JINKI 231 二人だけの島で

 一度だけ振り返るが、両兵は既に寝息を立てている。

「……もうっ、こっちの気も知らないで……」

 周囲を見渡すが、やはりと言うべきか、それらしい岩礁もなく、近くを通る船もない。

 歩くだけで体力を奪う灼熱の太陽に、エルニィは音を上げていた。

「暑っつ……亜熱帯地域まで流れたの?」

 Rスーツの襟元を外し、中に着込んだインナー服を晒す。

 島自体は大きくもなく、三十分ほどあれば沿岸部を回れたが、想定していた通り、それらしい船もない。

「……うーん……映画とかだと煙とか出して見つけてもらうってのもあるけれど、燃やせそうなのはないしなぁ……」

 一周して戻ってきた自分に、両兵は片手を上げていた。

「何もねぇだろ? ここ」

「……分かっていて言ったんでしょ」

「なに、カホーだか何だかは寝て待てって言うしな」

「……果報、ね。それにしたって、本当に寝ちゃうなんてことある?」

「あるんだから仕方ねぇだろうが」

 嘆息をついたエルニィは、《ブロッケントウジャ》のコックピットへと戻り、機体識別信号を放っていた。

「近くに居れば、これで見つかるはず……」

 それまでやることもない。

 エルニィは仕方なく、トレースシステムに腕を通し、シークレットアームで海中を探っていた。

「ほれ、やっぱそう使うもんだろ?」

「違うってば。もうっ……」

 途端、シークレットアームが重く沈んだので、エルニィは思わず対象を掴んで引き上げる。

 すると、がっちりとくわえ込まれたマグロがかかっていた。

「おう、やっぱ釣りに使えるじゃねぇの。マグロの解体か。ナイフじゃ通るかどうかわからんが」

 不承気にエルニィはマグロを砂浜へと差し出し、上半身は軽装のまま歩み寄る。

「どうするの? マグロの解体なんてしたことないよ」

「まぁ、見てろって。こんな風に、っと」

 思ったよりも器用にマグロをさばいていく両兵の手腕に、エルニィは感嘆していた。

「上手いじゃん。どっかで習ったの?」

「カナイマに居た頃、何度かサバイバルの機会があってな。そん時にピラニアやら何やら食っていたこともあったんだよ」

「……うへぇ……ピラニアって食べられるの?」

「食えンじゃねぇの? オレは何ともなかったがな」

 さっさと内臓を取り出した両兵は、切り身をこちらへと並べて行く。

「……醤油欲しいなぁ……」

「つべこべ言ってんな。食える時に食え」

 マグロで腹を満たしたかと思えば、既に斜陽が差し込んでおり、今日中の捜索は絶望的に思われた。

 昼間は酷く暑かったのに、今は身体の芯を冷やす潮風が吹き寄せてくる。

 覚えず肩を抱くと、両兵はすっと自分のコートを差し出していた。

「……くさい」

「文句言うんならやんねぇぞ」

 暫時の沈黙の後、エルニィは問いかけていた。

「……ねぇ、両兵。もしも、の話でアレなんだけれどさ。もし……誰にもここに居るのが分からなくって、ずっと遭難ってなったら、どうする?」

「何だそりゃ。天才少女のお前らしからぬ悲観じゃねぇの。ただまぁ……オレらには責任があるからな。それこそ、キョムと戦い続けるっつー、責任だ。こんなトコでへばってられっかよ。お前もオレも、生きて帰る。それだけだろ」

 どうしてなのだか、この時の自分は、いつもなら一蹴する両兵の言葉尻に浮かんだ鼓舞に、少し救われていた。

 すとん、と両兵の胸元へと耳を寄せる。

 心拍が伝わってきて、エルニィはぼんやりと声にしていた。

「……両兵の心臓の音……何だか落ち着く」

「そうか? オレは変わらんと思うがな」

「……変わらないから、落ち着くんじゃない?」

「……そんなもんか」

 エルニィはこの時、何となくではあるが、両兵の楽観主義と、そして彼の言葉に何か報いなければいけないと考えていた。

 自分にできることは――と、少女である己に帰結する。

「……ねぇ、両兵。キス……したことある?」

「キスねぇ……。したような、そうでもねぇような」

「……何それ。両兵らしいなぁ、いい加減で」

「悪かったな。いい加減な奴だよ、どうせ、オレは」

 寝そべった両兵へと、エルニィも添い寝していた。

 平時ならば、両兵相手に対して感情を揺さぶられることもないのに、今は無人島での孤独が勝ったせいだろうか。

 それとなく――他のメンバーを出し抜きたかったのかもしれない。

「……じゃあさ。両兵。キス……しようよ」

「……やめとけよ。そういうのはマジな時に取っとけ」

 寝返りを打った両兵へと、エルニィは囁きかける。

「……今が、そのマジなんだけれど」

 両兵の相貌へと指を添わせる。

 どうしたらいいのかなんて知らない。

 ただ自分の想いを打ち明けるのなら、こんな時がもしかすると一番の――。

『立花さん! よかったぁ……! 《ブロッケントウジャ》が見つかりましたよ!』

 口づけに移ろうとしていた瞬間、投光機が無数の場所から投げられ、薄闇に沈んだ無人島の空をアンヘルの人機が囲う。

「……ええっ、今ぁ……?」

『《ブロッケントウジャ》の位置情報を把握できたものの、この辺りには無人島が多くってな。少し手間取ってしまって……何だ? どうしたんだ、貴様ら。何でそんなに……くっ付いている?』

 メルJの詰問に、思わずエルニィは両兵から離れていた。

『まったく、自称天才。あんた、本当に油断も隙もないわね』

『……いいなぁ……』

 ルイとさつきの機体が降り立ち、《ブロッケントウジャ》を回収していた。

 近くの海域には《ビッグナナツー》の汽笛が鳴り響く。

 その遠く長い音叉を聞きながら、エルニィは両兵へと振り向こうとして、先ほどまでの自分の行動に困惑していた。

「……あれ? もしかしてボク……ムードみたいなのに流されそうになってた?」

「ようやくお迎えかよ。ったく、柊、遅ぇぞ」

『時間がかかったんですよ。海中戦闘用の敵人機を回収したり、色々……何で立花さん、Rスーツを半分脱いでるんですか?』

「あっ、これはそのぅ……」

 言い訳がましいことを言ったところで仕方ないのに、エルニィは当惑する。

『……まぁ、立花のことだ。計算高く立ち回ろうとしたのだろう』

『……本当、あんたって天才の頭脳、持て余しているわよね』

 メンバーの鋭い指摘を受けつつ、エルニィはいつもの調子に戻ろうと声をわざと張り上げる。

「まぁまぁ! 見つかったことだし、よかったよかった! これで万々歳!」

 とは言え、両兵との二人きりの島を堪能するのには、少し時間が足りなかったのかもしれない。

『……もうっ。こっちは心配したんですからね!』

「ゴメンって、赤緒。けれどまぁ、うん。これくらいでいいのかも、ね」

 両兵との距離が縮まったわけでもなければ、他の面子を出し抜けたわけでもない。

 ただ――時には年頃の少女の感覚に戻るのもまた、悪くないと思えただけだ。

 そんな益体のない考えを打ち消すように、エルニィは手を叩く。

「さぁ! 帰ろっか! ボクらの家に!」

 こぼれ落ちそうな星空一つ、指差して微笑む。

 二人だけの島の思い出はきっと、こんな具合がちょうどいいはずなのだろう。

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