JINKI 231 二人だけの島で

 汗がじんわりと浮かんできて、余計なことを考える暇もない。

 両兵は致し方なしに、エルニィの言う通りに工具箱を探っていた。

「こんなことしていいのかよ。メカニックの連中から反感買うんじゃねぇの?」

《ブロッケントウジャ》の足首に収納スペースがあり、そこにはもしもの時のための救急キットやエルニィの発明品が詰め込まれている。

「分かってないなぁ。ブロッケンは中距離から遠距離だって想定されているんだから。相手との距離を取りつつ、耐久戦闘だってあり得るんだからね」

「……耐久戦闘ねぇ……」

 レンチを手渡すと、エルニィは手早く《ブロッケントウジャ》のコックピットへと登って行き、修繕を試みていた。

「……直りそうか?」

「うーん、ちょっと難しいかも……。時間をかければどうってことないんだけれど……如何せん、この状況じゃ焦るから」

 頬杖を突いて、ざざんと打ち寄せる波間を睨む。

「……何で、こうなったんだったか」

 憎々しいほどの太陽が中天から熱を放出していた。

 ヤシの木が揺れ、鳥たちが飛び回る。

 それも異国の鳥であった。

 鋭く白い鳥が波を掻っ切っていく。

 羽ばたいて海面で跳ねる魚を捉えていた。

「……なぁ、立花。ちょっと沿岸まで出りゃ、メシには困らねぇんじゃねぇの?」

「駄目だってば! もう、両兵ったらサバイバルを舐め過ぎだよ。少しでも節約できるものは節約しないと。それに、この状態じゃ、ろくに通信も飛ばせないんだからさ。簡単にはどうしようもないよ」

 エルニィの言い分も了承できる。

 両兵は欠伸をかみ殺し、《ブロッケントウジャ》の装甲を叩いていた。

「なぁーんか、メシでも入ってねぇのかよ。非常用の」

「……ボクのブロッケンを便利な倉庫か何かだと思ってる? はぁー……これじゃ、なかなかに困窮だなぁ……。通信環境だけでも、せめて復旧すれば、ありがたいんだけれど……」

「……直せねぇのかよ。IQ300だろ?」

「どれだけ賢くたって物がなければどうしようもないって奴。……仕方ない、両兵、ちょっと散策しようか」

「散策って……この島をか? 無人島じゃねぇの?」

「位置情報を同期するシステムを起動させておいたから、三十分後には衛星からここがどれだけ離れているか分かるはずだよ。……日本から、海流でここまで流されるなんて思いも寄らなかったけれどね」

 嘆息を漏らすエルニィに、両兵は木の枝を拾い上げていた。

「場所がどこかもよく分かってねぇンじゃ、手の打ちようもねぇな」

 エルニィも肩を竦め、自分に続く。

「……けれど……まさかこんな……とんだ災難に遭うなんてね……」

「――日本近海に敵? ですか……」

 自衛隊よりもたらされた報告に、赤緒は戸惑いを浮かべていた。

「そっ。さすがにトーキョーアンヘルとしては無視できないから、迎撃に打って出ることにしたのよ」

「……けれど……《モリビト2号》じゃ、空中は行けても、海中までは……」

「そこなのよねぇ……まぁ、その辺はエルニィから作戦概要を聞いてちょうだい。いいわね? エルニィ」

 南から声を振り向けられたエルニィは、椅子に座り込んで何やら構造物を組み上げている。

 それを横から窺うと、彼女は露骨に隠していた。

「うわっ……何だ、赤緒かぁ……」

「何だ、じゃありませんよ。作戦があるって聞いたから、みんなこうして来たんじゃないですか」

「うん……まぁ、ちょっとね。さて、総員集まってくれているね?」

 作戦指揮の船内は声が飛び交っており、今の自分たちはブリッジに集合した形だ。

 赤緒たち――トーキョーアンヘルの操主は既にRスーツに身を包んでいる。

「この船……まぁ、《ビッグナナツー》って言って、タンカーを特殊改修した船なんだけれど、まさか出港がここまで早まるとは思ってなくってさ。システムの洗い出しやら、艦内性能の引き上げやらで時間がかかってる。特に、海中戦闘となれば穏やかじゃないってわけ。これまでみたいに沿岸部に敵が現れてくれる分にはまだ大丈夫なんだけれど、ここはギリギリ日本の領海内だ。そうなってくると、海の拠点も必要になってくる」

 その海の拠点とやらがこの大仰な船――《ビッグナナツー》なのだろうか。

 赤緒は漂ってくる重油の臭いに思わず鼻をつまんでいた。

「……油くさい……」

「我慢してってば! 出港まで漕ぎ着けられただけでも奇跡なんだしさ! ……で、作戦概要だけれど、まぁ南の言った通り。敵は深海に位置していると考えられる。となれば、これまでの人機戦術じゃ、倒しようもない」

「打つ手なしと言うわけか? さしものお前でも」

 メルJの質問にエルニィはちっちっと指を振っていた。

「甘いなぁ、ボクを誰と心得る! これでもIQ300の天才少女! 手は打ってあるもんだよ。まず海中戦闘だけれど、可能なのは大別して二機。ボクの《ブロッケントウジャ》と、それからさつきの《ナナツーライト》だ」

「あっ、私の《ナナツーライト》は戦えるんですね……」

 少し安堵した様子のさつきへと、エルニィはしかし渋面を作る。

「……まぁ、構造上……可能だって言うだけなんだけれど。Rフィールドプレッシャー発生装置を使えば、耐圧限界まで潜ることもできるし、それに他の機体じゃ、どうあったって対処し切れない。空は飛べても、人機は水の中まで自由ってわけにはいかないんだ」

「……けれど、立花さんのブロッケンなら、届くってことですか?」

「《ブロッケントウジャ》は換装システムで水陸両用! 加えて空も飛べちゃう優れもの! ……まぁ、とは言っても、今回の海中戦闘用システムは一回こっきり。急ごしらえじゃ、なかなかね。如何にボクが天才って言っても、時間が足りなさ過ぎる」

「じゃあ私たちはどうしろって言うの、自称天才。《ナナツーライト》だけじゃ、戦力として見れば半減でしょうに」

 ルイの言葉繰りに、エルニィは腕を組んで考え込んでいた。

「それに関して言えば、ボクも考えた。敵はソナーには映るけれど、どれくらいの強さの人機をキョムが送り込んできたのかはまだ不明なんだ。だから、最小限度の戦力で行く。……ボクの海中戦特化型兵装の《ブロッケントウジャ》が前衛で、さつきの《ナナツーライト》で後衛。他のみんなは《ビッグナナツー》甲板上で待機。もしもの時の備えだよ。《ビッグナナツー》を狙ってキョムが狙撃でもしてこないとも限らないんだから」

「……じゃあ、基本的には立花さん一人で……?」

「まぁ、それだとちょっと心許ないから、協力者を呼んできた。両兵ー」

 エルニィが手を叩くと、両兵は不遜そうにブリッジを潜ってくる。

「……立花。下操主席に乗れってのは死ねって意味じゃねぇんだろうな」

「そんなわけないでしょー。生存率を上げるための下操主なんだからねー。ボクのブロッケンで敵の出端を挫き、その鼻っ面にレールガンを撃ち込んで迎撃。さつきの《ナナツーライト》は敵がリバウンド装甲を持っていた時の対処用。実弾が弾かれちゃえば意味ないからね」

 何だかいつになく、両兵の顔色が悪い気がして、赤緒は窺っていた。

「……あれ、小河原さん……顔色悪いですよ? どうしました」

「……重油の臭いと慣れねぇ船の揺れでちょっと参っちまってンだよ。これなら酒引っ掛けて来るんじゃなかったぜ……」

 呆れたことに両兵は酒を腹に入れてから作戦に臨むつもりらしい。

「……両兵? 死ねと言ったつもりはないけれど、ちょっと迂闊が過ぎるんじゃないの?」

「……うっせぇな。聞いてなかったんだよ。普段通りの敵ならオレの手なんざ要らねぇと思ってたんだが……こいつぁ、面倒だな」

「海中戦闘はこれまでの対人機戦闘でも分野としてはまだまだだからね。データが足りないんだよ。辛うじて《ブロッケントウジャ》で対処し切れる可能性があるくらい。他の人機じゃ、勝ち筋だって薄いんだから」

「あの……それって結構、まずいんじゃ……」

 挙手した自分に、エルニィはサムズアップを寄越す。

「大丈夫っ! 《ブロッケントウジャ》はこういう敵のために、オールラウンダーな性能を有しているんだからね! それに、敵だって海は未知の領域のはずなんだ。どういう性能の人機であったとしても、いきなり魚みたいに動くのは難しいはずだよ」

 赤緒は一抹の不安に駆られながらも、両兵へと視線を配る。

 彼は後頭部を掻いて、覚悟を決めたらしい。

「……まぁ、しゃーねぇよな。立花、言っておくが《ブロッケントウジャ》の性能に関しちゃ、オレは門外漢に近ぇ。もしもの時のトリガーとかの制御はお前に任せるぞ」

「当たり前じゃん! よし、じゃあトーキョーアンヘル、出撃しよっか!」

 エルニィの論調が強気なのだけが救いだったが、赤緒は《モリビト2号》に飛び乗った際、下操主席が空白なのに少し寂しさを覚える。

「……モリビトを含め、陸戦人機と空戦人機は、待っているしかできないんですよね……」

《ビッグナナツー》の有する巨大なクレーンに保持され、《ブロッケントウジャ》と《ナナツーライト》が海面へと沈んでいく。

《ナナツーライト》の痩躯では水圧に耐えられそうに見えなかったが、耐圧のためにRフィールド形成器を全開にさせた《ナナツーライト》の機体は思ったよりもするりと海中へと潜っていた。

『……赤緒、心配したって仕方ないんだから。今は待ちましょう』

 ルイの声が通信で聞こえてきて、赤緒は首肯する。

「……はい。けれど、こんな時に……何もできないなんて」

『何もできないわけではあるまい。私たちは敵の追撃部隊を排除する役割がある。《バーゴイルミラージュ》、出るぞ』

 甲板より飛び立ったメルJの《バーゴイルミラージュ》が空を舞い、《ビッグナナツー》の直上に位置取る。

「……立花さん……それに小河原さんも、さつきちゃんも。どうか、無事で……」

 今は、祈ることくらいしかできそうになかった。

「――それにしたって、両兵。まさかこんな形で、もう一度ブロッケンに乗ってくれるとは思っていなかったよ」

 各種インジケーターを調整しながら、両兵は下操主席を最適化する。

「うっせぇな。……これでも必死だよ。オレだって海中戦闘なんざ、それほど経験数はねぇ。そもそも、血塊炉が持つかどうかも分からねぇんだよな」

「一応、耐圧限界は大丈夫なはずだけれど。後ろの《ナナツーライト》のRフィールドの加護もあるし」

 さつきの搭乗する《ナナツーライト》は緑色の光を押し広げて背後に佇んでいる。

《ブロッケントウジャ》は弾倉へと海中仕様の特殊弾頭を装填していた。

「……思ったよか視界も悪い。立花、敵がどこから来るのかだけは、先制攻撃でもして分かっとかねぇとヤベェぞ」

「分かってるって。ソナー展開!」

 ほとんど暗礁の視界の中で、ソナーが捉えた敵影は三時の方向を遊泳している。

《ブロッケントウジャ》がレールガンを担ぎ上げ、照準する前に敵機が猪突していた。

 接触回線のさつきの悲鳴が木霊する。

「突撃? ……敵は装甲に自信があるって言うの? 海中なんだ、少しでも穴が空いたらおじゃんだろうに!」

「……立花! 時間かけている場合じゃ、ねぇ! 一気に行くぞ!」

「了解! さつき、Rフィールドプレッシャーで海面を掻き上げて! 少しでも視界が陸と同じになれば、ボクならやれる!」

『り、了解しました! ……Rフィールドっ、プレッシャー!』

《ナナツーライト》を基点としてRフィールドの気泡が押し広がり、拡散された光が今だけは海中を真っ昼間のように照らし出す。

「見えた! 立花、照準任せるぜ!」

「心得たっ! ブロッケン! 敵を狙って――!」

 トリガーを引き絞る前に、再びの突撃が《ブロッケントウジャ》と《ナナツーライト》へと襲いかかっていた。

 水中で掻き回されるような感覚は平時の陸や空では味わいようもない。

 まさに自由を奪われた、嫌な感触だ。

「さつき! 持ち直して! Rフィールドの届いている領域なら、ボクでも狙える!」

『は、はい……っ!』

 しかし、無理を言っているのは嫌でも分かる。

 慣れない海中戦闘に打って出ている上に、《ブロッケントウジャ》の保持するレールガンは、所詮は陸戦用を改修したもの。

 敵は馬の蹄のような形状をした人機であった。

 自由に泳ぎ回っているとまではいかないが、水中においてその性能はこちらを凌駕していると想定すべきだろう。

 クローが伸張し、《ブロッケントウジャ》を捕縛する。

「だが、それはこっちのチャンスでもある! 両兵っ!」

「おう! ……逃がしゃしねぇ……ッ!」

「シークレットアーム! 喰らえ!」

《ブロッケントウジャ》の隠し腕で敵機を拘束し、エルニィは引き金を矢継ぎ早に引いていた。

 レールガンが腹腔へと叩き込まれ、敵影が内側から膨れ上がる。

 離脱挙動に、と声を投げようとして、直後、相手が《ブロッケントウジャ》をくわえ込んだのを目の当たりにする。

「……野郎、道連れにする気か……!」

「させない! さつき、Rフィールドで弾き飛ばして!」

『はいっ! ここから――離れてぇーっ!』

 Rフィールドの防衛網が敵の装甲を打ち据えるも、海中戦闘に特化した敵影に対しては痛手とならない。

 それどころか、《ナナツーライト》まで引きずり込もうとしてくる相手に、エルニィは咄嗟の判断を講じていた。

「……さつき、ゴメン……っ!」

《ブロッケントウジャ》と《ナナツーライト》の物理的な結合部を、格納していた槍で排除する。

 浮かび上がった《ナナツーライト》より、さつきの声が弾けていた。

『……立花さん……?』

「さつきまで巻き添えにできないや。……両兵、行けるね?」

「……当たり前だろ。このままレールガンを叩き込んで、砲身でコックピットをぶっ叩く。それでチャラだ!」

「……うん! ボクもそれで……終わらせる!」

 レールガンの砲弾を敵の装甲面へと矢継ぎ早に撃ち込み、長い砲塔を突き上げる。

「これで――沈んじゃえ――ッ!」

 砲身で殴りつけた瞬間、敵機が一線を超えて膨張する。

 直後、全ての光が、弾け飛んでいた。

「――ま、命があっただけ儲け者だよね……。至近距離での爆発には、さすがのブロッケンも耐えられなかったんだし」

 放熱でひしゃげた装甲を撫でてから、エルニィは嘆息をつく。

「……それで、ここはどこさ? そろそろ衛星と同期した位置情報が分かる頃合いじゃないの?」

「立花、いいもん見つけてきたぜ」

 無人島の内側へと散策に出ていた両兵が引きずって来たのは、無数のヤシの実だった。

「……いいけれどさ。割れないと意味ないよ?」

「あっ、そうだったか。……《ブロッケントウジャ》のシークレットアームでどうにかならんか?」

「……もうっ。ブロッケンの隠し腕はそんなことのために付いてるんじゃないんだからね?」

 とは言いながらも、《ブロッケントウジャ》のシークレットアームの力加減はちょうどヤシの実を割るのに適していた。

 両兵はどこで手に入れたのか、小ぶりなナイフを片手に器用にかち割ったヤシの実を寸断して中身を抉り出す。

「……あのさぁ、もし……もしもだよ? ここに誰も……助けが来なかったらどうしよう……」

 きゅぅと腹の虫が鳴いたのを感じて弱気になった自分に、両兵はヤシの実を差し出していた。

「腹ぁ減ってるから、そんな気になるんだ。いいから飲んでみろ。案外、美味ぇ」

 差し出されたヤシの実を不承気にエルニィは手にして喉で嚥下する。

「……酸っぱい……」

「我慢しろっての。……で? 位置情報が分かるシステムの復旧率は?」

「……半分くらいかな。敵機が弾け飛んだ時に、システムの中枢部がこんがらがっちゃったみたいでさ。お陰で位置情報だけじゃなく、ここがどこの無人島なのかもまるで不明なまま。……日本の領海内なら、まだいいんだけれど」

「何だよ。オレの知ってるエルニィ立花にしちゃ、随分と気が滅入ってやがるな」

 両兵はヤシの実を割って中身を飲み干してから、ふぅと息をつく。

「……両兵はいいよね。こんな土壇場みたいな状況でも、何だかたくましいし」

「アホ。オレだってこの状況はかなりヤバいってのは承知してるっての。だが、ただただ死を待つだけってのも性に合わん。柊たちの人機は空戦仕様でもあったはずだ。空を飛んで、《ブロッケントウジャ》が見えりゃ、すぐに回収にしに来るだろ」

「……もし……来なかったらどうするのさ」

「そん時はそん時。無人島でサバイバル決めるさ」

 片手を振って両兵は砂浜へと寝転がる。

 敵機が爆発した際、コックピットへと破片が飛んできて水圧で死ぬ可能性もあったと言うのに、両兵はいつもの軽装であった。

「……ねぇ、両兵。ボク……ちょっと弱気になってるかも」

「何だよ、らしくねぇなぁ。じゃあ、ちょっとこっち来い」

「……何? 妙案でもあるの?」

 顔を近づけさせると、両兵はすとんと頭を撫でてから自身の胸元へと導く。

「……要らん考えしてるから、ネガティブになるんだ。どうせ、どうにもならんのなら、体力だけは温存しとけ。寝る」

 どうやら、自分に寄り添って寝ていろと言う意味らしい。

 エルニィは何だか馬鹿にされた気がして、むぅと頬をむくれさせる。

「……いいもんね! 両兵みたいにボクは楽観視しないし! 自力で生き残ってやる!」

「おう、ついでに魚でも釣っておいてくれ。シークレットアームでどうにかなるだろ」

「……だから、ブロッケンの隠し腕はそういうののために付いてるんじゃないんだってば!」

 とは言え言い争いをしていても、体力をいたずらに浪費するだけだ。

 エルニィは少しでも何か食材を、と無人島の内部へと足を踏み入れていた。

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