんがいつも作ってくださるので……」
「作って……って、五郎さん、裁縫もできるの?」
思わぬ多才さに驚嘆すると、赤緒は何でもないように応じていた。
「ええ。五郎さん、私が神社のお仕事を担当するようになるまでは何でもやっておられたので。服飾の一つや二つはぱぱっと」
感心し切って、南はせんべいを頬張る。
「はぁー、よくやるわよね、あの人も。けれどまぁ、ある意味じゃ納得か。器用だもんね、五郎さん」
「そうなんですよ。お料理もすごい得意ですし、家事は何でも五郎さんから教わったんですよ」
「さつきちゃんもそう言えば旅館でずっと働いていたから、って言っていたっけ。何だかみんな手に職つけているわねぇ」
「南ー、ここにパソコン置いていい? ちょっと回線が弱くってさー」
パソコンの筐体を運び込んできたエルニィに、南は頷いてからテーブルの一部を貸す。
「それにしたって、服まで作っちゃうかぁー。こうなってくると、女子としての実力もな何だか五郎さんに負けている気もするわ」
「南さん、南米では色々やってきたんじゃなかったでしたっけ? ルイさんとは……」
「あー、うん。まぁ、けれどサバイバルよ、ほとんど。南米じゃ、明日のご飯も困っていたからねー。たとえば……だけれど、罠とか作ってそれで狩りみたいな真似もしたり……」
カナイマアンヘル所属時のことを思い返すが、赤緒は思わぬ言葉に少し戸惑っているようであった。
「か、狩り……? 原始人じゃないんですから……」
「いやー、けれど結構、本格よ? 何でも食べたからねー、私もルイも」
「……立花さんも?」
「何言ってんのさ。南の言うの、カナイマの話でしょ。ボクはブラジル、リオデジャネイロ出身、都会っ子だよ?」
てきぱきとメールの本文を打っている中で、エルニィは赤緒の質問に応じていた。
「……じゃあ結構、同じアンヘルって言っても違うんですね」
「そうねー。ブラジル出身のエルニィは、ちょっと違うかも」
「えっとー、ブラジルってことは、カーニバルとか?」
「そうそう、カーニバル。いやー、よくいい汗掻いたなー」
エルニィは目線をパソコンの画面から外さずに返答したので、赤緒はぼんやりと答えていた。
「けれど立花さんが……カーニバル? あれって結構派手ですよね? ちょうど、こんな感じに……」
ファッション誌をこちらに向けた赤緒に、南は首肯していた。
水着グラビアが見開きで掲載されており、メルJではないものの露出は高い。
「まぁ、こんな感じに……なるのかしらねぇ。私はあんまりブラジルのほうには出張しなかったから疎いけれど」
「言っておくけれど、カーニバルのあれは正装だからね? ヘンに露出が高いとかそういうのとは勘違いしないでよ」
じとっと目線を向けたエルニィに赤緒は少し戸惑ったようであった。
「わ、分かってますってば……。別に文化をどうこう言うつもりはなくって……。ただ、これってほとんど裸みたいで……私はできないかも……」
先細り気味になっていった赤緒の声音に、南は渋い茶をすすりながら応じる。
「ちょっと過激っちゃ過激だからねー。けれどまぁ、赤緒さん、案外似合うんじゃない? スタイルもいいし、何なら色々試すのもありかもね。だっていつもその巫女衣装でしょう?」
「……えっと、変……ですかね?」
「いや、似合っているからいいけれど、たまには羽目を外して、さ。せっかくファッション雑誌を読んでいるんだし、色々試してみたら?」
「い、色々……ですか」
「だって、若いうちじゃないとできないカッコもあるでしょ? そういうのって貴重な経験だと思うけれどね」
「……ま、南はもう若くないもんねー」
エルニィの言い分に南はこつんと小突いてから、赤緒がぼそぼそとファッション誌の服飾を眺めて呟くのを聞いていた。
「けれどその……似合うのかなぁ……って。だって私……ファッションモデルさんとかじゃないし」
「けれどモデル業していたじゃない」
「あれって南が着せたんでしょ? それ、ノーカンじゃん」
「いや……自分でも似合う似合わないとか……よく分かんないですし」
何だか放ってはおけない気がして、南はファッション誌を覗き見ていた。
「へぇー、こっちじゃこういうのが流行ってるのねー。けれど、まぁ、流行は一巡するって言うし、案外、私が着ていたみたいなのもあるかも」
「南さん、向こうじゃどういう格好を?」
「どういうって……」
カナイマ時代の自分の格好を振り返るが、基本的に着られればそれでいいという主張であったので、よくよく考えれば赤緒の現状とさほど差はない。
「……あっ、えーっと……ま、まぁ、色々よ!」
「それ、絶対マトモじゃなかった奴だよね。いいのー? 赤緒、南なんかにファッション指南なんて受けてさ。ヘンなカッコに目覚めちゃわない?」
「あんた……失礼言ってくれちゃってー。私だってこれでもフォーマルな場ではフォーマルな格好をねぇ……」
腕を組んで憮然とすると、エルニィは手を振っていた。
「この場じゃ、一番ファッションとか言ってるの、案外ボクかもねー」
その言葉には赤緒と南は互いの顔を見合わせてきょとんとしてしまう。
「……何? 変なこと言ってないよ?」
「いや、だってあんた……年中同じカッコだし……」
「立花さんは……別にファションとかじゃなくないですか?」
自分たちの意見がどう言う風にエルニィの中で作用したのかは不明だが、彼女はメール作業を中断して立ち上がっていた。
「……まさかボクより、赤緒のほうがファッションに詳しいって言うの?」
「い、いえ……っ! そういうわけじゃ……。でも、ファッションとか言い出すほどじゃないんじゃ……」
「むかっ……! 赤緒、そのカッコでボクを下に見ていたってわけ? じゃあ、この機会だ! ハッキリさせようじゃんか。ボクのほうが赤緒よりもそういうセンスあるってのを!」
「ど、どうやってですか……?」
「どうやってって……じゃあこうしよう。これから服を買ってきて、センスあったほうが優勝。これなら文句ないでしょ?」
「け、けれど同じ場所で買っちゃうと……分かんないんじゃ……」
「じゃあ違う場所ね。赤緒は……まぁ、柊神社の財布握ってるし、予算は五千円で行こう」
「立花さんの予算は……?」
エルニィの視線が自ずと自分に向いたのを直感し、南は立ち上がる。
「あー、そういえば私も仕事あったんだったわ。戻らないと」
わざとらしく咳払いをした自分の首筋をエルニィがむんずと掴む。
「南だって無関係じゃないでしょ。ボクの予算係、なってよね」
「えー……あんた、私服を経費で落とそうっての?」
「だってこうなったんじゃ仕方ないじゃんか。それに、ボクだってそう言われたままじゃ、気持ちよく仕事もできないしー。ここは売られた喧嘩は買うっきゃないでしょ!」
「け、喧嘩……? そんなつもりで言ったんじゃ……」
「いーや! 言ったね! 赤緒も年中同じ服なんだし、条件は同じはず! これなら、同列でしょ!」
「ねぇ、エルニィ。何だか面倒くさいことになっているわよ? やめなさいってば、噛み付くのは」
「ボクだって、ファッションの一つや二つ、分かってるんだからねっ。赤緒に言われちゃうと、そりゃー、面子も立たないって言うか……」
要は対抗意識を燃やしているのだろうが、自分まで火の粉がかかるとなれば別の話だ。
「そ、その……別に私、立花さんと喧嘩したいわけじゃ……」
「とにかく! 服屋行って、二時間後……そうだな、みんなが帰ってくる頃合いに勝負決めようじゃんか! いいよね? 南!」
何だかこう言い出すと聞かないのは知っていたので、南はげんなりとする。
「……巻き込まれちゃっているわねぇ、私……」
「――あんた、とは言え、よ? 赤緒さんだって悪気があったわけじゃないくらいは分かるでしょ?」
採寸を終え、エルニィはボトムズを物色していた。
「だって、だってさ……赤緒だけ先に行こうとするの……ちょっとズルいじゃん……」
どうやらエルニィは赤緒にファッションの面で先を行かれるのは納得いっていないらしい。
「あんたねぇ……そういうのは年頃ってのもあるんだし、赤緒さんくらいの年齢になれば女子は誰だって興味持つわよ。それを……あーだこーだ言って、トラブルに巻き込むのも違うんじゃないの?」
「……うーん……分かっちゃいるんだよ? 分かっちゃね? 別に赤緒に悪意はないことくらいは……。ただ、ああやってファッション誌を熟読している赤緒を見ると……何だかなー、もやもやするって言うか、むしゃくしゃするって言うか……」
「それって、エルニィ。結局のところ……」
――置いて行かれる気分なのだろう、と言おうとしてエルニィは何個か候補を翳していた。
「南、どれが似合うと思う?」
「どれって……どれも……」
濁したのは平時の彼女が穿いているのとほとんど変わらないラインナップであったせいだろう。
「……今、どれも同じじゃんって思ったでしょ?」
読み取られて、南は視線を泳がせる。
「い、いや、そんなことは……」
「もうっ、南も分かりやすいんだからなぁ。ボクと南の仲で今さら隠し事なんて意味ないでしょ」
「……じゃあ言わせてもらうけれど、あんた、それほとんどジャンル的には同じでしょ。もっと違うので冒険しないと、赤緒さん、審美眼を養っているんだから、きっと負けちゃうわよ?」
「でもボク……その、すーすーするのとかあんまり……得意じゃないし」
「すーすー……ってスカートのことか。制服はいいって言っていたじゃないの」
「制服はあれだよ。フォーマルな格好じゃん。それとこれとは別でしょー? 第一、競う部分が違うし」
どうやらエルニィの頭の中ではスカートは特別な場だけのものと言う認識らしい。
「ああ、じゃあそれを逆手に取って……ここでスカートを選ぶのはどう?」
「……南、ボクがスカートなんて好んで穿いたらどう思う?」
「遂に気が狂ったかって思うわね」
正直なところを口にすると、エルニィはがっくりと肩を落とす。
「……そうじゃん。分かってて言ってるでしょ」
「け、けれどそう! ファッションは冒険! 冒険じゃないの! あんたがスカート穿いて……それで髪型、そう髪型とかに気を遣えば! きっとみんなの目も変わると思うわ」
「そうかなぁ……。ってか、髪型? えーっ、髪いじるの……?」
「あんたも似たようなもんでしょ。髪型ずっとそうじゃないの」
「これはちょうどいいからこうしてるんであってー……合理性に基づいた髪型だから、これを変えるのは非合理だよ」
南は嘆息をつく。
何だかんだで理由を付けて変えたがらないのはエルニィも結局のところ同じなのだ。
「じゃあ、赤緒さんに負けてもいいのね?」
「ば……っ! 負けるわけないでしょ! ファッション覚えたての赤緒に負けてらんないよ!」
「じゃあ少なくとも私の言う通りにはしてもらうわよ、エルニィ。何だかんだでお金出すの、私だし」
事ここに至ると、せっかく金を出させられるのだ。
ならばコーディネートに少しばかり口を出しても罰は当たらないだろう。
「……ま、待ってよ、南。なに、もしかしてちょっとキレてる……?」
「せっかくのお昼休憩をあんたに連れ出されてこうしているのだもの……。こっちの要求には従ってもらうわよ……」
悲鳴を上げるエルニィをひらひらしたスカートやその他の服飾と共に試着室に放り込み、南は待ち構える。
「うぇ……っ? こんなの似合うわけ……絶対ヘンじゃん……」
「つべこべ言わない! ほら、一枚目!」
無理やりカーテンを取り払うと、そこに佇んでいたのは――。
「驚いた。あんた……案外こういうの似合うのねぇ……」
思わずため息が漏れる。
黒と白のふりふりのゴスロリ衣装に身を纏い、髪型も印象をチェンジするためにリボンで留めている。
「ぜ、絶対におかしいし! こんなので帰ったら頭がバカになったと思われる……」
「いいから! はい、次ね!」
次の衣装を突っ込んで試着室から漏れ聞こえる声を南は聞いていた。
「……う、うわっ……こんなの……見えちゃうじゃんかぁ……」
「はい、着たわね」