一度だけ振り返るが、両兵は既に寝息を立てている。
「……もうっ、こっちの気も知らないで……」
周囲を見渡すが、やはりと言うべきか、それらしい岩礁もなく、近くを通る船もない。
歩くだけで体力を奪う灼熱の太陽に、エルニィは音を上げていた。
「暑っつ……亜熱帯地域まで流れたの?」
Rスーツの襟元を外し、中に着込んだインナー服を晒す。
島自体は大きくもなく、三十分ほどあれば沿岸部を回れたが、想定していた通り、それらしい船もない。
「……うーん……映画とかだと煙とか出して見つけてもらうってのもあるけれど、燃やせそうなのはないしなぁ……」
一周して戻ってきた自分に、両兵は片手を上げていた。
「何もねぇだろ? ここ」
「……分かっていて言ったんでしょ」
「なに、カホーだか何だかは寝て待てって言うしな」
「……果報、ね。それにしたって、本当に寝ちゃうなんてことある?」
「あるんだから仕方ねぇだろうが」
嘆息をついたエルニィは、《ブロッケントウジャ》のコックピットへと戻り、機体識別信号を放っていた。
「近くに居れば、これで見つかるはず……」
それまでやることもない。
エルニィは仕方なく、トレースシステムに腕を通し、シークレットアームで海中を探っていた。
「ほれ、やっぱそう使うもんだろ?」
「違うってば。もうっ……」
途端、シークレットアームが重く沈んだので、エルニィは思わず対象を掴んで引き上げる。
すると、がっちりとくわえ込まれたマグロがかかっていた。
「おう、やっぱ釣りに使えるじゃねぇの。マグロの解体か。ナイフじゃ通るかどうかわからんが」
不承気にエルニィはマグロを砂浜へと差し出し、上半身は軽装のまま歩み寄る。
「どうするの? マグロの解体なんてしたことないよ」
「まぁ、見てろって。こんな風に、っと」
思ったよりも器用にマグロをさばいていく両兵の手腕に、エルニィは感嘆していた。
「上手いじゃん。どっかで習ったの?」
「カナイマに居た頃、何度かサバイバルの機会があってな。そん時にピラニアやら何やら食っていたこともあったんだよ」
「……うへぇ……ピラニアって食べられるの?」
「食えンじゃねぇの? オレは何ともなかったがな」
さっさと内臓を取り出した両兵は、切り身をこちらへと並べて行く。
「……醤油欲しいなぁ……」
「つべこべ言ってんな。食える時に食え」
マグロで腹を満たしたかと思えば、既に斜陽が差し込んでおり、今日中の捜索は絶望的に思われた。
昼間は酷く暑かったのに、今は身体の芯を冷やす潮風が吹き寄せてくる。
覚えず肩を抱くと、両兵はすっと自分のコートを差し出していた。
「……くさい」
「文句言うんならやんねぇぞ」
暫時の沈黙の後、エルニィは問いかけていた。
「……ねぇ、両兵。もしも、の話でアレなんだけれどさ。もし……誰にもここに居るのが分からなくって、ずっと遭難ってなったら、どうする?」
「何だそりゃ。天才少女のお前らしからぬ悲観じゃねぇの。ただまぁ……オレらには責任があるからな。それこそ、キョムと戦い続けるっつー、責任だ。こんなトコでへばってられっかよ。お前もオレも、生きて帰る。それだけだろ」
どうしてなのだか、この時の自分は、いつもなら一蹴する両兵の言葉尻に浮かんだ鼓舞に、少し救われていた。
すとん、と両兵の胸元へと耳を寄せる。
心拍が伝わってきて、エルニィはぼんやりと声にしていた。
「……両兵の心臓の音……何だか落ち着く」
「そうか? オレは変わらんと思うがな」
「……変わらないから、落ち着くんじゃない?」
「……そんなもんか」
エルニィはこの時、何となくではあるが、両兵の楽観主義と、そして彼の言葉に何か報いなければいけないと考えていた。
自分にできることは――と、少女である己に帰結する。
「……ねぇ、両兵。キス……したことある?」
「キスねぇ……。したような、そうでもねぇような」
「……何それ。両兵らしいなぁ、いい加減で」
「悪かったな。いい加減な奴だよ、どうせ、オレは」
寝そべった両兵へと、エルニィも添い寝していた。
平時ならば、両兵相手に対して感情を揺さぶられることもないのに、今は無人島での孤独が勝ったせいだろうか。
それとなく――他のメンバーを出し抜きたかったのかもしれない。
「……じゃあさ。両兵。キス……しようよ」
「……やめとけよ。そういうのはマジな時に取っとけ」
寝返りを打った両兵へと、エルニィは囁きかける。
「……今が、そのマジなんだけれど」
両兵の相貌へと指を添わせる。
どうしたらいいのかなんて知らない。
ただ自分の想いを打ち明けるのなら、こんな時がもしかすると一番の――。
『立花さん! よかったぁ……! 《ブロッケントウジャ》が見つかりましたよ!』
口づけに移ろうとしていた瞬間、投光機が無数の場所から投げられ、薄闇に沈んだ無人島の空をアンヘルの人機が囲う。
「……ええっ、今ぁ……?」
『《ブロッケントウジャ》の位置情報を把握できたものの、この辺りには無人島が多くってな。少し手間取ってしまって……何だ? どうしたんだ、貴様ら。何でそんなに……くっ付いている?』
メルJの詰問に、思わずエルニィは両兵から離れていた。
『まったく、自称天才。あんた、本当に油断も隙もないわね』
『……いいなぁ……』
ルイとさつきの機体が降り立ち、《ブロッケントウジャ》を回収していた。
近くの海域には《ビッグナナツー》の汽笛が鳴り響く。
その遠く長い音叉を聞きながら、エルニィは両兵へと振り向こうとして、先ほどまでの自分の行動に困惑していた。
「……あれ? もしかしてボク……ムードみたいなのに流されそうになってた?」
「ようやくお迎えかよ。ったく、柊、遅ぇぞ」
『時間がかかったんですよ。海中戦闘用の敵人機を回収したり、色々……何で立花さん、Rスーツを半分脱いでるんですか?』
「あっ、これはそのぅ……」
言い訳がましいことを言ったところで仕方ないのに、エルニィは当惑する。
『……まぁ、立花のことだ。計算高く立ち回ろうとしたのだろう』
『……本当、あんたって天才の頭脳、持て余しているわよね』
メンバーの鋭い指摘を受けつつ、エルニィはいつもの調子に戻ろうと声をわざと張り上げる。
「まぁまぁ! 見つかったことだし、よかったよかった! これで万々歳!」
とは言え、両兵との二人きりの島を堪能するのには、少し時間が足りなかったのかもしれない。
『……もうっ。こっちは心配したんですからね!』
「ゴメンって、赤緒。けれどまぁ、うん。これくらいでいいのかも、ね」
両兵との距離が縮まったわけでもなければ、他の面子を出し抜けたわけでもない。
ただ――時には年頃の少女の感覚に戻るのもまた、悪くないと思えただけだ。
そんな益体のない考えを打ち消すように、エルニィは手を叩く。
「さぁ! 帰ろっか! ボクらの家に!」
こぼれ落ちそうな星空一つ、指差して微笑む。
二人だけの島の思い出はきっと、こんな具合がちょうどいいはずなのだろう。