JINKI 223 アルマジロな御朱印

 胡乱そうな眼差しを向けていると、さつきは誤魔化し切れないと感じたのか、ドッグフードの袋を手に取る。

「その、ね……? この間、次郎さん、来たでしょ?」

「おぉ、アルマジロの歩間次郎な。懐かしいメンツがトーキョーアンヘルでも揃ってきたもんだ。……って言うか、カナイマの連中、あいつを送ってくる余裕があるんならもうちょっと補給物資をだな……」

 こちらが少しきつい物言いになったところでさつきは微笑む。

「……何だよ」

「ううん。何だか次郎さんが来てくれて、お兄ちゃん、ちょっと嬉しそうだったから」

「嬉し……いいや、嬉しい、のか? あいつ、まぁ長い付き合いだからな。そんじゃそこいらの人間よか、よっぽどかもしれねぇ」

 そもそも、いつの間にかルイが飼い始めたところに端を発するのだが、それでもブラジルまでの密航路や様々な部分での交流は大きい。

 ある意味では日本で合流した者たちよりも、よっぽどの仲だったのかもしれない。

「次郎さん、賢いから。お兄ちゃんもきっと、仲良しなんだね」

「仲良し……って、そういう間柄ってのも変っちゃ変なんだがな。ただまぁ、その辺に居る犬猫よか、賢いのもあるのかもしれねぇし」

「そうだよね。次郎さん、こっちの言葉が分かっているみたいなところあるから。……まぁ、だからその、せめて普段食べるものだけでも……と思ったんだけれど」

「何かあったのか? 黄坂のガキとか、あるいは立花か」

「あっ、分かっちゃう……のかな。その、ね? 次郎さん、とっても賢いし、何でも分かっちゃうみたいだからその……私なりに仲良くしたいんだけれど……」

 濁したさつきはドッグフードの値段を凝視して首を傾げる。

 そういえば柊神社はペット禁止であったはずだ。

「あの強情な柊がギリギリ許可したのがアルマジロってのも、随分と妙な話だな」

「赤緒さんはでも、少しくらいは歩み寄ろうとしてくださっているみたいで。それでも次郎さん、ルイさんに懐いているから」

「……んで、さつきは歩間次郎の餌付けでも考えてるってわけか?」

「え、餌付けなんて……けれど……うん、そうなのかも。私もその……次郎さんと仲良くなりたいんだけれど……」

 一筋縄ではいかない、というわけだろう。

「……話なら聞くぜ。って言うか、それくれぇしかできないからな」

「あっ、じゃあその……次郎さんのね、スタンプラリーを集めているの」

「スタンプラリーぃ?」

 さつきの放った言葉が想定外であったせいか、素っ頓狂な声を出してしまう。

「あっ、なんて言うか、厳密には違うんだけれど……次郎さんの貴重な……ポイントって言うのかな……」

「おいおい、そんなこと言い出す奴ぁ……あ、居るな」

 居ないと断言しかけて、トーキョーアンヘルには二名ほどそういうことを言い出す人間が居ることに気付く。

「……うん、考えている通り、ルイさんと立花さんが言い出して……次郎さんスタンプ……」

「……どういうことなのか、一応は説明を聞こうじゃねぇの」

「うん、最初はその、御朱印ってあるでしょう? 神社とかを参拝した時に貰える、特別な印みたいなの……」

「ああ、そういや日本にゃそういう文化があるんだったか。オレも日本に居るの長くねぇからいまいちそういうのには詳しかねぇんだが、柊が練習しているのを見たことがあるな」

「それで……柊神社の御朱印に、その、使おうってなって」

「……何をだよ?」

「次郎さんの、前足を御朱印に……」

 これは――聞き始めれば複雑な気がして両兵は唾を飲み下していた。

「――あーっ! 立花さん! 何やってるんですか!」

「ヤベッ、赤緒だ。小動物ーっ! 逃げるよー!」

 竹箒を掲げて赤緒がエルニィを追いかけ回す光景にも慣れたもので、さつきは洗濯物を干しつつ、それを視界に入れていた。

 不意にエルニィが目線を振り向けて手の中にある次郎を放り投げる。

「さつき、パス」

「えっ……わわわっ……!」

 エルニィの手から離れた次郎を何とか受け止めたが、思ったよりもアルマジロの体重は重い。

 そのまま重さに負けて姿勢を崩したところで、さつきは割烹着に付着した朱色の色彩を目にしていた。

「あれ? 何これ、次郎さんの……前足に?」

「あーあ! こんなにしちゃってぇー、小動物ってばお茶目だなぁ!」

 自分の行動を棚に上げてのエルニィの発言に赤緒がむんずとその首根っこを掴み上げる。

「誰のせいなんですか、まったくもう……。それにしたって、さつきちゃん、大丈夫? いつもの服、汚れちゃったけれど……」

「あっ、替えはあるので大丈夫ですけれど……立花さん、これって一体……?」

「ふっふっふー! 聞いて驚け! ボクってば新しいビジネスチャンスを物にしちゃおうと思ってさ!」

「……ビジネスチャンス?」

 怪訝そうに問い返すと、エルニィの取り出したのは御朱印帳であった。

「日本の神社仏閣にはこういうのがあるって言うじゃん? 御朱印……とか言うの。これってさ、言っちゃえばスタンプラリーだよね」

「……まぁ、厳密なところで言うともうちょっと意味はありますけれど、確かにスタンプラリーと言えなくも……ないのかな……?」

 首をひねる赤緒にエルニィは次郎の前足を利用して作った御朱印を掲げていた。

「これ! 日本各地と言え、アルマジロに御朱印させるのは柊神社だけだよ! これってビジネスチャンスじゃない?」

 確かに次郎の前足に朱肉を乗せて象ったものに、それっぽい文字列が並んでいる。

「……むぅ、私がせっかく、五郎さんから教わった御朱印を、こんなところで崩さないでくださいよ」

 むくれる赤緒にエルニィは取り成す。

「悪い悪い! けれど、さ、これってばオンリーワンじゃないかな? もしかすると……全国各地から、ありがたーいものとかを期待して、参拝客が来て柊神社の財政はうなぎ上り……!」

「ないですよ。ないない。第一、これってほとんど次郎さんの功績じゃないですか。そういうの横から掠め取るの、ズルいって言うんですよ」

「ズルくないもん。考えたもん勝ちでしょー? それに、赤緒の御朱印の練習に比べればねぇ」

 エルニィは赤緒が日夜練習している御朱印のノートを差し出して自分のと比べてみせる。

 赤緒はいつの間に、と当惑していた。

「……立花さん?」

「赤緒はまだ見習い巫女さんみたいなもんでしょ? それなら、せっかくだしインパクトのあることをしたほうが、柊神社のためだと思うなぁ」

「……それが浅い考えだって言うんですよ。第一、アルマジロって……神社に相応しいんですか?」

「うわっ、出たよ、赤緒のペット嫌い……。南が許可したんだからいいじゃんかー」

「べ、別にペットが嫌いなわけでは……。許可するとルイさんが何匹でも猫を連れて来ちゃうじゃないですかぁ……」

「それはそうだね。ルイってば猫好きだからなぁ」

 さつきは抱えた次郎のつぶらな瞳を見返す。

 どうやら次郎自身はさほど抵抗の意思はないらしい。

「……それにしても、大人しいですよね。アルマジロってこうなのかなぁ……」

「あー、うん。だって小動物ってボクが蹴った時もきっちりボールになってくれたし」

「け、蹴った?」

 エルニィの言葉に二人して顔を見合わせると、彼女も失言だと感じたらしい。

「あっ、そういうの問題だっけ? ……けれどまぁ、嫌がってないんだしいいじゃん」

「嫌がってないって……次郎さんの言葉が分かるんですか?」

「そういうの作ったっていいけれど、まぁ、小動物にはそんなの要らないでしょ? ボクらの言いたいこと、何となく分かってる感じだし。……少なくとも赤緒よりかは賢いかな?」

「……立花さん?」

 竹箒を握り締めた赤緒に対し、エルニィは飄々としてその手を掻い潜っていく。

 さつきは次郎の前足をさすってやると、割と強めに握り返されていた。

「わわっ……賢いなぁ……握手できるんだ」

「でしょー? 小動物ってば、結構知的なんだよね」

 赤緒に取り押さえられながら口にしたエルニィに、さつきは何度か芸を試していた。

「えっと、お手……おすわり……」

 ぽんと掌にお手をしたかと思うと、直後には身体を縮こまらせておすわりをする。

「……ルイが仕込んだんだろうねぇ。結構、何でもやってくれるよ? それこそ、御朱印くらいはぱぱっと」

「……立花さん、お金儲けは駄目ですよ。次郎さんを使ってなんて、より性質が悪いです」

「えーっ! いいアイデアだと思ったんだけれどなぁ。大体、赤緒ってばこれも駄目あれも駄目って、それじゃ柊神社潰れちゃうよ?」

「柊神社は正しい心で成り立っていますので大丈夫ですよ」

「そうかなぁ? ……ま、どっちにしたって、有名になる時ってのは、意外にも想定外の時だったりするもんだからねー」

 この時エルニィが呟いたのを、もう少し重要視していれば、こうはならなかったかもしれない、とさつきは後々感じていた。

「――あれ? ルイさん? 朝早いんですね」

 自分が起きるのは早朝五時と決まっているのだが、それよりも早くルイは玄関先から入って来たので呼び止めると、びくっとその肩が硬直する。

「……な、何だ、さつきか。脅かさないでよ」

「別に脅かしてなんて……って、何で次郎さん?」

 ルイの抱えた次郎には赤いロープが胴体に繋がれている。

「散歩よ、朝の散歩」

「……アルマジロって散歩が必要なんですか?」

「知らないわよ、環境が違うもの。けれど、それなりに運動させないと駄目じゃないの?」

「……それは……まぁそうかもですけれど……あれ? 怪我してません?」

 次郎の前足が赤く汚れているように映ったのでさつきが歩み寄ると、ルイは咄嗟に次郎を抱え上げていた。

「……ルイさん?」

「……何でもないのよ、何でも」

「じゃあ診せてくださいよ。怪我かもしれないじゃないですか」

「怪我じゃないわよ。ちょっと散歩した程度なんだし」

 さつきが訝しんでいると、二階から降りてきたエルニィが寝ぼけ眼を擦りながらルイを認めていた。

「あれ、ルイじゃん。何でこんな朝早くに……ああ、バイトか」

「……バイト?」

 さつきが聞き留めたその時には、二人してまずかったのだと判じたのだろう。

 大慌てで誤魔化しにかかっていた。

「あ、いや違っ……ば、バイクとか取っちゃうんじゃないかなー、って……」

「ルイさん? 次郎さんを使ってもしかして……何かしてるんじゃ? 立花さんも関係して……?」

 露見するのも時間の問題だと考えたのだろう。

 エルニィの側から、事態の説明が入っていた。

「……赤緒には内緒にして欲しいんだけれど……小動物を使って、ちょっと小遣い稼ぎを、って思ってさ……。ほら、この間御朱印とかやってたじゃん」

「あ、はい。けれど、それが?」

「アルマジロって想像以上に日本じゃ珍しいらしくってさ。朝方っておじいちゃんおばあちゃんが散歩とかしてるから、こっちから出張の御朱印帳を、ってね。何回か……」

 最早、隠し立ては不可能だとルイも判断したのか、抱えていた次郎を降ろす。

 前足に付いていたのは朱肉の色であった。

「……つまり、御朱印帳に味を占めて、それでお金を……ってことですよね?」

「悪気はないんだよ! 悪気ってのはさ! ……ただまぁ、せっかくのビジネスチャンス、逃すのもなぁって……」

「これ、赤緒さんにバレたら……」

「だから言ってるんじゃん。さつきは、さ、小動物の御朱印帳、欲しくない?」

「そ、それは……」

 いけない、これは悪い道に誘惑されている、と思いつつも、こちらの思惑を読んだようにルイがぺらりと御朱印を差し出す。

「こちら、一枚百円。霊験あらたかなありがたい御朱印よ」

「まぁ、さすがにさつきには売らないよ。ただ、これがバレちゃうともう商売になんないからさ。最後に一枚、さつきだけの……欲しくない?」

「そ、そう言われてしまうと……」

 アルマジロの前足の限定御朱印――と言われれば少しだけ後ろ髪引かれてしまう。

 こちらの隙をルイとエルニィは察したのだろう。

 すぐさま籠絡にかかっていた。

「頼むよー! さつき! このとーり!」

「私からも、頼むわ。これで駄菓子にしばらくは困らなさそうだから」

「ルイってば、出てる! 欲望出てるってば!」

 エルニィに制され、ルイはよそ行き用の文句を口にする。

「……こほん。エサ代にしているのよ、一応はね」

「これ、嘘じゃないからね! 小動物ってば何でも食べるから、一部はエサ代にしているのは間違いじゃないし」

「……けれど一部……なんですよね?」

「だからさー、頼むってばぁー……。さつきも柊神社の財布の紐を握っている数少ない人間の一人じゃんかぁー。これでお小遣いに制限が出たら……来月の新作ゲーム買えないし……」

 結局のところ、二人して儲け話に欲が出ていたということなのだろう。

 本来ならば赤緒へと報告、その後に然るべき罰を与えるところだが、今のさつきには少しだけその欲が理解できていた。

 何よりも――期間限定とは言え次郎の前足の御朱印帳が少しだけ気にかかっている。

「……けれどバレるのは時間の問題だと思いますよ?」

「こっちから手を引くから! そうすれば少しは丸く収まるでしょ? だからさー、頼むよ、さつきー」

「私からもお願いするわ。せっかくの儲けばな……こほん。歩間次郎のストレス解消なのよ、分かってちょうだい」

「……散歩は本当なんですよね?」

「散歩は本当! ほら、誰も怖がって散歩させたがらないじゃん。ボクとルイくらいなもんだよ?」

 少しは情状酌量の余地はありそうだ。

 しかし、こうなってくると、とさつきは思案する。

「……じゃあ、その……こう手を打つのはどうです?」

「――……というわけで、次郎さんのご飯は私が率先してあげることになって。それなら、立花さんもルイさんも、御朱印帳で儲けたのは少しだけなら出してくれるってことですので」

「……要は体よくあの二人に利用されてるってことじゃねぇか。いいのかよ、お前はそれで」

 呆れ返った両兵はさつきとの帰り道でそうこぼす。

「……うん、まぁでも、いいのかなって。だってご飯が必要だったのは事実だし。それに、私からもその……取っ掛かりが欲しかったのかも」

「歩間次郎に、か? あんなもん、放っておいても案外、長生きするぜ? 意外としぶといもんさ」

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