レイカル50 10月 小夜と秋風の季節に

 確かにここ数日、過ごしやすい気候になってきたのは事実だ。

「夏とかにやればいいんじゃないの?」

「夏じゃ、まだ服装とかを毎日のように変えないといけないし、サイズとかも変わりやすいから。こういう時間の纏まった時にやるのが一番なのよ。それにほら、冬になるとまたサイズが変わるでしょ? 秋は美味しいものが多いから」

「……なるほど、食欲の秋って言うものね。ってなると、私も……」

 小夜はそれとなく、自分の体形を姿見で確認していた。

 この業界で、体格が変わるのは死活問題だ。マネージャーからは適度な運動を勧められているし、ジム通いも視野に入っている。

「小夜は、この時季に何か一つに打ち込もうってのはないの? すぐに冬になっちゃうわよ? そうなったら、また別の行事が待っているでしょう? 今しかないのよ、冬への備えは」

 言われてみれば、この過ごしやすいシーズンにやるべきことはたくさんあるような気もするのだが、小夜は首をひねっていた。

「……秋って何でもできるようで、意外と短いから、見過ごしちゃいがちなのよねぇ……。そういえば、カリクムは?」

「レイカルたちと一緒に、また削里さんのところでしょ。あの子たちも何だかんだで進歩があるんだかないんだか」

 しかし、小夜はナナ子が自分から前に進もうとしているのは感心であった。

「……ナナ子。いずれは……そういう服飾の専門学校とかに行ったりするのも考えてる?」

「どうかしらね……。そこまで深くは考えたことはないけれど、まぁ確かにコスプレもそうなら、こうして細かいことをしっかり腰を据えてやれる環境が欲しいってのはあるけれど、それがイコール進路だとは……うーん、思ってないかも」

 自分も芸能界入りしたとは言え、ひとかどの人物に成りたいかと問われればそうでもない。案外、大学生という身分は相応にモラトリアムで、そして模索の時期でもある。

「……私も将来、何になっているのかなんて考えたこともないわよ。目の前の仕事とかをこなすので精いっぱいだし……ダウンオリハルコン退治も考慮に入れると余裕もないし……」

「高杉先生、いずれは進路を融通してくれるとかならいいんだけれど、私たちには特に難しいかもね。作木君なら造形物とかがそのまま将来に繋がって来るんだろうけれど」

「……作木君、この季節なかなか見ないわね……」

「何だか忙しいんだって言っていたわよ。冬のイベントに向けて設計しないといけないフィギュアがあるとか」

 皆、どこかで忙しないのが何だかんだで秋なのかもしれない。

 四季で一番落ち着ける時間だと言うのに、例年で言えばじわじわと目減りしている感覚さえもある。

「……寒過ぎず、暑過ぎず……この時期に色々できるのがちょうどいいって言うのに、気付けばいっつも冬なんだものね」

「人間、そう器用にはできてないってことなんでしょ? 秋だからって読書に励むような簡単にスイッチできる人間なら別だけれど、意外とそうでもないし。それに、ここ最近じゃ秋なんて感じる暇もないくらい、猛暑と厳しい寒さばっかりだものね」

「……ねぇ、ナナ子。いつから春夏秋冬がなくなっちゃったのかしら……」

「嘆いたって仕方ないわよ、小夜。小夜もせっかくだし、できることをやってみれば? 秋なんだもの、新しいことを始めるチャンスには違いないでしょ?」

 とは言え、小夜は思い悩んでいた。

「……あんたみたいに趣味があれば、まだ違うんだけれど……。次の戦隊のクールに合わせて仕事は大体、春までにたくさん入っているし……」

「じゃあちょうどいいじゃない。趣味でもいいから始めてみれば? 続くか続かないかなんて運次第みたいなものなんだから」

「趣味ねぇ……」

 そこで小夜は不意にスケッチブックが視野に入っていた。

「……これ、ナナ子の?」

「あー、それ? 一応、当たりを付けるっていうか、レイカルたちに着せる前に簡単なスケッチを取るようにしてるから。ちょうどいいわ。小夜、絵でも始めてみたらいいじゃないの」

「え、絵って……私にそんな才能なんてないってば……」

「やってみなくっちゃ分かんないでしょ? それに、何でも始めるのに適した季節ってのはあるもんよ。はい、これ、色鉛筆。まずは風景画かしらね。それから人物画に移るのがいいと思うわ」

「……とは言うけれど、知ってるでしょ? 私、図工の成績、ずーっと1よ?」

「なら余計にかもしれないわね。これから先、カリクムたちの戦いを見守るんだから。それなりに造詣があったほうが、瞬時の判断に役立つかもしれないし。創主でもできることを、でしょ?」

 何だかナナ子に丸め込まれているような気がしていたが、小夜は色鉛筆を手に取って、それからキャリーケースと相対しているナナ子のスケッチを始める。

 だが、距離感がまるで掴めず、キャリーケースがやたら大きい絵になってしまっていた。

 いや、そもそもナナ子のスケール感が掴みにくいのだ。もしかするとモチーフは別に考えたほうがいいかもしれない。

「……ちょっと気を紛らわせる……」

「削里さんのところ? だったら、今日は栗の炊き込みご飯を作るから、買い物もお願いねー」

 ナナ子も妙なところで勘が鋭い。

 小夜はスケッチブックを携えてバイクへと跨っていた。

「……それにしたって……うーん……描くモチーフかぁ……。図工1の私に、何を描けって言うのよ」

 ――削里の店に辿り着くと、レイカルたちはそれぞれ難しい顔をして本と向かい合っている。

「……は……した……」

「“メロスは激怒した”じゃな。レイカルよ、少しは読み書きを覚えなければお主とて勉学もおぼつかんぞ?」

 めいめいに本を読み漁っているレイカルたちに、小夜はスケッチブックを抱えて椅子に座り込む。

「……珍しいわね。今日はハウルの修練じゃないの?」

「おや、小夜殿。ええ、今日は主に読み書きを教えております。どうにも、レイカルは小学生レベルの読み書きを虫食い状態で覚えているようで……。少しでも真っ当な学力をつけなければ、と国語の時間です」

「……レイカルは、ちょっと前には三つ以上が咄嗟に数えられなかったわよね?」

「割佐美雷、失礼だな。今は、四つまでなら数えられるぞ」

「……あんたそれ、四つ以上はまだ無理ってことでしょうに。小夜ー、急にこっち来てどうしたんだよ? 今日はオフだろー?」

 カリクムに尋ねられ、小夜は濁す。

「……まぁ、そうなんだけれど……。カリクム、あんたはどうなのよ? 読み書きくらいはできるんでしょうね?」

「まぁね。私はきっちりと創主に教わったから、レイカルみたいに全てが絶望的じゃないわよ」

 肩を竦めたカリクムに、むっとしたレイカルが本を突きつける。

「じゃあ、カリクム! お前はこれ、読めるんだろうな!」

「『走れメロス』でしょう? まぁ、これはこれで何回か読んだことくらいは――」

「……嘘おっしゃい。あんた、この間まで絵本の読み聞かせしていたでしょうが」

「あーっ! 小夜、それは言いっこなしだろー!」

 暴露したこちらにレイカルが調子に乗ってカリクムを挑発する。

「やっぱりそうじゃないか! カリクムに“ぶんがく”? なんて似合うもんか!」

「文学、ね……。何で疑問形なのよ、ったく」

 やたらと騒がしいレイカルとカリクムに比して、ラクレスはゆったりとした様子でウリカルに読んで聞かせていた。

「桃太郎は鬼たちを退治して、村へと金銀財宝を持って帰り、おじいさんとおばあさんと幸せに暮らしましたとさ。めでたしめでたし」

「わ、わーっ……。すごいですね! 桃太郎って!」

 拍手するウリカルの純粋さに小夜はラクレスへと問いかける。

「……ウリカルは逆にそういう感じなんだ? 本当にその学習レベルで合ってるの?」

「あ……私はその……知識では知ってるんです、一応。それなりのことを機械学習しましたから。ただ……知識で知っていても実際は違いますから。ラクレスさんに読んで聞かせてもらって初めて実感している最中です」

「そのようなので、まずは基本的なものから、ウリカルには教えているのですわ、小夜様。もちろん、レイカルなんてすぐに追い越してしまうでしょうけれどねぇ……」

 妖艶な笑みを浮かべるラクレスはどうやらウリカルの勉学の師として、しっかり勤め上げようと言う気はあるらしい。

 それに比べて、ヒヒイロは難航しているようであった。

「レイカルよ、まずは漢字を書けるようにならなくては、頭の中で結びつきもせん。文字を書いてみよ」

「文字……? うーん……何で日本語ってひらがなとカタカナと漢字の三種類があるんだー! これじゃあ難しいじゃないかぁー!」

「……初めて日本に来た海外の人みたいな反応するのね……あんたも」

 とは言え、こうしていると、レイカルたちも百面相なので少しは描きやすいか、と小夜はそれとなくスケッチブックを開き、彼女らを描いていた。

「何してるんだ? 小夜」

「うわっ……! あんた、横から覗き込まないでよ……」

「とは言っても……これ、何?」

「……これ、あんたらをスケッチしてるのよ」

 その言葉にカリクムは目を見開いていた。

「いや、スケッチって小夜……これ、人形を何かで突き刺して燃やしてるようにしか見えないんだけれど……拷問か何かを描いてるの?」

 失礼なことを言ってのけたカリクムに対し、小夜はスケッチブックで思いっ切り頭を叩いていた。

「痛ったー! 何すんだよ!」

「やかましいっ! これだから、私は図工が嫌いなのよ! ……ああ、今でも思い出す……図工の時に下書きをしていたらそれをクラス中のさらし者にされた記憶が……」

「……何だかよく分かんないけれど、小夜もそれなりに大変だったんだな……」

 図工のトラウマを掘り返された気分で、小夜はスケッチブックをもう一度構える。

 今度はレイカルを集中して描こうとしたが、どうにも線ばかりが多くなってしまって肝心のレイカルの中心をまるで捉えていない、ぼんやりとした絵が出来上がってしまう。

「……ねぇ、レイカル。あんた、絵、得意だったわよね?」

「うん……? 割佐美雷、どうしたんだよ。絵なんて見たまんまを描けばいいだけだろ?」

「……それができたら苦労は……。ためしに描いてみなさいよ」

 スケッチブックを差し出すと、レイカルは苦もなく目の前のヒヒイロを描画してみせる。

「……二分も経ってないんだけれど……こんなに違う? 天と地の差じゃない……」

「見たまんま描けって言ったのはそっちだろ? これじゃあ駄目なのか?」

「いや、駄目じゃないけれど……はぁー……結局、絵って生まれ持った才能なのよね……」

 大仰にため息をついた自分へと、レイカルがカリクムへと疑問の眼差しを投げる。

「どうしたんだ? 割佐美雷は」

「何でもないんじゃないの? 人には向き不向きがあるってことじゃない?」

「そう言って分かった風な口を利いて……けれど、どうしようもないわねぇ……。これじゃ、芸術の秋ってのも格好がつかないし……」

「芸術の……? 何でそれと秋が結びつくんだ?」

 まるで理解していないレイカルへといつものようにヒヒイロが教鞭を振るう。

「秋は過ごしやすい季節じゃからのう。何でも始めてみるのには秋がよいとされておる。日本独特の観点かもしれんが、芸術の秋、読書の秋、食欲の秋、と。まぁ、今では異常気象でなかなか秋を満喫する期間も少ないから、当てはまるかどうかは疑問じゃな」

 レイカルは鉛筆に体重を預けてうーんと考え込む。

「……それって、創主様もなのか? 最近、寝る間も惜しんで色々と考えていらっしゃるのは分かるんだが……何かお手伝いを、というとやんわりと断られるんだ」

「……まぁ、分からない話でもないけれど。って言うか、作木君、また徹夜とか身体に悪そうなことしてるの?」

「創主様は忙しい時期らしいから、私から言うのはなかなかどうしようかと悩んでいるんだが……それってまずいのか?」

 小夜は嘆息を漏らして、ナナ子へと電話をかけていた。

「大問題よ。またそれで倒れられたんじゃ、結局大変じゃないの。……もしもし、ナナ子? 今日の晩御飯なんだけれど、せっかくだし、作木君の家で水炊きね? 野菜もお肉も食べられるし、栄養補給になるでしょ?」

『別にいいけれど……あー、なるほど。レイカルから作木君がまた無茶してるって聞いたのね?』

 ここまでなるとナナ子の理解も早い。

「ええ、その通り……ってことで、レイカル。作木君の家へと案内してもらえる?」

「……別にいいけれど……今日は勉強が先なんだ。終わってからでいいか?」

「……ヒヒイロ、何時に終わる予定なの?」

「このままですと、午後六時までするつもりでしたが……作木殿もだいぶ不摂生をしているご様子。一時間早く切り上げましょう」

「助かるわ。……それにしたって、みんな、夏からの無理がたたっているって言うのに、案外そのペースを崩さないで畳み掛けるのよね……。作木君は相変わらず自分のペースを掴んでないし……」

「そういうものでしょう。急に涼しくなるのでペースを上げたくなる気持ちは分かるのですが、身体が無理に耐えかねます。それも込みで、風情と言ってしまえばその通りなのですが」

「……秋に身体壊してたんじゃ、元も子もないわよ。レイカルとカリクムはしっかりと勉強すること。カリクム、サボるんじゃないわよ」

「……そんなこと言ったって、レイカルの創主にいちいち合わせてたんじゃ、何もおっつかないじゃんかぁ……。小夜はいいのかよ? ナナ子に渡されたんだろ? その趣味」

 ナナ子はともすれば、自分を疎かにすべきではないと感じてスケッチブックを渡してくれたのかもしれない。

 その気持ちを汲むのならば、自分のやるべきことは――。

 ――涼しい風が小窓から吹き込んできて、作木は身を起こしていた。

「……いけない。寝ちゃってたな……。スケジュールにはまだ余裕があるけれど、早めに取りかかるに越したことないし……」

 そう言ってデザインナイフを握ろうとしたところ、インターフォンが鳴り響く。

「……あれ? 誰だっけ……?」

 玄関を開けると、腰に手を当ててこちらを見据える小夜が佇んでいた。

「……えっと、何か……」

 何かした覚えはないのだがこういう時にはまず自分の不手際を疑うべきである。

 小夜は部屋へと押し入るなり、うっ、と呻いていた。

「ちょっ……作木君! シンナーくさいわよ!」

「……あっ、そう言えば、換気……」

「もうっ! レイカルたちは気にしないのかしら? すぐに窓開けてー!」

 ナナ子がキッチンへと素早く回り込み、スーパーで買って来たらしい具材を並べる。

「……えっと……何か今日ありましたっけ?」

「何でもないけれど、作木君、また無茶してるんでしょ? 小夜から聞いたわよ」

「あっ……けれどこれ、冬のイベントに間に合わせないといけなくって……」

「その言い訳も何回目かしらね。……最近、まともに寝てもいないし食べてもないって、レイカルが」

「……あっ、それは……はい。せっかく涼しくなってきたんですし、ちょっと休むのも惜しくって」

「……作木君、フィギュア作りが生命線なのは分かるけれど、まずは一つ。約束として私たちを心配させないで。秋だからって何でも酷使していいわけじゃないんだから」

 窓を開けて空気を入れ換えると、金木犀の香りが漂ってくる。

「……そうか。もう、秋なんですね……」

 秋らしいことをそう言えば一つもしていなかったな、と思い返す前にレイカルの声が響く。

「創主様! すごいですよ、もう栗が売ってるんです!」

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